友人
「……ひどい目に会った……」
いつもの学校へと向かう道、ポケットに手を突っ込み、のそのそと歩いているアストは一人呟いた。朝からこってり絞られ、もうすでにお疲れモードだ。
「せっかくいつもより早く起きたってのに……いや、いつもと違うことしたからか……?」
ボソボソと虚空に疑問を投げかけるその姿は怪しさ満点だが、幸いなことに周りには人がいない。だから、独り言……弱音も吐き放題である。
「……言われなくてもオレだってちゃんと考えなきゃって思ってるよ……」
アスト自身、今のままでは駄目だということは重々承知している。むしろ真剣に考えているからこそ思考の迷路に迷い込んで、にっちもさっちもいかなくなってしまっているのだ。
「はぁ……でも、本当にどうすっかな……」
アストが空を見上げると、悩み沈む若人と対照的に太陽は爛々と輝いていた。まだ早朝と言っていい時間だが、汗ばむような気温だった。
「ムスタベ君!」
「ん?君は……」
自分の世界に浸っていたアストを突然、現実に引き戻す声が聞こえた。声のする方を向くとこちらに同じ年頃の青年が早足で近づいて来ていた。
「確か、こないだ転校してきた……」
「そう、変な時期に本土から転校してきた『アイル・トウドウ』だよ、ムスタベ君」
トウドウと名乗った青年はそのままアストの横に並び、歩幅を合わせた。
見た目だけなら好青年と言って差し支えないアストに対し、トウドウは美少年と言うべき見た目をしていた。背の高さは同じくらいだが、線が細く抱きしめたら粉々に砕けてしまいそうな儚さが、周りとは違う異質さを放っている。
「本当、変な時期に、辺鄙なところに……」
「変な時期はともかく、辺鄙って……」
「本当のことだろ?カウマ共和国は温暖な気候と穏やかな海、そして何より凶暴なオリジンズがいないことから観光地として人気があるけど、それは本土の話……ここにいるのはほとんど昔から住んでいる奴らだけの田舎も田舎のド田舎だからな」
いささか自虐的過ぎる気もするが、客観的に見てもそれが事実である。その証拠にトウドウが来るまでぶつぶつと独り言を言っていても、誰もいないからまったく問題がなかった。
「いや、でも本土よりも落ち着いていて僕は好きだよ、シニネ島」
よそ者であるトウドウがボロクソ言われるシニネ島をフォローする。というか、言葉通り彼はこの静かな島のことが気に入っている。
昔からここで生まれ育ったアストからしたらわからない感覚だが……。
「まぁ……オレもこの島が嫌いって訳ではないよ」
「そうなの……?いや、そうだよね。故郷だもんね」
「あぁ、朝っぱらから海を見ながら爺さんが酒飲んでいても、何とも思わないもん。あんな風にさ」
アストの視線の先には今述べた通り、ご機嫌におじいさんが酒盛りをしていた。
「……ま、まぁ、本土でもたまにあぁいう人いたよ……たまに……」
「別にフォローしなくていいよ。皮肉っぽく言ったけど、本当にオレもなんだかんだこの島のこと好きだし」
「そうそう!いいところよ、シニネ島」
「……ウォルか」
「よう!アスト!と、トウドウ君」
「えーと……『ウォルター・ナンジョウ』君……?」
「正解」
学校が近づいてきたからか、新たな学生が合流した。
ウォルター・ナンジョウはアストやトウドウよりも頭一つ分小さく、眼鏡をかけた生意気そうな顔をしているので子供っぽく見えた……というか、見た目に違わず生意気で子供っぽい性格をしている。
「改めておはよう、ナンジョウ君」
「おはようトウドウ君。けど、ウォルでいいよ。そっちのバカ面みたいに」
「あぁん?誰がバカみたいにカッコいいお顔だって?」
「バカ面じゃなくて、単純にバカで良かったな」
「仲いいんだね」
「仲いいっていうか、どうしても一緒に行動することが多くなっちゃうだけさ。この島だと同年代は少ないからね。本来だったらぼくみたいな天才がこのお馬鹿さんなんかと一緒にいるべきじゃないんだ」
「こっちのセリフだ」
「まあまあ……でも、確かウォル君って本当に頭いいんだよね」
「フッ……」
ウォルは腰に手を当て、胸を精一杯張った。
「そうなんだよ、そうなんだよ!このシニネ島史上最高の頭脳なんだよ、ぼくは!いや……もしかしたらカウマ、むしろ世界一……?」
「……世界はともかく、ムカつくけどシニネで一番ってのは事実だぜ。勉強に関してはガキの頃から年上のオレの兄ちゃんが質問しにくるくらいだから」
「へぇ」
アストの横でウォルがさらに胸を張る……というか、反り返る。その姿はアストに負けず劣らずのバカっぽさなので頭がいいというのはいまいち信用できない。
「トウドウ君も質問があったら、どんどん聞きにきていいよ。ぼくは進路はばっちし……むしろ、各種大学からウチに来てくれって言われてて、アストとは違う意味で悩んでるぐらいさ」
「ほっとけ」
「ほっとけないよ。リオンさんが心配してるんだから。どうせ今日もお説教食らったんだろ?」
「うっ!?」
トウドウとの会話で気持ちを紛らわしていたのに苦い記憶を掘り起こされ、アストの顔が曇った。
「ぼくに比べたらバカだけど、世間一般からしたらそこそこ……文系に関しては中の上ってところなんだから、適当に入れそうな大学選べばいいのに」
「うーん……でも、それって失礼じゃないか……?」
「失礼……?大学にか?」
「それもだけど、真面目に学ぼうとしている他の学生にさ」
「はぁ……昔から変なところ真面目だよね、アストって……」
「褒めてるのか?」
「半分は。もう半分は呆れてるんだよ。“案ずるより産むが易し”って言うだろう?あぁだこうだと考えるよりも、とりあえず大学入ってみればわかることもある。多分、大学生の大体半分くらいがそんな感じだろうし、そもそも入学できるかもわからないのに、そんな心配するなんておこがましいよ」
「なんかことわざ言うのが流行ってるのか……?」
「話を逸らさない」
「……はい」
まさか兄に続いて幼なじみに説教されるとはアストも思わなかった。言っていることが間違っているとも思えないのがまたしんどかった。
「とにかくやりたいこと、自分に向いていることなんて十代でわかる訳ないんだから、もっと色んなことを経験して見識を深めるべきだよ。それが、三十代、四十代になって本当に自分の望みが理解できた時に役に立つんだ」
「………」
「……なんだよ」
「お前、オレと同い年だよな?言ってることは一理あると思うが、さすがにそのセリフは五十、いや六十越えてないと説得力ないぞ……」
「うるさいな!ぼくは天才だからいいんだよ!」
じとーっと見下ろすアストに、ウォルが必死に背伸びをして食ってかかる。それを……。
「ふふ……」
トウドウが笑って眺める。
「……おもしろいか?」
「うん、本当に仲いいんだね。なんかためになる話も聞けた気がするし、たまには寝坊してみるもんだね」
「寝坊か……“早起きは三文の徳”ってのは嘘だな」
「アストも使ってんじゃん」
「うるせー」
「ふふ」
なんやかんやで楽しい登校になったアスト達。けれど、名残惜しいがそれも終わりが近づいている。校門が彼らの視界に入ってきた。
「トウドウ君、寝坊したってことは、“あれ”を見るのも初めてかな?」
「あれ……?」
ウォルが顎でトウドウの視線を誘導するとその先には厳つい男が校門の前で腕を組んで、仁王立ちしていた。
「待っていたぞ!アスト!!今日こそおれ達の因縁に決着をつけるぞ!!!」
「メグミ……はぁ……」
アストは今日何度目かの深いため息をついた。
「あの人って、『メグミ・ノスハート』君だよね……?」
「うん。あいつも幼なじみなんだけど、昔アストと相撲してぶん投げられてから、ことあるごとに勝負を仕掛けてくるようになっちゃって」
「本当、はた迷惑な奴だ」
「それは……大変だね……」
見るからに頭の弱そうなメグミの姿を見て、トウドウはアストの苦労を思いやる。その考えを天才ウォルが表情から見透かす。
「あんな見た目だけど、悪い奴じゃないよ、性格も頭も。ぼくには敵わないけど、成績はアストと同じくらい」
「いや、僕は別に……」
「下の下だと思ったでしょ?」
「……はい」
「はははッ!トウドウ君は正直でいいな!」
アストは今までの鬱憤を晴らすかのように高らかに笑った。対照的にメグミは青筋を立てている。
「アスト!笑ってんじゃねぇ!転校生!ちょっとひどいぞ!」
「ご、ごめん……」
「いいよ、いいよ、こんな奴に謝らなくても」
「アスト……てめえは本当に……!!」
「怒っている暇なんてないぜ、メグミ。ほれ」
「ムスタベの言う通りだ!!!とっとと教室に行け!!!」
「ぐっ!?わかりました」
校門を閉めに来た教師がメグミを一喝した。ウォルの言った通り、メグミという男は見た目と違いとても真面目なので素直に従い、肩を落とし、不服そうに唇を尖らせて校舎へと歩き始めた。
「んじゃ、オレ達もさっさと行こうぜ、ウォル、トウドウ君」
「あぁ」
「うん」
その後に笑顔のアスト達も続いた。