始まりの相合傘
〇 始まりの話
最初に呼ばれたのは救急車だった。
甲高い悲鳴と険しい怒号が響き渡り、騒然となった。駆け付けた教師陣は生徒を散らしつつ、救急へ通報し、保健室へ走った。養護教諭の指示のもと、救急車が到着するまでのひどく長い七分間、横たわる生徒を見つめ続けるしかなかった。砂や小石、埃で灰色に近い元は白かった地面へ、見る間に赤い血が滲んでいく。四肢は力なく投げ出され、頭部の下には縁石があった。打ちどころが悪かったのだということは容易に理解できる状況だ。苦しげでもなければ呻きもしない生徒は血の気が引いていて、もう駄目だろう、と判るくらいの惨状だった。
学び舎である。勉学を学ぶべき場であり、集団生活を経験する場であり、社会に属するためのことを学ぶ場でもあった。決して、命を落とすべき場所ではない。それも、まだ二十年すら生きていない子どもが死ぬような場所ではないはずだ。
遠くで生徒が騒いでいる声は聞こえるが、その場にいた数名の大人は沈黙していた。声を掛けられるような状況ではなかった。養護教諭は駆け付けた直後、生徒へ声を掛けながら脈を計っていた。それももう、聞こえなくなってしまった。
さわり、と秋に一歩踏み込んだ風が吹く。
夏休みが明けたばかりの九月三日のことだ。一人の教師が、顔をあげて三階建ての古い校舎を見上げた。まだ暑いので、窓はほとんどが開けられている。何階から落下したのか見当もつかないが、目撃した生徒はいるのだろう。可哀想に。落ちてしまった生徒も、それを目撃してしまった生徒も、不憫でならなかった。そんな経験は与えたくなかった。後悔しても、どうにもならないことはこの世界には存在する。
落下した生徒の名は、篠宮宗士といった。明るく穏やかで、よく笑う男子生徒。友人も多く、中心にいることが多かった。同学年だけでなく、先輩には可愛がられ後輩には慕われていた。面倒見がよく、世話焼きではあったが、厭味でない。そういう、どこにでもいる高校生だった。もう半年もすれば卒業して、この学び舎を笑顔で、もしくは泣きながら、去って行くはずだった。
赤い鶴がいくつも場違いに池に浮いている。
二〇一五年九月三日。
それが、篠宮宗士の命日となった。