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雑記帳  作者: 風花ふゆ
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卒業制作

 私の卒業した小学校に、今は息子と娘が通っている。だから、何十年ぶりかに母校の中に足を踏み入れる機会が多くなった。

 外装は少し変わったが、内装はほとんど変わっていない。母校は、記憶の中の通りにそこにあった。

 職員玄関の横に、何枚もの正方形の木の板に囲まれた大きな鏡が飾られている。これは私の学年が作った卒業制作だ。


 私たちは、十五センチ四方の木の板を渡された。指示されたのは二つ。イニシャルでも名前でもいいから、自分が作ったとわかるように大きく字を掘ること。もう一つは、道がつながるようにすること。

 道は、正方形四辺の中央から一センチ幅で作る。単純に十字路にしてもいいし、途中曲がったり、折れたりしてもいいけれど、行き止まりにはしないで、どこかにつながるようにしなければならない。そうやって、それぞれが作った木の板を鏡の周りに並べていくと、六年生全員の道がつながる、というわけだ。

 何回か、職員玄関から入る用があったので、その時には必ずその卒業制作を見上げる。残念ながら、私が作ったのがどこにあるのかは忘れてしまった。滞在時間も長いわけではないので、じっくり見ることもできない。だから、未だに見つけられていないけれど、一つだけ覚えていることがある。当時好きだった男の子の隣に、私の道の板が並べられていることだ。彼の道と、私の道は隣同士でつながっている。

 その彼が、今どこでどうしているのか、まったく知らない。中学までは一緒だったけれど、高校は別々のところへ進んだので、その後の彼の進路を知らないし、共通の友人もいなかった。数年前、同窓会に出席したときに、ちょっとだけ期待したけれど、彼はいなかった。


 道がつながっていれば、どこかで会えるものだろうか。別に話したいとか、あの時の気持ちを伝えたいとか、そういうのは全くなくて、ただ、どうしているのかな、とふと思う時がある。


 今では、卒業制作自体を行っていないらしい。いろんな事情があるのだろうけれど、なんだかさみしい気がした。

 何かのきっかけで母校を訪れたとき、自分たちが作ったものがいまだに飾られているのを見たときの、何とも言えぬなつかしさと、切なさ。これは、作った人でないとわからない気持ち。

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