9.11のあの日のこと
9.11の日が来ると、思い出す。真っ青な空と、果てしなく続く地平線と、胸の奥に迫るような静けさ。
その日、私はモンゴルの大平原にあるゲルでホームステイ中だった。電気も水道もないところ。日が沈めば、ろうそくの灯り以外見えない真っ暗闇。みんなが寝静まってしまえば、聞こえるのは、家畜の鳴き声と、風の音だけ。
だから、私はその一大ニュースを全く知らなかった。知ったのは、翌日。テレビのある家にホームステイしていた仲間から聞いた。でも、いまひとつピンとこなかった。
実際に映像を見たのは、さらに二日後。都会に戻ってきて、初めて仲間の言葉の意味を知った。
モンゴルに来る前。私は大学の留学プログラムでアメリカにいた。といっても、私がいたのは西海岸側で、ニューヨークのある東海岸側には行ったことがなかった。
それでも、衝撃だった。ほんの数か月前にいたアメリカで、まさか。少しでもその日がずれていたならば、あの出来事の当日、私はアメリカにいたのかもしれない。
そんな世界的大事件が起きたとき、草原はいつも通りだった。青い丸い空。ぐるりと取り囲む地平線。馬や牛は草を食み、風が草を揺らしていた。ただ、自然と人の営みがそこにあるだけだった。同じ地球でそんな出来事が起こっていると思えないほどに、ただ静かだった。
人はどうして、そのように生きられないのかと思う。日々の営みを、ただ静かに。
対抗するだけが、手段ではないはず。風が吹けば草がしなるように、相手を受け入れることはできないものなのか。
だから私は、草原を思い出す。ただ静かだった、あの日のこと。