2-1
店の中は、ほんのりと甘い香りがした。
程よく暖房が効いて暖かく、小さなオルゴールの音がする。差すように冷たい外とは、まるで別世界に感じられた。
アンティークの時計が、十八時の音を告げる。音とともに時計の文字がくるくる回る様子を、真幸は居心地悪く眺めていた。
真幸は今、隠れ家みたいなアンティークの小物屋に来ている。もちろん、例によって優の口車に乗せられたせいだ。記憶を取り戻せるかもしれないなどとうそぶいて、またしても珍妙な場所に連れてこられてしまった。
だが、今日の真幸は優を咎める気にはなれなかった。あまりにも自分にかけ離れた空間に、すっかり気後れしてまったせいだ。
そう広くもない店内は、レトロなデザインの小物に埋め尽くされていた。
店の入り口付近には、女の子が好みそうなアクセサリー類が並んでいる。木製の棚に所狭しと飾られた品々に、真幸は目が眩みそうだった。
店の少し奥に行くと、鞄や洋服など、少し値の張る商品に変わる。そして、さらに奥に行けば、今度はアンティークなオルゴールやビスクドールが鎮座する、恐ろしい空間が待ち受けていた。
不気味に艶めく人形に下げられた値段は、真幸が想像したよりも、桁が二つほどちがう。数十万の陶器に囲まれることが怖くて、真幸は店の奥に近付くこともできなかった。
「真幸、ねえこれ。真幸に似合いそう」
恐縮する真幸の耳に、どこからともなく浮かれた青年の声が聞こえた。
辺りを見回しても、声の主の姿はない。店の最奥にある、カウンターに立つ店員は女性だし、真幸以外の客もみんな女性だ。誰でも入ることのできる店ではあるが、醸し出す雰囲気が男子禁制をものがたり、自然と男性を遠ざけていた。
真幸は周囲を見回してから、人目に付かないようにこっそりとカメラを構えた。
そこには、銀の髪留めを指さす優の姿がある。この男性拒絶の雰囲気に怖じもせず、彼はご機嫌に店の品を物色しているらしかった。
優の示す髪留めは、形自体はシンプルな直線形のバレッタだ。だけど、バレッタの端に大小のトンボ玉が連なる。淡いピンク色のトンボ玉の中には、花と蝶が閉じ込められて、品があるのにかわいらしい。
どうにも、真幸には少しばかりかわいらしすぎた。この飾りを身につけている自分を想像できず、真幸は首を横に振る。
だいたい、真幸の髪は、バレッタを必要としないほど短い。理由は、楽だからというだけだ。自分の髪であれこれアレンジしようという気持ちより、身軽さの方を優先させるような性格なのだ。
「こういうのは、私には似合わないよ。もっとかわいい子じゃないと」
「そんなことないよ」
真幸の卑下を、優は当然のように否定した。優の視線がカメラから逸れ、真幸自身の顔を覗き込む。
「真幸はすごくかわいいよ」
さらりと言われた言葉を、真幸はすぐに飲み込むことはできなかった。しばらくの間瞬き、浅い呼吸を繰り返す。おそらく、呆気にとられたという状態が、一番近いのだろう。
――得体のしれない幽霊のくせに。
優の正体は、今なお不明だ。むしろ、出会ったときより謎が増えた。
優が真幸を言いくるめ、出かける先々で、真幸は奇妙なものに出会ってきた。人影や、怪しい声は何度も聞いた。
中でも一番異常だったのは、喫茶店で見た老婆の幽霊の件だろう。
ひ孫を恨み、追いかけまわす老婆の姿は恐ろしかった。だが、それ以上にぞっとしたのは優の存在のほうだ。老婆の霊に手をかけて、不気味な黒い泥に変えた彼のことを、真幸はどう消化していいのかわからない。もともとの優はなんだったのか。どうしてあんなことができるのか。なにもわからないまま、今もこうして顔を合わせている。
――データを取り戻すためだ。
む、と真幸は唇を引き結ぶ。優がどんな幽霊であろうと、軽率に口説く軟派な男であろうと、真幸には関係ない。真幸に必要なのは、優が記憶を取り戻し、真幸に写真を返すことのみなのだ。
――照れているわけじゃない。
かわいいなどという言葉に、簡単に喜んだりしない。浮かれて頬を染めたりなんてしない。
――男なんて、嘘つきだ、それに、平気で心変わりもする。
今日、真幸をかわいいと言った口で、明日には別の誰かを口説いている。そういうものなのだと、真幸は認識していた。
深呼吸を一つし、真幸はカメラの優を見据え直した。
「優――――」
「お客様、申し訳ありません。撮影はご遠慮いただけますか」
しかし、真幸がなにか言う前に、誰かに肩を叩かれた。のけぞるほどに驚き、真幸は慌ててカメラをおろす。
真幸の背後には、カウンターにいたはずのゆるい三つ編み姿の女性店員が、少しばかり迷惑そうな顔で立っていた。チェックのスカーフを首に巻き、エプロンのついたワンピースを着た姿は、まさにこの店の従業員と言った様子だ。腰には赤いリボンを巻き、靴はレトロな英国風のブーツ。高めのヒールが、女性らしさを強調していた。
ただし、服装に比べて、年のころはそう若くはない。顔には年齢をうかがわせるような皺が刻まれ、三つ編みにはちらほら白髪が混ざっていた。
アルバイトがいるほどの規模の店でもないだろうし、もしかしたら彼女が、この店の店長その人なのかもしれない。
「す、すみません」
店の人間と見るや、真幸は頭を下げた。よくよく見れば、アクセサリーの棚の一角に、カメラマークとバツ印の描かれた、撮影禁止の注記がある。真幸としては写真を撮るつもりなどはなかったが、カメラを構えて幽霊を見ているなんて、まさか誰も思わないだろう。完全に、真幸側に非があった。
「いえ。こういうものは、写真にとるより身につけた方がずっとかわいいですから。カメラを置いて見てくださいね。手に取るのは問題ありませんので」
素直に注意を聞き入れた真幸に、店員は苦笑いで優しく諭した。そのまま、セールストークかわからないが、小物の一品――優が見つけた銀の髪留めを手に取って、真幸の髪にそっと差す。
「ほら、かわいい。あなたくらいの年の子が、一番アンティークが似合うのよ。本当に素敵」
瞬く真幸にウィンクし、店員は再びカウンターに戻っていった。そうして、奥で作業をしながら、オルゴールに合わせて歌を口ずさんでいる。なにを歌っているのかは聞き取れないが、ずいぶんと気分がよさそうに見えた。
一方の真幸は、すっかり気落ちしてしまった。叱られたわけではないが、妙な罪悪感がある。やはり、自分には合わない店なのだと、真幸は肩を落とした。
「やっぱり似合わないよ……高いし。私が買えるとしたら、せいぜいこのあたり」
真幸は沈んだ声で、別の棚に並んだペンダントに目を向けた。優が示したよりもずっと地味で、飾りも少ない。大きめの銀のダイヤの嵌め型に、暗緑色のガラス球を埋め込んだだけのもの。そのガラス玉も濁っていて、光を透過せず、あまりきれいとは言えない。
地味で野暮ったい。自分みたいだと、真幸は自嘲気味に思う。値段も他に比べて圧倒的に安く、それがなおさらお似合いだと言われている気がした。
「このくらいだよなあ……」
「それはいけない」
手を伸ばしかけた真幸に、優が鋭い静止をかける。先ほどとは全く違う声の色だ。思わず、真幸は伸ばした手をひっこめた。
「真幸、それはやめておこう。もっとかわいいのがいいよ」
「……あ、いや、うん。買うつもりはないけど」
欲しいと思ったわけではなかった。何気なく目について、手に取ろうと思っただけだ。そもそも真幸にアクセサリーを付ける習慣はない。色気知らずの真幸にとって、カメラのアクセサリー以外は等しく不要な存在だった。
「買わないなら、いいんだ」
優は淡々とした口調で言うと、それきり黙ってしまった。
結局、真幸はなにも買わずに店を出た。
この店でも、優の記憶が戻ることはなかったし、記憶のヒントを掴むこともなかった。一か月以上の空振りの日々を思えば想定通りの結末だが、こうも徒労ばかりでは疲れてしまう。
――今日も振り回されただけか……。
店先で、真幸はため息交じりにカメラを触る。ちょうどそのとき、聞き覚えのある声がかけられた。
「真幸? 真幸じゃん!」
呼び声に顔を上げれば、手を振りながら駆け寄ってくる見知った顔が見えた。クラスメイトの由美だ。走る彼女の後ろには、のんびり歩く瑞穂の姿もある。
「真幸、こんなところで会うなんてびっくりした。もしかして寄り道?」
由美は制服姿の真幸を眺めながら、目を丸くしていた。自分たちも同じ格好をしていながら、信じられないものを見るように瞬いている。
どうやら、彼女たちも寄り道していたらしい。再開発でできた、駅前の大型ショッピングセンターにでも行ってきたのだろう。由美の手には、彼女が好きなブランドロゴ入りの袋が握られている。
「真幸、寄り道して大丈夫なの? 家のこととか、今は真幸がやってるって聞いたけど」
「ああ、うん。少しくらいは。これから夕飯の買い物して帰るつもりだし」
その夕飯も、昨晩作った残りに合わせて、簡単に一品ほど付け足すだけだ。優に会う日は夕食が簡素になるが、真幸の母はあまり気にしてはいない。むしろ、夕食を用意する真幸に、いつも負い目を感じていようだった。
「真幸って、偉いよねえ」
のろのろと由美を追いかけていた瑞穂が、いつの間にか追いつき、腕を組んでそう言った。
「料理も洗濯も自分でしてるんでしょう? 学校のお弁当も手作りだし。私なら投げ出しちゃうわ」
「ねえ。遊ぶ時間も無くなっちゃうし」
瑞穂の言葉に、由美も同意の声を上げる。二人の様子に、真幸は居心地が悪かった。褒められているのだろうが、正直なところあまりよくわからない。
「うちは、お母さんが働いているから。しかたないよ」
真幸の母は、朝八時には家を出て、夜八時過ぎに帰ってくる。仕事の繁忙期になればもっと遅い。十時、十一時を越えることも珍しくはなかった。
だから、真幸が食事の用意をするのは当然だった。
たしかに、母が今より早く帰宅していたころは楽だった。あのころは、帰れば料理ができていたし、洗濯のために早起きする必要もなかったのだ。
だが、今と昔は違う。決定的に変わってしまったのだ。
「仕方ないって言えるのが偉い」
由美はねぎらうように、真幸の肩を強く叩いた。
それから、ふと気が付いたように、真幸の出てきた店に目を向けた。
「寄り道ってここ? ちょっと入りにくいけど、気になってたんだよね。どんな感じ?」
「……入りにくいけど、たぶん、由美は好きそう。アンティークなかわいい系の小物屋さんって感じで」
「へえ!」
先ほどとは打って変わって、由美は明るい声を出す。現金な反応の変化に、真幸は苦笑した。
「いいねえ、気になる。お金があるときに行ってみようかなあ!」
どうやら、持ち合わせがないらしい。 理由はおそらく、今の由美の手の中にある。大きく膨らんだブランドロゴ入りの袋の中に、由美の散財結果が詰め込まれているのだろう。
――瑞穂も大変だ。
由美に付き合って、いろんな店を回ったことだろう。だが、その大変さが楽しいことも知っている。真幸もよく、彼女たちに付き合ったものだ。
もっとも、今の真幸には時間がない。母のための家事はもちろん、優の記憶探しという不本意な仕事まで加わってしまったのだ。
若干の羨望を込めて瑞穂を見れば、彼女は同情のこもる視線を返してきた。
「真幸も、時間が取れるなら、たまにでもいいから一緒に遊ぼう? 大変なのはわかっているけど、最近はずっと遊べてないしさ」
「そうそう。真幸がいないと寂しいよ」
二人の言葉に、真幸は少し視線を落とした。無意識にカメラを撫でながら、「うん」と応える。
最近は、なにかに追い立てられるようにして、優の記憶探しに駆けまわっていた。遊びの誘いも断っていたし、付き合いが悪い自覚もある。
だけど、そんな真幸の存在を寂しがり、誘ってくれる友人がいる。それが、真幸は嬉しかった。