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4-1

 十二月も半ばを過ぎ、寒さはますます厳しさを増していた。

 優と出会ってから二か月半。今日はいつもと、少し様相が異なっていた。

 日暮れ前。駅からほど近いファミリーレストランを、優と真幸は訪れていた。安さで人気の店内は、学生や家族連れで込み合い、ずいぶんと騒がしかった。

 だが、その騒がしさが真幸にはありがたかった。優との会話を聞かれずに済むからだ。ワンコインで済むのも助かる。優に散々連れ出されたせいで、真幸はすっかり金欠だった。

 店の壁際の、二人掛けのテーブル席に案内されると、真幸はすぐさまカメラをテーブルに置いた。当然、優を映すためだ。顔を見ずとも会話はできるが、真幸はすっかり、優をカメラに映すのが癖になっていた。

 カメラの横にノートを広げると、シャープペンシルを手に、真幸は優に問いかけた。

「――優、それで、結局なにかわかりそうなの?」

 優は小難しい顔で、眉をしかめた。見ただけで、これは駄目だとわかる表情だ。

「ごめん。やっぱり、自分のことは思い出せないみたい」

「なんでもいいんだよ。名前とかじゃなくても、好きなものとか、趣味とかでも」

「好きなものは、真幸かなあ」

「ふざけるな」

 低い声で囁けば、優は困ったように眉をしかめる。

「他に、本当になにも浮かばないんだ。僕自身が、好きなこととか、やりたいこととか」

 言っていることに嘘はなさそうだ。真幸は開いたノートに『無趣味?』と書き記す。

「それなら、一人でいる間は、いつもなにしてるの? 私といるときは、だいたいどこかに出かけてるけど」

「…………なにも」

「なにも?」

「一人の時の記憶は、あんまりないんだ。寝ているような感覚に似ているかも。真幸と会う前も、同じようなものだった。ただ、長い時間だったことだけがわかる。でも、それだけ。意識もあいまいになっている感じ」

 真幸はノートの端に、ぐるぐると渦を書く。

「幽霊なのに、やりたいこととかないの? 未練とか、後悔とか。誰かに会いたいとか」

「それも、あんまり。一人は嫌だとか、寂しいとは思うけど……だからずっと、君に会いたい、って思っている」

「また、そういうこと……」

 優の言葉をつとめて聞き流し、真幸は無理矢理思考を戻した。

 これまで真幸が見てきた幽霊は、わかりやすい欲望を持っていた。ひ孫を恨む老婆だったり、かわいいものを追いかけたり。

 もっとも、あれらが幽霊であったかどうかは、真幸には判別できない。生きている人間の強い感情ではないか、と言ったのは、クラスメイトの四ノ宮あこだ。

 彼女は幽霊も、人間も変わらないと言った。どちらも思考する電気信号。だとしたら、優はなんなのだろう。霊に触れ、泥のように溶かし、『吸い取った』という。

 電気信号の感情を吸い取る。流れる電流を止め、蓄えるのならば――。

 ――電荷をためる……コンデンサ?

 でも、どうしてそんなことができるのだろう?

 ことんというグラスの音が、真幸の思考をさえぎった。店を案内した店員が、少し遅れて水を運んできたのだ。グラスを二つ置くと、「ご注文がお決まりでしたら、およびください」と事務的に告げると、一礼して去っていった。

 甘いものを適当に注文した後、真幸は水を手に取り、一口含んだ。氷の浮いた水は、この季節には少し冷たすぎる。

「わからないことばかりで、ごめんね」

 渋い顔をする真幸に、優は申し訳なさそうだった。カメラなしでは姿は見えないが、肩をすくめて息を吐く、優の姿が見えるようだ。

「仕方ないよ」

 固い表情のまま、真幸は首を振った。手掛かりがつかめないのは辛いが、優はきちんと質問に答えようとしてくれる。それだけで、以前よりはずっとましだった。

 優は本当に、真幸のためにデータを戻そうとしてくれている。今日はそのために、真幸の呼びかけに応じてくれたのだ。

 店だって、今日は真幸が選んだ。いつものように、優に騙されて連れ出されたわけではない。入り組んだ路地の奥や、地元の人間も把握していないような、知る人ぞ知る店でもない。

 そこまで考えて、真幸はつぶやいた。

「……店」

 真幸は顔を上げる。向かいに座るであろう優に向けられた視線は、そのまますり抜け、店内を一望する。

「優はどうして、店を知っているの?」

「どうして? ……なんとなく?」

「調べたり、誰かに聞いたわけでもないの?」

 短い、考えるような間のあと、優の頷く気配がした。

「そうだね……うん。僕は知っている。この町のこと、いろいろ」

「地元の人なんだ……」

 ノートをペンで小突きつつ、真幸は考える。古い店も、比較的新しそうなアンティーク店も、優は知っていた。幽霊になってから知識を得たのでもなければ、彼は最近になって死んだことになる。

「他に、この町で知っていることってある? お店以外で」

「…………だいたい、なんでも。再開発前の町なら、地図も書ける」

「再開発前」

 駅前の再開発は、数年前から現在まで続いている。その下準備となる、各所の立ち退き誘導は、さらに前から行われていたらしい。

 再開発の影響で、街はあちこちが変化した。古い建物は優先して取り壊され、道路は敷きなおされ、新しいビルが建つ。だが、それもすべて、ここ数年来のことだ。五、六年ほど前は、まだ開発の手は入っていなかった。

 そのくらいなら、図書館でさかのぼることができる。優が事故や事件の被害者であるならば、新聞で探すこともできるだろう。それ以外の死因だった場合、真幸の力で調べ上げるのは難しい。

 ――見つからなかったら、また考えよう。

 今はとりあえず、優から聞けるだけ聞いておきたい。真幸の質問攻めに、優の様子はどうだろうか。何気なく確認しようと、真幸はカメラに手を伸ばした。

「――熱っ」

 触れた手を、真幸は反射的に引き戻す。自分の手とカメラを見比べ、真幸は唖然とした。

 カメラは熱を持っていた。暖房で温められた、などというレベルではない。触れた瞬間に、やけどしそうな熱さを感じた。まるで、溶けるほどだ。

 ――いや、まるで、ではない。

 カメラは溶けていた。ファミリーレストランのテーブルの上に、溶けだしたカメラが小さな水たまりを作る。重たく黒いそれは、泥のように見えた。

 目を逸らすことはできなかった。とろとろと溶けるカメラは、現実のものとは思えなかった。手に残る熱の感触は、熱さと同時に冷たさがある。溶け出す泥に、見覚えがあった。光を返さない、深淵の黒。あれは――。

「――――ふざけるな!」

 店に響くその声に、真幸ははっと我に返った。

 指先の熱は消えていた。テーブルの上には、元の形のカメラがある。触れれば冷たい。溶けるはずもなく、真幸の指先に硬質な感触を返してくれる。あふれ出す黒い泥など、どこにもない。幻みたいに消えている。

「貴様がやったのはわかっているんだ! よくもぬけぬけと……!!」

「落ち着いてくださいよ、お父さん。悔しいのは僕も同じなんです」

「貴様にお父さんと呼ばれる筋合いはない!」

 声を張り上げているのは、男性二人だ。見れば、よりにもよって店の真ん中の席で怒鳴り合っている。

 もっとも、声を張り上げているのは片方だけだ。少し白髪の混ざりだした、四十から五十代くらいの中年男性が、顔を赤くして怒鳴っている。遠目からでもわかる怒りの形相は、彼の体格の良さも相まって、ぎょっとするほどに鬼気迫って見える。勢い余って立ち上がったせいか、彼の横にあったグラスが倒れ、水が零れ落ちていた。

 相対するのは、座ったままの細身の男性だ。飄々とした優男で、年は三十前後だろうか。彼は、どことなく、優に雰囲気が似ていた。

 服装のせいだろうか、と真幸は思う。シンプルなシャツにスラックス。季節に合わせて羽織った、これもまた無難なジャケット。当たり障りのない服装は、彼を没個性にさせていた。

「僕だって、恵子さんが亡くなって辛いんです。お父さん――町田さんもお辛いでしょうが、僕に当たるのはやめてください」

「いけしゃあしゃあと!」

 中年男性の方が、大声を上げて優男に掴みかかる。店にいた他の客が、悲鳴やら静止の声やら、思い思いの言葉を叫んでいた。

 呆気に取られている真幸は、言葉を発することはなかった。ただ、その中年男性がぐっと相手の襟をつかんだ瞬間、見てはいけないものを見た。

 優男にまとわりつく、暗く巨大な影だ。中年男性の体から、にじみ出るようにして現れたその影は、一見すると黒い湯気のように見える。怒りにかられた中年男性と同調するようにして、その影は優男を包み込み、彼の輪郭を曖昧にさせていた。

 優男の足元からは、ぽつり、ぽつりと重たいしずくが落ちていた。そちらは、どろりとした――さっきほど、真幸がカメラに触れたときに見たような、光を寄せ付けない黒い泥だ。優男を包む曖昧な影とは対照的に、泥は妙に冷徹な、現実味のある質感をまとっていた。

「――殺してやる」

 黒い影が、優男の体に巻き付いて、その色を濃くする。だけど優男の方は、まるでそれに気が付いた様子がない。困ったように苦笑いをして、男の形相を見つめるだけだ。

「貴様、絶対に殺してやる! 貴様が俺の娘にしたように!!」

 男がそう叫んだのと、店員がばたばたと店の奥へ駆けて行ったのは同時だった。別の店員が、やめてくださいと叫びながら、二人の男を引き離す。

 店の中は騒然としていた。子供を遠ざける親。悲鳴を上げる女子高生。野次馬めいた多くの客と、カシャカシャというスマートホンのカメラの音。

 そんな状態でも、優男はへらへらと笑っていた。興味薄い顔で中年男性を見やり、その顔のまま、店の中を見回す。

 彼の視線が、真幸の方向へ向かおうとしたとき、優が固い声で言った。

「真幸、出よう」

「えっ」

「早く」

 優は強引に真幸を促す。だが、真幸は戸惑っていた。

 目の前の騒動を、このまま看過してよいのだろうか。男性二人の喧嘩ではない。彼らを取り囲む、黒い影だ。

 あれは、霊感のない真幸でもわかる。まぎれもなく、「悪いもの」だ。肌で感じられるほどの、明確な憎しみだった。

 真幸には、影をどうこうすることはできない。だが、優は別だ。触れるだけで影を溶かすことができるはずだ。自分で言っていたのだ。『悪い感情を吸った』と。

「優、だって」

「いいから」

 足の進まない真幸の手を、なにかが強く引っ張った。姿は見えないが、優だと咄嗟に理解する。

「真幸はここにいちゃいけない」

 有無を言わせぬ優の言葉に、真幸は気圧された。

 彼の声は、ひどく緊張していた。


 店の外へ出ても、優は真幸の手をつかんだままだった。できるだけ店から離れようと、早足で進む優の見えない背中に、真幸は声を上げる。

「優。優! 止まって!」

 掴まれた手は、赤くなっている。痛むくらいだった。はじめて見せる彼の態度に、混乱が収まらない。

「待って! もう大丈夫だから!」

 駅前は帰路につく人々にあふれている。そんな中、一人で叫ぶ真幸は滑稽だった。

「優……」

「ごめん」

 ふと、手に感じる力が失せる。人通りの多い駅の前で、真幸は立ち止った。優もおそらく、そこにいるのだろう。

「優、どうしたの。あの影、放っておいてよかったの?」

「よくはない。よくないものだ、あれは」

 優は緊張を残した声で言った。息が少し乱れている。人通りの中、顔が見えないのがもどかしかった。

「だけど、どうしようもないものだ」

「どうしようもないもの?」

「僕の手には負えないものだ。真幸、君はあれに近付いてはいけない。気を付けて」

「そんなこと言っても」

 優の焦燥を、真幸は正確に理解できない。よくないものであることは、真幸にもわかる。だが、優は今まで、そのよくないものに対処してきたはずだ。

「いつもみたいに、吸いとったりできないの? 何度かやってたでしょう」

 真幸の目の前で二回。おそらくは、真幸の見ていないところでも、何度もしてきただろう。黒い影を吸う優は、手慣れているように見えた。

 だが、優の声は険しい。

「僕が吸うのは、人の感情だ。苦しい思いとか、辛い思いとか。泥のように悲しいものだけ。だけど、あれは違う」

「違う?」

「あれは感情じゃない。悪『意』でさえない」

 優は息を吐く。重たい息が、冬の夜に消えていく。

「――――『悪』そのものだ」


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