105話 どうせこの前の男が死んだからさみしいってだけでしょう
思わぬ機会が訪れたのは、この世界で三月ほど経ってからだった。
従順な戦闘魔導具として完成されつつあった俺をデレシス以上に高く評価していた者がいた。ラーンマクだ。
共に前衛に立ち、時に背中を預け、平野の前線を押し上げてきた立役者として曲がりなりにも紐帯の絆が結ばれていたようで、仮拠点の防壁――後にスペルアベル平原となる――の下、三人が揃って夜を過ごしている席に招かれた。
ラーンマクは俺を隣に座らせて、気安く肩に腕を回した。マハルドヮグ山の裾野から続く広大な平野を禍人から奪い取った活躍は継承者無しにはあり得なかっただろう。しかし、「それを支えたのはお前だ」と、上機嫌に酒を呷る。
「……初めはまるで使えんと思ったが、目覚ましい成長だ」
背中をばんばんと叩かれ、俺は首を振る。こうも気さくに距離を詰められることには慣れていないので、どうしたものか対応に悩む。
ラーンマクは注がれた酒を一息に飲むと気炎を吐き、熱っぽい視線を向けて凭れ掛かった。略装の肌着で身を寄せ、板金の体に頬を当てる。
「お前は冷たくて心地よいな」
耳元で呟く声は色を帯びていた。
「そんなことしても鎧は靡きませんよ」
デレシスはちくりと咎める。
「……わかってるよ」
ラーンマクは俺の胸から離れると、座り直して背中を凭れかけた。挑発的にデレシスに向き合い、頭の後ろに手を回して俺の頬に指を絡ませる。
「難儀だぜ、身体があれば夜の火照りも発散できるのになぁ?」
言わんとしていることはなんとなく察せられたが、どうとも答えることはできない。
デレシスとアルクトィスは杯に口をつけたまま睨む。
「そこら辺に転がってる棒切れを鎧の股に貼り付けたら?」
「物足りないだろ」
「大体、鎧の種族は獣人種とは思えませんが」
「魔呪術の才がないんだから、獣寄りだろ。……あぁあ、なんで身体がないのかね」
ラーンマクの指先が面鎧の頬を叩いて弄ぶ。
かかか、かかか。
爪弾かれて硬質な音を立てた。
「奔放すぎるのではないですか」これはアルクトィス。
「今を生きてるだけだ」
「この前も戦士の誰かを宿に連れていましたよね。今を生きるのは結構ですが、見境なく遊んでいると己の首を締めることになりますよ」
「問題ないぜ。あいつは死んだ。私はこう見えて一途なんだ。男が死んでから次の相手を見つけるのが早いだけ」
わざとらしい仕草で己の身を抱きしめるラーンマクに、二人が揃って鼻を鳴らす。
「……でも、本当にそうだ。こいつが相手だったら首切られても死ぬことはないし、ずっとさみしい思いをしないだろ。一緒に戦ってくれるし、必ず生きて帰る。そういう信頼は私にとって大事なんだよ」
「何が一途か。どうせこの前の男が死んだからさみしいってだけでしょう」
デレシスは気に留めずあしらい、ラーンマクも呵々《かか》と笑うが、俺には彼女の言葉が多少なり本心からの言葉なのではと思ってしまう。
それは俺が、馬鹿な男だからなのだろうか。
「その話に関連しているので、この際聞いてもいいですか?」
アルクトィスは両手に杯を持ち、燗にした酒の湯気を見つめて言う。何の話か、デレシスはやや身構えながらも促した。
「うん、何かな?」
「鎧は以前、『慧』と名乗りましたよね。結局私達は鎧と呼んでいますが、本来は名を持ち、躰を持っていたのではないかと思うんです。……そのあたりの折り合いはお二方の間でどうなっているのです?」
「おう、そうだったな。あのときはデレシスに任せるってことになったが結局どうなったんだか知らねぇや」ラーンマクも身を起こして膝を向ける。「いっそ躰も作ろうぜ。そんで私の相手になってくれれば願ったり叶ったりだ」
「はいはいしつこい」デレシスはこちらに視線を向けて思案顔をする。「……元の世界に帰せないから協力してもらってる」
「じゃあじゃあ、今も意識はあるってことですよね?」アルクトィスは不審そうに首を傾げた。「戦闘にも積極的になって、めっきり自我を見せなくなりましたが、単に納得してくれただけですか?」
「そうだよ」
デレシスは屈託もなく言うが、細めた目元から覗く黒目がこちらを向いていた。「下手な反論はするなよ」と、言外に伝えている。
「なら、鎧にも過去があるんですよね」
幼く生硬な印象を受けるが、この賢人アルクトィスは静かに核心を突いた。
「そうかもね」
「聞いてはいないんですか?」
デレシスはばつが悪そうに俺を横目に見ながら杯を口に運んだが、既に空っぽだった。彼女なりの動揺が窺える。
「面白そうじゃねえか」ラーンマクは片膝をついてデレシスの杯に酒を注ぎ、座り直すと肘で俺を突付いた。「聞かせろよ」
俺は思わずデレシスに許可を求めるような態度で様子をうかがった。もはや俺は彼女の奴隷、所有物だ。
「……いいよ」観念したようにデレシスは言い、席を外す。
「んあ、どこ行くんだよ? お前は聞かないのか?」
「喋れないんだから、書くものが必要でしょ」
天球儀の杖の中に入ったのを見届けて、アルクトィスは声を顰めてラーンマクに切り出す。
「……デレシスって、掴みどころがありませんよね」
「そうか?」ラーンマクは片眉を吊り上げて生返事をする。
「二面性というか、私達ずっと一緒だったのに、どこか信用されてないような気がするんです」
「そりゃないだろ。難しいことはわかんねぇけど、なにも全部見せ合うのが信頼じゃないし。伝えるべきことと隠すべきことをあいつなりに切り分けてるんだろ」
ほろ酔いも手伝っていまいち求めた返答は返ってこなかった。ふしだらな割に陰口は好まぬ質らしい。
アルクトィスは納得できていないようで頬を膨らませて俺を見る。彼女の中で想定していた話の運びはきっと違う筋書きだったのだろう。抱いている疑念はとても共感できた。
尚も食い下がろうとしたアルクトィスは何か言いかけたが、杖から戻ってきたデレシスに気付いて言葉を呑み込んだ。
「はいよ」
デレシスは座りしなに俺に手頃な石を手渡した。魔力の尽きた魔鉱石だ。握って土を彫れば字が書けるということだろう。
思いの丈を語る、またとない機会だ。
手に持った石の重さを確かめるように握り、少しの間見つめた。
三人を前にして、俺は言葉を刻みはじめた。




