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2-4

 アンティークショップは以前に来た時と変わらず、別世界のような空気が流れていた。

 店に漂う甘い香り。ゆっくり流れるオルゴールの音。リボンやレースに彩られ、可愛いもの以外を寄せ付けない。なんど足を踏み入れても、居心地の悪さに真幸は尻込みしてしまう。

 店の客は、一人だけだった。ちょうど真幸が駆け込んだときに、その客も出て行くところで、うっかり肩がぶつかってしまった。

「ご、ごめんなさい」

 慌てて真幸は頭を下げた。

 相手は、真幸よりもいくらか年上だ。大学生か、それよりも少し上くらいだろうか。今時分では寒そうな、薄手のワンピースを着た女性だった。

 いきなりぶつかった真幸に、彼女は気を悪くした様子もなく、「気を付けて」と微笑んで去っていった。

 彼女が店の最後の客だったらしい。今店の中にいるのは、真幸と優と、店員だけだった。店員は、真幸が来たことに気が付いているのかいないのか、一人で歌を口ずさんでいる。

「かわいい、かわいい、かわいい子」

 オルゴールの音に合わせて、彼女は歌う。真幸たちに背を向けたまま、カウンターの奥で作業をしているようだ。いつか見たような、チェックのスカーフとワンピース。腰に巻かれたリボンが見て取れる。

「かわいい子が好き。かわいいものが好き」

 歌声は、人気のない店内によく響いていた。誰もいないと思ってか、その声量は次第に大きくなっているようだ。

 なんの作業をしているのだろうか。彼女の傍には工具が広げられている。アンティーク修繕でもしているのかもしれない。

「優、どう? なにかわかる?」

 真幸は店員から目を離すと、優に小声で問いかけた。撮影禁止の注意を受けているので、カメラは構えない。優がどこにいるのかは、今の真幸にはわからなかった。

「優?」

「見て、真幸」

 店の一角で、優の呼ぶ声がした。真幸は素直に誘われて、声のした方へ向かう。

 アクセサリーの棚の前で、真幸は足を止めた。

「似たようなペンダントがいっぱい」

 優の声は、すぐそばで聞こえた。彼の姿は見えないが、示しているだろう場所はすぐにわかった。

 あの地味なペンダントと同じものが、ひとつの区画を占拠している。中古の格安品として、投げ売りされているらしい。ペンダントに嵌められた石は、どれもこれも暗く光を通さない、くすんだものばかりだった。ペンダントのみならず、ブローチや髪留めにも加工されているが、元が元だけにあまり心惹かれるものはなかった。

「これ、全部いけないよ」

「いけない……って」

 由美が持っていたものと同じだろうか。

「よくない気持ちが込められている。ああ、そうだ、思い出した。だから僕は――」

「かわいい」

 優の声を、歌声がさえぎる。

「かわいい格好のかわいい子が好き。かわいい、かわいい女の子」

 上機嫌な歌声は、徐々に大きさを増し、いつしか店のどの音よりも大きくなっていた。

 かわいい、かわいい。繰り返すその音は、どこか妄執めいて聞こえた。

「……優」

 真幸は傍にいるはずの優に呼びかけた。

 明らかに異常だった。彼女の声は、いまやオルゴールさえもかき消していた。

 歌う彼女の声だけが、店に響き続ける。しかし、彼女は振り向きもしない。座って作業をしたままだ。大声で歌っているはずなのに、彼女の方は揺れもせず、身じろぎさえもろくにしない。

 不気味さにおののき、一歩足を引いたとき、真幸の背中になにかが当たった。

 店員を見つめる真幸背後にあるのは、商品の飾られた棚のはずだった。ちょうど、優が見つけたペンダントのある場所だ。目の前に立って品物を見ていたのだから間違いない。

 だから、誰もいるはずはない。人の立てる場所などないのだから。

「――――かわいい」

 背後から聞こえた声に、真幸はぎこちなく振り向いた。

 目に映るのは、真幸を見下ろす黒い影だった。棚から滲みだし、ぼんやりとした人の輪郭を描いている。

 それは真幸の肩を抱いた瞬間――不気味にゆがんだ笑みを浮かべた。

「かわいい子が好き。かわいい格好のかわいい子が好き。ずっと、ずっと聞いていたい」

 歓喜に満ちた歌を、それは真幸の耳に囁きかけた。震える真幸の喉から、悲鳴にならない呼吸が漏れる。

 肩に触れる存在が、凍るほどに冷たい。妄念が真幸を捕らえ、飲み込もうとしている。

 ――――怖い。


「だめだよ」

 ぞっとするほどに低い声が、真幸の腕を引いた。

「真幸は僕が先に見つけた。僕のものだ」

 黒い影から引きはがされ、真幸は前のめりに倒れた。転びかけた体を、声の主が受け止める。シャツの感触と、知らない男の人の胸。顔をあげれば、前を睨む優の姿があった。

 優は真幸の体を抱きとめ、肩を掴んでいた。掴まれている感触がある。触れている感覚がある。真幸よりも背が高く、固い男の体だ。

 目を見開く真幸に、優はにこりと笑った。気を落ち着かせるための優しい笑みは、なぜだか真幸の背筋を凍らせる。先ほどの影よりも、ずっと良くないものに触れているような心地がした。

「かわいい子……」

 黒い影は、真幸を追いかけ手を伸ばす。うっとりとした歌声とともに、すがるような黒い手のひらが、真幸にもう一度触れようとする。

 暗い、深い妄念が、少女を求めている。

「あげられないよ。彼女は僕のかわいい子だから」

 その黒い手を、優が掴む。握りしめられた影は、逃れようと身じろぎをする。が、優は離さない。暴れくねる手をおさえて、彼は一人、涼しい顔をしていた。

 暴れる影は、優に掴まれた手の先から、ゆっくりと溶け出した。どろり、どろりと重たく溶け、少しずつ形を小さくする。小さくなるほどに、苦しげにもがくが、いつしかそれも止めた。

「かわいい、わたしの――――」

 すべてが溶けて落ちたとき、歌声は聞こえなくなっていた。

 オルゴールの音だけが、静かな店に響いていた。


 泥のたまりも消えたとき、カウンターにいた店員がはっとしたように立ち上がった。背を向けていた入り口に振り向き、真幸たちを見て、しばらく瞬きをする。

 それから、慌てたようにカウンターから出てきた。

「あら、すみません。いらっしゃいませ。おひとりさまでしょうか? お好きに見て行ってくださいね」

 愛想よく笑う彼女に、真幸は会釈した。

 優の姿はもう見えない。肩に触れた手の感触も、幻みたいに消えている。


 結局またしても、なにも買わずに真幸は店を出た。

 冷たい風の中、まだ非現実の中にいるような心地だ。だけど優の姿は見えないし、触れられない。カメラを構えて、はじめて確認できる。

「優」

「なに?」

 そう問われて、真幸はすぐに言葉が出てこなかった。どうして優の姿が見えたのか、優に触れられたのはなぜか、疑問はいろいろある。

「あれも、やっぱり幽霊だったんだよね?」

 だが、出てきたのはそれらの疑問のどれでもない。核心に触れるのを避けるようにして、真幸は言葉を投げかけた。

 真幸の問いに、さあ、と優はあいまいに答えた。

「僕には生きているものと死んでいるものの区別はつかないから、どっちかはわからないよ。でも、やっぱり『悪いもの』だったね」

「……私の友達は、もう大丈夫なのかな」

「たぶんね」

 優はいつもと変わらず、飄々と答える。

「あの影は、ペンダントに感じたものと同じだったから。ペンダントに対して、なにか強い思い入れがあったみたい」

「思い入れ……」

 なぜだろう、と真幸は思った。

 かわいいものが好き。かわいい子が好き。そう言っていたのに、他の無数のかわいいものではなく、よりにもよってあの地味なペンダントに、影は憑りついていたのだ。

 あの影の、死の間際の持ち物だったのか。かわいくないペンダントだからこそ、かわいいものに憧れた――とか?

 考えても答えは出てこない。だけど、そのことはずっと真幸の心に引っかかっていた。


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