2―46 逃げて触手に入る初夏の虫
そして、先頭にいた組織のリーダーらしき男が口火を切った。
「やあ、あなたが噂の聖女閣下なのかい」
「そうよ、何か文句あるの?」
私は両手を腰において、ちょっと厳しい言葉使いにて、俺様スタイルで彼らを出迎えた。
「あるさ。
俺はここの住人の自治組織のリーダーでハジム・メルヒャンという。
あんた、こんな真似をして、どうするつもりだ。
確かにここは悪い場所だった。
だけど、その中でも頑張って暮らしていた人間もいるんだ。
そりゃあ、ここもいつかはこうなったのかもしれない。
でも、あんたは一体ここをどうしたいんだ」
「普通の街にするわ」
即答してやった。
「普通?」
「ここを聖女直轄地として、仕事場を作って、学校や病院を建てて、家を建てて。
そして本当にちゃんと普通の街区になったら、私はこの街を王国に返します。
本来はここもそうだったのですから。
支援は王国にお願いしますよ。
彼らにはそれを断れません。
これも本来なら彼らがやるべき仕事だったのですから」
きっぱりと言ってやった。
それくらいの事はここへ来る前から、頭の片隅には入れておいたのだ。
また聖女権限や、王国からまだ取り立てていない褒章なんかもある。
そのための資金は聖水販売などで、あるいはまた何か別の事を考えてもいいし。
「し、しかし、そんな物はいつになったら実現するんだよ」
「馬鹿ですか。
そんな物は一年でやるのに決まっているでしょうが」
「はあ!? あんた一体何を言って……」
「いいですか。
私の国ではね、国一番の企業で、社長が『この仕事は半年でやり切るから』とか宣言を出すんですよ。
するとね、あんたみたいな抜け作の社員が言うんです。
『無理無理無理』とか。
仕入れ先の腑抜け共も同じ事を言うのです。
でもね、半年経つとちゃんとその仕事が出来ていますから!」
「わ、わからねえ。
あんたが一体何を言っているのか、さっぱりわからねえ」
「本当にわかりませんか?」
「あ、ああ」
「では僭越ながら、この聖女サヤが教えてさしあげましょう。
『お前が』一年で、その仕事をやり切らなくちゃならないんだよ。
それは、もうこの王国上層部における決定事項なのだから」
しばし、そいつは惚けた。
「は、はああ~~~~⁉」
だが、そいつの目の前に神聖聖女徽章をぶらさげてやった。
「これって凄い権力が秘められているんだから。
この私がその持ち主であり、その力の行使者なの。
もちろん、やった事への責任は取らなくっちゃいけないわよ。
でもね、それは別に私が一人でやらなくてもいいの。
わかる?」
彼は無言だった。
「王様にお願いしてもいいし、あの気安い感じの王太子殿下に言ってもいいし、公爵家に行った元王子様の副騎士団長に言ったっていいんだし。
そこに英雄騎士団長もいるし、冒険者ギルドのトップも知り合いにいるし。
それだけの人達が味方になってくれたら、あとは他の人達を結構落としたりもできるの。
お金の匂いでも軽くさせておいたら貴族や商人なんかも勝手に寄ってくるわよ。
ただし、そのせいでこの街を腐らせるつもりなんかは、さらさらないけど」
彼は無言だったが、やがて額から首筋から、何かこうダラダラと嫌な汗をかき始めた。
「チャーック!」
彼が踵を返してダッシュで逃げ出すのと、チャックが私の命令を聞く前に動いたのと、どちらが早かっただろうか。
もっとも、うちの元軍属騎士から逃げるなんて絶対に無理だけど。
「さっきの会社で、もう一つ面白いエピソードがあってね。
その企業の地元で、大規模な凄まじい土木工事を必要とする公共事業があったの。
なんていうか、地元の悲願という奴でね。
あなたが聞いたってわからないでしょうけど、巨大な臨海国際空港の建設事業よ。
でもその会社が常時求める最高品質とコスト半減みたいな有り得ないはずの理想を公共事業なんかに求めちゃったから、かなり難易度が高くてさあ」
そこで私は一度言葉を切り、楽しそうにその虜囚の前へ行き軽く舌で上唇を舐めた。
「その企業の最高のトップが、国家企業会みたいなところの会長になっていてね。
もう最高レベルで会社の威信をかけてやるしかないなんて事態になっていてさ。
そこのグループ企業の社長の一人に白羽の矢が立ったのよ。
それで、その人がどうしたと思う?」
私は実に楽しそうに悪魔聖女としての笑みを浮かべて、その闘争に失敗した挙句にビビりまくりでガタガタ震えている奴に向かって言った。
「逃げたのよ、さっきのあんたみたいに鮮やかに。
ありえないわよ。
国一番の企業グループ内にて、でかい会社を一つ任されている社長なのに。
グループ最高トップの追尾から逃げられるわけないのにさ。
でも彼は逃げた。
そう、実に一ヶ月も逃げ回ったそうよ。
見上げた根性としか言いようがないわ。
そして、もちろん捕まったわ。
結局、その仕事をさせられたわね」
男は諦めたように、初めて私に訊き返してきた。
「それで結果はどうなったんだ?」
「困難な、それはもう非常に困難な仕事だったそうだけど、彼は見事にやり切ったそうよ。
予定通りのコスト半分くらいで、しかも予定よりも立派な奴を完成させたわ」
「そうか、それは凄い人だったんだな。
だが、俺は違う」
「そうかもね。
でも、あんたにもやってもらうわ!」
「何故、俺に拘る!」
「だって、あんた聖女たる私に歯向かったじゃないの。
なんて生意気な。
しかも、五人で来たくせに噛み付いてきたのって、あんた一人だけだし。
つまり、あんたは言いたかったわけよ。
『この街を立て直すのは俺の仕事だ。聖女なんかすっこんでいやがれ』と」
男は絶句した。
したが、思いっきり叫んだ。
相変わらず触手で拘束されたままなのだが。
「なんだ、それはー。
無茶を言うな~。
俺は学もないし、何の能もないんだぞ。
あったら、今頃こんな街にはいないさ」
「でもあんたは住人から信頼されてる。
それだけで『聖女様の代官』としては十分な能力よ。
そこにあんたの仲間もいるでしょ。
あんたに学がなくて、能がないんなら、ある奴をお金で雇ってきなさい。
すぐそこに、この国でもっとも発展した街である王都の街並みがあるんだから。
これは聖女からの絶対命令です。
あんた如きに拒否は出来ないわ」
そう言って、もう一度神聖聖女徽章を陽光に煌めかせた。
その反射する陽光さえも、彼らの前途を祝福しているかのようだった。
もっとも、今なおチャックに拘束されているその姿もまた彼の当分の未来を暗示していたのだが。
「あんた……マジで言っているのか?」
「では、メルヒャン代官。
あなたの最初の仕事です。
そこにいる子供達のために孤児院を建てなさい。
また彼らの今夜の塒の確保を。
その辺の人材は、そのマッチョな王国騎士団長を含めて、皆使ってよろしい」