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3-1

 小さな洋菓子屋の一席で、真幸は優のいるであろう向かいの椅子をじっと見つめた。

 いつものように優に騙されて連れて行かれたのは、駅から少し離れた洋菓子店だった。住宅街に紛れて立つその店は、老夫婦の営む実に素朴な店だった。ショーケースには、オーソドックスなケーキが並ぶ。種類はそう多くはない。小ぶりなケーキにつけられた値段は、駅前でよく見るチェーンの店よりもずっと安い。

 店の奥には、狭い喫茶スペースがある。四席程度のその場所に、真幸たち以外の客はない。客のない店で、老夫婦は二人、ときおり真幸を気にしつつおしゃべりをしていた。

 注文を決めかねている真幸のテーブルには、来店時に出された水入りグラスが一つだけ。音楽のない店内で、グラスの氷が解ける音が妙に響いた。

「…………優。やっぱり、今日も『出る』の?」

 メニューに顔を隠しつつ、真幸は優に疑惑の目を向けた。

「なんのこと?」

 なにもない空間から、とぼけた答えが返ってくる。あくまでもしらを切ろうと言うつもりらしい。

 冬に足を踏み入れた、十二月の初旬。真幸が優と出会ってから、もう二か月になる。幽霊である優の存在にはすっかり慣れたが、今を持っても彼の記憶は戻らない。

 かわりに、だんだんとわかってきたことがある。

 優が行く先々には、幽霊がいる。――いや、正確には、幽霊とおぼしき正体不明の存在がいる。

 黒い影や、怪しい声。老婆めいた人影など、出会ったものはさまざまだ。それらが何者であるか、はっきりしたことは真幸にはわからない。

 優は、それらを『良くないもの』だという。苦しみや悲しみ、暗い感情、人の気持ちだと、いつか真幸に語って聞かせた。

 そして、優はそれを消すことができる。優が黒い影に触れるとき、それは泥のように溶けて消える。その瞬間を、真幸はもう二回ほど見た。

 なにをしたか聞いても、優は『覚えていない』というばかりだ。どうしてそんなことができるのか、なんのためにそんなことをするのか、優は自分でもわからないという。

 ――嘘をついているのかな。

 疑うことは何度もあった。そもそも、優はわりあい、軽率に嘘を吐く。記憶を求めて路地裏に押しかける真幸を、いつも嘘で騙して、こうして店みせを巡らせていた。

 今日だってそうだ。なにか思い出せそうだと言って路地裏から出た後は、記憶のことなど口にもしない。わずかな可能性にすがる真幸の心を、簡単に裏切るのだ。

 一方で、それを知りながら優について行く自分のことが、真幸自身不思議だった。どうせ、ろくなことにならないとわかっているのに、真幸は懲りずに優の元へ行き、共に町へ出る。

 ――どうせ、私が怒るばっかりなのに。

 データを取り戻したい焦燥感からか、真幸は優に対して辛辣だった。優という間は、らしくもなく怒ってばかりだ。だが、優はそんな態度を気に留めることもなく、真幸の怒りを受け止める。なにが楽しいのか知らないが、がみがみ言われながら、優はいつも楽しそうだった。

 そうこうしているうちに、いつの間にかふた月が過ぎていた。学校帰りに週に一、二度、優に会う生活が当たり前になっている。奇妙な心地だった。

 ――相手は幽霊なのに。

 いつまでもそこにいる相手ではない。いつか相手は消えるもの。そんなものと、どうして顔を合わせ、まるで友達のように接しているのだろう。

 カラリと氷の溶ける音がする。真幸は首を振り、無為な思考を追い払った。

「……まあ私としては、データさえ返ってくれば、幽霊退治でも何でも、別にいいんだけど」

「誤解だよ、真幸。僕はそんなつもりはなくて」

 視線を落とす真幸に、優は慌てて否定した。

「ただ、真幸と一緒に出かけたいだけだよ。だからこうして、いろんな店を探して――――」

「探して?」

「あ」

 優はしまった、というように口をおさえた。真幸は冷ややかに、優の声の方向を見つめる。

 ――わかってはいたけど。

「…………思い出した、っていうのは嘘なんだね」

「いや、ええと……」

 優は彼らしくもなく口ごもった。焦っているのか、それとも対して気にしていないのか。顔を見られないと、こういうときに判断が付かない。

「……もういいよ。優は記憶を戻すつもりなんてないんでしょう? 行く場所も幽霊のいるところばっかりだし。幽霊退治がしたいだけなんだ」

「そんなことないって!」

 真幸の言葉を、優は強く遮った。身を乗り出したのか、声が先ほどよりも近い。だけどやはり、その姿を見ることはできない。

「僕は本当に、君と一緒にいたいんだ!」

 勢いに気圧され、真幸は瞬いた。真幸にしか聞こえない優の声が、店に響き渡る。いつまでも注文をしない真幸を気にしてか、店の老夫婦が振り返った。

 なにか答えようと口を開くが、瞬時に言葉が出ない。代わりに、妙な思考が浮かび上がる。

 ――――それって、告白みたいじゃない?

 優の顔は見えない。ずるい、と真幸は思った。だからこそ真幸は、変に意識してしまう。

 ――いや、相手は幽霊。私のデータを消した、嘘つきな悪霊だ。

 誤魔化すようにメニューに目を移し、真幸は深く息を吐いた。

 ――それに、優は男だ。男なんて、みんな都合の良いことばっかり。

 意識するまい。気にするまい。男は平気で人を裏切る。愛していると言う口で、真幸を捨てていくのだ。

 優だって、きっとそう。男なんて信用ならない。真幸は心の中で、自分にそう言い聞かせた。


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