七話~番外編~海猫のお竜~①~
海猫のお竜事、海原竜子。道警組織犯罪対策部捜査四課で警察官をする父、海原恵三と札幌市内の総合病院で看護師をする母、夏恵の間に生まれた待望の第一子のはずだったのだが、勤務体系のすれ違いからか父親と母親の夫婦関係は冷えきり、夫婦間の溝は深まる一方だったためか、次第に父親と母親は、待望の第一子だったはずの竜子を毛嫌いするようになり、彼女の体はいつしか、両親から受ける虐待の生傷が絶え無くなっていた。
そして、竜子が十六歳の時両親は離婚。父親方に引き取られた竜子だったのだが、高校にすら通わせてもらえないまま、父親の情報屋として、荒んだ人生を歩む事となるはずだった。
仕事一筋で、家庭などまったく省みない父親との二人暮らしが始まって、数ヶ月が過ぎようとしていた頃からだろうか、父親との二人暮らしは、あたしが想像していた事とはまったく別物で、父親の以外に子煩悩な一面も見られたりと、以外に楽しいとさえ感じるぐらいだった。
「……竜子…医療の専門学校を受験しろ…そして…母さんの力になってやるんだ……俺と夏恵はお互いを嫌って別れた訳じゃない……」
酒にでも酔っていなければ、寡黙で不器用を絵に描いたような父親が 、ある日の夕食時に、不意に真顔でいうものだから、あたしは少しだけ驚いたのを幼心に覚えている。
「……父さん…どうしたの?急にそんな事言い出して……あたし最初から知ってたよ……父さんと母さんがお互いの仕事尊重しあってたのも…嫌って別れたんじゃないのも……それに…父さんとのこのたった数ヶ月だけど二人暮らしの生活…父さんの色々な顔が見れて…めちゃくちゃ楽しかった……だからあたしは…母さんのとこには行かない!父さんも母さんもあたしにはどちらもすごく大事なの……今父さんの言ったように今あたしが母さんのとこ戻れば…きっと母さんは怒ると思う……あたしだって……二人の仕事の邪魔にだけはなりたくないから!」
今思えば、この時が最初で最後の父親との心の通った親子の会話だったのだと、あたしは思う。
この会話の数ヶ月後だった。父の殉職の訃報を聞いたのは。
当時の父親の上官で捜査上の相棒として幾つもの暴力団組織を検挙に追い込んだ、信楽竜三という男性が涙ながらに父親の殉職理由を説明に、あたしが父親と暮らしていた六畳一間のアパートを訪れたのだが、父親の突然過ぎる訃報に錯乱状態にあった当時のあたしにはその人に一歩たりとも、父親との生活空間に入って欲しくは無く、激しく怒ってその男性を追い返してしまったのを今でも鮮明に覚えている。
それからしばらくしてあたしは、父親の遺言ともとれる一言にのっとり、看護学校を受験。それを首席で卒業、母、夏恵の働く総合病院で准看護師として働き始めた二十歳の夏だった。
あたしは母親の暮らすマンションには移らず、父親と暮らしいた六畳一間のアパートに住み続けていたのだが、築何十年にもなるこのアパートは既に取り壊しが決まっていたためあたしは父親の位牌と一緒に、別のアパートに移り、新たな生活をスタートするのだった。
しかし身内の不幸とは、重なる時には重なる物で、今度は、当時看護師長を勤めていた母、夏恵が過労で倒れたとの報せを受け、あたしは急遽病院へと呼ばれるのだった。
そしてあたしは、通された病院の個室で、生命維持装置に繋がれてすっかりやつれたあの頃とは別人のように変わり果てた母、海原夏恵と何年ぶりかの親子再会を果たしたのだが、母、夏恵の現状を看るうちに、幾つかの疑念があたしの中に芽生えていた。
一つは、過労と診断された割には彼女の痩せ方が尋常ではない事。
二つ目には、生命維持装置に繋がれていないと生きていられないほどに重症化するまで気づかなかった当病院の医師の対応の遅れ。この二点に関しては、医師不足だったり、看護師不足だったりと、かなり悲惨な現状である事は、母と同じこの病院で働き始めたあたしにも合点はいった。
だが三つ目の疑念だけはどうにも腑に落ちなかったのだ。それは母の腕に点滴として投与されていた薬剤だった。
それは、軽度の体力疲労患者には疲労回復の効能を発揮するのだが、母のような重症患者には、返って体力を奪ってしまい、一生寝たきりの植物人間状態か、最悪死に至る可能性も示唆できない薬剤が、堂々と投与されていたからだった。
父親につづき母親まで亡くしては矢も楯もたまらず、あたしは母親を助けるべく病室を飛び出し、ナースステーションへと向かうのだった。
その日の夜勤は幸運にも、この病院であたしが唯一全てを話せる母親の元で副看護師長を勤める村雨香織という先輩看護師だった。
「香織さん…母は本当に過労で倒れただけなんですか?まるで末期のガン患者のような処置がなされているんですけど?」
その時のあたしは、よほど鬼気迫る様相だったのだろう。村雨さんと一緒に夜勤を勤める数人の看護師達が、おどろきを隠せない様相で、ナースステーションに駆け込んだあたしを見たのだが、彼女だけは冷静だった。
「……さすがは看護師長の娘さんね……」
彼女は落ち着いた口調でそう言うと、一緒に夜勤を勤める看護師達に後の処置を任せて、あたしを屋外の喫煙スペースに促すのだった。
「……あなたの推測どおりよ……これは…師長本人から口止めされてた事なんだけど…もう時効よね……夏恵さん……」
彼女はまるで、病室のベッドの上に居る母親と話しをしているかのような口調でそう言うと、静かに吸い込んだタバコの紫煙を、この時期の北海道にしては、珍しく暖かい夜空へと、ため息のように吐き出すのだった。
「……母の身体はいつからガンに侵されていたんですか?」
彼女の核心を突く次の言葉を聞くのは、正直怖かったけど、あたしは思いきって聞いてみた。
「ちょうど一年くらい前だったかしらね…あの日は師長にしては珍しく自身の体調不良で仕事を早退されたことがあったの……その時は師長もあたしも目まいがしそうなくらい忙しかったから師長も疲れがたまってるんだろなくらいに思ってたのよね……あたしも彼女も……あなたのお母さんは決して自身の体調不良なんかでは弱音を吐く人じゃなかった…だからずっと隠しつづけていたのよ自身の体調不良を……それに…心配かけたくなかったんじゃないかしらね人生これからという娘のあなたに……酷な事を言う先輩看護師だとあたしを怨んでも構わないわ!けど…あえて言わせてもらいます……あなたのお母さんの病状はストレスからくるスキルス性胃ガンのステージ四なのあたし達も最善を尽くしたのだけど…あたし達の処置よりもガンの侵攻スピードの方が早くて……ごめんなさい…あなたのお母さんを助けられなくて……」
最初こそ、冷静な口調で話す彼女だったけど、あたしはこの時初めて見た。冷静さを失い、感情に流され、自分の前に泣き崩れる彼女の姿を。
「香織さん…そんなに泣かないで……母の事よろしくお願いします……」
それから数ヶ月後、あたしの母親海原夏恵は、スキルス性胃ガンから併発した多臓器不全により、三十代半ばの短すぎる人生に幕を引くのだった。
そしてさらに、数ヶ月後あたしと香織さんは札幌にあるこの病院を依願退職して、北見市にある、市民病院へと移るのだった。