1
樹上からスコープの照準を標的に合わせたカリンは、じっとその時を待つ。
鳴り止まない剣戟と爆発の音。いつ、横から魔術で射貫かれるか。
その恐怖を押さえ付けて全神経を目の前に集中させる。
砂ぼこりが収まりつつある遠い戦場で、標的まで一直線の道が生じる。
その瞬間を見逃さず、無言でカリンは引き金を引いた。
遅れて聞こえる破裂音。弾に込めた魔術が発動して対象は瞬く間に炎に包まれた。
その様子を確認した彼女は即座に撤収に取りかかる。
位置を知られた以上、ここは危険だ。
銃から円筒型のデバイスに持ち替え呪文を唱える。空気が揺らぎ、地面に真っ黒なポータルが出現する。
銃を背負い木から飛び降りる。そのまま、ポータルにカリンは吸い込まれた。
死地からの帰還で高揚が沸き起こり、同時にとにかく誰かに抱きしめられたくなる。しかし残念ながら、カリンは独り身だ。寂しさを紛らわせるため、首にかけていたミスリルのドッグタグに口付けた。
基地の待機スペースで濃紺の軍服姿のまま銃の点検をしていると、足音が近づいてくる。
無表情にカリンは顔を上げた。
銀髪の美しい女性がカリンと色違いの真っ白な軍服を身に纏い笑みを浮かべている。
「おっつかれーカリン!」
親しげに話しかけてくるフォセティを、カリンは冷めた目で迎え入れた。
「手入れの邪魔しないで」
銃は繊細だ。取り扱いを間違えて壊れでもしたら面目が立たない。
そんなことをお構いなしに、フォセティは首をかしげた。
「じゃあ、見てるだけでもいい?」
「存在自体が邪魔」
「ええー、つれない」
そうは言いつつもフォセティは素直に部屋から出ていく。
休めていた手をまた動かしながら、内心でため息をついた。
カリンにとって彼女は騒音だ。
また静かになった部屋で黙々と作業を続ける。少しずつ高ぶりが収まり、ようやく気持ちが落ち着く。
道具を片付けほっとした瞬間、燃え盛る敵の姿を思い出しカリンは慌ててその光景を振り払う。思い出してもいいことはない。
気分転換にシャワーでも浴びよう。
柔らかい布に銃を包み箱へ横たえる。ドッグタグをその傍に置き、カリンは穏やかな目付きになる。
戦場での埃と血を洗い流して長袖のワンピースを纏う。
憂鬱な表情で彼女はこの戦争が早く終わればいいのに、と窓の外を見上げた。
***
この戦争は些細なことから始まった。
ヴェダ、ディエフ、アダイルの三国間での貿易協定が破られたことを皮切りに不和が広がった。
カリンの一家はヴェダの貿易商だったため煽りを直に受けた。徐々に情勢が悪くなっていき、幼いカリンが親戚に預けられていたその時。
ディエフが残りの二か国に突如戦争を仕掛けた。
今でも彼女は思い出す。必死に従兄弟に手を引かれて逃げたあの道を。大勢の人達が恐怖で駆け出すあの道を。
そしてそれを嘲笑うかのように降ってくる爆撃を。
幼いカリンはパニックになった群衆に突き飛ばされ、従兄弟の手を離した。
しかし多少の傷はあれども彼女は致命傷を負わずに済んだ。命の危機に魔力に目覚め、転がっていた誰かのデバイスで爆撃を防げた。
そんなカリンを待っていたのは苦悩の日々だった。
従兄弟は行方不明のまま見付かることはなかった。爆撃の被弾を免れたカリンに、伯母は平手打ちをして彼女を外道となじった。自分だけを助けた悪魔だと。
誰かが悪いわけではなかった、と今ならばカリンは分かっている。
しかし、当時のカリンは全てが己の罪なのだと思い込んだ。
従兄弟の手の平の感触がいつまでも拭えない。伯母に叩かれた頬の痛みがずっと残っている。カリンの心にはあの日から消えないしこりが居座った。
こびりついた罪の意識から逃れるように彼女はヴェダ・アダイルの混成軍に志願した。
カリンが魔力を獲得したことも都合が良かった。限られた人間にしか使えない力。悪魔の力ともいわれる力を、正しい方向に使うことが出来れば……幼いカリンのような悲しい子も、失われる無辜の命も、生まれずに済むかもしれない。
ディエフその物は既に滅んだ。しかし、その残党が未だに破壊工作を続けている。
基地内の廊下を進むカリンはトレーニングルームに足を運んだ。デバイスの電源を入れると白い壁紙が森の中に変わる。作り出されたオートマタが現れ、ディエフ残党に模した姿となる。その敵を短剣で切り裂いていく。
狙撃手であるカリンであっても基礎トレーニングは必要だ。白兵戦に持ち込まれてしまった場合の手を持っておかなければむざむざと殺されるだけ。
そして、魔力の安定供給の為にも体力がある方が望ましい。
最後の一体の胸を突きさしたところで景色は元に戻った。
肩で息をするカリンが額の汗を手で拭ったところで、別の人間がトレーニングルームに入ってくる。
「あ、カリン! さっきまで訓練していたの?」
例にもれずやかましいフォセティだった。
白が基調の彼女の服は敵に見つかればそれこそいい的になる。しかし、フォセティはむしろ目立つことが好みとばかりに気にしない。
スティレットを抜いたフォセティがまた室内のデバイスを起動する。
「ちょっと、私は終わったばかりなのに」
「大丈夫大丈夫、すすいのすい、って終わらせるから」
そうはいっても、オートマタはカリンにも攻撃を仕掛けてくる。この室内全員が彼らの標的だ。
ため息をつきながらカリンも短剣を構えた。近づいてくるオートマタを処理しながらフォセティの戦いぶりも観察する。
刺突に特化したスティレットはカリンの銃とは方向性こそ違えどやはり主力にするには威力が落ちる。相手も魔術を扱うことが出来るならば、魔術によって防御されてしまう恐れがある。
その欠点を分かっているフォセティは魔術で素早く立ち回り、目を狙う。
軽やかに、舞うように。ステージにでも立っているかのように笑顔のまま。
こういうところがいまいち彼女と打ち解けられないと思わせる部分だ。彼女にとってどうやら戦いは忌避すべきことではないらしい。
しかし、自分も人の事は言えない。大なり小なり、戦場では誰でも残酷になれる。
そう結論付けたカリンはまた一体を容赦なく壊した。その結論は彼女の浅ましさを見せつけられているようで、自分に腹が立ってきた。
「ふう。いい汗かいた」
「……フォセティ」
「え? なんで怒ってるの」
首をかしげる彼女を置いて足早にカリンは出ていく。突き放しても行き先は彼女と同じだろう。
シャワーを浴びながらため息を吐き出す。苛立ちを排水口へ一緒に流しつつその渦を見つめる。それでもなかなか怒りが収まらない。
自室に戻ったカリンは訳も分からない苛立ちを抑える為に銃の手入れをまた始めようと道具を取り出す。その時に、酷い雑音混じりの音が聞こえた気がして周囲を見渡した。
誰もいるはずはない。カリンは一人部屋だから。通信系統の故障か、と彼女はインカムを外す。しかし、別にどこにも問題は見当たらなかった。
今日の自分の機嫌がたまたま悪かっただけか。カリンは軽く銃を点検して早々にベッドに入った。