プロローグ:ミスる青龍
その日のカウマ共和国は朝から妙に蒸し暑かった。
空には雲がかかり、日差しは強くないのだが、湿度が異様に高く、元々温暖な気候で暑さに慣れているはずの住人達も皆汗ばみ、油断すると肌に張り付くシャツをばたつかせて服と身体の間に風を通そうと必死である。
もちろん優れた能力を持ち、時にはヒーロー扱いもされることもあるが普段はただの大学生であるアスト・ムスタベも例外ではない。
(朝から暑いな……今日に限って補講入るとはついてない。つーか教授の都合で休講にしたんだから、もっと学生が来やすい時間帯を選んで欲しいよな)
手で顔を仰いで、なけなしの風を浴びながら、ごく普通の青年らしい愚痴を脳内でぶちまける……。文句は言っているが、過去の命を懸けたあれやこれやに比べれば大分幸せな時間であろう。
(まだ時間もあるし、一旦コンビニに避難するかな。で、ジュースかアイスコーヒーでも買っていくか)
アストは人気の少ないコンビニに入った。
(涼しい~!クーラー最高!)
中に入ると全身にまとわりつく熱気を清涼な風が一気に吹き飛ばし、あまりの気持ち良さから思わず声を出しそうになった。
(クーラーこそが人類最大の発明だよな。カウマの人間はみんなそう思っているはず。雪国生まれの人はこたつとかヒーターって答えるはず……知らんけど)
下らないことを考えながら冷蔵庫の前に。色とりどりのペットボトルが並び、どれを選ぼうかワクワクする……はずだったのだが、とあるものが目についた瞬間、アストのテンションはだだ下がりした。
(………高いな)
値段を見た瞬間、緩み切っていたアストの表情が一変。眉間にシワを寄せ、口を“へ”の字に曲げ、真剣な眼差しに。その鬼気迫る顔は強敵と相対した時と何ら遜色ない。
(そう言えばコンビニでジュースなんて買おうとするのいつぶりだ?普段は定価よりもかなり値引きしてるスーパーやドラッグストアでしか買わないからな。まさか……こんなに高いとは)
アストは金銭感覚については普通の学生よりもかなりシビアだった。自宅と大学周辺の安いと言われている店は全てインプットしてある。そんな彼にとって定価でジュースを買うということはとてもじゃないが耐えられることではなかったのだ。
(……やめた。大学に行けば無料で水が飲めるし、オレの場合、最悪空気中から水分吸収すればいいだけの話だしな)
人によっては喉から手が出るほど欲しい神の如き能力も彼にとってはジュース代を浮かせるためのものでしかない。持たざる他人から見て羨ましいと思うものでも、持っている本人からしたらこんなものなのである。
(もう大分涼んだし行くか。それとも漫画でも軽く立ち読みして――)
「てめえら動くな!!」
バァン!!
「!?」
「うあっ!?」
「――キャアッ!?」
突如として早朝のコンビニ内に響き渡る怒声、銃声、そして悲鳴……。この暑さの中、長袖長ズボン、さらには目出し帽まで着けた男の出現によって場の空気は一変した。
「あ、あなたは……!?」
「バカかてめえは!おれが強盗以外の何に見えるってんだ!!」
「ひいっ!?」
祈りを込めて振り絞ったレジの店員の言葉に返って来たのは、最悪の答えだった。見るからに強盗の男はやっぱり強盗だった。
(まぁ強盗だよな。最近は平和でアンラッキータイムがついに終わったと思ってたんだけどな。はぁ……)
自分のついてなさに辟易しながらも、アストは数多の修羅場に遭遇したことでこびりついてしまった癖で、冷静に周囲の状況を確認し始めた。
(店内にいるのは強盗を除いて五人か。裏やトイレにいる可能性もあるが、とりあえず……)
「早く金を出せ!!」
「は、はい!!」
「うっ……」
「くっ……!!」
「………」
(みんなその強盗さんに夢中か)
ちょうどレジから一番離れた冷蔵庫前にいたアストは、店員以外の視界には入っていなかった。
逆にアストの視界には銃を店員に突きつけて脅す強盗、涙目になり、震えながら従う店員、その様子をただ見ていることしかできないサラリーマン、老婆、そしてスタイルのいい女性の背中が全てを捉え、把握できた。
つまり……色々と好都合な状況だ。
(みんな強盗に夢中。これなら隙を見て、覚醒状態になるのは簡単だな。あれさえ潰せば……)
アストは眼球だけ動かし、コンビニの天井隅にある監視カメラを確認した。
(今、オレがいる場所なら録画されてない気もするけど念のために……頼むぞウォルガジェット)
「アウェイク……」
自分としもべにしか聞こえないほど小さな声で呟くと、服の中から小さな箱が二つ、一つは羽を生やした古代のコウモリのように、もう一つは短い前足と長い折り畳んだ後ろ足を持った古代のカエルのような姿に変形しながら、服の中からこぼれ落ちた。
「スパイウイング、スパイジャンパー、監視カメラを塞いでくれ」
主人の命令に「任せておけ」と頷くと、二体の小型メカは商品棚に隠れながら、速やかに目的地に急行。そしてあっという間にカメラのレンズの上に覆い被さった。
(ナイス。これなら……)
改めて店内にいる人間の視線が自分に一切向いていないことを確認すると、アストは再び小さく、しかし力強く呟いた。
「アウェイク、オレ……!!」
「早くしろよ!!その中にあるものを全部そのカバンの中にぶち込めばいいんだけの簡単なお仕事だろうが!!」
「は、はい!!」
「いや、そんなことをする必要はない」
「は、はい……え?」
「ん?」
ガシッ!!グイッ!!
「――ぐぎゃあっ!?」
一瞬のことだった。ほんの一瞬で突然現れた金色の瞳を持った青い龍が強盗の銃を握っている手ごと後ろから掴み、腕をひねり上げた。
「て、てめえは!!?」
「そうだオレは……」
「ブリュウスト!!」
「ブルーディー!!」
「ブルード!!」
「……などと呼ばれている者です」
客の口から出た名前は見事にバラバラだった。
もう自分の存在が知られるようになってから結構経つのに、いまだに呼び名が安定しないのはどうかと思い、青龍はジュースの値段を見た時のように怪訝な顔をした。
「お前が何でこんなところに……!?」
「それはこっちのセリフだ。コンビニなんていくらでもあるのに、何でよりによってここで、オレの前で強盗なんてやらかすかね。さすがに運が無さすぎだろ」
「くっ!?」
「あんた、こういうのに向いていないってことだ。わかったら、大人しく投降しろ」
「誰がてめえの言うことなんて!!」
強盗は愚かにも腕に、引き金にかけた指に力を込めた。それとほぼ同時に……。
ボギッ……ボギイッボギイッ!!
青き龍が人間を遥かに超えた握力で銃も、それを持っている強盗の手も不愉快な音を立てながら握り潰した。
「――ッ!?ぐぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?手が!?おれの手がぁぁぁぁぁぁッ!!?」
先ほどまで周りに怯えさせていた男が、人目も憚らずに泣き叫び、ぐしゃぐしゃになった腕を抑えながら項垂れ、膝から崩れ落ち……。
「はっ!」
ゴッ!!
「――ッ!?」
膝から崩れ落ちそうになったところに容赦ない追撃!アッパーカット炸裂!
もちろん全力で打っていないどころか、アスト的には優しく撫でたくらいのつもりだが、普通の人間の意識を奪うには十分な威力。目出し帽から覗く瞳は白目を剥き、口からはだらしなく涎を垂らしながらへたり込み、強盗は動かなくなった。
「これでよし」
「「「…………」」」
覚醒アストの電光石火の制圧は食らった強盗だけでなく、見ていたものさえ圧倒した。彼の背中を眺める客は言葉を失い、息を飲み、一番間近で観戦していた店員に至っては腰を抜かして強盗とお揃いの格好でへたり込んでいた。
「あの……」
「は、はい!?」
救いのヒーローに声をかけられ店員はレジ台によじ登るようにして起き上がった。
その身体を動かしているのは感謝というよりも恐怖の方が近い。ネットニュースの画像で見るより、実際目の前にいる青き龍は見た目はもちろん強さも、色んな意味で人間離れしていて怖いのだ。
アストもそのことについては重々承知しているのだが……。
(そんなに怖がらんでもいいのに……)
わかっていても傷つくものは傷ついた。
「な、なんでしょうか……!?」
「いや、警察に連絡した方がいいんじゃないって」
「あっ!?そうですよね!?今すぐに……」
「どうしました?」
「その前にこいつを縛ったりした方がいいのかなと思いまして。何かの拍子で起きたら大変でしょう」
「経験則から言わせてもらうと、しばらくは大丈夫だと思うけど……もしあれだったら脚も一本折っときますか?」
「す、すいません!?それは結構です!!すぐに警察が来ると思うんで!!」
(あっ。やっちゃった)
完全なる失言。よかれと思って言った言葉によってさらに恐怖を煽ってしまった。
店員は強盗に銃を向けられている以上にひきつった顔でチラチラとアストの顔色を伺いながら、スマホを手に取り、震える人差し指で画面をタッチする。
(やっぱ自分で思ってるより感覚が戦場の人になってるな。悪党の骨を一本や二本折ることに躊躇がなくなっている)
怯える店員を見ながら、青龍はバツが悪そうに後頭部を掻いた。
そんな彼の背後に忍び寄る影が……。
「ブルーディー!!」
「うおっ!?」
突然の声に飛び上がりながら振り返ると、そこには店内にいたスタイルの女性が立っていた。そしてその彼女がこちらを見上げている顔に、さっきまで後ろ姿しか知らなかった彼女の顔にアストは見覚えがあった。
「リリアン・ウォッシュボーン……さん?」
「は!アタシの名前を覚えていてくれたんですねブルーディー!!」
彼女はかつてとある事件現場、はからずも今回と同じコンビニで出会った謎のヒーロー、ブルーディーを追っかけている女記者リリアン・ウォッシュボーンであった。
瞬間、青龍の青い顔から血の気が引いて、さらに青くなった。
(ヤベェーーッ!!まさか記者がいる側で、オレ、覚醒したのか!?ヤベェーーッ!!)
さっきまで強盗を射殺さんばかりの鋭い眼光を誇った金色の瞳は右に左に泳ぎ回り、クーラーがガンガン効いているのに、全身から汗が噴き出した。ブルーディーはあくまで謎のヒーローであり、アストは正体を晒す気など更々ないのだ。だというのに……。
「ブルーディー?」
(うっ!?落ち着け……まだ覚醒形態に変わる瞬間が見られたわけじゃないんだ。ここは冷静に、そして自然に聞き出して見るべき……自然に……)
「あの……?」
「……見ました?」
全然自然じゃなかった。戦闘に関しては大学生とは思えない胆力を発揮するアストだったが、こういうことはてんでダメダメだった。
「見ましたかと言われたら……もちろん見ましたよ!!」
(チキショー!!万事休すかオレ!!)
「相変わらずのご活躍でしたね!早朝の強盗を一捻り!まさに朝飯前って奴ですね!!」
「見てましたか……って、え?」
「ん?」
肩を落としながら、きょとんとした目でこちらを見つめるヒーローの姿にリリアンは不思議そうに小首を傾げた。
「見たって……」
「だから強盗を退治するところですよね?録画こそできませんでしたが、この目と頭でしっかり記憶しましたよ」
リリアンは自慢気に人差し指でこめかみをノックすると、それに呼応するように青龍の背筋が伸びていった。
「そっちか……」
「そっち?それ以外に何かあるんですか?」
「その反応だと本当に何も……」
「はい?」
「いや、気にしないでくれ。マジで気にしないでくれ」
そう言うと覚醒アストは歩き出し、自動ドアからコンビニを出た。一連の騒ぎは外にも聞こえていなかったみたいで、青き龍が曇天の下に姿を現すと予想外だと皆一様に驚いた顔を見せた。
そんな通行人などお構い無しにアストは空を見上げながら、精神を集中させる。
「この感じ……ちょっと!まさかまたですか!?」
「またですよ。アウェイクスピード」
その言葉を合図に覚醒アストは周囲から水分を吸収、肩と足に集中、そして肥大化、背中から突起のようなものが突き出し、さらにそれらの場所には噴射口のようなものが出現させた。
アストの数ある形態の一つ、機動力と飛行能力を重視したスピーディーなオレである。
「それは前に録画できたんで、せっかくなら別の形に変形して欲しいんですけど……」
「別にあなたに見せるために、変わったんじゃない」
「じゃあ何のために……?」
「わかっているでしょうに」
ブシュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!
「――うあっ!!?」
スピードアストが水蒸気を地面に吹き付けると、リリアンの前髪が上がり、風圧で目を細め、思わず後退りした。まるで前回の再放送のように。
「ちょっ!ちょっと!!デジャブにも程がありますよ!!」
「ならあの時と同じ言葉でお別れしようか………オレはあなたと話したいことなどない」
「待っ――」
ブシャアァァァァァァァッ!!
「――とあっ!!?」
青龍が上昇すると、記者は逆に水蒸気に煽られ、尻餅を突く。完全に前回と同じ結末だ。
「ブルーディーカムバック!!インタビュープリーズ!!」
(やだよ)
スピードアストはそのまま必死に叫び続けるリリアンを一瞥することもなく、飛び去っていく。向かう先はもちろん大学だ。
(講義の前にどっと疲れたな。いっそのこと今日はサボってしまいたい気持ちになるが……単位に落としたくないしね。あっ、ウォルガジェット回収するの忘れた。まっ、あいつらなら勝手に戻ってくるだろ。あの女記者さんを見た時は心臓が止まると思ったが、今回も正体がバレずに……なるようになったな)
安堵し、空中通学を楽しむアスト。
しかし、彼は気づいていなかった。自分が覚醒態になるところをウォルガジェットのような小型メカに撮影されていたことに……。




