09.記憶が、よみがえる
「おじさん」
宿を出たクエリは、頭を覆うフードを外して、猟師に話し掛けた。
山裾に作られた小屋の、大量に積み上げられた薪の前。
猟師は、彼女が持参した矢毒竜を解体していた。
人間ならば、クエリと同じくらいの年頃の娘がいそうな年齢だ。
「嬢ちゃんか。ほれ、保存食ならそこにまとめてある」
彼はそう言って、薪置き場のそばの作業台を指差す。
見れば、一抱えほどの麻袋が無造作に置かれていた。
矢毒竜一頭と交換で買った、携行食料だった。
「逆鱗は?」
「今取れる…………ほれ!」
彼は矢毒竜の死体の喉元を、手袋と布で二重に保護した両手でまさぐる。
そして指先ほどの何かを引き抜くと、クエリに見せた。
近づいて、受け取る。
竜であれば必ず持っている、喉元に一枚だけ、逆さに生えた鱗。
討伐の証明に、必要なものだ。
「ありがと。ごめんね、初めて押しかけてこんなもの押し付けちゃって」
最初は身の上を隠して調査するつもりだった。
だが、外竜を仕留めるという当初の目的は達成されていた。
既にパースとその母親とに会っている以上、正体を隠す意味も薄い。
ならば、こうして堂々と角や尻尾を見せて、竜人として振る舞った方が良い。
「まぁ驚いたけどな。
竜人の娘っ子が竜を一頭まるごとぶら下げて、嫁入りにでも来たのかと思ったわ」
「さすがに笑えないわその冗談」
猟師はそれにも笑って、答える。
「竜肉は干してもバカ売れだからな。まぁー、久しぶりにいい金になるよ。
ホントはその逆鱗も売ってくれたらもっと嬉しいんだが……」
「これはダメ。それじゃありがとね、おじさん」
「お、おう……」
屠ったばかりの矢毒竜、牙と爪と逆鱗を除いた骨と肉、そして腹わたのほぼ一揃い。
1週間分の保存食に引き取りと解体の代金を差し引いても、釣りが来るはずだ。
クエリは彼に別れを告げて、これからどうするか考えようとした。
その時、彼女は宿で会った医者に、再び出くわした。
「ちょうどいい。君に、教えておきたいことがあった」
「…………?」
医者は、ちょうどこれから、目的地だった町に向かうところだったらしい。
その話によれば。
「君は竜人だから、ご一族から何か聞いているかもしれないが……
アムリタという霊薬の話は知っているかな」
「……名前くらいは」
「創世の時代に、神々が海をかき混ぜて生んだとされる秘薬の名だ。
その効たるや、外傷に塗布すれば千の毒を癒やし、内服すれば万の病を遠ざける。
本物は、不老不死をもたらす力さえあったそうだよ」
「…………?」
医者が彼女にその話をする理由が、今ひとつ掴みかねた。
まさか、神話の時代の霊薬などという、胡散臭い品を売りに来たわけでもあるまい。
「そして昔、その太古の霊薬の再現に挑んだ竜人たちがいたそうだ。
彼らの残した遺跡が、この近くにあるという」
「遺跡……?」
「不完全ではあるが、再現されたアムリタが残されているかも知れないということだよ」
「!!」
クエリの反応は、さして重要ではないのか、医者は少々口早に続けた。
「無論、本物同様の、どんな毒も消し去るような力を持っているかどうかは別だが……
竜人である君なら、一度ご一族の所に戻って、それについて尋ねてみてはどうかとね。
何かの拍子に外科医ギルドにでも知れたら生臭いことになるだろうから、
私はこれ以上は関知しない。
彼のお母さんには、無駄な希望を抱かせたくなくて黙っていたが……
私には次の町にも患者がいて、そっちを放置する訳にはいかなくてね。
あとは、君の自由だ」
ちょうど区切りと言いたいのか、言葉が途切れる。
そこでクエリは、疑問を口にした。
「わざわざ、あたしを探してそんなことを……?」
やや芝居がかった仕草に見えたが、彼は少しの間だけ目を閉じて、答えた。
「私も医者としてはお手上げだったが、わずかでも、何か希望があるならとね。
彼自身は納得していたようだが、ご両親は違うだろうから」
「………………」
それはそうに、違いなかった。
しかし。
「それじゃあ、失礼するよ」
彼はそのまま、マハルの村を歩き去っていった。
街道を行く影が彼女の指の爪よりも小さくなると、別の声が彼女に話しかける。
「クエリ」
振り向けば、それは人間の少年、パースだった。
彼女が心臓を、分かち合った存在。
彼は、やや気まずそうな顔をしつつ、言う。
「ごめん、今の話……
そんなつもりじゃなかったんだけど、聞いてた」
「……別に怒ったりはしないけど」
申し開きよりも、クエリにとっては彼が何故ここにいるのかが気にかかった。
だがそれを尋ねる前に、パースは彼女に訊いてくる。
「そのさ、クエリ。
今話してた霊薬……アムリタていうの、探しに行くの?」
「……最初からあらかた聞いてたのね」
「ごめん……」
クエリは溜息をつきつつも、事情を説明した。
「昔、あたしの父さんが、あたしを助けるために探しに行ったって。
そういう話を聞いたことがあるの」
狩りに出しゃばり、命を落とした娘。
その生命を救うため、その父であるロウル・ルダーヴは自身の心臓を、彼女に分けた。
だが、そのままでは両者ともに、戦う力も、寿命も半減してしまう。
そこで彼は、どこで知ったのか、霊薬アムリタに活路を見出した。
クエリは、その話と、遺跡から地上に戻った時のことを強く覚えていた。
ただその後、ロウルは失踪してしまった。
これは霊薬の所在を、他の氏族や悪しき人間などに知られないためだと言われている。
「それはその、アムリタっていう霊薬で助かったの?」
「それで助かったんだから、今あたしはこうして生きてるわけでしょ。
あたしの心臓が父さんの半分を分けてもらっただけじゃ、
あなたの今の心臓はそのまた半分になっちゃうじゃない」
「それもそうか……じゃあ君は、お父さんと同じことをするつもりなんだね」
「ん……? ま、まぁね?」
尊敬する父と同じ、という表現に、クエリは思わず声が上ずり、口の端がつり上がる。
ただ、幼いころの事ゆえ不明瞭な点もあるのは確かだった。
遺跡に入ってからの道のりなどは全く忘れてしまっていた。
「なんせ8歳の時だったから、途中のことあんまり覚えてないんだけど……
そういう薬があること自体は、あたしが生きてるのが何よりの証拠じゃない?
ともかくあのお医者は、その霊薬に心あたりがあるなら、
それであたしたち二人とも助かるかもってことが言いたかったみたいね」
「……やっぱり、探すの?」
「ここに来る途中、入り口っぽいのが見えたからそこを見てみるわ」
「村の近く? そんなのがあれば村の大人たちが入るなって言うと思うんだけどな……」
少年は、不可解そうにぼやく。
このマハルの村は、特に人間の国同士の国境が近いというわけでもないらしい。
緩やかな谷間を貫く街道の周囲を家屋が囲み、更にその周りに畑。
防塁や防壁といった、地上の外敵を防ぐための設備はない。
せいぜいが野獣の侵入を防ぐ門と柵程度で、その周辺は草の茂った予備地だ。
そうした平和な村であれば、やや離れた山の中が見過ごされている可能性はある。
まして医者の言う通り竜人の遺跡ならば、竜詞の力で隠蔽されていてもおかしくない。
クエリはそうしたことを考えつつ、少年を制止した。
「もちろんダメよ。あたしが霊薬を探すから、あなたは待ってなさい」
「探すって、遺跡の場所はともかく、遺跡のどこにあるか知らないの?」
「う……」
竜詞の力の使えない人間には発見も難しいだろうが、同じ竜人である彼女ならば。
だが、実際に口から出てきた理屈は違った。
後で考えて見れば、彼を危険に晒したくないという感情の現れだったのかもしれない。
「危ないかも知れないからダメよ」
「危ないの? 遺跡が見つかっても、そこを一人で探すのは大変なんじゃ」
「あのね、あたしが何のために心臓半分分けてあげたと思ってるの!?」
「僕が手伝うとか付いて行くなんて一言も言ってないんだけど」
「はぐ」
言われてみれば、と、クエリは言葉に詰まった。
“可能ならば人手は欲しい”と、自分の口から言ってしまっていたのだ。
(こ、こいつ……一丁前にカマかけやがった!)
「でもそう言われたら、手伝いたいな」
「ダメ!」
すごんでみせるが、彼女は竜人の戦士としては少々それが足りないらしい。
パースは気にせず、脅迫とも取れそうなことを言ってきた。
「そんなすごい霊薬を探すなんて、村の大人が知ったらまずいよね。
僕なら秘密、守るよ。なんたって自分の生命がかかってるし」
「え……いや、その理屈は何か……おかしい……ような…………」
「そんなことないって。それだけじゃなくてさ――」
結局、同じ年代の人間の子供に舌戦で負けて、彼女は同行を許してしまった。
そして入口を発見し、二人でそこをくぐる。
そこまでが、クエリに思い出せた全てだった。
二人は、パースの体を侵したままの竜の毒を治療する手段を求めていたのだ。
それを可能にするかも知れない霊薬が、この地下施設にあるかも知れないと。