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ユルスク星辰調査室  作者: 井上数樹
第二話 キルスティンと無貌の歌女
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第二節

 準備を整え、他の調査室に打電し、それからリネットの橇船に乗って彼の村まで向かった。

 村ではすでに救助隊の準備が進められていたのだが、おんぼろのスクーナーに乗組員は若者ばかりと、この時点でかなり心もとない陣容だった。村の人口は百人足らずで、稼ぎ頭のベテラン水夫たちが行方不明になってしまったため、未熟な船員しか集められなかったのだ。

 キルスティンもミルッカも、不安にならなかったわけではないのだが、彼らの立場を考えると仕方が無いことと思えた。稼ぎ頭と船を同時に失った場合、村の存続自体が困難になる。必死になって当然というべきだろう。

 それに万が一、事態が最悪の結末を迎えていたとしても、早いうちに知っておけばその分考えをまとめる時間もできるはずだ。


 村についてから、ほとんど間を置かずに出帆することになった。とりあえずリネットの父親たちが消えた方角に進路を取り、その航路上をしらみつぶしに探そうというわけだ。非効率的ではあるが、キルスティンの『眼』があれば決して不可能なことではない。

 蒸気船の燃料は液化エーテルであり、晶化したものほど反応は強くないものの、彼女の眼からすれば十分な反応を放っているのだ。そもそも自然化には気化したエーテルしか充満していないため、人工的に手を加えられたものは、彼女の視界のなかにあってはひどく異質なものとして映る。たとえ海底に沈んでいても見つける自信があった。


 初日はすぐに日が暮れたため浅瀬で投錨し、翌日の朝から捜索を再開した。

 キルスティンは船首に置かれた椅子に座り、前方の視界にのみ注意を払っている。そんな彼女の様子を、ミルッカはメインマストの頂上から不服そうな表情で見下ろしていた。やはりキルスティンはお人よしが過ぎると思う。彼女がどんな光景を見ているのか、どれほどの負担を覚えているのかは想像するしかないが、自ら苦労を背負ってまで人を助けようとする姿勢がミルッカにはよく分からなかった。イェリクたちベテランが村にとって必要だろうということは理解しているが、彼らが失われることは、キルスティンとは何の関係も無いことだ。

 ミルッカの性根が特別冷酷というわけではない。ひとえに、彼女の育った文化のせいだ。極海領きょくかいれいのあちこちに散らばった海の民の末裔は、過酷な環境のなかで細々と文化を継承してきた。極限状態で集団を維持させるため、必然的に厳しい戒律が作られ、その本質を悟らせないために宗教や儀式の形式が被せられる。

 だが、現実が示唆するものは唯一つ、徹底した合理化と効率化だ。野蛮と蔑まれる世界でさえ、いや、だからこそ無駄なことには携わらないのである。


(僕は冷たいのかもしれないな)


 それを悪いこととは思わなかった。何せ、冷たいところで育ったのだから。


◇◇◇


 三日目。昨日と同じくキルスティンは船首に座り、前方を眺めていた。バウスプリットに腰掛け、釣り糸を垂らしたミルッカは何も言わずに海面を凝視している。ぶらぶらと両足を揺らしながら、魚が食いつくのを待っていた。

 日差しは強いが、追い風が吹いているためあまり暖かいとは感じない。死骸が凍ってしまうためか、海に特有のあの生臭さはさほど感じず、深呼吸をすると水晶のように透明な空気がキルスティンの中に入り込んできた。

 ミルッカの竿がぴくりと揺れた。彼女は焦らず、食いついた魚の動きに合わせて竿を操った。上手く魚を運動させ、水面に銀色の背びれが浮かび上がった瞬間一気に竿を振り上げる。が、糸が中ほどで切れ、魚影は再び水中へと沈んでいった。ミルッカは舌打ちする。


「ミル。機嫌悪いの?」

「何でそんなこと聴くのさ」

 こんな逃げ方されたらね、とミルッカは言ったが、そんな言葉に騙されるキルスティンではなかった。立ちあがり、ミルッカの後ろに立って両肩に手を置く。琥珀色の瞳が彼女を見下ろしている。

「あなたって無表情なクセに、何となく分かっちゃうのよねえ。私がここまで来たこと、そんなに気に入らなかったの?」

「キリが何をしたって、僕に口出しする権利は無いよ。だから、君の人の好さを嫌ったりもしない。ただ……」


 そう言いかけた時、キルスティンの身体がふらりと揺れた。ミルッカは竿を投げ出し、素早くその身体を支える。キルスティンは波に揺られたと言ったが、船はすこぶる快調に水面を滑っていた。

 やはり、『眼』を使い過ぎているせいだとミルッカは思った。普段は色付きの眼鏡を着用し、寝るときですらアイマスクをして眠るキルスティンには、一日中『眼』を使ったままでいるのは大変な負担なのだ。

 それだけではない。昨日の夜は、星の位置から船の進路が間違っていることを指摘し、正しい航路に戻るためにリネットたちと話し合っていた。幸い、逸れてからさほど時間が経っていなかったため、少し移動するだけで元の航路に戻ることが出来たが、彼女が本来負うべきではない負担を負ったことは事実だ。


(何でそんな、他人に優しく出来るんだろう……)


 やらなくても良いことをやって、自分のことを押し殺して。キルスティンはいつもそうだ。他人に分け与えてばかりで、自分の取り分や権利を強く主張しようとしない。調査室で一緒に働き始めて一年になるが、キルスティンがミルッカに対して、強く要求してきたことは一度も無い。

 ミルッカには、その優しさが理解出来ない。彼女の育ってきた環境は野蛮なほどに合理的な場所だったからだ。

 文化の違い、考え方の違いがあることは、ミルッカも理解している。故に、自分と彼女の間にある「壁」を強く意識せざるを得ない。

 優しさは非合理的なものだ。生物としての人間が生きていくうえで邪魔にしかならない。そんな感情が生まれてきたのは、人間が野生から離れすぎたからだ。雪原で生まれ育った自分と、都会で生まれ育ったキルスティンは、もしかすると別の生き物なのかもしれない。


「……とりあえず、少し休んだ方が良いよ。晴れてるから、僕も見張り台から探せるしね。キリは働き過ぎだ」

「そう、ね。少しだけ眠らせてもらおうかしら」

「そうしなよ。……本当に、ちゃんと寝ないと駄目だよ?」

「ええ、もちろん」


 本当にそうするか怪しいものだ。一時間程度で起き出して来たら、船室に送り返してやるとミルッカは密かに決心した。そうして糸の切れた釣竿をその場に置き、マストを登って行った。


◇◇◇


 捜索を開始して四日。漁師たちの船は影も形も見えなかった。

 極海領は厳しい海だ。航行のために使う燃料はもちろん、常に暖房を焚き続けていなければならないため、船の燃費は恐ろしく悪くなる。食料と飲料水の入手は簡単なものの、一度海に落ちたら最後。あまりの寒さに心臓が縮みあがり、溺れ死ぬことになる。

 リネットたちは、心当たりのある海域は全て廻ったと言った。もし身動きが取れず投錨しているのなら、必ず見つかったはずだ。そうでないということは、何らかの理由で沈没したに違いない。ただ一人を除いて、船員たちは皆諦めかけていた。


 ただ一人、キルスティンだけは捜索を続けるべきだと主張した。

 彼女の『眼』は、エーテルが発する輝きを決して見逃さない。心当たりのある海域を全て廻ったと言うのであれば、沈没した痕跡を絶対に見つけているはずなのだ。


「ありがとうございます、キルスティンさん……でも、これはどう考えたって……」


 夕暮れの紅い光が帆に隠され、リネットをはじめとした船員たちの顔に影が落ちていた。ウミネコの鳴き声にかき消されそうなほど弱々しい声でリネットは礼を言った。


「待って、リネ君。諦めるのはまだ早いわ」


 凛とした声でキルスティンは言う。彼女より背も肩幅も広い男たちが悄然しているにも関わらず、彼女は一人だけ背筋を伸ばしていた。

 持ってこさせた海図を開いたキルスティンは、ペンでこれまで移動してきた範囲を線で囲っていく。


「四日間、この範囲の中を捜索してきたわ。どの海域もエーテルの濃度が低くて、沈没船から漏れだした液化エーテルを見過ごすことは絶対に有り得ない」


 トン、と樽の上にエーテル濃度計を置く。針はゼロの近くでふらふらと揺れ動いている。


「これまで探した海域に居ないことは間違いない。だから、居るとすれば私の『眼』の効果が及ばない場所だけなのよ」

「そんな場所があるんですか?」

「ええ」

 そう言って、キルスティンは海図の一点を指さした。

「極海領深部。『神々のフラスコ』よ」

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