十月 二
キーン、コーン、カーン、コーン。
「―それでは、来月までに課題を終わらせておくように。次は移動教室なので号令は結構。」
5限目が終わり、次の体育のために男子生徒が体育館へ移動している。校舎が古いからなのか、それとも田舎だからなのか校舎に「更衣室」は無く、男子が体育館で着替え、女子は教室で着替えている。
「服部くん、一緒に体育館行こっか。」
鞄から体操服を出していると、高橋に声をかけられた。
「そうだね、あの先生授業遅れると怖いからなぁ。」
「この前スカート折ってた子を廊下で怒鳴ってたね。」
「ほんと、今の時代によく出来るよ、怖いもんないのかな、あの先生。」
他愛もない話をしていると、
「よっ、服部、と…高橋くん?こいつと仲良かったっけ。」
と、歩きながら話している2人の間に、森本が割って入ってきた。
「席替えしてから話すようになったんだよ、それまでは全然話してなかったんだけどね。」
高橋が答えた。
「そっか、でもこいつ言葉遣い荒いからなぁ、高橋くんと馬が合うといいけど。」
森本が冗談交じりに言う。
「おい、そんな事ねーよ。お前みたいなのが特別なだけだ。」
「ふふっ。2人とも、仲がいいんだね。」
2人の会話を聞いていた高橋が、微笑みながら言った。
服部は、どこか恥ずかしさを感じ、顔を少し赤くする。
「それよりさ、今日の体育って何するんだっけ。」
恥ずかしさを紛らわすために、服部が話題を変えた。
「前は何してたかもう忘れたな。高橋くん覚えてる?」
「前はバスケだったけど、今日は違うのするんじゃなかったかな。」
「そういやそうだったな、高橋くんよく覚えてんなぁ。」
「実はさっき、誰かが話してたのを聞いただけなんだよね。」
高橋が恥ずかしそうに笑う。それを見た服部も、また少し顔を赤くした。そんな2人とは違って、森本は笑っていた。
3人が体育館に入ると、先に居た生徒たちが、一ヶ所に固まって着替え始めていた。
服部は決まって、そんな集団から離れて着替えている。理由は高橋だ。
服部は怖いのだ、どうしようもなく。高橋が着替えるのを見てしまう事が。
例えば、自分が学生だとして。異性、特に自分が想いを寄せている人が、1枚、また1枚と服を脱いでいる。そんな所を、誰にも咎められず、責められず、そのすぐ隣で見ることができるならば。そのとき自分は喜んで見るだろうか。おそらくそんな事は無いはずだ。
確かに、一度なら喜んで見ようとするのかもしれない。想いを寄せている人が服を脱いでいる、それを見たくないはずがない。しかし、多感な年頃の学生が、現実離れした、まるで恋愛小説のような事を、何度も、何度も繰り返せるのだろうか。
その人の、その肌を見る度に「あぁ、私はこれを見てしまって、本当によいのだろうか。」と心を刺す。その匂いを感じる度に「あぁ、私のこの感覚は、許されるものなのだろうか。」と心を惑わせる。
その身体が、目に、心に、強く焼き付けば、焼き付いてしまえば。淡く清廉で、やわらかなその恋情は。背徳的に、蠱惑的に、己の心を蝕む呪いへ姿を変えてしまう。
服部は、体育の時間が憂鬱でしかなかった。ジャージ姿の高橋を見る度に、自分が咎められているような感覚になってしまう。
例えるなら、小学生の頃、優しく穏やかな声の先生が「ボクの言いたいことは分かるんだよ、でもね。」と、静かに自分をなだめるような、そんな感覚になるのだった。
「いやー、ドッジボールなんか久々にやったよ。な、服部。」
「ん、あぁ、懐かしいな。」
森本の声に、ぼーっとしていた服部は少しはっとし、体育の後の熱くなった心身を冷ましながら、のんびりと歩いていた。
「冷たっ、雨降ってきてんじゃん。」
そんな2人を急かすかのように、パラパラと小雨が降り始めた。