数学のやつ、五教科辞めるってよ
「えー、あなたがた五教科には、犠牲となる教科一教科を選んで頂きます」
目の前の受験生は厳かな空気を孕んだ声で、無情にもそう言い放った。突然のことで脳の処理が追いつかず、俺たちが黙っているのをどう捉えたかは分からないが、俺たちの動揺を知ってか知らずか、はたまたどうでもいいのか、とにかく彼は言葉の続きを紡いだ。心底イラついた様子で。
「あなたがたが自覚しているかどうかは分かりませんが、受験生にとってあなたがた少しばかり、いや、かなり妥協して少しばかりとかいうあたかも程度が低いような言葉を使いましたが、控えめに言ったとしても多すぎやしませんかね。
そこで私たち受験生はあなたがた五教科の皆さんの中から一人消えていただいて、心に余裕を持ちながら共通テストに臨みたいというのがささやかな願いなのです
というわけであなたがた五教科の中の一人、犠牲となる教科を自分たちで決めてください」
なるほど、薄々気がついてはいたが受験生の不満がついに爆発してしまったというわけか。恐らく彼ら彼女らにとって受験勉強には強固な忍耐が必要であり、ただでさえ一教科でも量が多いのに、得手不得手込み込みで相当数な教科勉強をこなさねばならない。既にこの数の勉強を求めている現状には限界がきていたのだろう。
告げられた言葉は無慈悲で残酷なものではあるけれど、言い分ももっともで、それをこちらも理解しているからこそ、言い返すよりも先に変に納得してしまった。
「そ、そんな、俺たち五教科でここまでやってきたのに、どれかひとつかけてもダメなんだ、考え直してくれ。可能性のある高校生の君らにはより広範囲の知識に触れた上で、自分たちの身の置き方を考える必要があるんだ。それに、将来役立たなかったとしても、膨大な量の勉強を頑張ったという事実が大切であって......」
「しかしいくらなんでも多すぎるでしょう。なんなんですか?しかもあれですよね。新たに情報も加えようとしてるんですよね?そんなの許されるとでも思ってるんですか?そんなのよりもっとこう、そうだ、漫画基礎、漫画基礎を入れましょうか。
そもそも五教科て、五て、キリのいい四にしなさいよ。四区分のやつの方が良いでしょ、方角だって体育祭の組み分けだって四天王だって、全部四なんですから。なんなら三も多いですね。三大名所とかいいますしね。じゃあ三にしましょうかあ?
...まあ、これは冗談です。それよりさっさと一教科決めてください」
理科の必死の訴えにも受験生は耳を傾ける様子はない。かなりご立腹とみえる。理科もそれを感じ取ったようで一度は引いたが、やはり納得いかないのか他の教科にも、意見を、というより同意を、促している。
動いていないと気が済まないのか、定住しない遊牧民のようにウロウロと位置を秒刻みで移動している社会は、理科に目を向けられても困惑するだけで何も言わない。
しかしここで、先程まで沈黙を決め込んでいた英語が口を出した。
「みっともない抵抗はよそう。いずれ訪れるとわかっていたことじゃないか。僕たちは覚悟を決めなきゃいけないんだ」
「...英語の言う通りだ、みんな腹を括るんだ」
それに同意する形で国語も口を出した。そうだ、いい加減この状況を受け入れよう。だけれど──
「じゃあ一体どの教科を選ぶって言うんですか」
──だけれど、いざ、選ぼうすると、誰しも意見をいうのは憚られる。社会の発言に口を噤むのは当然だろう。誰だって少しでも反感を買うような真似はしたくないだろうし、第一自分が選ばれるとは露ほども思っていないだろうから。長年最前線を務めてきたお方達だ。永きにわたって顔ぶれは変わることなく、その五教科の座を保持し続けてきた互い達の一教科が欠けている姿は想像が難しい。
結局のところ、互いに自分がいくと、自らの消失を許容できる、素晴らしい自己犠牲の精神の持ち主の現れを待つのみ。
各々、仲の良い相手仲の悪い相手いるだろうが、強い糾弾は己の首を締めることにしか繋がらない。
故にその場は重たい沈黙が支配していた。
このままズルズルと結論が出ずにいたずらに時は流れていくかと思われたその時、
「俺、五教科辞めるよ」
唐突に数学がそういった。慌てて国語が止める。
「おいおい、待てよ。冗談だろ?お前が辞める必要なんてないじゃないか。お前が辞めちまったら俺たち文系理系の代表格がなくなっちまうんだぜ」
「いいんだ、思えば俺は長いこと頑張ったよ。そろそろ前線を退いてもいいと思うんだ。」
諦めでもなく哀愁でもなく、数学は上手く読み取れない表情を浮かべていた。...奥深くに達成感が含まれているのかもしれないと、俺は感じた。ほとほと見当違いかもしれないが。数学が続ける。
「いいんだ、俺、そもそも今年中に円周率が割りきれなかったら自分から辞めようって、もう決めてたんだよ。こんなデスゲームの有り無しに関わらず」
「何弱気なこと言ってんだよ、諦めんじゃねえ。お前は多くの人にとって必要に、かつ大切に思われてるんだ」
国語が必死に励ます。長年コンビを組んできた数学のことは、やはりほかの教科よりも大切に想っているのだろう。
そのお涙ちょちょ切れの感動のシーンに水を差す者がいた、英語である。
「まあ、同時に大勢の人からも嫌われていますがね」
「あ?今お前なんって言ったんだ?」
流石に聞き逃せないと、国語が英語に詰め寄り威圧する。それを受け、悪びれもせずに英語は言い返す。
「いいえ、何も言ってませんよ?ですけどね、計算高い数学のことです。多分国語が止めてくれるのを予想してて、最初に止めてもらうことで、自然に選択肢から外されるよう仕向けた可能性もあると思いますけど」
「なんだコイツ、気に食わねえ野郎だ。新参者のクセして誰に口聞いてんだよ。数学、こいつの言うことには耳を貸さなくていいからな」
「おや、もしかしてお二人。自分は最も代表的な二教科だから、自分は安全圏にいるなんて思っているんじゃありませんよね」
一瞬国語が表情を固めた。しかしすぐさま勢いを取り戻し、負けじとこちらも大声で言い返した。
「てめえ、そもそも小学までは四教科と言えば国語、数学、社会、理科だったんだよ!最近重要視されてるからって調子乗ってんじゃねえよ。決めたぜ、俺はお前が消えればいいと思うぜ」
「古臭い考えしてんじゃねえよ。今は重要な教科二つ挙げろっていわれたら、英語と数学って答える時代なんだよ。ってか国語って、自分のこと勘違いしてんじゃないの?なんなんだよ古典とかいう謎の科目。今を生きる受験生はわざわざ過去のつまらない日記だとか物語とか読まされて授業中は暇な事この上なく、睡眠に費やす科目ランキング堂々の一位なんだよ。」
「てめえ言いやがったな」
危険と察知した俺は一触即発の雰囲気の、国語と英語の間に割って入った。
「ちょっと、やめてくださいよ。あっ、今のやめては、止めてのほうであって辞めてではないですよ。あ、いやそんなことより、数学。君ももう一度考え直してください。君が行くくらいなら俺が行きますよ」
「...誰だお前」
「俺は道徳です」
国語からの質問に俺はそう答えた。すると受験生が待ったをかけてきた。
「道徳は高校では無いので消えても我々の負担軽減には繋がらないので、道徳は選択肢にはなからないですよ」
おや、そうだったのか。俺はてっきり道徳は五教科と肩を並べるほどの教科だからこのデスゲームにも巻き込まれたとばかり思っていた。なんだ、だとしたら、
「ヒャッハー!俺は消えることがないらしいぜ。そうと決まればお前らが醜く貶しあい、罵りあい、争い会うのを高みの見物と洒落こもうかねぇ!」
「......」
俺は安全圏ということで、この事の顛末を見守るとしよう。俺の煽りが偶然功を奏したのか、はたまた単に引いただけなのかは知らないが、五教科たちは冷静になったみたいだ。
「とにかく僕は重要なのはこの僕──英語だと自負しています。それを皆さんも理解しているから、さっきから場を乱している僕を消そうという流れにならないんでしょう?そして、」
口に手を当て、考える仕草とともに一拍あけて、ニヤリと笑みを浮かべたかと思えば、
「僕は僕と比肩するのは数学、あなただと思います。僕と手を組みませんか?確かに国語とは小学の頃からずっと共に過ごしてきたかもしれません。けれど限界を感じていたんじゃないですか?国の発展のためを思うならば、より高みを目指すならば、この僕と、君が生き残るべきなんです」
そう声高々に語った英語は、数学に目線をやり、返答を待つ。当の数学はしばし沈黙した後──
「お前の提案にはのらねぇ」
「...どうしてです?」
「結局お前と手を組むってなことをしていくと、誰を消すかを最終的に消去法で決めることになりかねない。デスゲームはそうじゃない、もっと単純明快なものだ──誰が最も不要な存在か──それだけなんだ。
あと、言っておくが俺は気が変わった。もう円周率なんかだいたい3でいいや。俺は生き残らせてもらうことにする」
「そうですか、残念です」
案外英語はあっさり身を引いたな。別に差し出した手を取られなくても良かったのかもしれない。運良く引き入れられればそれはそれでいいと、そんな感じだろうか。
「不要な存在かぁ、となると、必然的にあなたがた──理科と社会になってくるんじゃないでしょうかね」
英語はもう、自分は釣られないという絶対の自信があるのだろう。尚、傲岸不遜な態度を貫きつつ標的を理科と社会に移した。
「ひぇ、私ですか、私は...その歴史好きな人は沢山いるし、人間の過去を知るのは必要な事だと──」
「覚える単語数が多いんだよ!なんであんな覚えづらい単語ばっかなんだよ!横の繋がり縦のつながりとか知ったこっちゃないんだよ!」
受験生の呼号がその空間をつんざく勢いで響いた。五教科全員がそちらの方向に注目すると、咳払い一つついて、打って変わって何事も無かったかのように帰って行った。なんだったのだろうか。
「...そ、そう。私よりも理科の方がいらないわよ。科目も多いし」
「は?基礎もカウントするんじゃねえよ。理科はなぁ、知的好奇心が切り裂く道なんだよ。理科が無くなれば人類はお終いなんだ。追い求めることを止めた人類は、それはもう人類じゃあない。これからも、そしてこの先の未来を創るのは理科なんだよ」
「す、すみません!で、でも私が消えるのは嫌です...。と、というか私たち二人から選ぶみたいになってますけど、純粋に受験生の負担を減らそうとするなら、む、むしろ数学とか英語とかが消えるべきなんじゃないですか?」
大人しそうにしてて意外とズバズバいくやつだな。ここからどうするのだろうか。このままじゃ埒があかないぞ。どれも大切な教科だというのは厳然たる事実なのだし。
「...やっぱり拳で決めるしかないんじゃないか」
国語がそう提案した。
「そうだな」と数学。
「仕方がないですね」と英語。
「まあ、いいだろう」と理科。
「は、はい分かりました」と社会。
ここにどれも最強格の五教科同士の、存亡を賭けた争いが勃発したのだった。
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目線の収束点では見えない火花が弾け飛び、場の重力が何倍にも重みを帯びる錯覚に陥る。各々の威圧が場の支配権を巡って膨張し、互いはその場に立ち尽くしているのにも関わらず、既に戦いは始まっていた。もはや話し合いの余地は無い。純然たる実力のみで四教科の座は決する。
大気が震える。
その場にいる俺はとても気が耐えられず、叫んで逃げ出したい衝動に駆られたが、何とか耐えることに成功する。
均衡を破ったのは英語だった。良くも悪くも場を動かすのは英語。均衡を破ったと言っても重心をずらしただけであり、それを理解出来たのは五教科でない俺が類まれなる慧眼の持ち主だったわけであるはずもなく、ならばなぜそんな些細な変化に勘づいたかというと、地が彼の右足を中心として蜘蛛の目状に割れたからであった。俺は英語を見ていたので気が付かなかったが、ほぼ同時に社会が動き出していたらしい。粗末な想像でしかないが、英語の、己に向けられた殺気を気取ったのではないだろうか。
英語は地を蹴り、空気を裂いた。移動中に英語の姿が禍々しいものに変貌を遂げる。聞いたことがある。英語には五つの形態があると。記憶が正しければあれは《第二文型》。つまり彼はあと三回変身を残しているのだ。
向かってくる英語に衝突は避けられない速度で、これまた引けを取らず、もの凄い速度で駆ける社会は、「ワカタケル」の字が刻まれた剣を振りかぶって「ビルトインスタビライザー!」と叫んだ。
更に加速し、光に届きうる速度に達したためか俺の目では姿を捕えることが出来なくなる。
直後に激しい破裂音。衝撃の中心地から球状に広がる波動がこちらにまで届いた。
見ると、深深とその剣が英語に刺さっている。明らかに致命傷だ。しかし英語はニヤリと笑みを浮かべている。逆に攻撃が決まったはずの社会は苦渋を飲まされたような顔だ。
それもそのはず、社会が突き刺していたのは英語ではなく、英語が懐に忍ばせていた○録会の単語帳だったのだから。
社会が怯んだ一瞬の隙を、もっとも隙と呼べるほどの隙など俺には感じなかったが、彼らにとっては致命傷だったようで、英語は剣が突き刺っていて身動きが取れない社会に向かって、意味不明なネイティブすぎるリスニングを開始した。惨すぎる。
この距離でも脳が拒絶反応を起こし、何も考えられなくなるのに、間近で聞かされた社会が正気を保てはしないだろう。
《第三文型》へと姿を変えた英語が攻撃をしようとすると──
──何故か摩擦のかからない『滑らかな床』を加速しながら近づく理科が横槍を入れた。
「バックミンスターフラーレン」と、叫びながら硫酸を英語と社会にぶっかける凶悪的な暴挙をかます。
それを英語と社会はかろうじて躱す。
白熱する戦いの傍ら国語はというと、「子曰く、学びて......」と、詠唱を始めていた。数学は──あれ、数学の姿がない。
見渡してみても数学の気配はない。
もしかして数学は──
理科の投擲攻撃を交わした英語の先に、突如として数学が姿をぬっと現した。いつの間に背後をとられたのかと英語の顔には困惑の色が強く過る。
客観的に見ていた故に、その仕組みに俺は気づけた。数学は自分を微分して視界に入らぬように近づいた後、今一度自分を積分して背後に回りこみ──それを、英語から見ると突如として現れたように映るだろう。
「パーフェクトナンバー」
そう唇が動いた。
すると英語の右から先に家を出て池を右回りに走ってきた弟が、左から弟より早い速度で左回りに走ってきた兄が英語に迫り、勢いそのままに、英語に衝突した。英語は堪らず吐血する。
一方、国語は詠唱を終えたことで理科へと攻撃を繰り出した。ひとへに風の前の塵に同じ、と呟いて理科を品詞分解──瀕死分解する。
だがしかし間一髪で理科も『熱力学第零法則』を繰り出して勢いの相殺に成功。決定打にはならない。
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戦いはここからさらに加速していった。とんでもない威力の攻撃が何度も行き交い、五教科全てが目も当てられないほどボロボロになり、ついでにこの機会に乗じて台頭しようと試みた保健体育が完膚なきまでに返り討ちにあった。
満身創痍。
この言葉が全教科に当てはまる。
各々が最後の力を振り絞って、最大威力の攻撃を繰り出そうとしている。この戦いの先に何が待ち受けているのか。この戦いにどんな意味があるのか、誰もが見失いかけている気がしていた。
そんな中俺は戦いを鑑賞するさなか、ある確証を得ていた。
俺は覚悟を決めて戦場の中央へと割って入った。
「もうやめましょうよお゛おおおお゛おお」
「受験生の時間がも゛っだいない゛」
各自がとっていた構えを崩し、俺に注目を集める。俺は腹から声を出して、喉がはち切れそうになるまで叫んだ。
「どの教科も大事ですよ!なんでここからひとつ消すことを皆さん受け入れているんですか!?もっとほかの可能性があるでしょう
受験生が正しくない可能性ですよ!
思えばなぜ俺たちは彼の主張が受験生の総意だと思い込んでいたんですか。
彼はきっと、一部の受験生の欲──何かと言い訳をして受験勉強に身が入らない受験生の、楽をしたいという欲が集まってできた化身。だからこの空間も彼が作り出しているんです!」
黙りこくって聞いている五教科に俺は必死に訴えた。察しのいい五教科はこの空間からの脱出方法に気がついているようだった。
「そうか...」
「なるほど、受験生の精神を正しい方向に向けれれば...」
「理解した。あの言葉をぶつけてやればいいんだな」
「ああ、正論をかましてやろう」
「いくか。せーの、」
『こんなことしてないで、早く勉強しろ』
「ぐああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
現実逃避にはしっていた、理由をつけて勉強から逃げる受験生は、この正論に耐えきれず、この精神世界は端の方から灰となって崩れ落ちていった。
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受験生達は、ベットから抜け出して、きたる共通テストに備えるために机に向かった。
bad-end 五教科存命
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