5話
時が止まったように片膝を突いた状態で固まってしまったアーノルドにレーナはさらにパニックになった。
だっていきなりそんなこと言われても! それに元々、目立つことが苦手で気が小さい私が恐れ多くも王族の妻になるなんてとんでもない!!
私だとアーノルド殿下にとって身分不相応だ。
でもちょっと待って、これってアーノルド殿下の求婚を断ったことは不敬に当たるのかしら……。
そこでレーナは周りを見渡した。近くでこちらを窺っている同じクラスメイトだった男子生徒と目が合うとその人は気まずそうに目を逸らした。
あああ! あまりの怒涛の展開に思わず即答で断ってしまったのがいけなかったのだわ、もう私の今後はお先真っ暗だわ……。
「あーあー、コホン。やはり、こんなことになるのではないかと来てみて正解だったな。」
会場の入り口から王族の式服を着た男性が歩いてきた。
「王太子殿下だわ……。」
誰かが呟いたのが聞こえた。
王太子殿下は未だ固まったままのアーノルドとレーナの前までやって来るといきなりアーノルドの後頭部を思いっきり叩いた。
「きゃっ!」
叩かれると同時にアーノルドはそのまま前のめりに倒れて行った。
「やはり気絶しているな。おい、こやつを回収して王宮に戻るぞ。」
王太子殿下は後ろで控えていた護衛に声をかけると護衛は「御意」と言ってアーノルドを荷物のように肩に担いだ。
「レーナ嬢、今日は愚弟が申し訳なかった。あいつも長い間拗らせてしまっていたからな。そこら辺を踏まえて許してやって欲しい。」
「い、いえ、そんな! 私の方こそ助けて頂いたのに……。」
そうだ、助けてもらったのに私は恩を仇で返したのではないか。
「ああ、いや、君がそんなに気に病むことはない。こいつが勝手に盛り上がって自爆しただけだ。ただ、落ち着いたらこいつの話も聞いてやって欲しい。」
「わ、わかりました。」
それからパーティどころじゃないレーナはすぐに侯爵邸に帰った。そして帰ると同時に倒れて3日も熱に魘されることとなった。
両親は、それはもう心配して国王陛下にお願いして宮廷医に診てもらったりしたらしい。結局、過度なストレスと疲労によるものだと診断された。
そして熱が下がりようやく起き上がれるようになるまで一週間もかかってしまった。
「あの…、お嬢様。今日もいらっしゃっているのですが……。」
おずおずといった感じで侍女がレーナに伝えてきた。
「また、いらっしゃっているのね……。」
「はい、でも、レーナお嬢様のお体がすぐれないのならばすぐに帰るとおっしゃっています。どうしいたしますか?」
レーナが熱でうなされている間、毎日のようにアーノルドが来ていたらしい。
今は会える状態でないとお父様がお断りしたいたらしいのだけど、見舞いだからと花束と果物を置いて帰っていくといったことをこの一週間ずっと続けていると聞いた。
「ふぅ…そうね、これ以上お断りするわけにはいかないわ。今日は体の調子もいいのでお会いするわ。応接室にご案内して。私は支度が整ったら向かいます。」
「畏まりました。」
身支度を整えて応接室へと入ると緊張した面持ちのアーノルドが席に座っていた。レーナを見ると一瞬、安心したような顔をしたがすぐに不安そうな顔つきになった。
「レーナ嬢。その、体の方はもう大丈夫なのか?」
「アーノルド殿下、ご心配をおかけして申し訳ございません。この通り、もう大丈夫ですわ。」
「そ、そうか……。」
そう言ったきり、俯いてしまった。
沈黙が続いてレーナから何か話をふった方がいいのかと思案していた時に、いきなりアーノルドはガバッと顔を上げた。
「レーナ嬢、あの時は貴女の気持ちを考えずいきなり求婚などしてしまい申し訳なかった!!」
「いえ、そんな……。」
「あの後、兄上にこっぴどく叱られてしまった。婚約者が他の女と不貞を行っていた上に婚約が解消となって、そして間を置かず俺から急に求婚されては混乱するのも無理はないと。……それに万が一、レーナ嬢がイーサンの事を慕っていたのなら俺からの求婚は迷惑だったのではないかと言われた。」
捲し立てる様に話すアーノルドに慌ててレーナは制止する。
「ちょっと待ってください。イーサン様とは確かに婚約者同士でしたがそれは親同士が決めた政略的なもの。私があのイーサン様を慕うということは天と地がひっくり返ってもあり得ないですわ!」
会えば嫌味ばかり言う人をどう好きになることができるというのか。本当は政略でもイーサンと結婚するのは嫌だったのだ。
そう言えばイーサンはあの後、父親にこっぴどく叱られて性根を治すため『辺境の鬼』と言われる叔父の辺境伯の所へ行くことになったと聞いた。あの地は年中、雪に囲まれ訓練された騎士達でもあそこへは二度と行きたくないと言わしめるほどの厳しいところだ。甘やかされて育ったイーサンには相当堪えるだろう。
そして、あの時イーサンと一緒にいたミアという女子学生はあまりに多くの男子生徒との不純異性交遊が発覚し問題になった。中には彼女に貢ぐために家のお金を使い込んだ者までいたとか。ミアの父親も庇いきれずに男爵家からの除籍し、この国で一番厳しいとされる修道院へ入れられたそうだ。
一体、彼女も何がしたかったのか。
もし彼女が誰か一人に決めていたのなら、もしかしたらこの結末も変わっていたのかもしれない。
閑話休題。
「で、では何故?」
求婚を断ったのか。アーノルドの瞳がそう聞いていた。
そこでレーナは王家の嫁という立場は分不相応だと正直に話した。王族のような華やかな世界は私には似合わないのだと。
「それに、私はこのオルコット家の一人娘なので、できれば婿になってくれる方がいいのです」
「では、婿になるのであれば誰でもいいのか?」
「父が認めるのであれば私は…。強いて言うのなら互いに支えながらオルコット家を盛り立てていただける方とならば、とは思っております。」
「そうかっ、わかった!! 今日は急用ができたのでまた来る!!」
そう言って嵐のように立ち去ったアーノルドだったが、翌日にまた現れた。
「レーナ嬢、父上に了承を得て王位継承権を返上した! 俺はもう王族ではない。だから、俺をオルコット家の婿に迎えてくれないだろうか!!」
一緒にいたお父様を見ると『お前の好きなようにしなさい』と言った感じでゆっくりと頷いた。
本当は、学園生活の中で少しずつアーノルドに惹かれていることに自分でも気づいていた。しかし、仮にも婚約者のいる身、そして家の事情を考えると自分の想いを諦めざるを得なかった。
あの時、実はプロポーズされて嬉しかった。でも、臆病な自分が出てしまい拒絶してしまったのだった。
だから私と結婚する為にここまでしてくれたアーノルド様の気持ちに応えたい。
「アーノルド様、私を貴方のお嫁さんにしてください。」
こうしてレーナとアーノルドはめでたく結ばれ、末永く幸せになりました。