平穏な午前、激動の午後
「うーむ……」
図書館で本探しをしていたら、運悪く面倒ごとに巻き込まれてしまった翌日の午前、アスト・ムスタベはカウマ大学の教室でまた眉間にシワを寄せて唸っていた。
昨日と違い課題のことで悩んでいるのではない。一瞬だけ見えた現実か幻かも定かではないピースプレイヤー狙撃手のことを考えているのだ。
(あれは一体何だったんだろう?やっぱり見間違いか?屋上で作業していた建築タイプを誤認したとか。でも、それならもっと見覚えがあってもいいはずだが。こんなに悩むんなら、昨日のうちにウォルに相談しておけば良かったな……)
今日は帰ったら、真っ先に機械に造形の深いオタクの友達に連絡しようと決意を固めるアスト。
「どうした?そんな難しい顔して」
「おはようアストくん」
そんな彼の下に下宿先の娘さんコトネ・ウエハラと同期生のミナ・ナカシマがやって来た。コトネはアストの右側、ミナは左側の席に着く。いつもの三人の定位置だ。
「おはようコトネさん、ナカシマさん」
「んで、何を悩んでいるんだね青年よ。勉学のことかね?それとも恋のお悩み?」
「恋!?」
「いや、そんなんじゃないからナカシマさん」
「そうなんだ……」
アストに否定されて、ミナは安心したような残念なような……なんとも複雑な気分になった。
「まっ、頭脳明晰なコトネさんはあんたの悩みなんて、大体見当がついてるけどね。これでしょ?」
そう言うとコトネはスマホをアストの前に突き出した。画面には『謎のヒーローまたまた大活躍!』という見出しと、昨日の変身した自分の写真が写し出されていた。
「ちょっと!?コトネさん!!」
アストは慌てふためいた!コトネはともかくミナには自分の正体をまだ教えていないのだ。だが、隠したいならその行動は逆行動だ。
「アストくん、急にどうしたの?そんなに驚くような記事?」
「あっ!えーと……」
完全に目がスイミングし、しどろもどろになるアスト。その背後でコトネは笑いを堪えるのに必死だった。
「アストくん?」
「あのね、これはその……」
「この男はこの青い謎のヒーローをどう呼ぶのかで迷っているのさ。ブリュウストかブルード、あとブルーディーだっけ?なんか愛称がいっぱいできたからさ」
「へぇ~、そうなんだ」
「そう!そうなんだよ!よくわかりましたねコトネさん……!!」
上手く誤魔化せて安堵すると同時に、自分で仕掛けておいて自分で助け船を出して事態を治める見事なマッチポンプを繰り出したコトネを睨み付ける。当の彼女は「ごめんちゃい」と舌を出し、反省した感じは一切ない。
「まったく……」
「はは!で、コトネちゃんはどれがいい?この青いお人好しのニックネームは?」
「わたしは……ブルーディーかな。一番なんかかわいい感じがする」
「へぇ~、女性的にはそうなんだ」
「ちなみにワタシはブリュウスト推しかな。なんか神凪のピースプレイヤーみたいでいいじゃん、ブリュウ。いっそのことアストブリュウにすればいいじゃん」
「いや、このイカした青色の彼とオレは無関係ですから。オレの名前を冠する意味がわからないですから」
余計なことを言うなとアストが血走った目で訴えると、コトネはまた楽しそうに無邪気に笑った。
「皆さん、おはよう」
タイミングを同じくして、教室のドアが開き、女性の講師が入って来た。
「残念。お名前決めはまた今度ね」
「もうしませんよ……」
「今日はエヴォリストへの差別と、それに関する社会情勢の変化……頑張っていきましょう!」
「あぁ」
三人はその後、真面目に講義を受け、何事もなく時間が過ぎて行った。
「エヴォリストが起こした有名な事件といえば色々とあるけど……そうね、『エブラ』と隣国『レッザ』との戦争、その最中に『ヤービッツ』という町で起きた事件のことを話しましょうか、次の講義でね。今日のところはここでおしまい。お疲れ様」
「「「ありがとうございました」」」
「ふぅ……!終わった終わった!ちょっと気になる引きでもっと続けて欲しい気持ちもあるけど、とにかく終わった~!」
コトネは固まった身体を解すために、両腕をおもいっきり伸ばした。
「わたしとコトネ先輩は午後も同じ講義だけど、アストくんは犯罪心理学だよね?」
「いつもはね。今朝連絡が来て、教授が熱出して休講になったんだ」
「じゃあ、あんた今日はこれで終わり?羨ましい」
「あとは学食でA定食堪能するだけです」
「なら、ランチが終わったら帰るの?」
「大学にはもう用はないから、駅前の百貨店に入ってる本屋に寄ってから帰宅って感じかな」
「遂に自腹切って参考資料を買う気になったか」
「残念。ずっと追っている漫画の数年ぶりの新刊を買いに行くんですよ。気晴らしにね」
「そんなんで課題大丈夫なの?」
「不安はありますけど、今の状態だといい仕事……」
瞬間、アストの脳裏にスナイパーと視線が交差した場面がフラッシュバックした。
「アストくん?」
「どうした?急にフリーズして」
「いえ……最近物騒ですから、二人は寄り道しないで真っ直ぐ帰った方がいいと、ふと思っただけです」
「アストくん……」
「心配してくれるのは嬉しいけど、ちょっとビビり過ぎじゃない?なんだかんだいってカウマは治安がいいし」
「何もないならそれはそれでいいですよ。オレのことを存分に臆病者と罵ってください。だから今日は……」
アストの眼差しは言葉とは裏腹に力強いものだった。何かトラブルが起きることを確信しているような……。
「……わかったわ。今日はあんたの言う通り道草せずに帰るわ。あんたのこと弄ってられない位、ワタシ自身も課題が溜まってるしね」
「わたしも。帰って大人しく今日の復習してます」
「ありがとう。怖がらせるようなこと言っちゃったけど、きっと何も起こらないから大丈夫だよ」
「うん……」
その後、アストは二人と一緒に学食でランチを食べると別れ、計画通り駅前の百貨店に向かった。
(平日だから空いてるな)
百貨店は人もまばらで、子供連れが二、三組いるくらいで残りは品のあるマダムやジェントルメンばかり、かなり落ち着いた雰囲気を醸し出していて、アストは自分が場違いだと感じた。
(本屋は七階だよな……当たり。今日、嫌な気分にさせちゃったから、二人にお菓子のお土産も買っていこう)
エスカレーター前のパネルでお目当ての本屋の位置を確認し、自動で昇降する段差に乗る。
(真ん中に乗るのが正しいのはわかっているけど、つい端に寄っちゃうな)
そんなあるあるを思い浮かべながら、何気なく下を覗き込んだ。すると……。
「わぁー!!」
「かわいい!!」
一階の広場に着ぐるみの集団がぞろぞろとどこからともなく現れた。子供たちは無邪気に喜んでいるが、大学生のアストは疑問を覚える。
(何だあの着ぐるみ?イベントか?こんな平日に?)
アストのこの疑念と不安は悲しいかなすぐに現実のものとなってしまう。
「………」
「どうしたの?」
「なんか……ちがう」
微動だもせず、リアクションもしない着ぐるみ達に困惑する子供たち。初めてファンシーな彼らを見た時の喜色満面の顔から、笑みが少しずつ消えていく。
きっと幼少期にだけある直感で、その中身が自分達を楽しませるためのものではないのだと理解したのであろう。
「ねぇ――」
バッ!!
「――ひっ!?」
「うわあぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」
百貨店の屋上まで貫くような甲高い子供の悲鳴!その原因は着ぐるみを引きちぎり出て来た機械人形、秘密結社T.r.C製造の自立型P.P.ドロイドタイプのジベであった。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」
「何だ!?何でピースプレイヤーが!!?」
「イベント……じゃないっぽい!!」
「テロよ!!テロが起きるんだわ!!?」
その悲鳴は始まりに過ぎなかった。
すぐに子供達の恐怖はマダムやジェントルメンにも伝播し、先ほどまでの優雅さなど吹き飛ばすと、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図、取り乱した者達が我先にと、出入口に殺到した。
「………」
「ひぃっ!?」
一方、取り残された少女はというと無言でこちらを見下ろす無機質なカメラに恐怖し、尻餅を突き、立ち上がれなくなってしまった。
「………」
「まっ!まって!?」
そんな彼女にゆっくりと、さらに恐怖を掻き立てようと差し出される魔の手……その時だった。
「アウェイク、パワフルなオレ」
ドグシャアァァァァァァッ!!
「ひいっ!!?」
空から降って来た……カウマを守る青き龍が!そして一階に降りて来るや否やその歪に肥大化した拳で少女に忍び寄る不審者を叩き潰したのだ!
「お前ら……待ちに待った新刊だったのに、オレの楽しみを奪った罪はその身できっちり払ってもらうぞ……!!」




