新生
「ア、アスト……!?」
ウォルは目の前で起こっていることが信じられない。身体が、頭が硬直して現実を受け入れることを拒絶する。
「トウドウ……!てめえ……!!」
メグミは幼なじみでライバルを殺された怒りで小刻みに震え、目が血走っていた。今にも仇である裏切り者に殴りかかって行きそうだ。いや……。
「よくもッ!!アストをぉぉぉ!!」
殴りかかった!拳を振り上げ、一直線に群青の竜に向かっていく!
「はぁ……まさか、そこまで馬鹿だったとは思わなかったよ、メグミ君……」
力の差を理解できないメグミにトウドウはため息をつきながらも、きっちり迎撃の体制を取った。手には未だアストの血がべっとりついている。
「君もアスト君と同じようにこの手で切り裂いてあげるよ」
「トウドウぉッ!!」
二人の身体が交差し、再び血の惨劇が繰り広げられる!……かに思われたが。
「やめろ!ノスハート!!」
「ぐっ!?……セリオさん……!」
すんでのところでセリオが制止し、メグミはリヴァイアサンの射程寸前で足を止めた。
「なんで……止めるんだ……!」
「それぐらいは君にもわかるだろう……無駄死にするな……!!」
「だけど!こいつは!!」
「君が死んだら、これまでのムスタベの戦いも無駄になる!!」
「なっ!?……ぐうっ……!」
メグミは悔しさで下唇を噛みながら、震える拳を下ろした。
「さすがにあなたは状況がわかっているようだ……」
トウドウは手を振り、付いていたアストの血を払った。指はまだピンと伸ばされ、手刀の形は崩していないが、すぐに攻撃をするような素振りは見えなかった。今の彼にとって目の前の奴らが何をしようとどうでもいい……それだけの力と、それによってもたらされる余裕を得たのだ。
「どうせだったら、苦しまないで逝ける方がいいもんね……」
「ト、トウドウ君……!?」
群青の竜の全身から放たれる殺気に当てられ、ウォルの足はガタガタと震えた。最早、目の前には放課後楽しく談笑した友人の姿はなかった。
「さぁ……順番を決めなよ……それぐらいは選ばしてあげるからさ」
「順番って……」
「トウドウ……お前、どこまで……!」
人の尊厳を踏みにじるような残酷な提案に更に恐怖と怒りが湧き上がってくる。けれどそれを振り払う術も、ぶつける力もウォルとメグミにはない……ウォルとメグミには。
「トウドウ……」
「ん?あなたが最初ですか、セリオ・セントロ……?」
トウドウが声のした方向を向くと、セリオがこちらにゆっくりと……というより恐る恐る歩いて来ていた。彼は手で合図し、メグミを下がらせるとリヴァイアサンの手が届かないギリギリのラインで足を止めた。
「いや……順番を決める前に、わたしからも提案があるのだが……?」
「ほう……提案ねぇ……いいよ、聞かせてみなよ」
セリオは言葉だけでなく、目で必死に訴えた。それが、大の大人が、しかもエヴォリストという超越者が、自分に屈服する姿がトウドウにはどうにも心地良くて、話を聞いてやることにする。
了承を得たセリオは微かに笑みをこぼし、両手をゆっくりと上げた。
「降参だ……わたし達は君に完全降伏する……だから、命だけは助けてくれ」
「はぁ!?」
「セリオさん!?」
背後から予想通り失望と怒りの声が聞こえて来たが、セリオは揺るがない。
「ナンジョウ、ノスハート、気持ちはわかるが、冷静になれ……!命より大事なものはない……ムスタベのことを見ていたらわかるだろ……!」
「ぐっ!?」
「そ、それは……」
ウォル達に対してもセリオは必死に訴えた。その声は理不尽に耐えているように聞こえ、彼も苦しい思いをしていると察したウォル達も完全に納得はいってないが、振り上げかけた拳を下ろした。
「盛り上がっているところ、悪いけど……そんな下らない提案、僕が受けると本当に思っているのかい……?」
セリオの眼前で不思議そうに、かつ気だるそうにトウドウが首を傾げている。そう、説き伏せるべきなのはウォル達ではなく、彼の方なのだ。
そして、悲しいかな彼の言う通り、この提案は受ける価値のないもの……今のままでは。
「わかっているさ……圧倒的優位にある君がわたし達の言うことなんてわざわざ聞く必要なんてない……」
「なら……」
「だから、メリットを用意した。わたし達を生かすメリットを!」
「メリット……だと?」
トウドウは逆方向に首を傾げた。しかし、先ほどとは違い、純粋にセリオの話に興味を持ち始めていることは声色からも感じ取れた。
「交渉にはそれが必要だろ?」
セリオは作戦が順調に進んでいることを確信し、また微かに微笑んだ。
「先ほどの話を聞くと、警察から逃れるため、君は自分を死んだことにしたいんだよね……?」
「そうだ。僕は存在しない“名も無き者”になりたいんだ」
「なら、わたし達を殺す必要などない。いや、むしろ生かしておいた方が君にとって都合がいい」
「何……?」
完全にトウドウはセリオの提案に食いついていた。心が完全に前のめりになっている。
狙い通りの殺人鬼の動きに浮き足立ちそうになるが、まだだ、焦ってはいけないとセリオ・セントロは心の中で逸る自分を押さえ込む。
「わたし達が君の、アイル・トウドウの死の証人になる。わたし達を見逃してくれれば目の前で君は間違いなく、確実に死んだと警察に伝え、認めさせてやる」
セリオは自分に任せておけと言わんばかりに自分の胸を叩く。トウドウの方はまだ少し訝しんでいる。
「どう証言するつもりだ……?」
「狂暴化した島民に追いかけ回され、海に落ちたと」
「それでは死んだとは言い切れないのでは……?」
「なら、落ちた先の岩に頭から激突したと」
「ふーむ……悪くはないな……」
「だろう」
「しかし、少し間抜けで情けなさ過ぎないか……?」
「それぐらいの方がいいのさ。リアリティーがある」
「そういうものか……」
トウドウは考え込み、斜め上の虚空を漠然と見つめる。その邪魔をしないようにゆっくりと、音も立てずにセリオは近づいていく。
「よし!決めた!」
トウドウの決断……その瞬間、その一瞬にセリオは全てをかけた!
「そうか!だが、生憎答えを聞くつもりは……」
ザンッ!
「……なっ!?」
「「セリオさん!!?」」
「やっぱり殺そう」
伸ばしたセリオの手をリヴァイアサンはしゃがんで避けると同時に彼の身体を下から斬り上げた。
アストと同じようにセリオの服の切れ目から真っ赤な血が吹き出し、ウォル達の呼び掛けも虚しくそのまま仰向けに倒れた。
無様に大の字になっているセリオをトウドウは軽蔑の意志を込めながら、見下ろした。
「悪いね、大人は信用しないことにしているんだ……けれど、あなたのことは他の人達とは違うと思っていたのに……残念だよ」
いや、軽蔑よりもは諦めと失望の方がトウドウの中では大きかった。アストに友人になって欲しかったのが本心であったように、トウドウはセリオ・セントロには頼れる、信頼に値する大人であって欲しかったのだ。
虚しさが彼の心に去来する……と、同時に自分が経験の元に築き上げた信念が正しかったことに安堵した。
自分は間違っていない、今までも、そしてこれからも……。
「触った生物を眠らせる能力で一発逆転を狙ったのだろうけど、触れなければ意味はない。そもそもピースプレイヤーには効かないって自分で言ってなかった?ねぇ、確かそう言っていたよね、ウォル君……?」
「あぁ……そう言えば、そんなこと言っていたっけ……」
会話こそ一応成り立っているが、言葉はウォルの耳から入ると逆の耳へと通り過ぎて行った。
彼の頭はこの状況を打開すること、心の方はアストとセリオを失った悲しみでキャパシティが一杯一杯だった。
「で、順番は決めてくれたかい?」
「そ、それは……」
ジリジリと相も変わらずいたぶるようににじり寄ってくるリヴァイアサン。
それに気圧され、無意識に後退してしまうウォル。
その二人の間にメグミ・ノスハートが割って入った。
「次は……おれが相手だ……!」
「メグミ!?」
「ほう……」
メグミはちらりと背中越しに幼なじみを見た。その眼差しには悲壮な決意が滲んでいた。
「ウォル……お前は逃げろ……!」
「なっ!?君を置いて行けって言うのか!?」
「そうだ……」
「できないよ!そんなこと!!」
「やらなきゃ駄目だろうが!お前があのオリジンズの血を!治療薬の元を持っているんだからよ!!」
「!?」
ウォルはポケットに仕舞ってあるガスティオンの血液を採取したカプセルのことを完全に失念していた。元々はこれを手に入れるために危険を犯してここまでやって来たはずなのに……。
それを日頃から馬鹿と弄っているメグミに指摘されたことが悔しかった。いや、違う、それが正しく、今の自分には反論することができないのが悔しくて堪らなかったのだ。無力な自分を恥じたのだ。だが、そのおかげでウォルも覚悟が決まった。
「メグミ……わかったよ……ぼくが必ずこれを本土に届けて、この島を、ぼく達の故郷を元に戻してみせる……!!」
「あぁ、信じてるぜ……お前はやる時はやる奴だからな!アスト達が託した希望を守ってくれ!!」
一言ごとにお互い心が熱くなった。物心ついた時からの付き合い、唯一無二の友との別れの時なのだから、当然だ。
そんな二人に群青の竜は空気も読まずに水を差す。
「感動的だねぇ……けど、僕が逃がすと思うのかい?」
「ぐっ……!」
「まったく……君達とはもっと別の形で……もっと早く出会いたかったよ……」
それは心の底から出た本心だった。違う形で会っていれば、もしかしたら……。けれど、もう手遅れだということも、嫌というほどわかり過ぎている。
リヴァイアサンはその血塗られた手を改めて刃のようにピンと伸ばす。
「さぁ、本当の本当……お別れの時間だ……!!」
「おう!来るなら来やがれ!メグミ・ノスハートの一世一代の大立ち回り、その目にとくと刻み………」
堂々と啖呵を切っていたメグミの表情が……なんというか、間抜けな形に崩れていった。目と口を開き、リヴァイアサン……の後ろの方を呆然と見つめている。
彼の後方に控えるウォルも同じような呆けた顔で同じような方向を見ていた。
「ん?どうした、急に?馬鹿みたいな顔をして?」
余裕の表れか、予想外の事態に困惑しているのか、トウドウ自身も今から殺そうとしている相手に、馬鹿みたいとしか言えない質問をした。
それに対し、トウドウに輪をかけて混乱しているウォルは律儀に答えてあげる。
正確にはゆっくりと答えのある群青の竜の後方を指さしたのだ。
「後ろ……君の後ろになんかいるんだよ……」
「後ろだと……?」
トウドウは言われるがまま、後ろを振り返る。そこには……。
「――!?」
びちゃっ……びちゃっ……
「な!?なんだ、これは!?」
リヴァイアサンの後方、少し離れたところに透明な液体の山が出来上がっていた。本来ならあり得ない形で自立するそれにトウドウも思わず声を荒げる。
しかし、驚くのはまだ早かった。
「こいつ……一体……?ん!?」
「おいおい!?なんか動いてねぇか!?」
「っていうか、形が変わってる!?」
同じカオスに巻き込まれ、はからずも息ぴったりの三人の言葉の通りに液体は徐々に形を変え、みるみるうちに足ができ、腕ができ、人の形になった。更に人型になったそれは透明度を失って行き、体表は淡い優しい青色に。
そして、頭の凡そ下半分、口に当たる部分がガパッと開いた!
「トォウ!ドォウゥッ!!!」




