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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
13 首失《くびうしない》の禍斬《まがつきり》

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103話 お前もやるんだよ

 左手が動かせるようになり、デレシスは鎧と魂――彼女は魂のことを度々「霊素」と言った――の定着方法のコツを掴んだようだった。魔導回路が構築された後は下肢も動かせるようになるまであっという間で、この部屋で一月ほど過ごして初めての五体満足。一揃いの姿を手に入れることができた。


 この頃は聞き手の一方で、自発的に何か話したいという感情も薄れていた。口がないこと、また蝋板の蓄えをむやみに消費できないことが俺をいっそう無口にさせた。なので多少なりこの世界の事情は聞き及んでいるが、継承者側は俺のことについて知らないことの方が多かった。……これも数ある後悔の一つだ。もっと言葉を尽くして俺のことを開示する必要があっただろうと悔やまれる。『《《俺は霊素ではなく魂だ》》』と、『《《別の世界から来た人間なのだ》》』と、根気強く伝えていれば結末は少しでも違っていたのかもしれない。


 初めて部屋を出た時は、俺の喜びに反してデレシスの表情が翳っていたことを覚えている。彼女の私室から螺旋階段を上り、扉の取手を掴んで開くと、眼前に広がるのは夜天の書架だった。予想していない光景に俺は足を止めた。


 部屋にいたとき、室内は常に薄暗く、窓がないことから地下だと推察していた。だから扉の向こうは地上階のはず……少なくとも屋根ぐらいはあるものだと思い込んでいた。それに、普通外へ出るとなれば日中だろう。なぜこんな夜に部屋の外へ連れ出そうとしたのか分からなかった。


「ここは驚異の部屋上階、天球儀ラルトカンテの閉架」


 後ろを付いて歩くデレシスが簡単に説明した。が、これだけではまだ理解できない。俺は続きを求めて彼女を見つめる。


「ここはまだ外じゃないってことだよ。……言っていなかったけれど、この空間も、地下の部屋も、私が持つ杖の内側にあるものなの。

 今まで気付きもしなかっただろうけれど、外ではずっと旅をしていたんだよ」


 まさかと思った。

 デレシスは目覚めれば外へ出掛け、仕事が終われば部屋に帰ってきて机に向かうか眠るかの繰り返し。だからあの地下の部屋は定住地だと疑いもしなかった。

 意図的に隠していたのだ……目の前にいる彼女が消極的に俺を騙していたことを密かに悟った。


 夜天に佇む扉の裏側に回り込み、デレシスは外への扉を開けた。同じ扉の表と裏で繋がる出口が異なるとは……どういう理屈なのだろう。とにかく、気を取り直して光の中へ進んだ。


 降りた先はムーンケイという国なのだそうだ。外は明るく、日が昇っていた。

 切り立つ岩盤の先は広大な平野が地平線まで広がっていて、見渡す限り都市の風景は見つけられない。崖下は『下層』と呼ばれており、同じ国なのだそうだが、戦線が張られているため環境は全く異なるという。

 振り返って後ろを望めば見上げるほどの山脈が空に伸びていた。いただきは雲に頭を突っ込んで隠れているが、晴れていれば神殿が望めると教えてくれた。ムーンケイは、そんなマハルドヮグ山嶺さんれいの中腹にある卓状地周辺に築かれた国家なのだと知る。


 俺は今しがた出てきた扉を探すが、デレシスの言っていた通り定住の家はそこにはなく、一本の杖が楔のように地面に突き立てられているだけである。

 これが次女継承者の神器、天球儀の杖。


「やっと使えるようになったんだな」


 と、声の方へ振り向けばラーンマクとアルクトィスが合流してきていた。デレシスが答える。


「ええ。きっと前衛の役に立つと思うよ」


「なら早速さっそく貰って行くぞ」ラーンマクは言いながらこちらに迫るが、デレシスが慌てて前に立つ。


「おっと、早速は急過ぎます。事情から慣らしていかないと――」


「構うかよ。どうせ死なない魔導具だ、実戦で慣らせばいいだろう」


 ラーンマクは豪気の笑みを浮かべてデレシスの制止を押し退け、俺の首根っこを掴んで崖から飛び降りた。


 心の準備もできぬまま下層の戦線に躍り出ることとなった俺は無様に戦場に転がり、上体を起こすとラーンマクが立ちはだかった。腰に右手を添えて、左手で戦場を指差す。


 そこには野蛮な世界が待ち受けていた。


「命令だ『殺せ』」


 そんなぞんざいな言葉で俺が従うと思っているのか。

 ラーンマクは揺るぎない眼差しだったが、一向に動かない俺を見て眉を下げる。


「おいデレシス! 動かないぞ壊れてる!」


 崖上を見上げて声を張り上げる。

 同じだけ張り上げるデレシスの返答が上層から降ってきた。


「だから言ったのに!」





 死んだ人間の姿を見るのは決して初めてではない。……だが慣れるようなものでもない。


 下層に落ちた俺が目にしたのは地獄だった。

 山裾から広がる平野の全域に渡って、ここにいるすべての生命が悪意を持って命を奪い合っている。

 争うことが生きることと直結しているように、奪うことがなにより尊いことのように、命を燃やし、尽きるまで前進を続け殺し合う。


 俺が元の世界から持ち寄ってきた常識なんて通用しそうになかった。泥と血と灰に塗れ、狂った炎を囲い、互いに武器を振り回す醜悪な奇祭。それが、初めて目にした戦争の印象だった。


「おい」


 腰が抜けたように座り込み呆けている俺の背中をラーンマクは蹴り飛ばす。


「お前もやるんだよ」


 それはまるで、「息をしろ」とでも言うような調子だった。

 ラーンマクは俺の体を蹴飛ばし、乱戦に渦巻く火中へと放り込んだ。


「なんでもいいから殺してみせろ」


 敵味方もわからぬまま投げ飛ばされた鎧の体が他人を下敷きにしてしまった。

 巻き込んでしまったことを咄嗟に謝ろうとして身を起こせば、その者は薪割りのように振り下ろされた刃物によって脳天を叩き切られた。


 ――うわ……。


 俺が落ちてこなければこの人が死ぬことはなかったはずだ。

 目の前で行われた残虐行為に心が追いつかず、彼の死に少なからず関わってしまった罪悪感に狼狽える。

 そんな俺の後頭部を槌の横薙ぎが襲い、視界に星が散る。普通なら頭蓋が陥没して死んでいただろうが、鎧の体では痛みすら感じない。視界がぐらりと揺れただけだ。


 いきなり誰かを殺せと命じられたとき、果たしてその指示に従う者はいるだろうか。

 その問いを投げかけられた者はきっと俺と同じことをするはずだ。

 大いに躊躇い、一応は獲物を探す素振りをし、怖気付いて逃げ帰る……俺はラーンマクの方へ駆け出し、彼女の怒鳴り声も無視して崖を登ろうともがいた。


 はっきり分かった。ここは地獄だ。上へ逃げ延びるしか助かる道はない。


 俺の面鎧に表情があれば、哀願の目をしていただろう。


 なにが剣と魔法だ。

 ただの殺しじゃないか。


 敵と味方を見分けるには、そもそも敵が必要だ。

 迷い込んだだけの俺は、この世界の人間に殺意を抱ける動機がないし、殺されるようなことをした覚えもない。誰も殺したくない。


 硬い岩盤の外壁は掴むところもなく、籠手の指では滑ってとっかかりもない。そうこうしているうちに俺の背中に何かが飛び乗り、荒い息遣いが聞こえる。


 俺は恐怖に身を捩ってそれを引き剥がし、それの姿を見た。


 これが初めて見たトガだった。


 口吻は乾いた血で汚れ、牙の間には何かの肉片が挟まっている。

 その黒目は異様に上を向き、まるで自我など存在しないかのように。

 ただ、喉の奥から漏れる濁った唸り声だけが純粋な殺意を俺に向けていた。


「それが敵だ、殺せ」と、静観していたラーンマクが再び命令する。


 トガは俺を敵と見做しているが、その敵意は一方通行だ。

 俺からしたら、こいつと争う理由がなかった。

 だから迷わず逃げの一手を選んだ。その背中に再びトガが飛びかかる。

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