決着を告げる痛み
「当たったのか……!?」
トシムネは信じられなかった。いまだに霞む視界に広がる光景が、右腕に残る感触が。
(って!呆けてる場合じゃねぇ!このチャンスは逃しちゃ駄目だ!!)
「ウラアッ!!」
仮に幻だったとしても、弱っている獲物をただ眺めていることなど狩人の本能が許さない。ハイエナ獣人は帯電する鉤爪を、目の前で膝をついて踞っている青龍に突き出した。
「調子に乗るな……!!」
ガッ!!
(遅かったか……!!)
しかし、それはあっさりと捌かれてしまった。ほんの僅か空白の時間がアストを回復させてしまったのだ。
(いや!まだだ!!)
諦めずに蹴りを放つトシムネ。けれど……。
バシャッ!!
残念ながらこれも不発。全身を液体化したことで、攻撃を無力化された上に、そのまま後退し、射程距離から逃げられる。
「くっ……!!」
「ちっ!!」
振り出しに……戻ったわけではないが、一連の攻防が始まる前の立ち位置に戻り、両者は悔しさが滲み出る眼差しを交差させた。
(まさかあそこまで追い詰められながら、一撃でここまで形勢を戻すとは……顔面に打つことを読まれたのが痛かったな。あえて前進することで、タイミングがずらされた。トシムネと言ったか、侮れない奴……)
(まさかあの土壇場で、あんな見事にパンチがクリティカルヒットを出すとは。あそこまで綺麗に当たるとわかっていたら爪による刺突にすれば良かった。いや、きっとそっちを選んでいたらカス当たりで、負けていただろうな。あのいつもの形になってからの戦いは終始、奴のペースだった。本当に憎らしいほど強いな、ブルードラゴン……)
「………」
「………」
心の中で相手を称賛しながら、現実ではまたジリジリと距離を詰めていく……。
ゆっくりと、厳戒態勢を維持したまま……。
「さっきの一撃……ああなるとわかった上でやったのか?それともただの偶然?」
「半分半分って感じだな。さっきも言ったが、あんたを倒すためにやれることは全部やった。できるだけ多くの情報を集め、分析したよ。その厄介な液体化能力についても知っている」
「なのに二度もしてやられたのか?」
「言ってくれるな。おれも反省してるんだからよ~。少しでも余裕を与えたらああなることはわかっていたのに。あんたをぶん殴るには、あんたの攻撃とほぼ同時に撃ち込まなきゃならないってわかってたのに……」
「やはり予想していたか……」
「あぁ。この電気鉤爪だけで勝てるとは思ってない。実際に全く役に立ってないしな。だが、おれの最も得意とするガチンコの殴り合いは液体化に通じない……本当にそうなのか?一縷の望みにかけて、おれは考えまくったよ」
「で、一つの答えにたどり着いた」
「あんたの液体化はオートではなくマニュアル。なら攻撃に集中している瞬間は発動できないはず。正確には攻撃の瞬間とその前後コンマ何秒かだけな。事前に打つ場所を予測されても駄目だ、先に能力発動を仕込まれるから。考えれば考えるほど高難度のミッションで嫌になったぜ」
「けれど、それを実現できるのは自分しかいないと思った。人間を超えた反射神経を持った自分しか」
「イエス。さっきの一発は完全にまぐれだった……だが、まぐれ当たりでも、一度当たれば、タイミングがわかればこっちのもんだ……!!」
ある程度の距離まで近づくと、トシムネは改めてファイティングポーズを取った。
「あんたはオレをリスペクトしているのか、舐めているのかどっちなんだ?そんな簡単に攻略できるほど、ぬるい鍛え方はしてない」
対抗するように構えるアスト覚醒態。
その後、すぐのことだった。
「はあっ!!」
「オラアッ!!」
示し合わせたかのように両者ほぼ同時に拳を繰り出した!
ゴオッ!!ブゥン!!
「――ッ!?」
結果、アストのパンチは顔面に命中。
片やトシムネの拳は青龍が身体を傾けたことで虚空を通り過ぎた。お手本のような空振りだ。
「まだ続けるか?」
「当然!!」
再びほぼ同時!アストはまたパンチ!トシムネはミドルキックだ!
パンッ!バシャッ!!
「――がっ!?」
「流水拳」
腕と胴体を液体化して、攻撃と防御を両立させた。またハイエナ獣人は一方的に殴られたのだ。
(ちっ!安易過ぎた……自分であんな偉そうに言っておいて、液体化のカモになるような攻撃をしてどうする!!)
(元々ダメージを与える技じゃないが、流水拳では何発打ってもKOできそうにないな。きちっと力を込めないと)
「はあっ!!」
「オラアッ!!」
三回目の打ち合い!二度あることは三度あるとなるか、それとも三度目の正直となるか!
ゴッ!ガッ!!
「「――ッ!?」」
両者被弾!ただしクリーンヒットのアストのパンチに対して、トシムネの拳は表面を掠めただけだ。
(もう少し芯を捉えてくれれば……!だが、タイミングは間違ってないんだ!このまま続けていれば、いずれ……!!)
(長引くと経験の差で不利だ……できるだけ速やかに制圧する!!)
「はあぁぁぁぁッ!!」
「ウラアァァァッ!!」
ヒュッ!ゴッ!ブゥン!ゴォン!ゴッゴッ!!
至近距離で火が出るような激しい殴り合い!両者、一切退く気はない!
(くそ!どんどんタイミングが合い始めてる!早く終わらせたい!だけど焦るのは駄目だ!特に鉤爪に当たることだけは絶対避けないと……!!)
(三回に一回……命中するのは三割ってところか。まずまずだな。まぁ、このままだと全弾命中してるおれの方が先にへばるだろうけど。しかし、このチャンスを逃すわけにはいかない……!!)
トシムネの脳裏を支配したのは、秘密結社T.r.Cが総力を集めた映像と、実際にこの目で見たアストの姿のギャップであった。
(いつの間にかパワー特化形態とスピード形態への変形がかなりスムーズになっていた……恐るべき成長速度だ。きっとこの機会を逃したら、必死に鍛え続けてもスーパーブラッドビーストになれないおれなんかは手も足も出ない、歯牙にもかけない、下手したらT.r.Cの部長クラスが束になってかかっても勝てないかもしれん……だから絶対に今日ここで倒す!アスト・ムスタベ!てめえは覚醒者の王になり得る器!おれの全身全霊をかける価値がある!!)
ヒュッ!ゴッ!チッ!ゴォン!ゴッゴッ!!
「「――ッ!!?」」
さらに苛烈さを増す攻防。少しずつだが、トシムネの攻撃が当たる回数が増えてきたように思えた。
(こいつは……いや、この人は凄いな……)
相性的にはかなり不利なはずなのに、自分に食らいついて来るトシムネにアストは素直に感心し、敬意を抱いた。
そして同時に彼ほどの男が何故T.r.Cなんて怪しいきな臭さの極みのような団体に属しているのか不思議で仕方なかった。
「何でだ?」
「あ?」
「何で、これだけの力があるのに反エヴォリスト組織に身を置いている!その力を別の形で使おうと思わなかったのか!?」
「強い奴と戦いたいからだ!それにはT.r.Cはちょうどいい!この世界の頂点に立つてめえらエヴォリストをターゲットにしてるんだからな!!」
「そんな下らないことで……!!」
「価値観は人それぞれだろ!!実際、おれは今てめえとこうしてどつき合いできていることが嬉しくてたまらない!!きっとこの窮地を乗り超えればもっと上の景色が見える!この試験を突破し、部長の座を手に入れたら、もっと強い奴と戦える!!」
「…………は?」
ドゴッ!!
「――がはっ!!?」
青き龍はぶっきらぼうにハイエナ獣人の腹に蹴りを入れ、吹き飛ばし、強制的に殴り合いを中断させた。
その金色の瞳には先ほどまであった尊敬の色はなく、強い苛立ちが滲んでいた……。
「試験ってなんだ?部長の座ってなんだ?」
「ごほっごほっ!ぐっ……これは言ってなかったか?てめえを倒した奴が、戦力増強のために新設される第六戦闘部のトップの座を手に入れられんだよ」
「すると何か?オレはお前ら文字通り出世レースに知らぬ間に巻き込まれて、こんなことになっているってことか?」
「そういうことになるな」
「なるほど……」
最早リスペクトなど微塵も残っていなかった。
今のアストの心にあるのはいかにして、目の前の敵を排除するのか、できることならこんな舐めた真似をしたことを激しく後悔するように、極力屈辱的で痛みを伴う方法で実行するのかで一杯だった。
「情報が欲しかったのもあるが、最初の人形遊びの時、他の客や逃げ遅れた少女に手を出さなかった清廉さに免じて、真正面からの戦いに付き合ってきたが……やめだ」
アストは構えを解いて、だらりと腕を下ろした。完全に脱力し、長い腕をゆらゆらと揺らす。
「その発言、その態度……戦いを放棄するつもりか?」
「あぁ、ここからは……一方的なお仕置きだ!」
ヒュッ!ベチィィィィン!!
「――ッ!!?痛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」
アストが腕を動かした瞬間、キレのいい破裂音のような鳴り響き、我慢できないほどの強烈な痛みがトシムネを襲った。
「な、何をした!!?」
「お仕置きだよ。見えなかったか?なら、もう一度やるから、目を凝らせ……“水鞭”」
瞬間、ハイエナ獣人の人間を超越した動体視力がそれを捉えた。
アストの腕は脱力しているだけでなく液体化もしていて、その状態でおもいっきり振ることによって一気に延長、水鞭という技名が示すように、水で構成された鞭となった腕は超高速、トシムネでも対応できないスピードで彼に襲いかかった。
ベチィィィィン!!
鞭の中腹が獣人の毛を濡らし命中。そのまままるで襷のように斜めに巻き付き、背後と前面の皮膚に叩きつけられる。
それがもたらすものとは……強烈な痛みである。
「ぐぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」
トシムネは再び叫んだ!叫ばずにはいられなかった!とにかく痛くて痛くて声を出さなければ、発狂しそうになるからだ!
「この技はかつての経験からオリジンズをできるだけ穏便に追い返すために作った技だ。肉体を壊さずに痛みを与えて、オレと戦うことを諦めてもらう。効果は……見ての通りさ」
「ぐっ!?ふぐぅ!!?」
いまだに痛みは取れず、トシムネは涙を浮かべながら必死に歯を食い縛っていた。あれだけ殴られても怯まなかった彼がそんな状態になってしまうほど、マジで滅茶苦茶痛かったのだ。
「神経の通ってない装甲に覆われたピースプレイヤーには一切効かない技だが、肉体を変化させて戦うブラッドビーストには思った通り、効果は抜群だな」
「こんな……!こんなサディスティックで効果的な技を持っていながら、今まで使わなかったのか!?ずっと三味線引いていたのか!?」
「手加減したつもりはない。ただ性格の悪い技だから使いたくなかっただけだ。だが、心変わりした。お前らがそんなふざけた理由でオレに迷惑かけるなら……とことん後悔させてやる……!!」
ベチィィィィン!!
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」
三発目は胴体をベルトのように一周し、また激痛をトシムネに嫌というほど味わわせた。
(この攻撃はヤバい!!痛すぎて、精神がおかしくなる!!)
「痛いか?痛いよな?痛くなるようにやったからな」
(これ以上は食らう訳には……)
「いかねぇ!!」
涙を溢しながらの突進。その姿には先ほどまでの勇猛さもなければ、虎視眈々とチャンスを狙う狡猾さもない。ただ痛みから逃れたいという本能が身体を動かししていた。
ガッ!!
「――ッ!!?」
そんな雑な動きを見切ることなど、アストにとっては容易い。一気に距離を詰めると手のひらで鼻を覆った。鼻を……。
「お前を苦しめる方法は他にもある……溺れろ」
ブシュッ!!
「――がはっ!!?げほっ!!?」
鼻の中に水を噴射!トシムネは地上で溺れた!まるで深海に引きずり込まれたように、一瞬で呼吸困難に陥った。
「い、息が!!?」
「アウェイクパワー」
慌てふためくハイエナ獣人を尻目に青龍は空気中から水分を吸収し、再び上半身ムキムキのパワー特化形態に変形。
パワーアストは拳を握りしめ、上腕を隆起させ、噴射口を出現させると、さらに力を溜め込むようにゆっくりと拳を腰元まで引いた。そして……。
「マッスルアッパー」
ドゴオッ!!
「――ッ!!?」
躊躇なく振り抜く!トシムネは咄嗟に防御したが、鉤爪や腕の骨が砕かれ、百貨店の吹き抜けを急上昇する!
「アウェイクスピード」
ブシャアァァァァァァァァァッ!!
それをスピード特化形態に変形したアストが全身の噴射口から放たれた水蒸気で加速し、一瞬で追い抜き、上を取った!
「くそ!!?」
トシムネは空中でなんとか身体を動かし、上を向いた。
そこには脚を高々掲げ、水蒸気の噴射口を上に向けた青き龍の姿があった。
瞬間、彼は理解する……自身の敗北を。
「何が今しかないだよ……最初からノーチャンスだったんじゃねぇか……」
「マッハ踵落とし!!」
ドゴオォォォッ!!
「――ッ!?」
反応すらできないスピードで放たれた踵落としは見事にトシムネの腹部を捉え、意識を断ち切り、ついさっきまでいた無人の広場に速攻でお返ししたのだった。




