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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

僕とお日様は落ちていく

作者: あふぁ

 1年前に両親は交通事故で死んだ。車線からはみ出したタンクローリーと建物でつぶされたらしい。

 悲しかったけど、姉とふたりで頑張って生きてきた。


 昨日、階段から落ちて病院に運ばれた姉が死んだ。

 中学3年生の僕には何もなくなり、このまま生き続けても楽しさよりも苦しさがある。

 だから死んで楽になろうと思った。遺書は書いたし、僕が死んだあとは親族がなんとかしてくれるだろう。

 死ぬ前に、姉は僕へ「男なら男らしく生きろ」と励ましてきたがそう言われてもよくわからない。

 家族がみんないなくなり、やりたいことも生きる理由もない僕はこの14年の人生を終わらせたいんだ。

 それは死を得ることによって。


 そして僕は自殺について図書館やネットで勉強をし、夏休みに入った初日に実行することにした。

 やるのは飛び降りだ。リストカットや首つりは痛さと怖さでできないし、高いところから飛んで落ちるだけなら実行しやすいと思ったから。

 自分から死ににいくというのに、気持ちはとても晴れやかだ。

 朝にシャワーを浴び、しっかりとご飯を食べる。

 家族みんなで過ごしたマンションの家をきちんと掃除して綺麗にする。

 パジャマから長ズボンに半袖シャツに着替えて出かける準備はできた。

 今の僕は旅行へ行くかのように明るい気持ちだ。

 そんなうきうきとした気分で、財布と家の鍵、死んだあとに身分を証明するための生徒手帳を持って駅へ行く。


 電車を使って3駅ほど離れたところに行くのは、事前にネットで調べていた廃ビルだ。

 やや都会の街にある裏通の廃ビルは鍵がなくても入れる。

 壊されている扉から入ると、廊下や階段にはロープや壊れた椅子、棚といったゴミが散乱している。

 危ないもの踏まないようにしつつ、5階建ての屋上へとたどりつく。

 ドアノブを回し、サビできしむ音を鳴らしながらドアを開けるとそこには先客がいた。

 屋上にあるフェンスが破けるように壊れていて、その部分には細い体をした女の子が後ろ姿を見せて立っている。


 身長は160ちょっとの僕よりも20か30ぐらいは低い。

 服は薄緑色のパジャマで履いているのはなぜかスリッパ。

 場所に合わない姿をしている女の子は朝の太陽の光があたっていて、白い肌の手やかかとの長さまである金髪が輝いている。

 屋上の強めな風に揺れる金髪の美しさと長さは印象が強いものの、それよりもよく記憶に残るものが僕の目へと入ってきた。

 翼だ。テレビで名画として出てくる天使と同じ色と形をした、身長よりも大きい2枚の翼が背中についてある。

 色は綺麗な青空に浮かぶ雲のように白くふわふわとしていて、手入れがよくされていて目を奪われてしまう。


 普通、人の背中に翼はつかない。

 でも急速性天使症候群という100年ほどまえから出始めた奇病によって人に翼が生えるてしまう。

 小さな子供限定で原因不明の発症をして1か月で翼が生え、1か月で翼が抜け落ち、そして死ぬ。

 その病気を発症した子たちの血には多くの病気を治すのと、進行の進み具合を遅らせる薬として使われているとテレビで見た。

 学校の先生は、天使になるのは選ばれた特別な子で人類に光を差し込む救いの存在と言っていた。

 テレビのニュースでも同じようにほめたたえ、そんなすばらしい存在になった子には政府が手厚く管理して国に貢献してもらっている。

 とはいえ、発症者は500万人に1人。その血を使えるのは重病者かお金持ち。権力者だけ。


 そんな特別な存在を、テレビや新聞以外で僕は初めてみた。

 僕の目にうつる子に心を奪われていると、その子は何もないところへと足を出し、落ちた。

 落ちたのだ。いや、飛び降りたといったほうがいいかもしれない。

 なんで突然落ちたのかわけもわからないでいると一瞬の時間のあとに何かがアスファルトへぶつかる音が聞こえる。

 そんなはずがない。天使だったら翼で飛ぶ。飛ばないわけがないと思って待っているも、全然飛んでくる気配はない。

 恐る恐る天使の子が落ちた場所へと行き、膝をついて身長に身を乗り出す。

 僕より先に飛び降りた子がどうなったかが気になって。自分の知らないことがあれば、なんでも気になるのは当然だ。


 これから見る景色に死体や血があるか。何かが飛び散っているかという恐怖と落ちたあとにどうなるかの好奇心で下を見た。

 そこには僕の考えたものはなかった。翼を持った女の子が血も流さず、顔を両手でさすりながら起き上がってからだ。

 ──ゾンビにでもなったのか?

 そう思っても仕方ないと思う。飛び降り自殺を見たことはないけど、高いところから落ちたら人は大体死ぬ。

 下にクッションとなる草木があれば、死なないこともあるという文章を見たことはある。

 その子はアスファルトの上で起き上がると、どこも骨折した様子もなく散らばったスリッパを履いてから僕がいるビルへと入ってくる。


 ……急速性天使症候群になると死なない? 血はとても価値があるって聞いたけど、本人自身は死ななくなるってことなのか。

 あ、でも翼があるから地面にぶつかる直前で翼を使った? テレビでは空を飛べないって言ってたけど。

 いま見た光景の答えがわからず、もしかしたら5階の高さから僕が飛び降りても死ねないのかとも思う。

 だとしたら確実に死ねない? どうすればうまく死ぬ?

 女の子が落ちた場所を見ながら考えていると、足音が聞こえてくる。

 スリッパを履いたときのパタパタという音を鳴らしながら。


「おにいさん、落ちるの? 死ぬのって結構痛いんだよ!」

「見ていたからわかるよ。……それで、なんで君は死んでないの?」


 声をかけられて振り向くと、飛び降りた女の子がしゃがんで僕に目を合わせている。

 天使の見ためをして透き通るような青色の目をしている子は日本人な顔つきで、中学校で見る子たちよりもちょっと幼い顔つきだ。

 小学生5・6年生だと思う。

 飛び降り自殺未遂をしたのに、にっこりと明るい笑顔なのはなんだか変だ。

 僕の見間違いではないはず。地面へぶつかった音と立ち上がる姿はしっかり見たし。


「ほら、あたしって見てのとおり病気だよね? それだからじゃないかなぁ」


 女の子は立ち上がって僕に背を向けると大きな純白の翼を横へと勢いよく広げる。

 カメラ越しでなく、すぐ近くで見た翼は鳥のようだ。翼にある羽根ひとつひとつがふんわりしていて、さわり心地が良さそう。

 風によって羽根が翼から1枚だけ抜け落ちたのを見たら羽毛布団に入れたらいいかもと思っていると、段々と翼が近づいてくる。


「天使症候群なのはわかったから後ろに下がって。いや、下がってって!」

「そうしたいんだけど、風が強くて! あ、一緒に落ちたらごめんね?」


 強い風に吹かれた女の子は広げた翼のため、風に押される形で僕へとぶつかってきた。

 背中から突っ込んできたから、羽根が見た目どおりにふんわりでやわらかい感触なのはわかった。人から生えていても鳥とは変わらないみたいだ。

 それがわかったのは嬉しい。余裕がある状況だったのなら。


「落ちる、落ちる! 落ちる!!」

「おにーさん、がんばって!」

「速く翼をしまえ!」

「風を受けているとうまく動かせなくて」


 女の子の長すぎる髪で視界がいっぱいになり、座った状態で破れたフェンスを片手で握って耐えている。

 もう片手のほうには女の子の細い腰を抱きかかえて。

 5秒ぐらい耐えたところで風はやみ、翼をたたんだ女の子を離す。女の子は僕の前に安心した様子であぐらで座っている。

 力いっぱい握って頑張った両方の腕はぷるぷると震え、筋肉が痛い。

 こんなに頑張った僕を褒めてほしい。

 ……飛び降り自殺が目的なら力を抜いて落ちればよかったんだろうけど、それは僕が希望する死に方じゃない。 

 

「楽しかったね!」

「僕は手が痛かったんだけど。さっきの飛び降りといい、スリルを味わいたいタイプ?」

「んー、そうかも! ここ1か月はずっと病院の中だったからつまらなかったから。ご飯や運動は言われたとおりにしないといけないし、言うことを聞かないとたたかれるの!」


 両手をぶんぶんと振っては怒りを表現しているけど、なんかかわいい。

 かわいいことをしてスルーしてしまいそうになったけど、今の言葉は気になった。

 ニュースでは手厚く保護をしているとあったけど、実際はそうじゃないのか? それともこの子がわがままなだけ?

 お気楽というか、人を無意識で振り回してくる性格っぽいし。いや、そうだとしても暴力をふるうのはダメだろう。

 

「それは大変だったね」

「そう! 大変! だからね、脱走してきた!

「……飛んで脱走?」

「ううん、飛べない。この翼はかっくーしかできないって先生が言ってたから、病院の屋上からぶわーって風に流されてここまで来たの」


 なんだ、このいたずらっ子は。好奇心と行動力が強いぞ。あぁ、でも軟禁状態だったから自由が欲しかったのかもしれない。

 この年頃だと何の目的もなく走り回りたくなる。僕も小学生のときはそうだったから。


「それで病院から抜け出してまでしたかったことが飛び降り? そういうのは未来に絶望した人だけやるものなんだけど」

「2日後には死ぬって言われたから自由にしようと思って。病院は退屈だし! せっかく翼が生えてきたんだから飛んでみたかったの。

 天使だー、すごーいって言われても血を取られるだけなのはつまんない。あ、さっき飛んだときは景色が綺麗だったし、落ちていくときの感覚は楽しかったよ。

 これ、楽しい遊びになるね?」


 急速性天使症候群って病気を治す血を作るだけじゃなく、発症した本人も体が強くなるのか。

 あと2日後に死ぬってなんだ。そんなことは知らないぞ。

 言ったことが本当なら死が近いというのに、なんでそんな明るい顔をするんだ。


「……死が近いのになんで飛び降りなんてするんだよ。病院のほうがいいと思う」

「そうかな。ベッドの上で死ぬよりは自分で死ぬ場所を選びたいなって。人に迷惑をかけないようにするつもりだよ。

 あ、聞くのは遅れたけど、おにいさんはなんでここに来たの? あたしと違って未来はあるから飛び降りるわけじゃないでしょ?」

「飛び降りに来たんだ。自分の未来に絶望して、もう何もかもを見たくはない」

「あたしみたいにすっごい病気ってこと?」

「体は健康だ。家族がみんな死んで、これ以上生きていても仕方ないと思ったんだ」


 そう言って空を見上げる。

 家族のことを思い出すと胸が締め付けられるように痛くなり、物や人に八つ当たりしたくなる。以前は感情が動くままに物を壊し、心配してきた親戚を殴ったが今は落ち着いている。

 落ち着くというよりもあきらめた、というのが正しいだろうか。

 昨日、姉が死んだことは僕の心を空白にした。

 姉の葬式や死亡届けと手続きは親戚がやってくれるので、僕がやることはない。

 今までが悲しみすぎて涙は出てこなかった。

 体から水分がなくなるかと思うほどに泣くかと思っていたのに。


「んー、まだ生きられるのに死んじゃうのはもったいないと思うけど。でもおにいさんが選んだんだから、あたしは何も言えないよねぇ」

「君がいなくなったら、気持ちを整えて飛ぶ予定だね」

「それじゃあさ、あたしと一緒に飛ぼうよ。今日じゃなくて2日後に。その日だとあたしの不死性か超人的なにかがなくなるって言ってたし」

「君とは今日、初めて会ったばかりだぞ、一緒に死ぬのは仲のいい人たちだけだろ」

「それじゃあ今から友達! あたし、入院してからはずっと大人の人としかお話ができなかったんだぁ。だからおにいさんのような歳が近い人と話すのは楽しいの!」


「親や医者の人たちぐらいしか話し相手はいないか」

「ううん、お父さんやお母さんと話はしないよ。国のために役立つんだぞーって笑顔で言ってから1度も来ていない。医者や看護師の人、あとスーツがすごい立派な人たちだけだよ」


 テレビや新聞はそういうのは聞かないが、つまりは娘を売ったということか。

 国に強制されたかもしれないが、最後の言葉が泣くわけでもなく笑顔だと言うのが聞いていて腹が立つ。

 親とは子供を守るものだ、とうちの両親がよく言っていたから。


「でもみんな、大事にはしてくれるけど優しくない。作った笑顔、嘘の言葉。みんなあたしを気にして、あたしを見ていない。

 病気の進行が進んで、血の成分が変わったあたしには価値がなくなったんだってでも仕方がないと思う。

 学校の先生が言ってたんだけど、人には天命ってのがあって人それぞれに役割があるんだって。その役割が終わるだけ。血に価値がなくなったあとは病死するしかないらしいし」

「死ぬのは怖くないのか?」

「死ぬってのがわかんない。あたしに会いに来たスーツが立派な人はいいことをしたから、天国に行けるって言ってた。そこでなに不自由なく暮らせるって。天使になったんだから間違いないって。

 さっきは死ぬつもり飛んだけど怖くなかった。病気のせいか、あたしが何にも感じなくなってきたからかわかんないけどね!

 あと体は少し痛かっただけで終わったよ。先生はあと2日後にはゆっくり死んでいくって言ってた」

「2日後なら僕のほうが先に死ぬな」


 僕は落ちないよう気をつけて立ち上がると、破れたフェンスから離れて屋上の中央へと行く。

 飛び降りるのは決まっているが気分というのがある。こんな小さい女の子の前で僕のつぶれた死体を見せたくはない。

 すると女の子は僕の前へと来て、笑顔を見せてくる。


「飛び降りるなら、あたしが手伝ってあげるよ」

「君が、僕を?」

「そう! あたしに優しくしてくれた人だもん。優しくされたらお返しをしないと。おにいさんのこれからの人生のために!


 死ぬだけなのに、これからの人生って言ってきたのは変に思う。だけど、死後に世界があると教えられた子だからそういう考えなのかと納得する。

 僕には死後の世界なんてないと考える人だけど、女の子が信じるものを否定するほど嫌な人間でもないし。


「あたしも1人で死ぬのはさびしいし。それなら一緒に飛ぼう?」

「自殺って大体は1人でするもんだろ。人のために役立った天使症候群の君と死んだらなんて言われるか」

「おにいさんは死んだあとのことも気にする人?」


 両親が死んでからは姉に面倒をかけたくないと家のことや勉強をがんばって人づきあいが悪くなり、仲がよかった友達とは疎遠になった。

 親戚だってお金がかかるだけの俺はいても邪魔だろう。遺書もあるから、死んだあとでも問題ないはず。


「……考えてみたけど、気にはしないな」

「それなら大丈夫だよ。今のあたしには価値なんてないし、おにいさんが本気でこの世に未練なんてないなら死のう?」

「死後に世界があるのなら、君といけば少しは楽しくなりそうだ」

「うーん、見た目は天使になったけど中身は日本人だからあの世までは保証できないけどね! ……おにいさんの寿命はあたしと違ってまだあるんだけど、本気?」

「ああ。きちんと家の整理もしたからな」

「それじゃあ2日後の午前6時にここで会おうね!」


 そう言っては僕が会おうとか一緒に死ぬことはOKを出していないのに、履いていたスリッパを手に持つと元気よく走り出して屋上から飛んだ。

 慌てて後を追いかけて下を見ると、翼を広げて空を滑空して降りていく。

 無事に地面へと降りた彼女は僕のほうへ笑顔を両手を振ってきたので、軽く手を振り返したら満足そうに帰っていった。

 ……あんなに楽しみにされると今から1人で死ぬなんてことはできない。ちょっとぐらいはお願いごとを聞いて、死ぬ前にいいことをしておこう。


 女の子がいなくなった屋上はずいぶんと静かになる。さっきまではやたらと明るい子がいたから特にそう感じる。まるで太陽のように明るく、周囲の人を楽しませる子だった。

 将来があったのなら、きっと男子たちにもてるんだろうなという性格だ。あれだけ前向きに死にたい子も変わっているよなぁと思ってから僕も屋上をあとにする。

 帰る途中の道や駅には警官や警察車両の数が多かったのはあの子が出てきたからだろうか?

 そんなことをちょっとだけ思うが、優先するのは自分のことだ。

 今日はこの世からいなくなる予定だったので家の冷蔵庫の中身はすっかり片付けてしまった。だから帰りはスーパーに寄ろう。

 1度家を整理して戻らない予定だったのに、2日後に予定が変わって気落ちしてしまう。

 


 そうして2日が経った午前6時。

 曇り空で直射日光がないぶん、暑くはない日。

 朝から警察車両をよく見つつ、僕は女の子と出会った廃ビルの屋上へ来た。

 そこの屋上のまんなかは出会ったときと同じ格好の女の子がいた。それにプラスして、この廃ビルにあったロープが足元にある。


「おはよう、おにいさん! 今日は少し風があって絶好の飛び降り日和だね!」

「飛び降りるのにいい日なんてあるのか」

「気持ちよく飛んだほうがいいでしょう?」


 ずれたことを言う子だなぁと思いつつ近づくと、翼の状態が変だ。

 2日前に見たときはとても美しいものだったのに、今では羽根が結構抜け落ちていて、ふわふわ感もない。

 髪の毛や肌のツヤもなく、まさしく病人といった感じだ。あぁ、急速性天使症候群だから元々病気ではあるけど。

 でも元気だったから病人とは思えなかった。


「そっちの体調はどうなんだ」

「とっても悪いよ! だからね、今日はうまく死ねると思う!」


 そんなことを明るい笑顔で言いつつ、ロープを持った女の子は僕へ近づくと巻き付けてくる。

 女の子自身の体と僕の体を。小さな手と短い腕で一生懸命にロープを何度も巻き付け、最後はリボン結びで縛る。

 おたがいに正面の体を向けたまま、結びついた。


「このロープは何用だ?」

「んーとね、あたしとおにいさんが離れないように。離れ離れになったら寂しいでしょ? あたしはひとりでいたくないし!」

「リボン結びだとほどけやすいだろ、これ。俺が結びなおすよ」

「ダメ!!」


 明るい彼女らしくなく、どこか悲痛な叫びを聞いて結びなおそうとした俺の手が止まる。

 びっくりして目を見開いていると、女の子は手や翼をばたばたと動かしながら困ったように説明してきた。


「あ、えっと、ほら、リボン結びのほうがかわいいでしょ? あたしだって女の子なんだから、最後はかわいくいたいの」

「ロープの結び方でかわいいかわいくないがあるのか……?」


 乙女心とは実に難しい。男には一生理解できないものだな。

 しかし、これで飛び降りるのか。まぁ、一緒に落ちるならこれがいい形か。手をつないだら途中で離れるし、これなら絶対離れない。

 でもこうして男女が一緒に死ぬと心中に見える。だとすると、僕は小学生に手を出した年下好き? いわゆるロリコンと世間では思われるのか?

 いや、待てよ僕。よく考えてみれば、それはない。天使の彼女が自殺なんて報道を政府が許すわけがない。報道規制が入ることは間違いないから、なにか違うものとなるはずだ。


「どうしたの、そんなに悩んで。怖くなったならやめる?」

「いや、そういうわけじゃなくて。こうやって一緒に死んだあとはどう報道されるのかなって」

「うーん、報道されないと思うよ。ほら、あたし天使だし。なにかあってももみ消してくれるよ」

「なんで知っているんだ。今まで事件を起こしたことがあるのか」

「2日前だって話題にならなかったでしょ。天使のあたしがパジャマのまま町にいるなんてことは話題になるよ。政府が大事にしている天使なのに、保護をしていないのかーって」

「言われるとたしかに……」


 こんな目立つ翼を見れば報道にはなる。ならなくてもSNSでトレンドくらいにはなりそうなのに、なにも話題がなかった。

 政府の力はすごいなぁなんて思っていると、小さい女の子は僕を引っ張りながらフェンスが破れているところへ行く。

 だけど、このおたがいに縛っている状態だと歩きづらくて前へ全然すすまない。

 だから僕は彼女を抱き上げて一気にそこへと行く。


「抱き上げるならなにか言ってよ!」

「悪かったよ。次、なにかするときは言う」

「むー、もういい、早く飛ぼう! 後悔がないならね!」

「最後が君みたいにかわいい女の子と一緒にいれて嬉しいよ」

「それならもっと喜んでほしいんだけど」


 棒読みで言う僕へ、怒ってたたいてくるがそんなに痛くない。

 そのたたいてくるのに耐えていると、その動きが突然止まり、女の子は下を見る。

 僕も下を見るけど、そこは2日前と変わらない。

 ずっと見続けていると足がすくんで怖くなる。同時に1歩踏み出してしまえば、もう悩み事なんてなくなる。

 親がいない寂しさや姉がいなくなった悲しさも。足を出せばすべて消え失せる。


「飛ぶよ?」

「ああ」


 僕が返事をしたと同時に、僕らは足を出す。

 何もない空中へと踏み出した浮遊感と落ちていく怖さがやってくる。

 ジェットコースターに乗ったときのような、体が重力に引っ張られて落ちていく感覚。

 頭がまっしろになりながら、僕と女の子の体は落ちていく。

 地面へぶつかるまで一瞬のはずだけど、体感的にはずっと遅く感じる。

 近づく。地面へと。

 僕の体が先に落ちていき、見えるのは曇り空と女の子の顔。

 もう生きたくないという感情と一緒に落ちていく。


 でもそうはならなかった。

 真下へ落ちているのに、がくんという強い衝撃と共に落ちる速度は減っていく。それと方向も変わり、前方へと移動しつつある。

 その理由は翼があったから。女の子の背中にある天使の翼が広がっている。

 空を滑空しながら次々と抜け落ちていく羽根。

 普通の人では体験できないことと、落ちている途中ということに驚いて頭がまっしろになる。

 女の子は翼を制御するのでせいいっぱいなのか、苦しそうな顔をして前を向いている。


「なぁ、おい! 話が違うんだが。一緒に死ぬはずだっただろ!」

「あたしは一緒に飛び降りるって言っただけだよ!」

「はぁ!? 死ぬんじゃなかったのかよ!」

「だってもったいないでしょ! まだ生きられるのに自分から死ぬなんて! 死ぬのはいつだってできるんだから、もっと頑張ればいいのに!」

「何をだよ、これ以上どう頑張れってんだよ! お前は僕のことを知らないからそう言える。もう疲れたんだ。生きていてどうしろって言うんだ」


 雲の隙間から太陽の光が差し込む、それが僕たちを照らす。

 その光は太陽を背にしている女の子が光り輝いてまるで天使のように思える。

 病気で実際に天使ではあるんだが、神秘性を持って美しい絵画のように感じた。


「生きることができるのは、いいことですよ」


 僕に顔を向けて苦しそうな笑顔を向けてそう言った瞬間、羽根が抜け落ちていた天使の翼からは力が抜け、僕と女の子は落ちた。

 背中には痛みと胸に女の子の重さを感じたが、どちらも痛くはない。

 10秒ほどの時間が経つと道路の街路樹に落ちていたことがわかる。丸くカットされた背が低い木の上に僕らは落ちたみたいだ。


 なんで僕は生きてしまったんだ。1人だけ生きたことに罪悪感があったんだ。その気持ちを隠し、自分は生きていてもどうしようもない。

 人に役に立てないし、社会にも貢献できない。生きるよりは死んだほうが世のためだと思っていた。

 なのに、なのに!

 僕よりも生きた経験が少なく、小学生の子の言葉で心が揺れるなんて。


 僕に言葉を届けてくれた女の子はロープで結ばれて密着しているのに、どこか遠くにいるような感覚になる。

 出会って短い時間だけど、消えてしまいそうなのが怖く、両手で力を入れて翼の上から抱きしめる。

 そうすると女の子は僕へと向けて、まるでお日様のように優しく明るくて暖かみのある笑顔を見せた。


「……今日はあたしにとっていい日でした。あたしを心配してくれる人の、優しさがある腕の中で死ねるなんて。少女漫画みた──」


 それに続く言葉はなく、瞳から光がなくなった。

 女の子の頭を撫で、伝えてきた言葉の意味をこれから考えていきたい。

 死ぬのはいつだってできるから。生きることのなにがいいかを見つけたい。


 女の子から意識を離すと周囲の人たちのざわめきが耳へと入り、警察や救急に通報している声が聞こえた。

 僕たちを心配して駆け寄ってきて声をかける人や、僕たちと撮影する人。

 そんな人たちのことを、ぐるりと首をまわして見たあとは救急車が来るまで女の子をじっと見つめていた。

 救急車の人が僕らの縄を外して僕たちが離れ離れになる瞬間、僕の体にくっついていた彼女の羽根を手にしっかりと握る。


 それから僕は飛び降り自殺未遂をしたということで入院し、体を調べ精神科を受診。

 入院中には急速性天使症候群だった女の子の関連で警察や役所の人から取り調べを受けた。あとは口止めとして、たくさんのお金をもらった。

 断ったときはどうなるかわからないし、お金があれば生きる選択肢が増える。だから僕は提案を受け入れた。


 病院へ運ばれてから4日後、病院の個室で見たテレビニュースで天使の子が死んだというのが報道された。

 今回は目撃者がたくさんいて報道規制がなくなったのか、珍しく天使の話題だった。30分の特集を組まれたが話をまとめると『多くの人の病気やケガを癒し、人々に希望を見せた天使は1人の男子中学生を交通事故から救って亡くなった』と。

 実際はとても違うのだが、そうやって美談にしたいらしい。


 生きているときも大人に好き勝手され、死んだときも都合のいいように。

 本当のことを、天使じゃなく女の子を人として知っている僕はそれが悲しかった。女の子自身の苦しみはなにひとつ報道されなかったから。

 だから、だからこそ僕はもう少し生きてみたい。

 生きることができるのはいいこと、そう言った言葉がどうなのかを知りたくい。

 僕の命を救い、最後には笑顔だった女の子が助けた僕の命を無駄と思えるような人生をしたくなくて。

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