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川端康成の谷川岳

作者: 十二滝わたる

 長い清水トンネルを抜けて越後湯沢に降り立つと、噂に聞いたバブル期のリゾートマンション群が目に飛び込む。一日に数本しかない清水トンネルを貫通する列車に人影はなかった。今は大清水トンネルを数分で通り抜ける上越新幹線により、この温泉街は東京とほとんど直接繋がっている。


 川端が雪国を書くために常宿とした高台にある旅館の真下には新幹線のトンネルの入口があり、数分毎に新幹線が勢いよくけたたましい音を起てて滑り込んで行き、ほとんど川端が部屋を取った場所と同じような部屋へはうねった高速道路と行き交う車の音が共鳴し届けられる。スキー場へ直結された駅舎の姿も旅館のすぐ裏手に見えている。


 川端が愛した風景の面影は、高台の旅館に至るまでの駒子が朝早くよじ登ったであろう土手様子や旅館の脇を静かに流れる小川のせせらぎに感じ取れるのみだ。否、当時から雪国には出てこないものの、あの谷川岳の頂上がシュミセンのようにうっすらと輪郭を現している姿をおそらくは川端も愛していたはずであろう。川端にとってトンネルの先の雪深い異郷の地は、川端が生きる都会の世界とは一線を画した特別な世界であり、その特別なフィルターを通しての冷徹な視線からの駒子との情事は、雪の結晶のように現実離れした幻想となり珠玉の美しい物語となっていった。


 駒子のモデルとされる女性はほとんど語ることもなく、また、姿を現すこともなかったが、小説の中での出来事はほとんど事実であったと夫には話している。この事は事実と結晶としての小説は虚構だとしても、虚構ですら真実ではないという大きなギャップを感じとってのことだろう。耳もとで「いやいや」と拗ねる女性の行動に如何に男が女性の美を感じようが、そこに本心がないのは明らかであるものの、虚構の結晶も美しいとされ許されている。しかし、女性にはそれが耐えられなかったとも言えるのではないだろうか。


 川端は不遇な少年期を過ごしたとはいえ、やはり有閑の人に変わりはない。最初の婚約破談の相手からも私の心は金では買えませんとピシャリと言われているように、川端もまた現実社会にまっとうに生きられる人間ではないのだ。


 トンネルを越えた厳しい世界で生きる人の姿を非現実的な目により川端は日本の美的理想らしき世界を小説に封じ込めた。越後湯沢にトンネルの先の異郷の地の意味が失われたように、雪国の美的世界も今は存在はしない。トンネルの先の美は琥珀の中に閉じ込められたような作品の美として現代に残された。


 トンネルの手前の現実でもがいた太宰の残した生身の言葉は、今なお小説を越えて飛び交いもがき生き続けるのとは対極の二つの世界をふたわけざまに悠然と無窮の谷川岳は聳え立つ。


 翌朝、旅館の見習いブルガリアから来ているという若い女の子は、出発するマイクロバスに対していつまでも見送りの手を振り続けてくれた。


 現代の駒子は透き通るような青い目をしていた。

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