14.少年は、犠牲に嘆く
それは、クエリ・ルダーヴの海の色をした髪を思わせる、鮮やかな青い鱗の竜だった。
大きさにして倍以上の差がある巨人像に向かって、竜は素早い動きで飛びかかる。
対する巨人像は彼女の動きに追いつけておらず、反撃は全て宙を切る。
だが、未だ成人ではない彼女の牙と爪も、石像を砕くのは難しいようだった。
守りと打撃の重さに関しては、巨人像が有利。
巨大な枯れ木や檻の並ぶこの階の作りは、竜化したとは言え小さい彼女にやや有利。
しかし。
「若いな……礼も、動いて逃げることも出来ぬ私を、助けようというのか」
「そもそも、何で動けないんですか? 歳?」
パースは失礼は承知で、そう訊いてみた。
プリメレファスは、竜になったクエリの戦いを見つつ、語り始める。
「毒だ……何故ここが放棄されたかと言えば、毒が流れ出したからだ。
いつもならば……発生した毒はアムリタの霊薬で中和される。
ところが、ある日、それが起きなかった……
毒は実験場から溢れ出し、この地下を登り始めた……」
「え……それじゃあ、ここに来るまで僕たちが見てきた遺体って、もしかして……!?」
半ば想像はしていたが、毒。
しかも、建物の構造に充満しようとする気体状のそれか。
紙や本が焼けることもなく、生き物だけが死に絶える
「恐らくは、な……この階の他の者たちも、みなその時に死んだ。
私と……今はここにはいないが、名前も知らん大ネコがいてだな……
私とそやつだけが、その猛毒に抗う力を持っていたのか、生き延びた……」
「そのネコたぶん見ました」
「やつのことは忘れた方がいい……大きいだけのアホなネコだし……」
大ネコとの関係を誤魔化したいのか、プリメレファスは小さく咳払いをして、続けた。
「私は今もこうして、飲むことも食うこともせずに生きながらえてはいるが……
それから今まで、誰一人、言葉を話す者がここを訪れはしなかった」
最期の表現に引っかかりを覚え、パースは疑問を挟んだ。
「……クエリのお父さんが、彼女を連れてここに来たことがあると言ってましたけど」
「実験場は……ここよりも深いところ――恐らくは最下層にある。
彼はそこに直行して、こんなところには寄らなかったのだろう……当然のことだ」
「階段を通らないで行く方法があるんですか?」
階段を通ったのであれば、クエリの父親もここを探すくらいのことはしたはずだ。
その際にプリメレファスと遭っていないというのは、考えにくいように思える。
しかし、彼の答えは意外なものだった。
「私が、最下層からどうやってここに運び込まれたと思う……
この体で、お前たちと同じ道は通れまい……」
「違う道のりが、あるってことですか……?」
「ここにいる他の者たちを、ここへと運び込んだ、上下に動く部屋がある」
「へ……!?」
そんな物があるわけが――と、そこまで考えたところで、パースは思い出した。
「最初の地下1階……!
すごく大きな、底の見えない四角い縦穴があった……!?」
「うむ……恐らくは……それだろう」
つまり、あの時に暗さを我慢して降りてゆけば、いずれ最下層まで到達していたのだ。
霊薬を生成するための、実験施設へと!
それを聞いたパースは平静さを失いそうになりつつ、プリメレファスに更に尋ねる。
「えーと……地下1階だと……どこにあったっけ……!?
それってどの……扉!? ですかっ!?」
そうした位置関係までは、メモを取っていなかったのだ。
だが、巨象は困惑しつつも、答えてくれた。
「…………もはや覚えておらぬ。
だが、巨人像が出てきただろう……
あれも……動く部屋を使って、ここまで運ばれたに違いあるまい……」
「……! あ、ありがとうございます!」
パースのいるその場からも、巨人像が強引に押し倒した扉の位置は容易に窺えた。
だが今、青い竜となったクエリは、巨人像と戦いつつ移動してしまっている。
巨人像の足踏みや空振りで、枯れたりとはいえ重量のある木が倒れ、檻が破れる。
その破壊音の源が、クエリの居場所と見ていいだろう。
彼女と縦穴に続く扉と、両者の位置は今や反対方向になってしまっていた。
パースは走った。
声の限り、彼を守って戦う青い竜の耳に届くよう、叫んで。
「クエリーっ!!」
竜になった彼女と巨人像の戦闘で発生しているらしき音は、止まない。
だが、彼はその先を続けた。
「その石像が出てきた扉が、縦穴になってて――!!
霊薬を作ってた場所に繋がってるって――!!!」
果たして、それは彼女に聞き取れたか。
もう一度――いや、何度でも叫ぼうと埃の舞う空気を吸い込むと。
「っ!?」
彼から見て奥の横合い、檻と檻の間から青い竜が飛び出し、こちらに突進してきた。
後ろに、全力で疾走しているらしい巨人像を引き連れたまま。
とても避けきれない。
「う、うわぁぁぁ――!?」
狼狽しながらも走って逃げようとすると、襟首の後ろを思い切り引っ張られた。
「あ、え、ちょっ、とぉ!?」
竜になったクエリが、逃げる彼の後ろの襟首をくわえて持ち上げたのだ。
そして彼女は、パースを口からぶら下げたまま、巨人像から逃げ続ける。
向かう先は、巨人像が現れる際になぎ倒した大扉だ。
「き、聞こえてたんだよね、クエリ……!?」
すぐ近くにある彼女の鼻から、荒い呼吸が風切り音を伴って聞こえた。
クエリも疲れているのだ。
パースは彼女を信じ、体重を預けた。
巨人像を運んできた運搬装置に向かって、二人は猛烈な勢いで近づいてゆく。
(ん、あれ――?)
クエリの走る勢いが、急激に落ちる。
上下する部屋まではまだ遠く、しかし彼女は、もう限界らしかった。
青い竜の体は急速に縮み始めて、襟首をくわえられていたパースはそこから落下する。
「痛って……あ、クエリ!?」
そこには、顔面蒼白で汗だらけになった、竜人の少女が倒れていた。
姿形は元通りだが、今は苦しんだ様子で、両手で心臓のあたりを押さえていた。
「ぁ……く、ぅぅ……」
「…………!?」
慌てて彼女に駆け寄り、ゆっくりとその肩から身体を抱き起こす。
見ると、巨人像は速度を落として、開いた手をこちらに伸ばしてくる。
彼らを握りつぶすつもりか。
だがそこに、再び大きな振動が迫ってきた。
「――!?」
巨人像の移動で生じた揺れではない。
それは何と、プリメレファスだった。
先ほどまでは、既に瀕死で動けないと言っていた。
実のところ離れて見ても、彼の巨体は既に、骨と皮だけに等しいと分かる。
大した力が残っているとは、到底思えなかった。
だが、彼は鼻を振り回し、檻をなぎ倒し、恐ろしい鳴き声を上げながら突進する。
「パオオオオオオオオオオオオオオオオ――――!!!!」
そのやせ衰えた身体が、巨人像へと激突した。
巨人像はその勢いで大きく吹き飛び、白い巨象もそれを追撃する。
二体は、彼らをこの地下10階まで運んできたであろう部屋で、格闘を始めた。
だが、プリメレファスが後脚だけで立ち上がり、持ち上げた前脚を床に叩きつけると。
「え、それは――」
骨と皮だけとはいえ、家より巨大なゾウの体重をかけた踏みつけ。
巨人像の重量も合わさってか、彼らの足下が鈍い音を立てて崩壊した。
部屋は、巨大な縦穴を上下するために、はるか上方から吊り下げられていたのだ。
重量に耐えきれず、その床が抜けて、落下する。
「――――っ!」
パースが思わず目を背けると、鈍く硬い轟音が聞こえてきた。
やせ衰えたとはいえ、彼の体重は、パースが100人いても釣り合うまい。
落下に一秒も要する高さから落ちれば、その肉体は爆散してしまうことだろう。
「…………そんな……」
親切にも、初めて会う彼らにこの地下施設のことを教えてくれたプリメレファス。
短時間とはいえ会話をしたことで、彼の知性に疑いはない。
そうすれば生きてはいられないことを承知で、彼は最後の力を振り絞ったのだ。
生きている可能性はないかと暗がりを覗き込み、名を呼ぶ。
「プリメレファス……!」
だが、返事はない。ここから落ちたならば、それが当然のはずだ。
彼は二人を助けて、巨人像を道連れに死んでしまったのだ。
「ぱ、パース……今……何が……?」
腕の中で苦痛にうなされるクエリの声で、我に返る。
パースは、およそ何も出来ずに状況が終わってしまったことに、打ちひしがれた。
「だ、大丈夫だよクエリ。
……プリメレファスが、助けてくれた」
「う……ぇほっ、けほ……ごめん、まだしばらく……休ませて……」
竜化だけでも、かなりの生命力を使うのだろう。
彼は泣きそうになりながらも、彼女が安静を取り戻すまで、しばらく休むことにした。