目覚め
カウマの無人島で人知れず起きていた惨劇から一夜。同じくカウマ共和国領の『シニネ島』はいつもと変わらぬ朝を迎えていた。
「んん~」
カーテンの隙間から射す朝日につつかれ、男……体格は立派だが、顔つきにまだ幼さが残る青年が目を覚ました。
「ん………なんだよ。三十分も前じゃないか……」
ベッドの横においてある携帯で時間を確認すると、いつもは絶対に目にしない時刻が目に入ってきた。
「二度寝………するのもな……まぁ、いいや。たまにはこういう日もあるだろう、あってもいいだろう」
青年は毎朝しているように、ベッドの上で一回背筋を伸ばすと、気だるそうにカーテンを開け、部屋から出て行った。
「朝飯は……できてるっぽいな」
階段の上にも香しい匂いと、包丁を使う音が届いていた。青年はこれまたいつものように階段を降りていく。子供の頃は寝ぼけて階段を踏み外し、転げ落ちるようなこともあったが、今はそんなことはない。
ガクン
「へっ……!?」
ガラガラガラガシャン!!!
訂正、今も時々あるようだ。
「はぁ……こんな朝っぱらから何やってんだ、アスト……?」
エプロンをつけて朝ごはんの準備をしていた男が階段をダイナミックに降りてきた『アスト』に呆れながら声をかけた。
「お、おはよう、リオン兄ちゃん……」
アストもいつまでも成長しない自分に呆れながら兄に返事した。
言葉の通りこの二人は兄弟。どちらも体格がよく、爽やかな印象を与える好青年だ……見た目は。
兄のリオンはその見た目に違わぬしっかりとした頼り甲斐のある人間だが、弟のアストはまだまだ危うい子供っぽさが抜け切っていない。背もわずかだが兄よりも低く、知能はさらに低い。まぁ、リオンが第三者と比べても大きく、優秀なのもあるが。
「……で、今日の朝飯は?」
「で……って、なに今のことなかったことにしようとしてるんだよ……」
「いいから……もうこれ以上、オレを惨めにせんといてくれよ。で、もう一度聞くけど……何?」
「はぁ……お前って奴は……別に昨日と一緒だよ」
他愛もない会話をしながら、アストは定位置に座り、その前にリオンは作りたてのご飯を出した。
「まぁ、そうだよな……我が家の朝飯は白いご飯と卵と納豆……母ちゃんがいた頃からずっとそうだった……」
「あぁ……母さんがいた時から……って、死んだみたいに言うなよ!!父さんと爺さん、婆さん、みんなで旅行に行ってるだけだろ!!」
朝っぱらから不謹慎な弟に兄が怒った。
先に述べたようにリオンは兄らしく真面目な、アストは弟らしく奔放な、真逆な性格をしていた。だからといって折り合いが悪い訳でもなく、むしろ今のように兄弟二人で楽しく留守番できるくらいには仲は良い。
「今日で一週間……つまりあと一週間だっけ……?」
「あぁ、そうだ……」
飯を掻き込みながら兄に質問すると、素っ気ない返事が返ってきた。さっきまでとは打って変わって、リオンは真剣な面持ちでアストの対面に座った。
「で……進路、決まったのか……?」
「……………まだ」
この問答は最近一週間の定番だった。バカがつくぐらい真面目なリオンは、高校の卒業が間近に迫っているのに未だに進路が何も決まっていない弟に憤慨し、同時に心底心配していた。
「わかっているな……?一週間後、父さん達が帰って来るまでに決めるんだぞ」
「わかってるよ……わかってるけど……」
アストだってバカじゃない、ずっとそのことを考えている。けれども、どうしてもピンと来る“答え”が浮かんで来なかった。
「はぁ……大学行くにしても、学びたいことなんてないしな……」
「ちょっとでもいいから興味のあることとかないのか?偉そうに言っているが俺もなんとなく家が神社だから、歴史を学べる学部に入っただけだしな……爺さんや父さんの手伝いをする時にあの時学んだことが役に立っているような、立っていないような……って感じだけど」
兄弟の家はシニネ島、もといカウマ共和国、随一の歴史を持つ由緒ある神社であった。リオンは今はこの神社で祖父や父の跡を継ぐために修行している。
「うーん……興味どころか趣味と呼べるようなものも特にないからな、オレ」
「アスト……本当にのんきだな、お前って奴は」
「兄ちゃんが考え過ぎなんだよ。爺さんがよく言ってるだろう?我が『ムスタベ』の家紋は“青い龍”……青は水の色、川が流れるように、成り行きに身を任せろって。なるようになるし、なるようにしかならないんだよ、人生は」
「“果報は寝て待て”……ってことか……?」
「そうそう、それそれ」
腕を組み、ウンウンと頭を上下させるアスト・ムスタベ。ただでさえ、その姿はバカっぽいのに、さらに今は口元にお米粒がついていて残念っぷりに拍車をかける。
そんなどうしようもない弟の姿にリオンは言葉を失った……いや、違う!言わねばならない!兄として、人生の先輩として!
「……あのな、アスト……」
「ん?何?」
「果報は寝て待てって言うのはな……やること全部やったら、じたばたするなってことなんだよ……」
「へぇ~そうなのか」
「似たような言葉で、“人事を尽くして天命を待つ”という言葉もあるな……」
「あぁ、それも知ってるぜ。ドラマだかアニメだかで聞いたことあるような、ないような……」
「そうか………」
「で、それがどうした……」
「お前、何もやってないじゃないか!!!」
「ひぃ!?」
リオンが声を荒げると同時に立ち上がり、アストの眼前に指をつき出した。
「何もやってないお前が!口に出していい言葉じゃないんだよ!!!何もやってないお前が!!!」
「い、いや、それは……!?」
「いや、じゃない!!!この一週間、一歩も進んでないじゃないか!!!ここ最近、ずっと同じ会話をしてるだけだぞ!!!」
「だ、だから……!?」
「だから、もない!!!」
こうして青い龍を継ぐ者、兄リオン・ムスタベの逆鱗に触れてしまった同じく青い龍の血脈、弟アスト・ムスタベは、登校のギリギリまでお説教を食らうことになってしまったのだった。