運命は変えられるのか?
大学の授業の一環で、アメリカの大学に短期留学したことがある。そこで最初に出されたお題はルームメイトにインタビューすることだった。いくつか質問の項目があったけれど、一番心に残っている質問がある。「運命は変えられると思うか?」という内容だ。
アメリカ人とは基本的にポジティブだ、と私は思っていた。陽気で明るい。細かいことなんて気にしそうにない。もちろん、個々に性格は違うだろうけれど、ざっくりとそんなイメージがあった。だから、この質問に対し「イエス」の答えが返ってっ来るものだと思っていた。
でも、ルームメイトの返答は「ノー」だった。
彼女は言った。
「運命とは変えられないものよ。自分が何をしても、どうしても、神様が決めたことだから仕方がない」
私はびっくりした。だから思わず反論した。
「そんなことはない。どんなに悪い状況でも、自分次第で運命は変えられる」
彼女と私の意見は平行線で、一致することはなかった。
翌日、クラスでインタビュー内容をお互いに発表しあう時になって驚いた。たいていのアメリカ人は、運命は変えられないものだと思っていたのだ。
よくよく考えればそうなのだ。キリスト教を信仰する彼らは「神様の決めたことだから」と自分を納得させるのは当たり前なのだ。それが良い悪いではなくて、考え方の基準、根底がそうなっているのだ。
そうなると、日本人のほうがポジティブな気がした。日本人は「運命は変えられる」と思ってる人のほうが多いのではないだろうか。事実、その時の留学組のクラスメイトのほとんどは「変えられる」と思っていた。人の運命なんて、自分次第なのだと。
今にして思うと、あの質問は留学して日も浅い私たちが、カルチャーショックを受けるために想定された質問だったのだと思う。日本という狭い価値観の中で過ごしていた私たちが、全然違う価値観を知るために用意された質問。
運命は変えられる、というより、決まっていないものだと思う。用意された未来に向かうのではないのだ。人はそれぞれ必ず人生の岐路に立たされる時が来る。一度ではなく、何度でもそんな時が突然訪れる。自分で選択肢を選び取った瞬間、初めて目の前に道が開ける。その先に待つのが何であろうと、選んだ自分次第だ。
それは、神様が決めたこと、と考えるより、案外しんどいような気もする。