連絡
「……ん?……んんッ!?」
「もう起きたのか。凄いなブラッドビーストってのは」
ワックスの効いたピカピカの百貨店の床にできた無骨なクレーターの中で目覚めたトシムネが最初に目にしたのは、再び通常覚醒形態に戻って、こちらを金色の瞳で見下ろしているアストの姿だった。
「……どれくらい寝てた?」
「一分くらいじゃないか。オレがここまでのんびり降りて、優雅に変形し終わってすぐだから。起こす手間が省けて助かった」
「そうか……できればもう少し寝ていたかったな」
「悔しさでまた泣きそうになるからか?」
「ちげぇよ。痛くて泣きそうになるからだよ」
「痛い?水鞭の与える痛みは強烈だが、あくまで表面上のもので、そこまで長続きしないはずだが」
「そっちじゃねぇよ……!両腕と肋骨の何本か……骨が折れて痛くて堪らないつーんだよ!てめえ、わかっててとぼけてるんだろ……!?」
「さぁ?どうだろうな」
そう呟く表情はとても憎らしく、どう考えても理解してやっている顔であった。
「ちっ!こんな奴に負けるとは……」
「そんな言われ方をされる筋合いはない。少なくとも出世レースに関係無い人間を巻き込む奴にだけは言われたくない」
「……だな」
仰向けに倒れるトシムネの口角が僅かに上がった。勝手にちょっかい出した挙げ句、この無様な負けっぷり……苦笑いもするだろう。
「……で、何を訊きたい?おれに意地悪するために、起こそうとしたんじゃないんだろ?」
「あぁ、軍や警察が来たら面倒だから、単刀直入に訊く……その部長になるためのしょうもない試験を受けているのは、何人だ?」
「七人……おれを除いたら、残り六人だな」
「六人か……想像していたより多いな……」
アストは下手したらこの後トシムネと同等の相手と六回も戦わなければいけないと思うと億劫で、思わず顔をしかめた。
「安心しろ。おれより弱い奴が大半だ」
「マジか?事実だとしたら小躍りしたいくらい嬉しいが……」
「マジもマジの大マジだ。おれに匹敵するのは……認めたくないが、イグナーツって奴くらい。あとはお前の実力なら普通にやれば余裕だろうな。驕っているわけでもなく、客観的に見て、それが紛れもない事実だ」
「つまり敵はそのイグナーツ一人……大分気持ちが楽になった」
言葉通りアストの顔から険しさが抜け、瞳も彼の本質である優しさに溢れた……ほんの一瞬だけ。
「フッ……そういうところはまだまだだな」
「ん?」
下から見上げているのに、上から目線な発言にアストの顔は再び不愉快にムッとした。
「どういう意味だ。安心しろと言ったり、まだまだだと言ったり、どっちなんだよ」
「別にお前を混乱させるために、適当に言っているんじゃない。今回の試験を受けている奴は大半は弱いから安心しろってのも事実。だが、だからといって本当に安心するのは、まだまだ未熟だなって思うのも、また事実」
「はぁ?禅問答か何かか?そういうのは他所でやってくれ」
「なら、わかりやすく言ってやろう。相手が弱いのと、厄介じゃないってのはイコールじゃないんだよ。むしろお前ほどのエヴォリストなら、おれやイグナーツみたいに自分の強さに自信がある奴を相手にする方がしんどいが厄介じゃない」
「お前は本当に何を……?」
「選択肢があるのは力を持っている奴だけ。力がない奴は恥も外聞もなく、勝つためにはどんな手段も使うぞ……アスト・ムスタベ」
「!!?」
本名を呼ばれた瞬間、アストはトシムネが言おうとしたことを全て理解した。
「くそ!!」
自身の能天気さを呪いながら、トシムネから背を向け、どこからともなくスマホを取り出すと、電話をかける。
「頼むから出てくれよ……!!」
『……アスト?』
「コトネさん!今、どこに!?」
『え?どうしたのそんな慌てて?何かあったの?』
「いいから!今どこに!?」
『うっ!?……大学だけど。講義が終わって、ミナちゃんと合流して、これからあんたに言われた通り、寄り道しないで真っ直ぐ帰るつもりよ』
「前言撤回!しばらく大学で待機!」
『はあっ?』
「とにかくナカシマさんと一緒に人のいる所にいてください!あれだったら、前に教えたビオニスさんって人に連絡して、迎えに来てもらって」
『え?マジでなんなの?』
「ごめん!今急いでるから!オレの言う通りにしてね!!」
『ちょっ――』
プツン!!
電話を一方的に終わらせると、アストは画面に映る名前リストの中から次に連絡を取るべき人物を血眼になって探す。
(父さん、母さん……は、兄貴がいるから大丈夫か。オレよりずっと強いから何かあってもなんとかしてくれるだろう。そうなると……)
アストは指が震えそうになるのを必死に堪え、友人の名前をタップした。
『……どしたの?』
「ウォル!お前、今どこにいる!?何をしているんだ!?」
『え?プライベートなことはちょっと……』
「ふざけてないで!早く答えろ!!」
『そんな怒鳴らなくても……ハンバーガー屋でハンバーガー食べてるよ。パテ増し増しのチーズたっぷり!あ、ピクルスは抜いてあ――』
プツン!!
「お気楽なことで!良かったよ本当!!」
感情がぐちゃぐちゃになりながら、アストはまた電話を切ると、もう一人の親友の名前をタップした。
(ウォルなら今の電話で緊急事態だって理解してくれるだろう。ルビーがこの百貨店のことを伝えて、適切な判断をしてくれるはず。問題はメグミ……頼むから無事でいてくれよ……)
ガチャ……
「メグミ!!」
『アスト・ムスタベか?』
「!!?」
その声は聞き慣れた友の声ではなかった。
アストは振り返り、何とも言えない顔でトシムネを見つめると、獣人は申し訳なさそうに目を伏せた。
『連絡する手間が省けたな』
「お前は……!?」
『自分は秘密結社T.r.C第二新兵器開発部所属のナータン』
「何でそんな奴がメグミのスマホを……」
『気持ちはわかるが現実を受け入れろ。わかっているだろ?いいか?使い古された定番の台詞を言うぞ……メグミ・ノスハートは預かった』




