プロローグ
「あ゛……?どういう……つもりだ……?」
「もうやめよう……これ以上……あなたと戦いたくない……」
「ふざけんな!殺せよ!ほら!!」
「駄目……あなたには生きてもらうわ。そして平和な世界で、一人の少女として幸せに暮らして欲しい」
「平和!?無理に決まってるだろ!魔族と人間!どちらかが滅びるまで平和なんてやって来るわけがないんだよ!」
「私が創る!人間と魔族が共に、手を取り合って暮らせる平和な世界を!」
「まだそんな綺麗事を……っ!」
「私は……本気よ……だから少し待ってて…………」
「嫌だ!やめろ!せめて……お前の手で……っ!」
「おやすみ……『ミリア』」
「なんで今さら……!嫌!待って!置いていかないでぇ……!」
「………………っ」
「いや……だ……まっ…………………」
「すぐに迎えにいくわ……だからしばらく……さよなら」
大昔、世界は魔族によって支配されていた。
魔族は人間を遥かに越える膂力と魔法を持っており、非力で魔法の使えない人間達は魔族に怯え、魔族の振るう暴力に耐えるしかなかったのだ。
そんな人間の暗黒時代、それを打ち破ったのが勇者だった。
勇者は魔族の身体能力をものともせず戦い、希望を捨てないその様は人間は大いに奮い立たせた。かくして勇者を筆頭に立ち上がった人間達は数々の魔族を押し返し、果てには魔族の王を討ち取るに至った。王を討ち取られ打ちひしがれた魔族を前に、人間達は声をあげた。
同胞の怨みを!我らの痛みを!血の報いを!
残酷に猛る人間はあらんかぎりの怒りを戦意のない魔族にぶつけようとした。だが、勇者はそれを止め、魔族にそっと手を差し伸べた。
共に暮らそう、いがみ合わず、手を取り合って
魔族は勇者の優しき心に感銘を受け、その手を取った。
そうして魔族は少しずつ人間に受け入れられ、勇者は人と魔が共に暮らす国を作り、その国の王として平和に暮らしましたとさ
「ねぇ……」
不機嫌そうな声が上がる。
声の主は間違いなく女性のものだ。だがその身体は男性用の騎士鎧で覆われ、顔は兜で完全に隠れている。その手には手綱が握られおり、ぴしりと伸びた背中には無骨な両手剣が挿されていた。
「ん?なにさ?」
その声に反応したのは彼女の背中に掴まっていた少女だ。顔立ちは若く、まだ成人もしていないと思われる。しかし醸し出す雰囲気に幼さは一切なく、むしろ落ち着いた大人の気配を感じさせる。手入れの行き届いたの赤褐色の髪には狐の様な尖った耳が生えており、外套の裾から出た二本の尻尾はフワフワと空気を取り込んで魅惑的に揺れている。
「なんで今その話をするの?」
「……暇じゃん」
「……暇ね」
平坦な道、特に言うこともない空模様、変わらぬ景色。
移動というのは想像以上に暇なものだ、二人乗り故に馬を飛ばす訳にもいかず、緩やかな速度が退屈を増長させる。
「だとしてもそんな話されてもね……」
「つまんなかった?」
「と、いうより聞き飽きたわよ」
「まあね」
人と魔の架け橋となった勇者のお話。
王国で育てば大人に成るまでに必ず五回は聞くと言われるほど有名な話で、この退屈を潰せるものとは思えない。
「私ど しても気になる事があってね」
「……何?」
「どうして勇者は人魔共存なんて考えたんだろう?」
「……それは勇者が博愛主義だったからじゃない?」
表現こそ違うかも知れないが大抵の者ならそう答えるはずだ。
勇者が持っていた優しき心。人々はそれに憧れて自分もそうあろうと振る舞い、子供達にそうなって欲しいと教え込む。そうして人間と魔族が共に暮らせる国の基盤が出来上がっているのだ。
「けど昔の魔族は今とは全然違うだろう、知り合いの一人二人は殺されたと思うし、そんなやつと仲良くなりたいと思う?」
「まあ、確かに」
「それにどっかの伝承じゃたしか……」
「待って。……無駄話は終わりみたいね」
女騎士の視線の先、行く道を塞ぐように人影が並んでいた。
ふと後ろを見るとどこで待ち伏せしていたのかぞろぞろと大柄な男達が歩いてくるのが見えた。その手には飾り気の無い武骨な武器が握られている。
「おおー……意外と多いね」
「…………」
狐耳の少女の呑気そうな言葉をよそに騎士鎧の女は馬から降り、背中の両手剣を手に取った。やって来た男達は二人を取り囲み、下卑た笑い声をあげた。そしてリーダーであろう大剣を担いだ男が前に出て二人を見据える。青みを帯びた黒い皮膚、獲物を殺すために生えた鋭い牙と爪…………魔族だ。
「騎士様にお嬢ちゃん……デート中かい?運が悪かったな」
「……あんたがリーダー?」
「その通りだ。ま、無駄な抵抗は……」
「……あんたら馬鹿でしょ」
「……………………あ?」
鎧騎士からの急な罵倒。周りを取り囲む男達に緊張が走り、魔族の男のこめかみに青筋が浮かび上がる。
「なんだてめぇ!?誰が馬鹿だって?あんまり調子に乗ってると……っ!?」
男の言葉はそこで途絶えた。鞭のようにしなった何か何かが男の目を打ったのだ。男は予想外の現象に思わず目を押さえて仰け反る。その直後、肩口から腹部にかけて熱い衝撃が走った。傷口から血が溢れ、痛みに呻いて後退る。
「……敵の目前で呑気に話すのも、せっかく取り囲んでいるのにすぐ攻撃をしないのも馬鹿だって言ってるの」
「ま、こっちの仕事が楽になるから良いんだけどね」
カラカラと馬上で狐耳の少女が笑う。背後から伸びる尻尾は通常の倍近い長さになっており、それぞれが触手のようにうねり男達を威嚇していた。女騎士は油断無く両手剣を構え、周囲をぐるりと見渡す。頭領こそ魔族だが、そのほとんどは人間だった。自分達のリーダーがやられ、男達に動揺が広がる。
「なにボサッとしてんだ!お前らも戦え!」
そんな男達を見て魔族の男が傷口を押さえながら怒鳴った。その声にビクリと体を震わせ、男達は武器を構えて突っ込んで来た。
「台詞が三流ね……嫌になるわ、本当に」
女騎士が目の前に迫る剣を屈んで回避する。剣はそのまま振り下ろされ女騎士の背後にいた男に食い込んだ。明らかに連携のとれていないただの突撃だ。女騎士は屈んだ状態から立ち上がり、その勢いのままに両手剣を下から突き上げる。両手剣は深々と相手に胸に突き刺さり、男は口から血の塊を吐き出した。
それを見て、周りにいた数人は剣が刺さった今ならいけると騎士に殺到する。だが、それは正面から駆けて来た馬に蹴散らされた。
「気を付けなよ~」
「……余計なお世話よ」
女騎士は両手剣が突き刺さった男を蹴り飛ばし、剣を乱雑に引き抜いた。
狐耳の少女は馬を見事に操り、決して広くはない道を豪快に駆け回っていた。人一人と全身鎧という重荷をおろした馬は乗っている少女を振り落とさんばかりに暴れ、目の前の障害物を突飛ばし、踏み潰す。男達も負けじと武器を馬に突き出すが、それは全て少女の尻尾に弾かれる。女騎士の振るう剣と狐耳の少女の操る馬は周りを取り囲んでいた男達を容赦なく討ち、その数を瞬く間に減らしていく。
「この……使えない奴らめ!」
魔族の男は傷口をそのままに大剣を振り上げて女騎士に肉迫する。そしてその勢いのままに大剣を振り下ろし、周りにいた味方などお構い無しに地面に叩きつけた。衝撃を受けた地面は抉れ、土煙を撒き散らす。柄から伝わる確かな手応えに男は唇を吊り上げた。だが振り下ろした先に騎士の死体は無く、手応えの正体は騎士の周囲にいた男達のものだった。そしてもうもうと立ち込める砂塵の中、男の耳は背後から発せられる金属の擦れる音を聞き取った。振り向くと砂塵の中から女騎士が飛び出し、こちらに斬りかからんと迫ってきた。
「くそっ!」
走る勢いを生かした全力の突き。それを男は身をよじって躱した。だが完全には躱しきれず、その刃は男の脇腹を抉った。女騎士は突きの勢いを止めて反転し、遠心力を使った横薙ぎの一撃が砂塵を巻き込んで男に襲いかかる。
「舐めんじゃねぇ!!」
男はその一撃を大剣で受け止め、その剛力をもって強引に大剣を女騎士に押し付ける。そうなってしまえば後はこの男の土俵だ。男と女という以前に人間と魔族だ。力比べで彼女に勝ち目は無い。それを証明するように女騎士の剣は少しずつ押しやられ、重厚な刃が彼女を押し潰そうと迫る。
「………………っ」
女騎士の口から声が漏れ、男は勝利を確信した。このまま更なる力を加えようと男が力んだその瞬間、
「っあああああ!??!!?!?」
突然現れた深紅の炎が男を包み、男はもんどりうって地面を転がった。だがその炎は弱まる様子を一切見せず、むしろもがく男を嘲るようにその勢いを強めていく。肉が焼ける異臭を漂わせながら男の体は黒い炭へ、そして白い灰へと姿変え、ようやくその炎は消えた。地面に積もった灰が風に吹かれ、空に舞っていく。
「危なかったねぇ」
砂塵が晴れ、馬に乗った狐耳の少女がこちらに微笑みかけた。背後には大量の男の死体が転がり、その瞳には深紅の炎が輝いている。
「…………助かったわ、ありがとう」
荒い呼吸を繰り返し、女騎士はそのまま地面にへたり込んだ。限界を超えた全身の筋肉が震え、剣をしまうのにも苦労してしまう。そんな彼女とは対照的に狐耳の少女は涼しげだ。種族差と言ってしまえばどうしようもないが、こんなときにはやはり羨ましいと感じてしまう。
「……ぷあっ」
顔を覆っていた兜を外し、下に着けていた頭巾を脱いだ。
頭巾から出た顔は若く、おそらく20代前後といったところだろう。短く切った濃紺の髪と僅かに吊った瞳は相手に強気そうな印象を与え、どことなく野良猫を連想させる女性だ。
「しばらく休んでなよ、これらの処理しないと」
そういって辺りに転がっている死体を指差した。
「……そうさせてもらうわ」
返事をするや否や手を後頭部で組み、仰向けに寝転がった。地面は所々凸凹としておりお世辞にも寝心地が良いとは言えないが、自身に溜まった疲労は強く、彼女の意識はあっという間に睡魔に断ち切られた。
「……さ、燃えな」
狐耳の少女が集めた男達の死体に手をかざすと死体は勢いよく燃え始めた。死体を放っておくとロクなことが無いのだ。まず単純に邪魔だし、時間が経つと腐って道全体に悪臭を撒き散らして非常に厄介だ。何より臭いに引き寄せられて狼にでも彷徨かれたら堪らない。だんだん黒く炭化していく顔がどこか怨念めいたものを発しているようで彼女はどうにもこの時間が苦手だった。そんな怨霊の視線から目を反らし、ふと後ろで眠っている女騎士に目をやった。その寝顔はあどけなく、とても先程両手剣を振り回して人を殺していたものと同一とは思えない。
「…………ふふっ」
狐耳の少女はその安らかな寝顔をそっと撫で、高価なガラス細工にでも触るかのように慎重に二本の尻尾を使って彼女を背負うようにして抱き上げた。そして出来るだけ揺らさぬように馬に跨がり、行きよりも少し遅めに馬を歩かせた。苦労のお陰か彼女が起きる気配は全くない。
「んんぅ……」
女騎士は僅かに身動ぎし、彼女の尻尾に抱きつくようにすり寄った。まるで赤子が母親の乳房にしがみつくような無邪気さで、思わず口角が上がっていく。
「お疲れ、騎士様」
彼女は女騎士の可愛らしい寝顔を慈しむように優しく撫でた。