優しさの色
出発前の楽しいおしゃべりの時間から一転、ホテルに向かう車内は沈黙に包まれていた。ラジオから流れる知らない歌手の陽気な歌だけが虚しく響き渡る。
(本土か……久しぶりだな。去年はちょいちょい来てたんだけどな……)
窓から故郷のシニネ島とは違って、夜になっても人が途切れない街並みを眺めながら、アスト・ムスタベは一人黄昏ていた。
(こうしてのんびりしていると、昨日のことがずいぶん昔のように……むしろ、夢だったんだじゃないかとさえ思えるな……)
正確にはアストは自分だけが見た悪夢であったら、どれだけ良かったのにと思っているのだろう。特に“あいつ”のことは……。
(トウドウはここに、本土にずっといたんだよな……)
自分の今いる場所のせいで、嫌でも血で血を洗う戦いを繰り広げた彼との短い間だが濃厚な思い出が蘇ってくる。
(あの……登校の時や、放課後に楽しく話したあいつがオレの見た夢だったのか?あれは本当に殺人鬼であることを隠すための偽りの姿だったのか……?)
そうだとは思いたくなかった。あの時の笑顔は嘘偽りのない本物の笑顔だったと……。
(もしかしたら、もっとちゃんと話せばわかり合えたかもしれない……罪を償ってやり直す道だってあったかもしれない……だとしたら、オレは!オレがやったことは……!)
セリオが懸念したようにアストはトウドウをその手で殺めたことを後悔し始めていた。胸の奥に気持ち悪いドロドロしたものが溢れ、そしてそれがアストの心を蝕んでいく……かに思われたが。
「空の色、海の色……青は全てを包み込む優しさの色……」
「――!?……ウォル、それって……?」
「君のお爺さんがよく言っていたよね、うちの家紋の龍の色はそういう色だって」
突然、隣のウォルが祖父の口癖を口にしたので、アストは現実に強制的に現実に引き戻された。
「急になんだよ……」
「それはこっちのセリフだよ。急に柄にもなく黄昏ちゃってさ」
「べ、別にそんなんじゃ……」
「どうせ彼のことを考えてたんだろ……トウドウのことを」
「!?」
アストの心中は幼なじみには完全に見透かされていた。驚くアストに対して、ウォルは勝ち誇ったように鼻で笑った。
「やっぱりね……そんなことだろうと思ったよ」
「よくわかったな……」
「わかるさ、長い付き合いだからね……ぼくにも思うところがあるし……」
そう言うと笑顔が一変、ウォルは目を伏せた。
「アスト、君はよくやったよ。あの状況で君は最善の行動を取ったと思うよ」
「ウォル……」
「それに比べてぼくは……自分のこと、天才なんて言ってたけど、全然役に立てなかった……ただ知識を詰め込んで、平和な場所で偉そうに講釈垂れていただけなのに、自分は賢い人間なんだと勘違いしていた……」
ウォルは胸の前でギュッと拳を握り締めた。その隣でメグミも顔を強張らせているのが、窓に反射して、アストにも見えた。彼もきっと同じ気持ちなのだろう。
「だから……気にするな、っていうのは君のことだろうから無理だろうけど……まぁ、思い詰めるなよ、アスト・ムスタベ」
拳をほどき、ウォルはアストに笑いかける。若干ぎこちなかったが、だからこそアストの沈んだ心によく染み渡った。
「ウォル……ありがとうな。気が少し楽になったよ」
「どういたしまして」
「ついでにメグミもな」
「ふん!おれは何もしてねぇだろうが……!」
結果として、これもセリオの想像した通り、二人の幼なじみのおかげでアストは救われることになった。いや、それだけじゃない。その時にはいなかった彼のことを想う人物がここにはもう二人いる。
「リサ……?」
後部座席の話に聞き耳を立てていたパットが運転しているリサに目配せをした。こちらもそこそこの付き合いなので、それだけで何を言いたいかが伝わる。
「……まぁ、いいだろう。彼らには知る権利がある」
「よっしゃ!固そうに見えて、話が分かるぜ!」
「固そうは余計だろ」
リサの文句を聞き流しつつ、パットはバッグからアスト達を待っていた時に読んでいた資料を取り出し、それを彼らへ……。
「ほれ」
「ほれ、って急に何ですか?これってオレ達に見せちゃいけないものなんじゃなかったんですか?」
「あぁ、普通なら駄目だろうな……今、話題の連続殺人事件の容疑者の情報なんてな……」
「なっ!?」
その一言で、アスト達の目の色が一瞬にして変わった。
「す、すいません!お借りしますね!」
ウォルが奪うようにパットから資料を受け取り、その紙を両隣から大柄な幼なじみ二人が覗き込む。
「これは……」
「あぁ……トウドウだ……!アイル・トウドウの情報だ……!!」
紙にはこちらを真正面から見据える今より少し若いトウドウの証明写真が貼ってあり、その下につらつらと彼のこれまでの主な経歴が書かれていた。
「アイル・トウドウ……名前は本名か……」
「年齢もぼくらと同じ、嘘偽り無し……」
「八歳までは目立ったことはない……至って普通だな」
「だが……」
「うん……その八歳の時に両親が亡くなっている。親戚は父方の叔父だけ……だから、その叔父に引き取られたんだけど……」
「でも、その叔父も十五の時に両親と同じく事故死……」
「それ以降は親と叔父が残してくれた遺産で一人暮らしか……」
「そんなことが……考えてみれば、ぼく達トウドウのこと何にも知らないんだね……」
「あぁ……なんか大変だったみたいだな……こうして軽く口にするのも憚られるくらいに……」
とりあえずトウドウのことは割り切ることにしたはずのアスト達だったが、こうして彼の生い立ちを見ると、また色々と考え込んでしまう。車内の空気がまた徐々に淀んでいく。
「おい!そんな風に落ち込ませるために、ルールを無視して、そいつを見せたんじゃないんだぞ!」
「パットさん……」
自分がやってしまったことへの反省か、はたまた、またウジウジ悩み始めた若人に苛ついたのかパットはアスト達に発破をかけた。
「そいつの生い立ちは……まぁ、確かに大変だったんだろうよ。でも、だからといって人を殺していい理由にはならねぇ!こいつと同じような環境にいても立派に生きている人間はごまんといるんだ!」
「それは……そうですね……間違いないです」
「だろ!そもそもそのトウドウって奴がおかしくなっちまったのは、生い立ちなんて関係ねぇかもしれないだろ?自分も親を早くに亡くしているが、自分のことを不幸だと思ったこともなければ、ムカつく奴を殺したいと思うことがあっても、実行したことはない!だから、お前達がそいつに同情する必要なんてないんだよ!むしろ、怒れよ!自分達の故郷に殺人鬼なんかが来てんじゃねぇってな!」
まるで自分のことのように怒るパットにアスト達は圧倒される。それと同時に飄々としていて、公務員らしからぬ軽さを感じさせるこの男は実のところ誰よりも正しく、強くありたい人なのだろうと思った。
「確かにパットさんの言う通りかもしれませね」
「かも……じゃなくて絶対にそうなんだよ!」
「はい、そう思うようにします」
「珍しくこの馬鹿がいいことを言ったんだ。そうしてくれ」
「ちょっと!リサちゃん、ひどい!」
「はははっ!」
この車中にいる者はパットの言葉に納得し、心が軽くなった。
しかし、ただ一人、車の外にいる人物は納得してないようで……。
「いくら何でも、あんまりな言われようじゃないか……」
「!!?」
突然、聞こえた“声”にアストは反応し、キョロキョロと両目を動かし、その発生源を探す。
「どうしたの?小型のオリジンズでも飛んでた?」
ウォルは不思議そうに車の天井を眺める幼なじみの顔を覗き込んだ。
「いや……今、何か……」
「何か?」
「“声”が聞こえなかったか……?」
「声?ぼく達以外のってこと?」
「あぁ……」
「ぼくには聞こえなかったよ。メグミは?」
「おれもだ。アスト、てめえ、血抜かれ過ぎて、幻聴が聞こえたんじゃねぇのか?」
「お前なぁ………いや、もしかしたら……そうなのかも……」
「ありゃ?」
いつもだったら突っかかってくるライバルがあっさり引いたので、メグミは肩透かしを食らった。アストは今回ばかりはメグミの意見が正しくあって欲しかったのだ。
彼の聞いたその“声”というのは彼にとって、信じ難い、信じたくないものだったから……。
「おい、本当に大丈夫か?」
「あれなら、病院に戻る………ぞ?」
心配になったパット達が優しく声をかけるが、すぐに興味はこれまた唐突に後方から目の前を通過して行った影に移った。
その影が“敵”の攻撃だと気付いたのは、この後すぐのことだった。
ドゴオォォォォォォォン!!!
「なっ!?」
アスト達の乗る車の進行方向、前方で突如として空から降ってきた別の車が道路と激突して、大爆発を起こした!
「リサ!!」
「わかって……る!!」
キキィィィィィィィッ!!
「うおぉぉぉっ!?」
リサはパットに言われる前に既にブレーキを全力で踏み、ハンドルを限界まで切っていた。
やたらめったらデカいピンキーズ所有の車は横向きで滑り、道路にくっきりとタイヤ跡を残し、中の人間を重力で押し潰しながらも、なんとかメラメラと燃える炎の前で止まることに成功した。
「な、なんなの、急に?」
先ほどまでのアストのようにウォルは頭を忙しなく動かす。
「後ろだ!確か後ろから来やがった!!」
ウォルとは逆にこういう時は妙に落ち着いているメグミは車が飛んで来た方向を正確に言い当てた。
「後ろ……ってことは……?」
メグミの言葉に従うように、アスト達は今まで自分達が走っていた方向を振り返る。そこには……。
「なっ!?」
そこには街灯に照らされた人影が一つ、ぽつんと立っていた。
アスト達には一日ぶり、リサ達は初めてお目にかかる海の底のような青色をしているピースプレイヤーが……。
「あ、あれって……!?」
「あぁ……見間違うはずがねぇ……!!」
「どうして……どうして!ここにいるんだ!“リヴァイアサン”!!!」
「それはもちろん君に会いに来たからだよ……アスト・ムスタベ……!」
群青の機械鎧が光と共に腕輪に戻ると、さっきまで資料で見ていた懐かしき殺人鬼の顔が醜悪な笑みを浮かべながら現れた。




