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最後の異世界転生譚 ――Echoes Beyond the Aurora Manuscript――  作者: 莞爾
13 首失《くびうしない》の禍斬《まがつきり》

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101話 ウツロ

 戦場に立つ者はいなかった。

 龍と鎧を除いては。


 ずっと空席だったウツロの首に据えられた日緋色金の頭蓋。その眼窩がんかの暗闇から、彼の眼は災禍の龍を捉えていた。

 消失した光輪が再び宿る兆しを見せた龍に向けて、ウツロは手を伸ばした。


 掌から生成され飛び出した幾本もの刃は、風に導かれるように龍の首を囲んで廻る。ウツロが伸ばしていた手の指をぐっと握ると、刃が輪の中心へ向かって収斂しゅうれんし、龍の首を千切り落とした。


 その流儀はガントールのものだ。生成された刃も天秤剣に由来するものだろう。


 しかし、齧り取るような剣閃はガントールのものではない。ましてやウツロらしくもなかった。

 災禍の龍を嘲笑うかのように屠ってみせた刃は勝利の舞踊を踊り、様変わりしたウツロに付き従う。


 落とされた龍の首、無貌の頭蓋は大地に転がり、それを追いかけるように巨人の躰は膝をついてゆっくりと倒れていく。巨大な質量が大地に叩きつけられる衝撃に一帯が轟き、当代継承者の終戦を告げる鐘となった。

 これを目で見た者、耳に聞いた戦士は前線にはいない。


 ウツロは飛ばしていた刃の血を払って手中に収め、だらりと腕を垂らして天を仰ぐ。傍には二人の娘がいた。首を切られて倒れる次女継承者アーミラと、光輪を破壊した際に外殻の中から現れた意識のない少女――ニァルミドゥ――である。

 ウツロは、ニァルミドゥの方に歩み寄った。


 一糸纏わぬ姿のまま地面に倒れ込むその娘ににじり寄り、顔を覗き込んでじっとしていた。……しばらくしてやおらに立ち上がると、意識のない娘の背中と膝に腕を差し入れ、壊れものを扱うようにそっと抱え上げ、南へ向かって歩き出した。


 娘の臀から伸びる長い尾が、ウツロの腕から滑り落ちて地面に引き摺られている。


 少し離れたところで、オロルは加護により癒される体を放ったまま、目だけで恨めしく彼の背中を見送っていた。

 追いかけて問い質したかったが、疲憊し、その余裕すらなかった。


「……何をするつもりじゃ、ウツロよ……」


 オロルは届かない声を空に吐いた。





 ――意識を取り戻したとき、俺の体は鎧になっていた。


 《《当時》》のことを端的に伝えるなら、そうとしか言えない。


 あのときは自分の身に何が起きているのかなんて全くわからなかった。わかったところで納得できるものでもなかった。ただ次々と襲いかかる違和感が、呑み込む間もなく押し寄せてきたことだけは鮮明に覚えている。普通の人間が経験することのないであろう特異な出来事に襲われたのだ。


 まず、俺の視界に映るのは知らない部屋の光景である。


 ここはどこだ? と、目をしばたたこうとした瞼の神経が途切れ、視界は常に眼前に張り付いた。眼球の運動も固定されている。

 目が閉じられない! と顔を擦ろうと両手を持ち上げた筈が、右腕だけがぎしりと音を立てて視界に映る。


 ――左手は……いや、なんだこの手は……!


 眼前の右掌を見つめ、俺はここで奇妙なものを着せられていると思った。金属製の囲いが関節毎に区切られ肌を隠している。鎧を着せられているのだと直感で理解した。とはいえ、あまりに荒唐無稽過ぎて思考が追いつかない。

 どこでこれを調達し、誰が何のために、俺に着せたのか……。


 どういう目的の悪戯か、そういったことをする人物に思い当たる節がない。無差別的なものか、愉快犯か……ならば犯人の手がかりはきっとこの部屋だ。そう考えて首を回す。目が醒めたときから視界は壁に向けられていたから、仰向けに寝ていたわけではないというのが視覚から推察できる……というより、視覚から推察するしかなかった。

 この体感覚の違和感を説明するのは些か難しいものがあるが、左腕と下半身がぴくりとも動かせないという事実からも理解してもらえると思う。感覚のほとんどが鈍く、麻痺しているようだ。


 全身の皮膚感覚――痛みや温度を感じ取る神経や諸器官――がごっそり抜け落ちている。指を動かした際にかすかな板金同士の擦れる音を聴いたので、聴覚はある。視覚は言わずもがな。

 部屋の匂いは感じ取れない……いや――

 俺はあることに気付き、ぞっとした。


 ――息をしていない……!


 本来、呼吸は不随意的なものであるため特別意識を向けずとも繰り返し行われる自然なものであるが、息をしていないと気付き意図的に呼吸を制御しても、鼻が、肺が、口さえも、なんの反応もしない。まるで肋骨の内側に備わる筋肉や臓器が掻き出されてがらんどうになった気分だ。……実際胴鎧の内側はがらんどうだったのだが、今はまだその事実を知らない。


 このあたりで俺の意識はほとんど正気ではなかった。自分の身に重大なことが起きている以上、なりふり構ってはいられない。

 助けを求めるために声を上げようとしたが唇が麻酔をかけたように自由が効かず、篭手に覆われた右手でがしゃがしゃと顔を撫ぜれば硬い感触が返ってきた。強く触れあえば、鈍いながらも触覚が生きていることがわかった。

 顔と指先、互いの触れ合う金属の硬質な肌触り。指でなぞる口元に唇は備わっておらず、何度探ってもつるつると凹凸のない面甲が覆われている。


 ――もしかして……、


 強烈な違和感の正体を理解し始めていた。

 俺は、この鎧の中に体ごと閉じ込められているのだと思っていたが、違うのではないか。


 ――俺は鎧になったのか……?


 そんな出鱈目があるか。俺は右手で床を探り、不自由ながらも苦労して壁面に背を預けて座る形を整えた。部屋を見渡すために身を起こしたかったのだ。視界の下方では己の脚が金属に変わり果てて沈黙している。動かそうにも反応がない。

 言葉通りの足枷あしかせだった。


 部屋は蔵か納屋の様相でひどく散らかって薄暗かった。蜘蛛の巣こそ張られていないようだが、雑貨屋のように使途不明な物品が棚や机に溢れている。これだけ助けを求めているのに誰も来ないのだからてっきり室内は無人なのだと思っていたが、右側の暗がり、螺旋を描く階段の横に三人の人影を見つけて、俺は恐怖に身を震わせた。少なくとも内側に秘めた俺の体は震えていたはずだが、外側の鎧が身震いしていたかはわからない。


 本能的な直感が働き、三人は助けに来たわけではないのだろうと理解した。そのときに俺は錯乱したと思う。なんであれ叫んでいたはずだ――口があればの話だが。


 これまでの自分はそれなりに艱難かんなん辛苦を乗り越えた自負があった。どんなときでも冷静さを失わず、それを密かな自慢にしていた。だというのに、この状況に対して自慢の冷静さは口ほどにもなく砕け散って、俺は激しい恐慌に陥っていた。魂に宿している属性さえ剥ぎ取られ、声がでないまま叫び、涙が流れないまま泣き、四肢が不自由なまま暴れた。


 発狂だ。

 そうでもしなければ俺は殺されると本気で思った。


 三人のうちの一人が靴音を立ててずかずかと近付き、力任せに俺の右肩を抑えた。果たして暴れる男の腕力をこうもたやすく御する事ができるとはやはり恐ろしい……が、傍らに立つ子供が部屋に明かりを灯すと、俺を抑えている人物が女性であることを知る。それどころではない。三人の人影が明るみに正体をさらすと、全員が女だと気付いた。悪戯の度を越しているが、彼女等と面識はないように思う。

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