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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
13 首失《くびうしない》の禍斬《まがつきり》

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104話 白状すると、君を騙そうとしたんだ

 トガは唸り声をあげ、首の板金に何度も歯を立てる。

 がりがりと牙が擦れる不快な音と感触。視界は狼とも蜥蜴ともいえない形容し難い獣の姿が一心不乱に俺を責め立てる姿が映る。


 俺の何が憎いのか……声が出せたとしても、狂った獣相手に返答は期待できない。


「殺せ」ラーンマクは言う。「でなきゃお前が殺されるぞ」


 当然のように放たれた言葉が俺の理性を追い立てた。――そうだ……鎧の体とはいえ不死身という保証はない。


 痛みがなくとも一方的にやられ続ければどうなってしまうのかを想像して、俺は激しく抵抗した。知らぬ間に急所をやられて死ぬなんて御免だった。


 トガは俺を倒せるという確信をもって首に噛みついていたとしたら? 魂に関わる魔導回路に牙を引っ掛ければ……俺は死ぬのか……?


 戦場に吹き荒れる憎悪の風に踊らされ、俺は反撃に出た。トガの顎に腕を食い込ませてくつわにすると纏わり付く六本の脚を首から剥がして腹に拳を叩き込んだ。痛みに怯んだトガは前足をばたつかせて牙を抜くと、毛を逆立てて威嚇した。


 俺は足元に転がる骸の胸に刺さった槍を引き抜き、自分から踏み込み鋒を突き出した。


 構えも何もなっちゃいない間抜けな一撃。だからこそか、狙いの読めない軌道にトガの回避は失敗した。横跳びしたトガの頬を掠め、首元の鎖骨に沿って皮膚を裂いた。肋骨を砕く手応え、内臓に刃が沈む手応えがはっきりと感じられた。握った柄を通してトガの心臓の脈動が伝わり、噴出した大量の血液をもろに浴びた。面鎧の目抜穴に血飛沫がかかり、内側に雫が滴るのが不快だった。


 俺は鮮血を浴び、獣の狂気が伝播したように気狂いに叫んでいた。


 ――殺した……! 俺が……!!


 魂の悲鳴だった。

 言葉は、誰にも届かなかった。


 この日は二体のトガと一人の人間を殺してしまった。この一人の人間というのは、俺が蹴飛ばされた際に下敷きになった人だ。額に角の生えた禍人という存在だと教えられたが、だから許されるという気持ちにはならなかった。

 二体目のトガについては覚えていない。生き残るために必死だったのだ。


 ラーンマクに呆れられ、跳躍一つで崖上に助け出されてから、俺は杖の中に潜り込み、以前のように床にじっと座り込んだ。この世界の有り様が恐ろしかった。俺を傷つけるものがあまりに多すぎて、参ってしまったのだ。





「すまないね。ラーンマクは人の話を聞かないからさ」


 夜、驚異の部屋にて。

 デレシスはそう言って隣に座った。手持ち無沙汰に組んだ指先をくるくると回している。


「君に事情を説明してから少しずつ慣らしていくつもりだったんだが……まぁ、なんとかなってなによりだよ」


 腹に据えかねる言葉に、怒りが込み上げるのを感じた。


 俺は立ち上がり、机の上の蝋板を掴んだ。思いの丈を書き殴ってやりたかったが、乱暴に筆を走らせれば蝋が砕けて文字を成さなくなる。怒りを堪えて言葉を削った。そしてデレシスの顔前に突きつけた。


「えっと……『お前は聞くのか』……? あぁ、皮肉を言ったんだね」


 デレシスは疲れた顔で笑う。


「白状すると、君を騙そうとしたんだ」


 手遊びをやめて続けた。


「継承者は三人、内二人は後衛でね。私とアルクトィスのことなんだけど……。前衛のラーンマクは負担が集まるでしょう? そのうえ君も見たように、ここから先の戦場は果てしない平野が続く。領土を奪い取るにはせめてもう一人前衛が欲しい」


 俺はまだ話の全体像が見えていないので、憮然と腕を組んで先を促す。


「三女継承者の神器は一種の魔導具なんだけれど、どうやら戦闘に特化した便利なものでね、私達にも似たような物が作れないかと考えたんだ。

 それでできたのが君なんだよ」


 ……ちょっと待て、それはおかしい。


 俺はこの部屋で、突然鎧に宿ったと言っていたじゃないか。


「三人で神器を触媒に術式を組み立ててね、そう苦労はしなかった。

 何度目かの実験で君が現れて……いやぁ、驚いたよ。私達は自我を持たない霊素を作り出した筈なのに、君は名前を持っていて、『別の世界から来た』とか言うんだからさ」


 これは彼女の、彼女たち女神継承者の、罪の告白だった。

 ただし自らの行いを悪びれることなく、反省もしていない。


「なんであれ宿った命だ。呼び出すことはできても返す方法がない。だからこのままこの世界について知ってもらい、一緒に戦ってもらおうって思ってたんだよ」


 ……そうか。

 初めから騙していたんだ。

 部屋の外についてもそうだ。彼女は初めから俺を利用しようとしていたんだ。


 俺は思わずデレシスの肩を掴んだ。少し驚いた顔をしていたが、それ以上の暴力を振るわないとわかると小さく微笑む。


「君は異世界からやってきた稀人まろうどなんだね。それも、暴力を良しとしない、随分と穏和な世界から来たと見える」


 デレシスは憐れむように言い、俺の手を解く。

 俺は蝋板に文字を刻み直した。


 ――帰してくれ。


「……それを言われると弱いよ。私達は霊素精製という禁忌を犯した。その結果、君を召喚することになったのは本当に偶然なんだ。なんで霊素ではなく異世界の門が開いたのか、未だに私にはわからない」


 俺は縋りつき蝋板を押し付けて頼み込んだ。


 ――帰してくれ。


 化け物であれ人であれ、俺に殺しは無理だ。

 役立たずだってことは今日でわかっただろう。元いた世界に帰してくれよ。


 デレシスは頭を掻き、わざとらしくため息を吐いた。

 繕っていた笑みを脱ぎ去るようなため息だった。


 ぼりぼりと頭をかきむしり、俯いていた顔を上げる頃には人相は冷ややかな別人格に変わっていた。


「何度も言うようだけど、私とアルクトィスが組み上げた術式は霊素の精製なんだ。もし君を帰すとするならその術式の反転……つまり霊素の消失を行うことになる。これをやれば、鎧に定着していた魂は剥がされ消える。二度目の奇跡が起きてくれれば、元いた世界に帰れるかもしれないけど……本当にやってほしい?」


 ほぼ確実に死ぬけどね。デレシスは造作もなく言った。


 この女が三人の中で比較的親身になってくれていると思っていたが、勘違いだった。

 初めから俺を道具としてしか見ていないし、俺の悲しみに寄り添うつもりもない。俺の正体を知りながらも騙しながら利用する道を選んだのだから、あの三人の中で一番悪意を持っているとさえ言える。

 ……ここは平気で殺し合う世界なのだ、俺の泣き言なんて甘ったれの我儘わがままとしか映らないのだろう。


「どうする?」


 俺はこの世界で今死ぬか、戦って死ぬか、二つに一つだった。


「戦ってくれるかな?」


 俺は不服ながらもうべとした。デレシスは「よかった」とだけ言い残し、寝台に横になるとそのまま眠りについた。俺に寝首を掻く度胸は無いと決め付ける態度だった。


 実際、俺はどれだけ憎く思っても、デレシスに危害を加える勇気はなかった。


 ……この夜以降俺は自我を放棄し、命令に従う戦闘魔導具に徹した。

 帰る手立てもなく、我儘を言える身分ではないことを知ったからだ。


 もちろん精神的な摩耗はあった。一日の終わりに倒した者らの凄惨な姿が思い出され、その度吐きそうな気分になるが当然腹の中は空っぽだ。逃亡や反抗、時に退行障害も患ったが、鎧の体は精神を差し置いて常に万全だった。敵を殺した活躍を褒められた夜は、赦されたいがために彼女デレシスの胸に縋ったこともある。この逃げ道が俺をより従順にさせるための罠だと知っていながら……。


 俺はこうして魂を明け渡し、戦争行為に手を染めて、泥濘ぬかるむ底なし沼に肩まで浸かっていた。どれだけの敵を殺しても、この汚れ仕事から足を洗う日は来なかった。

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