終わりと始まり
「……………えっ……?」
何を言っているのか理解できなかった。もしかしたら理解したくなかったのかもしれない。
アストはその場で立ち尽くし、呆然と目の前の群青の竜を見つめていた。それでも、なんとか、必死に頭を動かし、震えを堪えて口を開いた。
「……冗談だよね……?」
質問というより、願いだった。そうあって欲しいと、アストの心の底からの祈りを込めた言葉。それは……。
「ううん……このタイミングでジョーク言うほど、空気の読めない人間じゃないよ、僕は」
あっさりと否定される。ふるふると迷うことなく首を横に振るトウドウの姿が、またアストの思考を停止させた。いや、アストだけでなく、ウォルやメグミも同様で、彼の後方で何もできずに眺めている。
この中で頭が回っているのは場の主導権を握っているトウドウと、もう一人だけ……。
「ムスタベ……そいつの言っていることは本当だ……」
「セリオさん……!?」
アストはセリオの方を頭だけ振り返った。仮面越しでも、嘘だと言ってくれと涙を堪えて訴えているのがわかったが、セリオも首を横に振り、現実を突き付ける。
「……そいつの……今のトウドウの纏う空気は、わたしが見て来た凶悪な犯罪者……殺人鬼と一緒だ……」
「そ、そんなこと……」
絶望に打ちひしがれ、立っていることさえ辛そうなアストを見ると、セリオの心は後悔と自分への怒りで塗り潰されていった。
「……仕事から離れて、勘が予想以上に鈍っていたのか……もっと早く気づいていれば……!」
「僕の演技が上手かったということにしときましょうよ……あなたの名誉のために」
「トウドウ……!!」
唇を噛み締め、拳を握る……それだけ。それだけしかできない自分にセリオはさらに苛立った。
「でも、まぁ気付かなくて良かったですよ。遅かれ早かれ僕に殺されるにしても、少しでも長く現世の空気を吸っていたいでしょう?」
「トウドウ君……それって……」
「そのままの意味だよ、アスト君……僕は君達をみんな殺すつもりだったんだよ」
「!!?」
アストの脳裏にトウドウとの短いけど濃厚な思い出が次々と甦り、それがバラバラと音を立てて崩れていった。この期に及んでアストはトウドウとの友情を信じていたのだ。
「なんで……?いつから……?」
アストは彼らしくない覇気のない声で、友人だった者に再び問いかける。今度こそ、冗談だよと言ってくれることを願って……。
けれど、残念ながらその願いは叶わない。
「いつからと言われたら……学校で狂暴化した警察や教師を見た時からだよ」
「狂暴化……?ハラダさんに話を聞いた時じゃないのか……?」
「その時はその時で面倒くさいことになったな、この島から出ないといけないかなとは思っていたよ。けど、あの時のままなら……平和なシニネ島のままだったら、君達を殺そうなんて思わないよ。だってメリットがないもん」
「メリット……?」
呆けるアストの視界で、トウドウが腕を組み、大袈裟にウンウンと頷いた。
「考えてみなよ……もしこの島で新たな殺人が起こったら、本土の凄腕の刑事とかが来て、僕の正体がバレるリスクが上がる……ほら、メリットないだろう?僕はここに身を隠すためにやって来たんだから。まっ、海外に高飛びの準備をするための一時しのぎだけどね」
「だったら!?」
今度は激昂し、アストは鬼の形相で問い質した。優しい彼にはさっきからトウドウが何を言っているのか、言いたいのか、まったくわからない。
「ピンチとチャンスは表裏一体、紙一重……君達、この島の住人にとってガスティオンは“災厄”でしかないだろう……けれど、僕にとっては“天啓”だ!!」
「天啓……だと……?」
「あぁ!この混乱に乗じれば、僕は自由になれる!!ガスティオンはまさに神の恵みだよ!!」
「本気で……言っているのか……!!」
その不謹慎極まりない言葉は戸惑ってばかりのアストの心に微かだが、確かな怒りの炎を灯した。
そんな彼の心の機微をトウドウは見逃さない。顔がまた醜く歪み、喜びに打ち震える。仮面で隠れてアスト達から見えないことだけが唯一の救いだった。もし見えていたら、きっとアスト達の心に更なる深い傷をつけていただろうから。だが、それこそが今のトウドウの望み。
彼を絶望の底に叩き落とすために、饒舌にこれから行う惨劇の詳細を伝えてあげる。
「……この島の人間を皆殺しにする」
「……えっ!?」
「ただ殺すんじゃない……バラバラだ。バラバラに解体し、ミンチのようにすり潰す」
「なんのために……?」
「身元をわからなくするためだよ。男なのか女なのか子供なのか老人なのか一人なのか複数なのか……何もわからないぐらいにぐちゃぐちゃにする。そうすれば僕一人ぐらいいなくなっても気づかれない。運が良ければ、死んだことになる」
聞いているだけで背筋が凍った……と同時に、自分達だけでなく愛する故郷を、そこに住む人々をも犠牲にしようとする悪魔の計画に沸々と怒りの炎が強まっていくのを感じる。
「トウドウ君……!君はなんてことを……!」
「その“名前”も死ぬんだ。僕は“名も無き者”として生まれ変わる……君達はその崇高なる儀式のための……生け贄だ!!」
「!?」
ザンッ!!
突然、アストの視界が群青のマスクに覆われた!文字通り目にも止まらぬスピードでリヴァイアサンが接近してきたのだ!
アストはそれでも天性の反射神経で反応し、また後方に飛んだ。そしてまたゴウサディンのボディーに手刀で傷が刻まれる。
「――ッ!?トウドウ君!?」
「その名前は死ぬと言っただろう……というか、避けるんじゃないよ!!」
一息つく暇もなく、もう一方の手がぐんと伸び、ゴウサディンの眼前に迫る。それも……。
「ちいっ!?」
ゴウサディンは頬を掠めつつも回避する。だが、リヴァイアサンはすでに次の攻撃を放っている。
「シャアッ!!」
ガァン!
「ぐっ!?」
群青の竜の貫手がゴウサディンの肩先の装甲を破壊した。アストの横でパラパラと青と銀の破片が太陽の光を反射しながら舞い散る。
これにはトウドウもご満悦……してくれれば良かったのだが……。
「いいよ……いい!ヤーマネとかいう獣なんかよりもずっといい!これで漸くリヴァイアサンの力を存分に試せそうだ!!」
攻撃は止むどころか激しさを増していく。絶え間なく繰り出される貫手がゴウサディンの装甲をさらに削り取る。
(ぐぅ……!?速い……いや、速くなっている……!?)
貫手ラッシュを受けるアストは防戦一方、不恰好に身体を丸め急所を守ることしかできない。その一番の理由は彼の推測通り、秒単位でトウドウがリヴァイアサンとの適合率を上げていることにある。
(このままじゃ埒が明かない……嬲り殺しになるだけだ……!どうする、アスト・ムスタベ!?)
アストに再び訪れた選択の刻。
選択肢は二つ、一つはトウドウを倒して、自分の命を守るか……。
もう一つは、未だに友人であると思っているトウドウの願いに応え、このまま殺されてやるか……。
アスト・ムスタベの選択は……。
(くそッ!?やるしかねぇのかよ!?)
決意を胸に隙を伺う。悩んでいる間にも装甲は削り取られて、ゴウサディンの限界は近づいている。
「これが力だ!これこそがこの世界で唯一信じられるもの!圧倒的な力の前では弱者は屈服するしかないんだ!!」
「そんなこと!!」
「あるんだよ!!!」
今までで一番力と憎しみが込められた貫手が放たれる!だが、それ故にモーションが大きい……痛みと恐怖に耐え、機会を虎視眈々と伺っていたアストの目はそこを見逃さなかった!
「ここだァァァッ!!」
雄叫びと共に電磁警棒を召喚し、リヴァイアサンのマスクに叩きつけ……。
ガシャッ!
「くっ!?」
叩きつけられなかった。リヴァイアサンは貫手を方向転換し、あっさりと渾身の警棒を受け止めたのだ。
「がっかりだよ、アスト君……」
ため息をつくトウドウ……しかし、アストもここまでは折り込み済み!
「そいつは!これを喰らってからいいやがれッ!!」
ゴウサディンの指が電磁警棒の柄についているスイッチを押す。すると……。
バリバリバリバリバリバリバリバリッ!
当然、電流が流れる!激しい音と共に電気が群青の腕を伝い、リヴァイアサンの全身に、その中にいるトウドウに襲いかかり、意識を強制的に断つ!……と、アストは考えていた。
「僕は君の行動を、ここまでのことを予測した上で、“がっかり”って言ったんだよ」
バキッ!
「なっ!?」
電流をものともしないリヴァイアサンに警棒は粉々に握り潰される。さらに……。
「少し予定が狂ったからって、集中を切らさない」
ゴォン!!!
「がはっ……!?」
頼んでもいないアドバイスと共にゴウサディンのボディーに強烈な蹴りをお見舞いした。衝撃でアストの肺から全ての酸素が追い出され、地面を無様に転がっていく。
「がっ……!?はあッ……!!くっ……!?」
腹を抑え、立ち上がろうとするが、足に来たダメージのせいでどうにもならない。
無様に悶え苦しむアストを見下ろしながら、トウドウはゆっくりと、まるで心を嬲るように近づいて来る。
「この期に及んで、まだ敵を殺さずに済まそうなんて……君って人は……」
「はぁ……はぁ……」
「僕はね、君に期待していたんだよ、アスト君」
「き、期待……だと……!?」
息も絶え絶えになりながら、なんとかアストは顔を上げ、リヴァイアサンを見上げる。同じ目線で語り合った昨日の夜のことが遠い昔のように感じた。
一方のトウドウからすると、アストに限らず自分と対等だと思えた人間はこれまで会ったことがなかった。だから、アストに“期待”したのだ。
「君の戦い……ずっとイライラしながら見ていた……あまりに手際が悪くてね」
「そりゃ……申し訳ない……ことしたな……」
「それでも、手を出さなかったのは、もちろん正体を隠すためもあるけど、君が僕と同じ選択をしてくれると思ったから……」
「同じ……選択……?」
「僕と同じ……“人を殺す”という選択をね」
「そんなこと……オレが……」
「アスト君、僕はこれまでの人生でわかったことがある……それは“奪われない”ためには“奪う”側になるしかないということ……それが三十四人を殺した僕がたどり着いた“真理”だ……」
「トウドウ……君……?」
その言葉は今までの傲慢で人を嘲るようなものと違い、どこか悲しげで弱々しさがにじみ出ていた。
「だから!!」
それを否定するように、振り払うように、トウドウは両腕を目一杯広げた。
「ピストルを出せ!そして、僕を撃て!アスト・ムスタベ!!」
「何ッ!?」
ここに来てまた意味不明なことを言い出したトウドウに面を食らうアスト。だが、トウドウは本気だ。
「僕を撃った時……その時こそ、僕達が本当にわかり合える時!真の友人になれる時だ!!」
「そんなこと……!」
「できないなら、君も君の幼なじみも死ぬだけだ」
「――ッ!?」
「友を救う為に殺人鬼をその手で撃ち殺してみろよ!!アスト・ムスタベ!!」
普通に考えれば選択肢は一つ、迷う必要はない。それでもアストは……。
(わかっている……わかっているさ!千載一遇のチャンス!いや、これを逃したら後がないことぐらい!)
迷いながらも最低限の回復をした足で立ち上がり、拳銃を手の中に呼び出す。そして、リヴァイアサンの、その奥にあるトウドウの額に照準を合わせる。
「ぐうっ……!?」
「迷う必要なんてない……撃ちなよ。目覚めの時だ」
引き金にかかる指の震えが止まらない。それでもなんとか力を込めていく。
「ッ……」
「さぁ……撃つんだ……引き金を引くんだ」
言われた通り、ゆっくりと指を曲げ、トリガーを……。
「引けるわけないだろう!!」
「そうか……残念だよ……」
ザシュッ!!
「がっ!?」
自分を撃つことを躊躇ったアストをトウドウはためらいなく手刀で切り裂いた。ゴウサディンの青と銀の装甲の裂け目から真紅の鮮血が吹き出す。
その血の雨を浴びながら群青のリヴァイアサンはゴウサディンの首を掴んだ。
「本当に残念だよ……さようなら、アスト・ムスタベ……僕の唯一無二の友になれたかもしれない者、目覚められなかった者よ……」
ブゥン……
群青の竜はゴウサディンを天高く放り投げた。当然、それはいつまでも浮いているわけもなく、落ちて来る……ガスティオンの死骸の鋭く硬い爪の上に。
ズブッ!
「がはっ……」
爪は背中から腹部へと身体を貫通、全身からだらりと力が抜け、弓なりの形となった。
「友人にはなれなかったけど……中々いいオブジェは見ることができたかな」




