枕草子と出会った日
中学生のとき、私はマンガで描かれた枕草子に出会った。
田舎の町にある、公民館の中にある図書室の片隅。そのマンガはあった。
別に、興味があったわけではない。歴史はなんとなく好きだったけれど、特別「枕草子」のことを知っていたわけではない。当時、あの有名な「春はあけぼの」で始まる文章すら知らなかった。ただ何となく、マンガだから読んでみよう。そう思って借りただけだった。
一言で言うなら、面白かった。絵の可愛らしさもさることながら、そこに出てくる登場人物が魅力的で、生き生きと輝いているように見えた。
年表には表れてこない、その隙間の日常で生きていた人たちがいたのだ。笑ったり泣いたり、つらいことがあったり、おしゃれしたり、恋をしたり。今、この現代でも繰り返されている事柄が、こんな千年も昔にも繰り返されていたのだ。その時、私は初めてその事実に思い至った。それは、中学生の私にはとても衝撃的なことだったのだ。
マンガは、残念ながら一巻しかなくて、続きは図書室になかった。本屋にもなかった。仕方がないので、現代語訳で書かれた枕草子を読んでみた。
これが読みやすい。現代語訳だから、というのではなく、文が簡潔で、わかりやすい。すんなり自分になじんだのが分かった。
「春は夜が明けようとする頃がよい。だんだん白んでくる山際の空が少しずつ明るくなり、紫がかった雲が細く長くたなびいているのがきれい」
その情景を想像した。春のイメージのピンク。夜明けの空の濃い青と白のグラデーション。そこにたなびく紫の雲。なんてきれいなのだろう。千年前の清少納言は、こんなきれいな情景をこんな簡潔に表したのか。
現代語訳では飽き足らず、原文にも手を出した。古文もまだちゃんと授業でやっていないような中学生が、まともに読めたはずがない。でも、何とか字を追いかけて、最後まで読み切った。
内容の理解はともかくとして、私はそれをきっかけに古文の授業が好きになっていった。相乗効果を発揮して、国語の成績全体がよくなった。「昔のこと=歴史」だったので、歴史の成績もよくなった。歴史は「社会」の科目に分類されるから、ついでに地理の成績もよくなった。理系科目は……散々だった。私の通知表は、国語と社会だけやたらと良かった。というより、私の中のプライドみたいなものが、この二科目だけは絶対に落とさない、という闘志を燃やさせたのだ。好きなのに成績が低いなんて、かっこ悪いじゃないか、と。
それは、中学のときだけにとどまらず、高校まで続いた。国語系と、社会系の科目だけは絶対に落とさなかった。私が文系コースに進んだのは、もう当然としか言いようがなかった。
あの時、枕草子に出会えなかったら、進路すら違っていたかもしれない。