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(第七回)


 予定通り自転車置き場の工事が始まった。毎日窓の外で工事の音が響きそれは健太郎の集中力を乱した。工事は朝から夕方五時ごろまでつづき窓を開けることすらはばかれた。百田が言っていたようにもはや部屋代の値下げ交渉を敢行すべきときがきたと決心せざるを得なかった。完成すれば陽あたりは悪くなり騒音は発生し状況が一段と劣悪になる。これで他の部屋と同一の料金を払って下宿するということは著しく不平等だった。当然、家主は部屋料金に差をつけるべきだ。百田に教えられ異論はなかった。健太郎は近々それを決行しようと考えていた。

 前半は夜遅くバイトから戻ってくると窓を開けて暗闇に広がる田圃を眺め一息ついたものだ。遅く起きた朝なども開けた窓から広々とした周囲から新鮮な空気が舞い込んできてその爽やかさに浸ることが出来た。これからはそれがなくなり陽の射さない暗い部屋に変貌してしまう。大事な時期に環境が変化しようとしているのだ。

あらかじめ予備校の下宿斡旋の窓口となった係りから家主の住所を聞いていたので健太郎は深まる秋のある日、そこへ出かけることにした。

「叡山荘」から歩いて十分くらいの場所だった。やはりそこも学生の下宿アパートをやっているらしく家主の家屋はすぐその裏に建っていた。玄関でブザーを何度鳴らしても出て来ず健太郎はしばらくその周りを歩いていた。ちょうどアパートから一人の学生が出てきて「何か用なの?」と気軽に声をかけてきた。

「ちょっと家主さんに」

「家主はいつも昼間はいないよ」

学生は背が高くきりっとしていてセンスも抜群で洒落たVANのシャツを着ていた。

「急な用事?」

「いえ別に」

 健太郎はあきらめて帰ろうとした。

「よかったら伝えておこうか?」

「夜にでも出直してきますから」

 健太郎はとぼとぼともと来た道を歩き始めた。

 その夜もう一度家主のところへ出かけたがやっぱり留守で二、三日が過ぎ久しぶりに予備校へいった帰り叡電・八幡前の駅でばったりその学生と会った。

「家主に会えた?」

「いいえ」

「どこかへ行っているのかなあ」

 学生は不思議そうに首をかしげてから、

「どんな用事なの?」

 と、再び尋ねた。

「下宿料の件で」

「ああそう」

やがて二人は言葉を交わしながら駅から同じ方向へ歩き始めた。

「何処の寮?」

「叡山荘です」

「ああ、知ってる」

「ちょっと来る?俺の下宿」

「ええ」

 何度行っても留守の家主のことを思うと少し腹が立ったがなぜか闘争しようとする自分の姿も恥ずかしい気持ちが沸き起こっていた。  

 学生の名は橋戸さんといった。彼は自分はD大の二回生だと言った。橋戸さんの部屋にはフォークギターがありしばらく雑談してから彼はそれを手に取って弾き始めた。

 聴いているうちにフォークギターを買うと言っていた亜紀のことが偲ばれた。

「この歌、知ってる?」

 何か虚しさの込み上げてくるような旋律であり同時に深い慈しみを感じさせた。

「グリーンスリーヴスっていう曲なんだけどさ」

 健太郎は二つの影が胸の奥で葛藤する衝動に駆られていた。早く亜紀に会いたい、一日も早くこの浪人生活に決着をつけたい、ただ焦る心と不調で不安な先行きがこれに重くのしかかっていた。

「失恋の歌だよ」

 歌い終わって橋戸さんはにんまり笑った。亜紀との淡い夏の恋を指されているようで健太郎は妙にいたたまれなくなった。そして一方で、もてそうな橋戸さんは絶対に失恋するはずはないと何となく思うのだった。 

大学祭が間近に迫っているのを告げるかのように橋戸さんの机の上にはそのパンフや資料がどっさりと置かれていた。橋戸さんの華やかな大学生活が想像され健太郎は羨ましかった。

「橋戸さんは恋人がいますか?」

 小原君には告げなかったことを突然切り出そうとしていた。どうしても亜紀とのことを聞いてもらいたかった。

「まあな」

 しばらく黙ったあと今度は橋戸さんが健太郎に問いかけた。

「君は?」

「夏に知り合ったコがいるのですが…」

「ほう」

「入試が終わるまで会わないと約束して…」

 軽い気持ちで話したつもりなのに深刻に悩んでいる心のうちが知れたのか橋戸さんは、

「それで?」

 と興味を持ち始めやがてタバコを取り出して火をつけた。

「家が岩倉なので通学時間には八幡前で会う可能性があっていつも気になって」

「会ったって別にかまわないじゃない。むしろその方がいいんじゃないの」

「いったん決めたことですのでやはり自分としては入試が終わるまで」

 橋戸さんは声を出して笑いタバコの煙をゆったりと吐いた。

「そうかたくなに考えるなって」

橋戸さんは同じことを言いつづけた。



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