二話 二代目[北見白狼会]~②~
[北見白狼会]何処の派閥にも属さない、数人の組員達と神楽親子だけの少数団体だったが、山口組田岡三代目時代に名を馳せた、殺しの軍団と呼ばれた柳川組に匹敵する程の統率力と喧嘩の腕も一級品の猛者ばかりだったのだが、[関東龍神会]の後ろ盾から、財力に物を言わせた[北見國狼会]の買収に合った結果、礼子の父親神楽竜二は玉砕覚悟の喧嘩を強いられることになったのであった。
「お嬢…そろそろ先代の見舞いに出かけるお時間ですぜ」
ふと、物思いにふけりながら事務所の自分のデスクで父親と同じ両切りのショートピースを吸う礼子に唯一自分の父親の元残ってくれた八坂平蔵がそう声をかけてきた。
「……平蔵さん…いつの間にかもうそんな時間になってたんだ……すぐに支度するから表に車回しといてくれる?」
彼女はそう言うと、タバコを灰皿のふちでもみ消して何時もの作業着から、白にストライプ柄のダブルのスーツに着替えると急ぎ外に待機する八坂の車の後部座席に乗り込むと一路父親の収容されている病院へと向かうのだった。
「平さん…今日ってやたら警察多くない?それも…父さんの収容されてる病院に近付けば近づく程にパトカーの数…めちゃくちゃ増えてるし……あたい…何か強烈に嫌な予感がする……平さん…親父の病院にはあたい一人で行くよ……平さんは事務所戻ってカチ込みの準備進めといてくれる?」
彼女は口早にそう言うと、何時の間に着替えたのか、闇夜には全く目立たない迷彩服姿になると、彼の運転する車を降りて、徒歩で父親の病院に向かうのだった。
『……要件…一切承知しました…』
激動の幾日かを、神楽親子と過ごした彼には、多くを語らずとも彼女の想いが手に取るようにわかったのだろう。短くそう応えると、彼女の去った後、彼女の姿が夜のとばりに完全に見え無くなるまで、自らも車の運転席から降りて深々と頭を下げるのだった。
父親の収容されている病院に近くなればなるほど、増えていく警官の数。彼女の心には焦りと不安が増強しており、並み居る警官達を押し分けてでも彼女の身体を父親の病室へと急がせていた。
「礼子ちゃんちっと待ったぁあんたのお父さんはちゃんと無事だよ!あたしの昔馴染みの看護師からの情報だぁ間違い無いよ」
そう言って、今まさに警官達にチャージをかけようとしていた礼子を一人のかなり大柄な女性が彼女の腕を引き、町の路地へと引き戻すのだった。
「お竜姐さん?どうしてここに?」
礼子自身も、百五十七センチと女性の平均身長だったが、一方の女性も、身長は礼子と似た感じの小柄だったが、纏う筋肉の鎧と、身体各所に出来た斬り傷、刺し傷の目立つ少々厳つさは礼子よりも上といった印象の女性だった。
「最近國狼会の連中が…よそ者の力借りて…きな臭い動きばかり繰り返してやがる……そんな矢先にあんたのお父さんが市内の総合病院担ぎ込まれたって言うじゃない…あんたのお父さんにゃああたし大恩があるんだ……稚内の方へ出て行ってたけどまた戻って来たよ…この北見にねぇ……それに当時からお父さんの
事となると人が変わっちゃう……妹みたいなあんたをほっとけなくってねぇ……あたぁ…あんたやオヤジさんはもちろんだけどあたしも嫌なんだよねぇ……昔懐かしい場所がよそ者に踏み荒らされるのってね……」
彼女はしんみりそういうと、礼子と同じ両切りのショートピースに徳用マッチで火を付けて笑うのだった。
海猫のお竜、この広い蝦夷の地を駆け巡る一匹狼の女極道であり、生まれ育った蝦夷の地を愛して止まぬ一人でもあった。
「……その様相じゃああたしが四の五の言ってもてめぇでオヤジさんの無事を確認しなきゃあ納得いかないってツラだねぇ……解った!あたしに着いといで!」
礼子が父親の事務所に出入りするようになった頃から、彼女を実の妹のように可愛いがっていたお竜にはある追憶と共に鮮明なまでに彼女の感情が読み取れたのである。
「オヤジが病院送りの憂き目を見て…今あたしに残された信じられる人間といやぁオヤジの腹心の幹部の平蔵さんと今あたしの目の前に居る姐さんしかいません……決して姐さんの言われる事…信用してない訳じゃないのだけは解ってください……」
お竜の話しを、一言一句かみしめるように聞きながら、礼子は腹の底から絞り出すような低い声音で言った。
「んな事…言わなくたってこっちとら宣告承知の了見だぁ……」
彼女は多くを語らず、それだけを言うと、不安に苛まれる礼子の顔を正面から見て、淋しく笑うのだった。
彼女もまたかつては、初代[北見白狼会]で礼子の父親神楽竜二に見初められ、女だてらに若頭まで上り詰めた女性だった。
しかし当時の彼女は、敵対組織の[北見國狼会]に雇われたヒットマンだったため、礼子の父親神楽竜二殺害に失敗した彼女は最早用済みと見なされ、更に強力なヒットマンを送り込んで来た[北見國狼会]に抹殺されかけた所を自分が命を狙った神楽竜二に助けられた経緯があったのである。
「ねえ…礼子覚えてる?あんたのお父さんの事務所であたしと初めて会った時の事?」
礼子の父親神楽竜二の病室へと行く途中だった。
「ええ…もちろん覚えてますよ……父を狙ったヒットマンが事務所に居るって平蔵さんから電話もらってあたしも慌てて事務所行ったんだけど事務所はいつもと同じだし誰一人焦った様子も無し……強いていうなら妙に背の高い女がいるけど…あの人誰って思ったくらいだったかな……けどまさかそのでかい女がお竜姐さんでしかも本来姐さんは元々雇われのヒットマンで父の命を獲りに来てたんですよね……それがまさか今本当の姉妹以上の仲になっちゃってますよね……あたし達……」
お竜の問いかけに礼子が笑いながら言ったのは、父、竜二の病室前に着いた時だった。
「……お竜…やっぱりおめぇだったのかい…何かと俺等親子を影ながらに見守ってくれてたなぁよぅ……感謝するぜぇ本当にありがとうよ…このとおり…礼を言うぜぇ……」
礼子の父親神楽竜二は、未だ巻かれた包帯の各所から血が滲み身体に少しでも負荷をかければ激痛の奔る身体を半身寝かされていたベッドから起こし、お竜に深く頭を下げるのだった。
「おやっさん…そんな事するなぁやめてくださいやぁ……あたしは生まれてこの方あなた程人情に厚い人は見た事も無ければ会った事もありませんよぉ……てめぇの命狙ったヒットマンのあたしを自分の組のカシラにまで押し上げてくれた…けどおやっさん…こんな無茶はもう無しにしてくださいやぁ……礼子ちゃんがお嫁に行く前に心労が祟って老けちまいますよぉ……」
「その事なんたがなぁ…ここも時期に[國狼会]の連中に見つかるだろう……この北見の街でドンパチ始まっちまう前によぉ…街のカタギ衆だけは何としてでも護らなきゃならねぇ……礼子…俺の言いたい事…解ってくれるよな……お竜と平蔵達と力ぁ合わせて…この北見の街…頼んだぜ……
さぁ…早く行くんだ!奴らの刺客はもうそこまで来てるかも知れねぇ……あたぁ…長らく迷惑かけてすまなかったな礼子……これからはお前ら若い人間の時代だぁ…老いぼれは温和しく退くとするぜぇ!」
礼子の父親、神楽竜二が最後の采配をした時だった。病室に入って来たのは、奴らの刺客ではなく、数人の巡査を従えた一人の青年刑事だった。
「この病院周りに集まった警官達は皆…何らかの形で家族や友人達をあなたに助けられた者達ばかりです……かく言う私も父親の殉職に…ただ狼狽えることしか出来ないで居たところをあなたに助けられ…尚かつ警官失格の私を叱咤激励してくださったおかげで今はあの時の父親のように多くの巡査達に指示を出せるようになった……あの時の泣き虫凌矢です……この北見に暴力団組織は必要ない!あるべきは任侠一家[白狼会]だけ!私達にあなた方の手助けをさせて下さい」
突如として、礼子の父親、神楽竜二の病室にを訪れた数人の巡査達と青年刑事。彼は今までの経緯を熱く語り、そして涙を流すのだった。
「凌矢ぁ…おめぇ成りぁあでかくなったみてぇだがよ……泣き虫は変わらねぇなぁ……よろしく頼むと言いてぇとこだがよ…内はたったいま…俺から娘の礼子に代変わりしたばかりでな……あたぁお前らで話しあいな?それから礼子…これからはお前が[北見白狼会]を担っていくんだ……
俺は今日で引退するが…いつでも…どこでも…お前たちを見守っていてやる……お竜…娘を…礼子を頼む!」
「……待ってよ父さん…いいや…オヤジぃあんたの言う引退は…組を辞める引退じゃない……てめぇの人生終わらせちまう意味の引退宣言だぁ……そんなのあたしやお竜姐さんが許すとでも!オヤジにはまだまだ教えてもらわなきゃならねぇ事が山程あるんだ!ここであたし等に丸投げたぁあんまりだぁ……」
お竜と竜二、そして凌矢。三人のやり取りを黙って見ていた礼子が口を開いた時だった。これまでも、これから先も、父親神楽竜二が、娘の礼子に対して
ここまでキツい言葉を放つ事は一生無いだろうと、その場に居合わせた誰もがそう確信せざるを得ない感のある、父親竜二が、娘の礼子をこの時だけ、激しく叱責するのだった。
「あまったれんなよぉ礼子ぉ!任侠道に教えてもらう事なんてねぇ!逆に教える事も何一つねぇんだ!手探りでも構わねぇ……おめぇはおめぇの考えで突っ走ってみろやぁ…たとえ…おめぇがしくじったとしても…カタギだとか極道だろうが…そんな線引き関係無く全員がおめぇを助けてくれるはずだぜぇ……」
彼の突然の叱責に、一瞬悲しげな表情を見せた礼子だったが、直ぐに輝きを取り戻した瞳で父、竜二の顔を正面から見据えると力強く頷き彼に深く頭を下げるのだった。
「今日から二代目とお呼びします」
父親竜二の前未だ頭を下げつづける礼子の前、お竜がそう言って傅いた。
「よっしゃあ!一丁ぶちかましてやりますか!」
そこはやはり、父親譲りの負けず嫌い。彼女のその宣言で[二代目北見白狼会]がここに、旗挙げされるのだった。