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ユルスク星辰調査室  作者: 井上数樹
第三話 ミルッカとキルスティン
11/26

第一節

百合成分八割増しの第三話、開始です。

 ユルスクの調査室から南へ一二○ケルメトラほどのところに、ルテニア連邦の北部行政都市マリエスタードがある。キルスティンは月に一度、調査室での観測結果や報告書を提出するためにこの街を訪れる。


 とはいっても、何事も無かった時は受付で書類を渡すだけなので、実質的には休暇のようなものだ。一泊二日で思うように羽を伸ばし、二日目の夜に橇船で調査室へと戻る。

 調査室に配備されている橇船は全長六メトラ程度の小型船で、船底には二本のエッジが備えられている。雪上は風任せで滑り、水面に降りれば普通の船として使うことが出来る。一応キャビンはあり、一人だけなら眠れるスペースもある。帆走なので操作は難しいが、キルスティンはミルッカの操船技術を疑っていない。


 その日もミルッカの操る橇船は快調に雪原を滑り、やがてマリエスタードの街蔭が見えてくると、市内に向けて延びているペルメ河へと下って行った。ミルッカは船の進路を真っ直ぐに固定し、周囲に船がいないことを確認するとキャビンに入って、眠り込んでいるキルスティンの肩を揺さぶった。


「着いたよ、キリ」


 あくびをしながらキルスティンは起き上がり、アイマスクを例の色付き眼鏡に取り換えた。キャビンから這い出て、早朝の澄み切った大気を胸一杯に吸い込みながら背伸びする。船首は波を割くようになめらかに進み、鏡のような川面に美しい波紋を描き出した。朝もやの向こうにマリエスタード大聖堂の鐘楼が上半身をのぞかせ、厳かな音色を響かせていた。

 すぐそばを、石炭を満載した船がエーテルを燃やしながら進んでいく。舵を取っていた老人がひょいと帽子を振って挨拶した。キルスティンも微笑みながら、小さく手を振った。

 マリエスタードの水門をくぐり、二人を乗せた橇船は市内を流れる水路をゆっくりと進んでいく。この辺りはルテニア北部で唯一農作物が出来る地域であり、その水源であるペルメ河を治水する過程で自然発生したのが、このマリエスタードなのである。

 市内中央の運河は、全幅が一五○メトラほどある。小型船だけでなく大型船も停泊できるため、北方の漁師たちの波止場となっているのだ。港のそばには魚市場が開かれ、連日賑わいを見せている。

 だが、ペルメ河の存在が、この街のもう一つの面を作り上げていることをキルスティンは知っていた。

 川沿いには巨大な箱型の建物やクレーンがいくつも並んでいる。煙突からは早くも黒い煙が立ち上り始めていた。

 マリエスタードは造船都市としての側面を持つ。しかもただの造船所ではなく、軍艦の建造を専門にしているのだ。内陸にあるため敵艦隊の侵攻を受ける可能性が低く、陸地から攻められても艦を運河に浮かべれば砲台として使用出来る。仮に空からの攻撃を可能としたり、極端なほどの射程を持った砲が開発されでもしない限り、マリエスタードの造船都市としての価値は揺るがない。


(今日は、いつもより煙が濃いわね……)


 キルスティンは報告書を入れたカバンをぎゅっと握りしめた。だが、そういう日とてあるだろう。無暗に因果関係を疑うのは愚かしいことだ。それに、調査官である自分が関知するようなことでもない。

 ミルッカは船を桟橋に横付けした。帆をたたんで錨を投げ込み、素早く舫を結ぶ。その間にキルスティンは荷物を全て引っ張りだして桟橋に置いていく。とはいっても書類カバンが一つとトランクが二つだけだ。

 そうして上陸を終えた二人は、とりあえずビットに腰を下ろして弁当箱を開いた。中身はライ麦のビスケットが二枚だけ、それとキルスティンが淹れた紅茶がつく。朝食としては少ないが、これから行く先を考えると、あまり多く食べるわけにはいかない。

 コップに入れた紅茶を啜っていたキルスティンは、もそもそとビスケットを齧るミルッカの表情が、どこか曇っていることに気付いた。


「ミル、どうかした?」

「え?」

「いつもなら、ビスケット二枚くらい、あっという間に食べちゃうのに……」

「ちょっと疲れただけだよ。一晩中、船を動かしてたからね。ホテルに着いたら、ちょっと眠らせてもらうよ」

「そう……じゃあ、その間に報告書を出しておくわ。昼からは付き合ってね?」


 そんな会話を交わし、二人は朝食を済ませ荷物を持って歩き出した。だが行先は天体観測庁支部、ではなくホテル、でもない。


 大浴場だ。


◇◇◇


 極海領に交易網を作り上げた海の民は、風呂に入ることが無かったと言われる。

 ルテニア連邦は、大陸中央部より移動してきた大陸人と、海の民とが合流して出来た国だ。

 合流と言えば聞こえは良いが、要は征服されたのである。航海術には優れていても、国家運営という点において大陸人は海の民の二歩も三歩も先を行っていた。

 そうした征服と被征服の関係が出来上がると、自然と偏見も生まれて来る。風呂という文化を元来持っていた大陸人にとって、良いとこサウナくらいしか使わない海の民は、不潔な存在として映ったのだ。

 だが現実は少々異なる。海の民は、船上や雪原で生活していることもあって湯というものを容易に手に入れられなかったが、その代わりに、自然のなかで発見し利用してきたものがあったのだ。


 温泉である。


 極海領は天然温泉の宝庫であり、海の民しか知り得ないような小島や雪原の片隅に、滾々と湯を湧き出す秘湯がいくつも存在したのだ。海の民の船に乗り合わせた大陸人の船乗りが、予想していた悪臭に出会わなかったうえ、離れ小島の温泉に浸かって夢見心地で帰って来たことから、一般に知られるようになったのである。

 当然、湯治や観光を目的として人々が集まり始めた。需要を満たすために温泉の探索が続けられ、瞬く間に温泉開発ラッシュが起こったのだ。その過程でかつての海の民は徐々に地位を回復し、上手く立ち回った者のなかには温泉王と呼ばれるに至った男もいる。


 マリエスタードにも無論、天然の温泉があり、公共の浴場として使われている。二人が最初に向かったのはそこだ。

 調査室では、風呂に入れない。せいぜいシャワーを浴びる程度だが、燃焼させられるエーテルの量が限られているため湯量が少なく、全身を沈めて疲れをとることも出来ない。ミルッカはともかく、キルスティンにとっては死活問題であった。


 公共浴場に突撃した二人はさっさと入場料を支払って脱衣所に入った。慌ただしく服を脱ぎ捨て、自前のタオルとレモンの香りのする石鹸を携えて浴場の扉を開ける。

 濛々と湯気が立ち上り、温泉特有の硫黄臭が鼻をついたが、キルスティンは気にしなかった。


「一か月ぶりの……お風呂!」


 感極まったキルスティンが歓喜の声を上げる。早朝ということもあって、二人のほかに利用客はいなかった。それが一層キルスティンを喜ばせたのだが、対照的に、ミルッカはいささか冷淡だった。


「キリ、喜び過ぎだって」

「これが普通の反応よ。あ、駄目よ、ミル。まずは頭と身体を洗ってからでないと」

「えー、面倒臭いよ」

「良いから。こっち来なさい」

 ほとんど引っ張るようにキルスティンはミルッカを鏡の前に座らせた。「自分で洗えるってば」という抵抗を無視して、彼女の金色のくせ毛に汲んできたお湯を浴びせかける。

「わっ」

 ミルッカが小さな身体を縮こめる。キルスティンはミルッカが逃げないよう、すぐ後ろで膝立ちになって洗髪剤を泡立てた。そして、不満げなミルッカの頭を撫でるような手つきで洗っていく。

 恥ずかしくなったミルッカは身をよじろうとするが、そのたびにキルスティンに引き寄せられ、背中に胸を押し付けられた。その背中に感じる柔らかさが、何となく気恥かしい。同性なのにおかしいな、とミルッカは思った。

 頭の上からキルスティンの幸せそうな鼻歌が聞こえて来る。目に泡が入らないようぎゅっと瞼を閉じていたミルッカは、何がそんなに嬉しいのかなと思ったが、だからといってもう振りほどこうという気にはなれなかった。毎度のことなのだ。それに、気恥かしいとはいっても、キルスティンの手つきは優しくて心地良い。一晩中橇船を操っていた疲れも手伝って、意識が遠のきそうになる。微睡みかけた時、もう一度お湯を流され目が覚めた。


「終わったわよ。身体は自分で洗ってね?」

「あ、当たり前だろ。一人で出来るよ」

「ふふっ」


 軽やかに笑うとキルスティンは自分の髪に取り掛かった。あんなに長いと大変だろうな、とスポンジで身体をこすりながらミルッカは思った。同時に、濡らした髪を梳いていく彼女の姿を見ていると、その美しい肢体と相まって、妬ましいような、見とれるような、不思議な気分になった。スポンジで洗っていても全く抵抗の無い自分の身体と比べると、一体どこで差がついたのかと思わざるを得ない。

 洗い終わった二人は、揃って浴槽に身体を沈めた。どちらともなく幸福そうな溜息を漏らし、顔を緩ませる。少し意地を張っていたミルッカも、いざ入ってみるとやはり温泉の効力には抗えなかった。

 だが、やはり、心のなかにほんの少しだけしこりが残っている。自分がキルスティンから必要とされなくなるかもしれないという不安。そうなると、自分はもうどこに行けば良いのか、何をすれば良いのか分からなくなってしまう。


「それは……嫌だな」


 ミルッカは小さく呟いたつもりだったが、誰もいない浴場ではその声は思った以上に大きく響いてしまった。「どうかしたの?」とキルスティンが首を傾げる。


「何か、嫌なことでもあった?」

「いや……その」

「良いから。話してくれたら、何だって相談に乗るわよ?」

「じゃあ。一体どうやったら……こんな、風に!」

「えっ、きゃあ!?」


 ミルッカは水に半身を沈めているとは思えないほど機敏な動作で隣のキルスティンへ飛びかかり、ウミネコが魚を捕らえるように彼女の胸をしっかと握り締めた。


「都合の良い育ち方が出来るか、教えてほしいね」

「や、だめっ、そんないやらしい動き一体どこで……ちょっと、こら、やめ……!」

 キルスティンの身体にのしかかる形で、ミルッカは思い切り彼女の胸をこねくり回した。その柔らかさと弾力に思わず感嘆してしまう。

「柔らかいなあ。アザラシの肝臓とかもこんな感じだったっけ」

「嫌な例え!」

 網にかかった海鳥よろしくキルスティンが身をよじってお湯をまき散らすが、船の操船やらカリボウへの騎乗で平衡感覚を鍛えたミルッカの前では無意味だった。

「こうして揉んでると、もっと大きくなったりして」

「それは困るわ! 今でも結構たいへ……いたたっ、痛い痛い!」

「自慢かっ!」


 嫉妬ともやもやを含んだ理不尽な凌辱は、結局、二人がのぼせ上がるまで続いたのだった。


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