夏休みの宿題のこと
子どものころは、とりあえず与えられたからやっていた夏休みの宿題。早めに全部終わらせて、なんて思っているのは最初だけで、結局ぎりぎりになってやっとのことで終わらせていた。
それは今も昔も変わらないのだろう。うちの長男は、とうとう終わらなかった。終わらないまま新学期を迎えるのもいい経験だろうと思って、途中でも切り上げさせた。ぎりぎりになって終わった、という達成感を覚えてしまうと、それが快感になってずっとそんな調子になってしまうらしい。だから、終わらなかった、という経験もさせてしまったほうがいいのだろうと思った。
それはそれとして。最近の学校がそうなのか、うちの学校だけがそうなのか、不思議な宿題がいくつかある。
一つは、毎日の朝ごはんを書く宿題。主食、汁物、おかず。それぞれ毎日書かなければならない。ついでに、朝昼晩の丁寧な歯磨き、朝は7時までに起きたか、夜は10時までに寝たか(低学年は9時)。朝の洗顔をしたか。そんなチェック項目まである。
子どもは書かないので、結局親がやる。というか、そもそもすべての説明が普通に漢字を交えて書いてあるので、低学年ができるはずがない。親がやるのが前提の宿題のような気がしている。
ちゃんとやってなくても、適当に書くことができてしまう。家の事情によっては、朝ごはんから、主食、汁物、おかずの三つをそろえるのが大変なところだってあるだろうに。
朝ごはんやら生活リズムやらが大事なのはよくわかる。わかるけれども、これ、必要? ここまで管理しないと、最近の家庭はダメなの? 毎年疑問。
次に、読書記録カード。目標10冊。読んだら本のタイトルと、読んだ日付を書く。
いや、これもね……読書が大切なのはわかる。わかるんだけれど、こんなの書かなきゃいけないってなると、かえって読む気無くす気がしない? 読んだ本を、わざわざ先生に知らせる必要あるかな? しかも日付まで入れて。
読書って、ひとりで完結するものじゃないのかな。本は、誰が読んでもいいけど、感じたことは読んだ人だけのもの。本を読むのが好きな人は、記録なんかつける必要ない。読後の満足感とか、達成感とかは、読んだ人だけのもの。読みたければ、自然に次にも手が出る。シリーズ読破とか、同じ作家さんの本を読むとか、自分なりのルールで読み続けられる。そういうものじゃないのかな。
それから、やっぱり定番、読書感想文。
高学年ならまだいい。読んだ内容を簡潔にまとめ、自分の考えを人に伝わるように書く。これはとても大切な作業で、新しく始まる大学入試にもそんな力が求められている。
でも、低学年にまで感想文を出させる? まだ、自分の考えを伝えるの術もほとんどなくて、ボキャブラリーもなくて、一年生なんか、まだ漢字もちゃんとやっていない状態で。
思ったことを書け、というなら、「おもしろかった」「つまらなかった」で終わってしまう。どこがどう具体的に面白かった? それを無理やり探して、書かなければいけない。読むのがやっぱりつらくなりそう。
私は、得意だったけどね。感想文。それは私が話すより書いたほうが自分の気持ちを伝えられる子どもだったから。でも、得意だっただけで、好きだったわけでもない。本は、ひとりで読んで、ひとりで楽しんでいたいタイプだった。
一行日記というのも、変な宿題。毎日一行、何かしら書く。そんな、毎日何か起こらないよね? 結局、似たような内容がただ毎日続くだけ。宿題しました、テレビ見ました、友達と遊びました、ゲームしました。この宿題、多分一番つまらない。
その点、勉強系の宿題はわかりやすい。問題があって、答えを書く。終わりも見えやすい。一学期の復習という目的もわかりやすい。
子どもに学力を身につけさせたいなら、まずは反復。学校もそれをわかっているから、普段の宿題ではドリルの課題を欠かさない。夏休みはそれに加えて、上に書いたいろんな宿題やら、自由研究などなど、いろいろ課題を出す。そして、アウトドアなど、夏休みにしか体験できないことをたくさんしてください、という。
なんだか、疲れちゃう。学習も、家庭の生活も、遊びも、趣味までも管理されているみたいに見える。
こうしたほうがいい、ああしたほうがいい。それはわかるけれども、なんだかね……。
ひどく窮屈じゃない?
一保護者の感想でした。