表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/24

3-2

 洋菓子店のケーキは美味しかった。

 真幸はそれから、何事もなく店を出た。店で起きたことといえば、優との気まずい雰囲気と、ぽつりぽつりとした会話からのなんとなく和解である。

 十九時を過ぎた空は、黒墨のようだった。星が白く、空に穴をあけている。朝から続いた上天気は、陽の暮れた今まで続いているようだ。いつもよりも、星の色が鮮やかだった。

 そのまま帰ろう、というとき、優は真幸を呼び止めた。

「真幸、もうちょっといいかな」

 ――やっぱり。

 真幸は内心でそう思う。洋菓子店では、なにもなかった。だけど今までの経験上、なにもないなんてありえない。たぶん、今日の本命は洋菓子店ではなかったのだ。

 これから優に連れて行かれる先で、きっとなにかが現れる。

 警戒しながらも、真幸は受けて立った。

 いいだろう、と内心で真幸は力む。

 優は自分の記憶を探さない。ならば、優の行動から、正体不明の彼を見極めてやろうと思った。


 そんなこんなで、真幸は優につれられ、駅の周囲をあちこち回った。小物屋、雑貨店、ショッピングモール。駅から少し離れた公園を横切り、小高い丘の展望台に立つ。

 公園の展望台は、冬場ということもあって誰もいなかった。この冷たい季節、好き好んで雑木林を抜け、吹き晒しの場所までは来ないだろう。観光地というわけでもなく、展望台といっても、そこには朽ちた丸太の椅子とテーブルが、寒々しく転がっているだけだ。

 町の灯りも、ここまでは届かない。眼下には民家や背の低いビル群の灯りが見える。再開発の地区を挟んで、東西で明るさの差が顕著だった。路地裏を含む東の再開発区域は、落ちくぼんだように暗い。

 いつのまにか、二十時を過ぎていた。今日はここが最後になるだろう。霊が出ても不思議のない暗い雰囲気に、真幸は身構えた。

 対する優は、のんきなものだった。どこからともなく、はしゃいだ声が聞こえる。

「真幸、ここは町がよく見えるんだよ。ビルの屋上なんかよりも、ずっとね。星もきれいだ」

 カメラを構えれば、展望台の柵に身を乗り出し、町を指さす優が見える。彼の示す方向は、暗い路地裏――優がいつもいる、ビルのあたりだった。

「前に行った珈琲店はあそこ。さっきの喫茶店はあっち。真幸、あの辺に美味しい和菓子屋さんがあるんだ。今度行ってみようよ」

「嫌だよ! また幽霊が出るんでしょ?」

「幽霊が出たって、僕が真幸を守るよ」

「また、軽くそんなことを言って……」

 ――軟派な。

 優は平気でそういうことを言う。一緒にいたいだとか、守るだとか。彼にとっては深い意味がないとわかっていても、真顔で聞くには強い言葉だった。

「だいたい、幽霊が出るのは優のせいでしょう。いっつもそういう場所に連れて行って! 今日だって……」

 洋菓子屋に行って、駅を回り、公園から展望台へ上がった。そのあいだずっと、真幸は優以外の幽霊を見ていない。

「……出なかったね」

 ぽつりと真幸はつぶやいた。気勢をそがれたような、呆気にとられたような、奇妙な心地だった。

「なんもなかったね。……どうして?」

「どうしてって?」

 カメラ越しに、首を傾げる優が見える。元凶の癖をして、彼は不思議そうだった。

「だって、いつも幽霊のいる場所に連れて行っているじゃない。思い出しそう、なんて嘘までついて。私を町に連れ出すのも、幽霊に会うためなんじゃないの?」

 優はいつも、真幸を連れて町へ出る。一人ではなく、真幸と共に出かけるのは、なにか理由があるのだろう。憑りついている相手と行動をしなければならない等々、想像することはできる。

 真幸の疑問に、優はますます首を傾げた。真幸の言葉の意味が理解できないらしい。勘違いだと言いたげに、間違いを正すように、彼は当たり前のように言った。

「出かけるのは、君と一緒にいたいからだよ。何度も言っているでしょう?」

「言ってるけど……」

 真幸は口ごもる。冗談みたいに軽く、時には真面目そうな口ぶりで、優は何度もそう言ってきた。

「……なんで」

 その問いは、あまりに間が抜けていた。問いを口にする真幸も、返ってくる言葉の予想はできていたはずだ。

 優は真幸を見つめる。口元が、呆れを含んだ笑みになる。

「なんでって、君が好きだからだよ」

 だから、優は真幸を何度も町へ連れ出した。幽霊に会うためではなく、真幸と歩くことが目的だった。

 他の日はともかく、少なくとも今日はそう。なにも起こらない町を歩く。あれこれと話しながら、店をひやかし、ちょっと買い物をする。

 これは、ただのデートだ。

「…………だけど、で、でも」

 しばらく立ち尽くした後、真幸は言葉を思い出したように口を開いた。出てくる言葉は、たどたどしく、おぼつかない。頭の中は真っ白で、自分でもなにを考えているのかわからなかった。

「優は、幽霊じゃない」

「そうだね」

「記憶もないし」

「うん」

「私にしか見えないし、私だって直接は見えないし……!」

 優は笑っている。混乱する真幸を楽しんでいるようだ。だが、真幸は怒ることもできない。

 真幸は、優の言葉を簡単に受け止められない。頭の中で、必死に否定を探している。

「優は――私にしか見えないから、そういうこと言うんだ」

 カメラを握る手に、知らず力がこもる。否定するのは、優の存在ではない。幽霊であるから、記憶喪失だから。そんな理由は、いっそ些末なことだった。

 真幸が拒むのは、自分に向けられた好意だ。

「本当は、誰でもいいんだよ。私じゃなくても、見つけたのが、たまたま私だっただけで、優は自分を見てくれる人を逃がしたくないだけなんだ」

「真幸?」

「優が見える別の人が現れれば、きっと優はその人のことが好きになるよ。そういうものでしょう?」

 夜風に吹き付け、カメラが冷える。なのに、握りしめた手のひらは熱かった。心の奥底に、真幸自身も知らない強い熱がある。

「そうやって、いつか私を捨てていくんだ」

 ――あの時と同じように。

 頬に吹く風が冷たい。優に会ったときも、こんな風に冷たかった。

「真幸」

 うつむく真幸に、優が優しく呼びかけた。

「君は怖いんだね。誰かを好きになったり、誰かに好かれることを、認めるのが」

 否定はしなかった。きっと、優の言う通りだ。真幸は恐れている――また、捨てられることを。

「僕も怖かった。あの路地裏で、僕はずっと一人だった。誰も僕を知らない。僕を覚えていない。僕自身も、僕が誰だかわからない。だけど、真幸が見つけてくれた。きっと君の言う通り、ただの偶然。でも、他の誰でもなく、真幸だったんだ。それだけで、特別になるのは十分だと、僕は思う」

 カメラを下ろしたまま、真幸は顔を上げた。視線の先に優がいる。カメラのレンズは通していない。なのに、今は彼の姿がはっきりと見えた。

 まるで幽霊らしからぬ輪郭が、真幸に笑いかける。

「真幸は僕を見て、僕を知って、覚えていてくれる。だから今、僕は『優』でいられるんだ」

 それから、優は一人、自嘲気味に顔をしかめる。

「今の僕が怖いのはね、記憶を取り戻し、君にデータを返せてしまうことだ。だって僕には君しかいないのに、君はもう僕に用がなくなってしまうでしょう?」

 真幸の目的は、なくしたデータを取り戻すこと。だから幽霊である優も恐れず、何度も暗い路地裏に、一人で乗り込んでいた。

 写真データが戻れば、真幸が路地裏に行く理由はない。

「僕はまた、忘れられてしまう。暗い場所で、また一人になる。それが、たまらなく怖い。……だからきっと、はぐらかしてきたんだ」

「……そう簡単に、忘れないよ」

 真幸は低く答えた。そっぽを向いて、口を曲げて、まるで拗ねているようだ。

「ちゃんと覚えているよ。こんな面倒な幽霊、忘れないって」

「写真データが戻っても?」

「戻って、はいすっきり忘れましたなんてできないよ。そういうものじゃないでしょ」

「本当の本当? 絶対?」

「くどい!」

 しつこい優に、思わず真幸は声を上げた。優を睨みつければ、彼は意外なほどに穏やかな表情を浮かべている。

「――真幸。君がそう言ってくれるなら、僕も覚悟を決めるよ」

 真幸に微笑みかけながら、彼は噛みしめるようにゆっくりと言った。その姿に、真幸は瞬く。

「写真データを取り戻せるように、協力するよ。真幸がいなくなることは怖いけど、僕は君が好きだから。君が忘れないって言ってくれたことを、僕は信じたいから」

 背後の町の光も、空の星も、優の体は透過しない。それが奇妙だった。

 ――カメラもないのに。

 おぼろげだった優が、少しずつ鮮明になっていく。だんだんと、実像を持ち始めている。

 ――幽霊なのに。

「だから、真幸も信じてくれる? 僕は君を傷つけるようなことをしないって。本当に、君を好きなんだってこと」

 真幸は答えられなかった。頷きを返すことすらもできない。

 ――男なんて、みんな嘘つきだ。

 知らないはずの記憶の影が、真幸の奥深くに揺れている。また裏切られるのが怖くて、立ちすくんだまま動けない。

 優は無言のままの真幸に手を伸ばす。驚く真幸の頬に、優の冷たい手の感触があった。

 だけど、それは一瞬のことだ。優の手は、束の間の感触だけを残して、真幸の体をすり抜ける。

 そのことが、なぜだか真幸を安堵させた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ