敵対する二国
「おーい起きな、ついたよ」
「……んを?」
頭を叩くモフモフとした感触で女騎士は目を覚ました。
どうやらこの派手に揺れる馬車に乗りながら熟睡していたらしい。この少女の尻尾の恐ろしさを改めて実感していると、その尻尾がするりと手から抜けた。離れる間際に彼女の頬にすりすりと擦り付けるのを忘れずに。
「わぷっ……ってヨダレ!つけないで!」
「自分のでしょうが」
うぅ……と頬についた濡れた感触を拭いながら、女騎士は周りを見渡した。
そこはもうすでに馬を管理する牧場で、馬を預かりにきたであろう男がなんともいえない顔でこちらを見ていた。
隣で狐耳の少女がクスクスと笑っているのが聞こえる。
「……なに?」
「い、いえ……お疲れさまでした」
すごまれた男はあわてて姿勢を正す。
その横を女騎士はずかずかと通り抜けた。
狐耳の少女が未だにニヤついていたのですこし強めに頭をはたいてやった。
アリトラル。そこは世界最大の人魔共存国で、二万を越える魔族と人間がともに手を取り合って暮らしている。
その国に種族の垣根はなく、人と魔族だけではなく人間と魔族との間に生まれた半人半魔も多数存在する。また人魔混合の騎士団による昼夜を問わない見回りにより治安も非常によく、まさに理想の国家といえる。
しかし、最近とある重大な問題が発生していた。
それはこのままにしておけば、いずれまた大きな戦争へと発展し
かねないものだった……
……とここまで現実逃避をしていた女性は目の前の現実を見やり、悩ましげに清流を思わせる豊かな銀髪を揺らした。
「私は最初からやめるべきだと思っていたんだよ」
「またそれ!?乗ったあんたも悪いって言ってるでしょ!」
目の前で女二人、子供のように口喧嘩をしていた。
理由も借りた馬車を壊した責任の擦り付け合いだ。貸した側からしたらどちらでもかまわないのだ。
「ねえ……」
小さく一言。たったそれだけで目の前の二人は固まった。
コンプレックスである角と身長もこんな時には役に立つのだ。
「……申し訳ありませんでした」
女騎士が深々と頭を下げた。
「……………………」
狐耳の少女はしばらく黙り、ぼそりと一言
「……おっぱいオバケ」
その直後、彼女の頭に鉄槌が下った。
「とにかく……」
銀髪の女性が姿勢を正す。たったそれだけで周りの空気が荘厳なものへと変化した。清潔な城の背景も相まって一つの聖画もかくやといったところだ。
「騎士サレン、そしてミタマ、無事でなによりです」
その一言一言が威厳に満ち、二人は知らず知らずのうちに背筋が伸ばされていくのを感じた。
「当然の事です。アリシア様」
アリシア=アルレシア。それが彼女の名前だ。
かつて起きた大戦で魔族の軍を統率した魔将の一人で、彼女の評価は人によって様々だ。あるものは魔術の「天才」と、あるものは民に希望を与える「光」と、……あるものは魔王を死に追いやった「戦犯」と。
彼女は大戦が始まる前から魔族と人間の共存を夢見ており、その願いと自身の魔将という立場の板挟みに悩んでいた。そこに現れたのがかの有名な勇者様だ。彼は彼女の願いを笑うことなく聞き入れ、もし自分が大戦に勝利した暁には人魔共存の大国を創ると約束したらしい。そんな勇者に感銘を受けた彼女は魔王を裏切って人間側につき、魔王を倒すに至ったのだそうだ。かくして彼女は人間に大いに感謝された。今では王の側近として長年国を支え、数多くの民の羨望の的となっている。
女騎士サレンと妖狐のミタマはそんな彼女の従者であり、
自分たちを育ててくれた親代わりでもあるのだ。
近くで接する事でわかる彼女の人柄は、民達が尊敬するのも納得なものだった。
「……最近蛮族の類が増えている気がします」
「ええ、そうね……」
「どーせヘブラントの連中でしょ」
ミタマはほぼ決めつけるような口調でその国を口にした。
ヘブラントとはここからはるか遠くにある魔族中心の国家の事だ。大戦が終わったとはいえまだまだ人間と共存することに反対する気性の荒い魔族は多い。
そんな荒くれ者達が集まり、アリトラルに匹敵する巨大国家を作りあげたらしい。到底信じられない話だが事実としてヘブラントという国家は確かに存在し、アリトラルからヘブラントに移りたがる魔族も一定数存在しているらしい。
「私もそう思います。ただ……」
「……それを明言するわけにはいかない」
サレンが言葉を継いだ。その表情は険しい。
「むしろこちらに明言させるのが目的と私は考えています」
「……早い話が戦争の口実ってことか」
「……ええ」
アリシアが悩ましげにその豊満な身体を揺らした。
ヘブラントの民が求めるのは戦い、つまり大国であるアリトラルとの戦争だ。もしこちらが仮に真実だとしてもヘブラントを批判、因縁をつけてしまえばこちらに戦争をする口実をつくりかねない。
「それに今はそれどころではありませんし」
「噂の王位継承の件ですか?」
「ええ……」
「……今の話聞いた感じだとその話はあっちがしびれを切らしたって私には見えるけど」
「私もそう思います」
ミタマの発言にアリシアははっきりとうなずいた。
王位継承の件というのは最近この国の内部を騒がせているある事件の事だ。現在この国は血筋に基づき、王ルディウスによって治められている。
だがある日、ヘブラントから一通の手紙が届けられた。
その手紙曰く、
「ルディウスは正統な血筋の王ではない、正統な血筋の者は我が国が保護した。速やかにその王位を譲るべし」と、
送られてきたのはそれだけで、その「正統な血筋の者」とやらは姿どころか絵も何も情報が無い。
「根も葉もないなんてレベルじゃないでしょ……」
「アリシア様はどうお考えで?」
するとアリシアか少し表情を曇らせた。
「いえ……ルディウス様が先王と王妃の子であることは確かです。ただ……」
「ただ?」
その表情をみたサレンは戸惑う。
それは今までで初めて目にする表情だった。まるで何かを自分達から隠すような、口に出す言葉を探っているような顔だったのだ。しばらく沈黙が続き、言葉が紡がれる。
「……ルディウス様に魔力が流れていないらしいの」
「え?」
「……マジ?」
二人の口が固まった。
当然だ。アリトラルの王は代々人魔の共存を象徴する半魔であると義務づけられており、その后も半魔でなければならないという古くからのしきたりがある。半魔同士故にその魔力に大小こそあれ魔族の血が流れている以上その体には例外なく魔力が流れているはずなのだ。
「え?え?つまり今の王様ただの人間って事?」
「そういうことになるわ」
「……それってまずいのでは?」
「ええ……」
アリシアは白磁のように滑らかな手を額に当てた。
「まずい」と言うのは言ってしまえばくだらないことで、
「代々半魔が王として降臨してきた位をただの人間に譲るのはこの国は人間のものであるという事を暗示しているのではないか」
と勘ぐる者がでてくるのではという懸念だ。
馬鹿馬鹿しい考えではある。しかしもし誰かがその噂を国に吹聴し、それを信じる者がいればせっかく取り持てた人と魔族との間に軋轢が生まれてしまう。
そこへやってきたのが件の手紙だ。
今や国の内部は二つの勢力に分断してしまっている。
ルディウスこそ真の王だという者
そしてヘブラントにいるという「正統な血筋」とやらに王位を譲るべきと考える者
さしずめ「人間派」と「魔族派」といったところだろう。
この二つの争いが激化すれば間違いなく戦争が起こるだろう。
「狙ったとしたら大したもんだね」
「……戦争の火種としてはうってつけね」
「……ええ」
一人浮かない顔をするアリシア、その姿がサレンにはどうしても気になってならなかった。
「……あの、アリシア様」
「……どうしました?」
「その……」
サレンは少し迷い、決意を固めてその口を開いた
「この件に関して何か隠し事をしていませんか?」
その瞬間、世界が揺らいだ。
アリシアから妖気があふれ、周囲の景色が紅に染まっていく。
「だとしたら……何です?……教えろと……?」
「い、いえ……決して……そんな訳では……っ」
サレンは膝をつき、床にへたり込む。
全身の力が抜け、体が見えない何かに圧されて軋む。
「ちょ、ちょっと待って!落ち着いてって!」
ミタマが慌てて諫めに入った。
あふれ出す威圧感は嘘のように消え、世界が正しい色へと戻る。
「……ええ、ごめんなさい、少し取り乱してしまったわ」
「いや別に私は……ってねぇ!大丈夫!?」
ミタマは隣の相方の肩を激しく揺らす。
「かはっ!!あ……はっ……はあっ……」
サレンはあえぐような呼吸を繰り返し、息を整える。
脂汗と涙と涎の混ざったドロリとした液体が顎を伝い、音を立てて床へと落ちていく。
アリシアはその様子を眺め、ゆっくりと近づいていく……
「サレン、あなたはとっても可愛い子だわ。でも……」
アリシアが膝をつき、いまだ息の荒い彼女の頬をそっとなでる。
その表情はどこまでも優しく、底知れぬ妖艶さをたたえていた。
「好奇心が過ぎるのはあなたの昔からの悪い癖よ」
「あ……も、申し訳……ありませんでした……」
笛の混ざった掠り声を出し、サレンはそのまま糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
そんな彼女を見つめ、アリシアはなおも美しく笑っていた。
「ミタマ」
「へ……あっ……はひっ!」
ミタマは彫刻のように固まった身体をどうにか動かし、乾ききった喉をふるわせた。
「今日はもう休みなさい。……彼女も一緒に」
「あ……ああ……わかったよ」
ミタマはふるえる二つの尻尾をぎこちなく動かしていまだにヒュルヒュルと音をたてるサレンの体を包み、かばうように背中に移した。
「お疲れさま、私の可愛い娘達」
「ああ、失礼……しました」
ミタマは手汗で滑る扉を開け、外へ出る。
扉が閉まり、狭まる視界。
うっすらと笑みを浮かべる主の姿がやけに目に残った。