病院
(く、来るなら、来やがれ……!!)
『アスト・ムスタベ』は全身にありったけの力を込め、瞼を固く閉ざした。その姿はまるでこの世界の全てを拒絶しているようだった。
(でもなんで……!?オレはただの学生で普通に生活してただけなのによ!?)
脳裏に走馬灯のように自分の身に起きた数奇な出来事が駆け巡る。
平和で穏やかなところだけが唯一の取り柄だと思っていた故郷カウマ共和国の離島シニネ島が特級オリジンズ、『ガスティオン』の死に際に放ったガスによって、大半の島民が目に入ったもの全てに襲いかかる理性無き亡者に変えられ、地獄と化してしまったこと。
その地獄から脱出しようとしている最中触ったものを眠らせるエヴォリスト『セリオ・セントロ』と出会い、島民達を元に戻す治療薬のために憎きガスティオンの死骸を捜索、発見するも、同行していた転校生『アイル・トウドウ』が本土で話題になっていた大量殺人鬼だと判明。島に隠されていた特級ピースプレイヤー『リヴァイアサン』を手に入れた彼に殺されかけるも、天から祝福されし者エヴォリストに覚醒ことで逆転、撃退に成功する。
激闘の末、トウドウを退け、ガスティオンの血液を然るべき場所に届けるために今度こそシニネ島から脱出を図るも、その前に他の島民と同じく理性を失った実の兄『リオン・ムスタベ』が立ちはだかった。自分と同じようにエヴォリストに目覚めていた兄との戦いは熾烈を極めたが、奇跡的に自我を取り戻させることができた。
これで漸く今度の今度こそ島から脱出!……と思っていたら、謎のピースプレイヤーの集団とアフロの偉丈夫に囲まれ……今に至る。
(くそッ!?どうしてこんな目にオレが会わなきゃいけないんだ!?)
制御を失った鼓動の音に包まれながら、アストは自分を虐める運命を呪った。ただただ呪った。今、この瞬間も自分に苦痛を与えようとする天の意志を……。
「あ、あの……?」
「……はい?」
戸惑う声に恐る恐る目を開くと、見るからに清潔な部屋で、これまた清潔そうな白い服に身を包んだ女性が、その声色の通りに困った顔をして苦笑しながらアストを見つめていた。
その手には世にも恐ろしい鋭い針のついた器具を持って……。
「ムスタベさん……注射の針が刺せないので、変身しないでもらえますか……?」
「あっ……すいません……」
恥ずかしさから、青く人間よりも硬い表皮がほんの少しだけ赤みを帯びる。知らない人からしたら世にも恐ろしい青色をした怪物のように見えるだろうが、その実態は注射にビビる臆病で可愛らしいただの学生なのだ。
「ふぅ……じゃあ、元の姿に……」
深く息を吐き出し、精神を落ち着けると、その姿はみるみると元の姿、傍目から見ると平均より少し体格のいいことと、爽やかでなんとなく人当たりが良さそうなぐらいしか特徴のない、どこにでもいる青年の形に戻っていった。
「じゃあ……改めて……」
「……はい」
女が関節部に針の先を当てると、再びアストは目を固く閉じ、顔を背ける。それでも言われた通り身体の方は変身しないように力を抜いた。
「いいですよ……そのまま……注射刺してる途中で変身したら大変なことになりますからね……」
「そうで……えっ!?」
わざわざ言う必要ないのに、心身共に強張らせる言葉を吐く女にアストは恐怖した。
もしかしたらこの女は年下の男を虐めるのが好きな性的倒錯者なのではないかと、もしかしたら自分のことを興味深い研究対象だと思っているマッドサイエンティストなのではないかと。
けれどそれは彼の恐怖心が生んだ幻影だった。
「あんまり怖いこと言わないでくださいよ……」
「ごめんなさい……でも、もう終わったからいいでしょ?」
「終わったからって………えっ!?」
アストが目を開き腕を見ると僅かに血が滲んでいた。そこに女は清潔なガーゼを覆い被せる。
「しばらくこれで抑えてて」
「……はい」
呆けながら、注射器からさっきまでは入っていなかった真っ赤な液体を別の容器に移す女の背中を見つめるアスト。思春期の青年の熱い視線に気づいた女はそちらを振り返り、今までの冷静な表情とは真逆の穏やかで優しさに溢れた顔でニコッと笑いかけた。
「今の注射器は優れものだから、痛みなんて感じないわよ」
「はぁ……」
「それに私、この病院で一番注射上手いしね」
そう言って再び微笑みかけられると、先ほどまでとは違う意味で心臓が高鳴る。自分はこの手のギャップに弱いのだとアストは初めて自覚した。
「ムスタベさん……?」
「………」
「ムスタベさん!」
「は、はい!?」
完全に大人の色気に参っていたアストをノックダウンさせた本人が現実に引き戻す。
「な、なんですか……?」
「もう血も止まったでしょうから、帰ってもらって結構ですよ」
「あ、あぁ……」
アストが自分の腕に必要以上の力で抑えつけていたガーゼを捲ると、言われた通り血は止まり、人間の目では最早傷など確認できなかった。
「ガーゼはそこのゴミ箱に捨てていってください」
「あっ、はい」
アストは立ち上がり、指定されたゴミ箱の前まで歩いて行った。そして、ガーゼを投げ入れると、くるりとターンをする。
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
ペコリと頭を下げると再びその場でターンをして部屋から出て行った。
白塗りの廊下を誰ともすれ違うことなく、しばらく歩いていると、壁際に椅子に座っている眼鏡をかけた青年と、彼と同じ年頃で、ポケットに両手を突っ込みながら立って壁に寄りかかっている男がいた。
「ウォル、メグミ」
「あっ、アスト。終わったの?」
「あぁ……とりあえずな」
「ったく、待ちくたびれたぜ」
眼鏡の方は『ウォルター・ナンジョウ』、大柄の方は『メグミ・ノスハート』、どちらもアストの幼き頃からの友人で、今回の一件でも彼の支えになってくれた大切な人だ。今も彼の検査の終わりをこうしてずっと待っていてくれた。
「で、で、どうだった?変なことされた?」
眼鏡の奥の瞳をキラキラさせながら問いかけるウォルにアストは辟易した。彼がこういう人物だということは重々承知だが、正直今はそのノリは勘弁して欲しい。
「されてねぇよ……多分。朝から訳のわかんない機械をたらい回しにされて、挙げ句に血をごっそり採られてしんどいんだから休ませてくれよ」
「あぁ……そうだったね……けど、気になるじゃないか!本土でも随一のイフイ中央病院の検査なんて!」
「ブレないな、お前は……」
だが、そういうところが頼もしくもあるとアストは内心では思った。けど、恥ずかしいので絶対に本人には決して言わない。
そんなことを考えているとメグミがポケットから手を出し、腕を組みながら話しかけて来た。
「ウォルのことはほっとけ。それよりも……」
「なんだよ……?」
「その検査ってのは狂暴化した奴らを戻すためのものなんだろ?」
「そうだけど、それがどうしたんだよ?」
「……お前の身体は大丈夫なのかよ?リオンさんとの戦いで手酷くやられてただろうが」
「あぁ……ふふっ……」
見た目に反して気遣いのできる男、それがメグミだ。これも好ましいとアストは思っているが、勿論言うつもりはない。ただ、気が緩んでいるのか、自然と顔がニヤついてしまう。
「なんだよ!ニヤニヤと!気持ち悪いな!」
「悪い悪い……でも、大丈夫だ、問題ない。エヴォリストになって再生能力というのか?それが常人よりも遥かに上がっているっぽくて、もうすっかり傷は塞がっているよ」
アストは自身の健在さをアピールするように両腕を広げた。
「それならいいんだが……」
「おう!ばっちりだぜ!」
「じゃあ、後はリオンさんだな……」
「あぁ……」
和やかだった空気が少しだけ重く、湿り気を含んだ。
アストは憂いを帯びた表情のまま、壁と同じく白塗りの天井を見上げる。
「森の中でセリオさんが言った通り、命に別状はないらしい。今もこの病院でぐっすり眠っているよ。兄貴は防御が凄い分、オレより再生能力が劣るっぽい……もうちょい手加減できれば良かったんだけどな……」
「アスト……」
兄弟決戦からほんの少しだが、時が経ち、頭では致し方ないことだったとはわかっているが、心ではもっと上手くできたのではないかと後悔の感情がアストの中で生まれていた。何度も言うが彼はどこにでもいる普通の学生、自身の身に突然降りかかった異常事態を簡単に割り切れるメンタルを持ってはいない。
そして、アスト・ムスタベがそういう人間だということを目の前の幼なじみ達は痛いほどわかっている。
「てめえ、調子乗ってんな?」
「えっ?」
「てめえより百倍強くて、千倍賢いリオンさんにそんな気遣いするなんて烏滸がましいんだよ!」
「メグミ……」
「そうそう。それになんて言ったって、ここはイフイ中央病院!カウマの著名人御用達の最先端の病院だよ!心配ご無用さ!」
「ウォル……」
彼らと出会えて、友人になれて良かったと心の底から思った。もし彼らがいなかったら、ここまでたどり着けなかっただろう。あの時、放課後に歴史の先生の私的なお使いに付き合ってくれたことへの感謝は、いつかちゃんと口に出して伝えようと胸の奥で誓った。
「でも、本当に良かったよね」
「あぁ、あのピースプレイヤー……」
「中級ピースプレイヤー、『ハイヒポウ』ね」
「そのハイヒポウに囲まれた時は、今度こそ終わったと思ったぜ」
「しかも、その奥からあんなファンキーな人が出てくるんだから」
ウォルとメグミ、その会話を聞くアストの脳裏に鮮明に記憶が甦る。あの森の中での出来事が……。
「あの人の、『ビオニス・ウエスト』さんの第一印象は凄まじかったな……」




