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2-3

 由美から相談を受けたのは、それから数日後のことだった。

「後を付けられている気がする?」

 昼休みの教室。昼ご飯を半分以上残して、由美はうつむきがちにうなずいた。

「気のせいかもしれないんだけど……」

 そう言う由美は、いつものような歯切れの良さがない。視線を伏せ、ぽつりとつぶやくその様子から、ずいぶん憔悴しているらしいとわかった。

「一人でいると、ふと視線を感じることがあるの。でも、振り返ると誰もいない。家にいるときなんかもそう。誰かに見られている気がするの」

「……ストーカー?」

「わかんない。ほんと、勘違いかもしれないし」

「勘違いとか言ってる場合じゃないって。本当だったらやばいでしょ」

 一緒に話を聞いていた瑞穂が、叱咤するようにそう言った。しかし、由美の口ぶりは相変わらず鈍い。

「実際に誰かがいたのを見たわけじゃないし。それに……」

 由美は一度言葉を切ると、不安そうに真幸と瑞穂を見た。言っていいのかどうか、悩んでいる様子だ。

「信じてくれるかわかんないんだけど」

 視線をさまよわせ、指で前髪をいじり、由美は深い息を吐く。

 それから、意を決したように顔を上げた。

「誰もいなかったの」

「……うん?」

「家に帰る道で、後ろから足音が聞こえたの。私と同じ早さで、ずっとついてくるの。それに、ぶつぶつつぶやく声も。私、家に帰るときに結構長い一本道を通るんだけどね、そこってなにも隠れる場所がないのよ。電柱も細いし、人が隠れても半分以上見えちゃうような感じで」

 昨日の学校帰り、由美は一人でその長い道を歩いていたという。

 道の片側は、公営住宅を囲う一連のフェンスが続く。反対側は、ごく一般的な民家が立ち並ぶが、ブロック塀が隙間なく積まれていて、こちらも一連の壁のようになっていた。分かれ道どころか、家々の間隙すらもないような場所だ。

 足音が聞こえたのは、その長い一本道の半ば。距離は、そう離れてはいなかっただろう。背後から響く、こつ、こつという足音が、由美の耳にははっきりと聞こえた。

 こつ、こつ、こつ。由美と同じペースで進む足音に合わせて、もう一つ雑音が聞こえた。足音同様、同じ音の繰り返し。同じペースで、同じ大きさで、近づきもせず、遠ざかりもしない。

 それが、人の声だと気が付くのには、少し時間がかかった。だけど気が付いてしまうと、もう駄目だった。聞き取れてしまう。

 その声は、男とも女ともつかなかった。

 ――かわいい、かわいい子。かわいい子が好き。かわいい格好の、かわいい子が好き。

 歌うように滑らかに、何度も何度もそうつぶやく。

 由美は、全身に鳥肌が立った。変態だ。

 このとき、走って逃げ出せばよかったのかもしれない。だけど由美は勇敢にも、相手を見てやろうと思ってしまった。

 この一本道ならば、逃げる場所も、隠れる場所もない。だから、振り向けばそこにいる人物がわかるはずだった。

 足音はずっとついて来ている。歌う声も聞こえている。大きさは変わらず、由美が歩く速さに合わせているようだった。

 由美は意を決して振り向くが――。

「振り向いた途端、聞こえていたはずの足音も声も聞こえなくなったの。それから、家に帰るまでずっと、なにもなかった。だから勘違いだとは思うんだけど、でも、やっぱり不気味で……」

「由美」

 瑞穂は由美の肩に手を振れた。彼女の肩は、固く緊張していた。

「今日は一緒に帰ろう。送っていくよ」

 うん、と由美はつぶやいて、長く息を吐いた。


 放課後。由美を送るのは瑞穂に任せ、真幸はまっすぐに駅前の路地裏に向かった。

 心当たりしかなかった。

「優!」

 いつものビルの谷間で、真幸は優の名前を呼んだ。

「優! 出てこーい!!」

「なあに、真幸」

 やわい声が聞こえた方角へ、真幸はすぐさまカメラを構えた。

 優は相変わらずとぼけた様子で、真幸にあくびをして見せる。

「どうしたの、そんなに大声出して」

「どうしたもなにもない! 優、なんとなくそうかな、って思ってたけど、いつも幽霊のいるところに連れ出してたでしょう!」

 優の行く先々、真幸は何度も幽霊を見てきた。怪しい影、姿のない声、奇妙な人影。数を上げればきりがない。

 路地裏にいるとき、真幸は優以外の幽霊を見たことはない。現れるのは決まって、優が行きたいと言った店や場所だ。

 幽霊を呼び寄せているのは、優の方だと疑ったことがある。だけどきっと逆だ。優の方が、幽霊に呼び寄せられている。

 優は真幸を見て、ぱちくりと瞬いた。それから、いつものように能天気な声で答えた。

「そんなつもりじゃないんだけどなあ」

「あのアンティークの店も、幽霊がいる場所だったんでしょう! あそこになにがいたの!」

「なにって」

「あのペンダント、なにが『いけない』なの? 呪われているとか、不幸を呼ぶとか? 教えて!」

 カメラを構えたまま、真幸は優に顔を近づける。優は驚いた顔でのけぞった。真幸の剣幕に、いくらか引いているようだ。

「本当に、今日はどうしたの、真幸。ペンダント? それ、なんだっけ」

「なんだっけ、じゃない!」

 とぼけた優を、真幸は一喝する。いつものらりくらりとした優も、今日ばかりは逃さない。

「あれのせいで、私の友達が憑りつかれちゃったんだよ! 優の言っていたペンダントを買ったせいで!」

 必死の真幸を、優はしばし見下ろした。

 笑顔の消えた優は、心底困ったような顔をしていた。

「覚えてないなあ……」

「思い出す!」

 頭を抱える優の背を、真幸は非情に叩いた。当然、手は優に触れることなく、空を切るだけだ。


「やっぱり思い出せないや」

 真幸の熱心な説明の甲斐もなく、優はついに音を上げた。

「髪飾りの方はよく覚えているんだけどなあ。ペンダントの方は、地味だったことくらいしか印象にないよ。それで、なんとなく、真幸が持つのは嫌だなあって思ったくらい」

「なんで嫌だと思ったのかとか、持ったらなにが起こるかとか……」

「わからないなあ」

 優は頭を振る。いつものはぐらかしではなく、本当にわからないらしい。これ以上追及しても、真幸の望む答えは返ってこないだろう。

 たった一度、一目見ただけのペンダントだ。造作が気に入ったわけでもない。忘れてしまうのも無理ないことだ。

 だが、真幸は気落ちしていた。勢い込んで路地裏に乗り込んだだけに、反動は大きい。

 ため息を吐く真幸を見やり、優は慰めるように言った。

「……僕としては、真幸じゃなくてよかったよ。そのペンダントを持っているのが」

「よくない」

 優にとっては他人でも、真幸にとっては友だちだ。優ほど他人事のようには語れない。

「優ならわかると思ったんだけどな……」

 ビルの外階段に腰を掛け、真幸は膝を抱きしめた。冬に向かう風はますます冷たく、真幸を芯から寒からしめる。落胆に何度目かの息を吐けば、優のためらいがちな咳払いが返ってきた。

「……僕なら?」

「そういうの、詳しいでしょう? 前も言っていたじゃん。悪いものだとか、暗い感情とか。こう霊感みたいなものがあるんじゃないの?」

 幽霊に霊感というのも妙な言い草である。しかし、真幸には他に上手い言い方が見つからなかった。

 カメラを置き、膝を抱く真幸には、優の姿は見えない。ただ、隣にいるだろう気配はしていた。間近で身じろぎをしているような、空気が揺れる感覚がある。

「…………真幸はさ」

 そして、身じろぎのあとに、声が聞こえる。

「僕を頼りにして、ここにきてくれたの?」

 む、と口をつぐみ、真幸は声から目を逸らす。優の声には、期待が込められていた。その声音は、褒められる瞬間を待つ、犬にも似ている。

「僕ならなんとかできるって、信じてくれていた? だから今日、あんなに急いで駆けつけてくれたの?」

 真幸は膝を抱く手に力を込めた。鬼のような問いかけだ、と思った。

 肯定すれば優が喜ぶ。結果的になんともならなかったのに、優を喜ばせるのは癪だった。そうでなくとも、頼りにしていると認める自分自身が癪だった。

 だけど、否定をすれば嘘になる。躍起になって「そんなことはない」と言い張ることも、逆に意識しているようで癪だった。

 相手は幽霊だ。真幸の大切なデータを消した悪霊である。真幸は優の記憶を取り戻し、データを復元させることだけが目的だ。

 それだけのはずだ。

 真幸は悩みに悩んで、結局しぶしぶ頷いた。否定する方が、どちらかといえばむきになっているように思えたからだ。

「……だって、幽霊に関することだし。そういうの、優くらいしか知ってそうな人いないし」

「そう」

 真幸の言い訳めいた言葉も無視して、優は明るい声を上げた。姿がなくても、喜んでいるのがわかる。どこか浮かれたような空気が伝わってきた。

「真幸が信じてくれるなら、僕も応えないといけないね」

「応えるって、思い出せもしなかったのに」

「思い出さなくても、できることはまだあるよ」

 むくれた真幸に返ってくるのは、微笑む気配だった。

「もう一度、あの店に行ってみよう。なにか解決の糸口があるのかもしれない」


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