アキラの片思いはいつまでも
午前十時前。少年、宮野アキラは学校へ向かう道をのんびりと歩いていた。
こんな遅い時間に学校へ行くなんて、普通に考えたら遅刻だ。なのにアキラは急ぐ事無く歩いている。
要はどうせ遅れるなら急いでも仕方が無いという理屈だ。
髪はボサボサの黒髪。顔立ちは整ってはいるが、美男子という訳では無い。
目元は徹夜でやったゲームによるクマができており、生活リズムの乱れを物語っていた。
やる気のない目をした高校生である。
急な勾配の坂を登っていくと、アキラの通う学校の校門が見えてきた。
誰もいない校門をくぐると同時に、一限目の終了のチャイムが校内に響き渡った。
「ふふっ。まさに俺を迎えてくれたかのようなタイミングで鳴ったな」
アキラは意味不明な言葉を口にした。
もちろん彼の都合に合わせてチャイムが鳴った訳ではない。
教室に着くと、一限目での疲れをリフレッシュするためか、皆が皆自由にしている。
友人と談笑する者、机に体を沈めて寝ている者――休み時間の過ごし方は人それぞれだった。
アキラが教室に入ってきても、クラスメイトは特に彼を気にする様子は無い。
アキラは元々、特別に影の薄い存在では無い。むしろ、悪い方向に目立ってしまっている。
クラスメイト達は、アキラを避けているのだ。
アキラは入学した時から、周囲の生徒に『生気が無い』と口々に言われる程自堕落な性格だった。
成績不振、遅刻上等、協調性皆無……
クラスで何かやる時も、アキラは面倒臭がってロクに手伝わなかった。
そんなやる気の無さから、生徒、教師問わず評判が悪い。
アキラ自身もその酷評に関しては、すでに慣れきってしまっていた。
入学して一年以上が経つ今、今更なんと言われようと気にはしていなかった。
しかし、この学校に来る事自体がアキラにとって嫌な事では無い……
「おっはよう宮野君。ってあれ? こんにちはかな?」
声をかけられた先に目をやると、アキラのクラスメイト、藤野マキナが笑顔で手を振っていた。
スタイルは良く、非常に整った可愛らしい顔立ち。
髪型は黒髪のポニーテール。綺麗な顔も相まって和服でも着させたらさぞ映える事だろう。
「おはよー藤野さん」
アキラは少し気恥ずかしそうに手を振る。
マキナは生徒会や部活動には入っていないが、その可愛らしい顔立ちはクラスのみならず学年全体に知れ渡っており、彼女の顔を拝みにこのクラスにやってくる男子も少なくない。
また、誰に対しても分け隔て無く話せる人当たりの良さと、困っている人を放っておけない優しさも持ち合わせているので、『完璧な女子』という認識が強くなっており、マキナが好きという男子が何人も居るというもっぱらの噂である。
「ああ、今日も藤野さんの笑顔が見られた。ボクは幸せ者だなぁ」
アキラはニヤニヤしながら、他の女子と話しているマキナを眺めつつ呟いた。
マキナの笑顔を見る事は、アキラにとって煙たがられている学校生活での清涼剤になっているのだ。
当のアキラも現在マキナに対して好意を抱いているのだ。
きっかけは一年ほど前、つまりアキラ達が入学して間もない頃、マキナがアキラに話しかけてきた事。
最初は気さくなコだなと思っただけで特に気にしていなかったが、それから毎日アキラに対して笑顔を見せてくれた。
その裏表が無く、明るい表情がアキラの虜となり、次第にマキナに惹かれていった。
アキラはその無邪気でまっさらな表情を頬杖をつきながら眺めていると、茶髪の男子が話しかけてきた。
「よぉアキラ。今日は二時限目からかい? 相変わらずの重役出勤だなぁ」
「よぉリョウ。俺が重役なんて務まるとでも思ってんのか?」
話しかけてきた男子は鈴木リョウ。アキラの悪友かつクラスメイトだ。
髪は茶色にくっきりと染め上げており、制服もブレザーからシャツを出しており、ズボンも腰からぶら下げている。誰がどう見ても不良っぽい格好だ。
リョウもクラス内ではアキラに負けず劣らずの問題児で、授業中は常に落ち着きが無く、他の生徒と私語をする事が多い。
「お前、今藤野さんをずっと見てただろ? だろうな? あのコ可愛いし、優しいし、明るい。裏表が無いから誰とでも話せる……か。ケケッ。好きだったらコクっちゃえよ」
リョウはアキラの心中はとっくに詮索済みだ。
お調子者のリョウを経由してこの事がクラス全体に知れ渡ったら、相当な修羅場と化してしまう。考えただけで悪寒が走った。
「んな事できるかよ? 藤野さんが好きな男なんて、学校中に居るって噂だぞ」
「あくまで噂ってだけで本当に皆がそう思っているとは限らねぇだろ?」
「俺が一年近く藤野さんに好意があるんだから、他の男が好きにならない訳ねぇだろ?」
「……」
アキラがそう言いうと、リョウは黙りこんでしまった。
十秒ほど腕を組んで考えていたが、やがてアキラの座っている席に両手をついて話した。
「でもさあ、今の藤野さんの様子を見るに、まだ誰とも付き合って無ぇだろ?」
何だか無理矢理な憶測のようだが、アキラはリョウの言っている事は信用できた。
なぜならマキナが他の男と一緒に居た所は誰も目撃していないし、そもそも誰かと付き合っているという噂すら立っていない。
校内の恋愛事情に詳しいリョウがそう言っているのだから間違い無い。
「物事は何事も先手必勝だろ? もしお前がこの後すぐに藤野さんに告白したとすれば、もうお前の勝ちじゃねぇか。後々になってあのコを好きだった奴が色々と言ってきたとしても、それはもうお門違いってやつと違うか?」
リョウは淡々と言葉を発する。
目は先程までのおちゃらけたものでは無く、大切な事を訴えんとする真剣な眼差しだ。
「先を越された人間に対しての物言いなんて、負け犬の遠吠えだろ? 自分の負けを認めず、ただ付き合っている人間を非難する――藤野さんはおもちゃじゃねぇんだぞ? 全く醜いったらありゃしない」
アキラはリョウの言動にすぐに疑問を抱いた。
「大体筋は通ってはいるが、最後に変な感情入っていなかったか?」
「ま、まあ善は急げって事だ!」
リョウはごまかしつつ声を上げて笑ったところで、二時限目のチャイムが鳴る。
「それじゃあ宮野君。健闘を祈る」
リョウは右手をサッと上げた後、自分の席に戻っていった。
「先手必勝……か」
アキラは次の授業の準備も忘れて呟いた。
その日は、リョウが授業中の私語と居眠りで一回ずつ先生に怒られた事以外は、特に何事も無く終わった。
アキラはアキラで、マキナに目がいってしまい授業どころでは無かった。
●
そして放課後の帰り道。学校前の坂をトボトボと歩いていた。
アキラはリョウの言っていた言葉を思い出す。
リョウがマキナの事を何て思っているのかは分からないが、彼の言いたい事は分かった。
しかし、アキラには告白するという勇気が無かった。
マキナから付き合いを断られるのはまだいい。しっかりと自分の気持ちを伝えられたのだから、玉砕覚悟は大いに結構だ。
問題はもしマキナと付き合い始めたとしたら、校内のマキナに対する評判はどうなるのか?
アキラはあれだけ可愛いコが、自分みたいな奴と付き合ったりなんかしたら、自分だけでなくマキナにも批判の被害が被るのではないかと感じていた。
これはマキナと付き合う前提での不安ではあるが、それでもアキラはマキナの事を忘れられなくなってしまっていた。
『自分はマキナと付き合える』という仮説まで立てているのにも関わらず、人目を気にしてその一歩が踏み出せない。
マキナを好きになっているのに批判を恐れている優柔不断な自分を呪いながら、夕焼けに染まる細道を歩き自宅を目指した。
その夜は、特に何もせずに床についた。
マキナの事、どうしようかと布団の中でずっと考えていた。
何かきっかけさえあればと思ったが、それは自分から作らなければダメだ。
そんなものはすぐには見つからないと諦めかけたアキラは、そのまま朝を待つのだった。
●
アパートの自室の目覚まし時計が鳴り響いた。アキラは重々しく体を動かす。
時計を見たら八時前だった。
アキラの学校の始業時間は九時なので、今から支度すれば余裕で間に合う。
就寝用のジャージをのんびりと脱ぎ、制服に着替える。
テレビの朝占いをチェックしながら、オーブントースターで焼いた食パンにかじりついた。
『二位はおひつじ座。恋愛運急上昇。困っている人を助けると新たな出会いが生まれるかも? ラッキーアイテムは机と椅子!』
「ケッ。こんなものが当たるなら、世界中はリア充だらけだっつーの」
アキラはパンをほおばりながら苦笑いした。
占いは全く信じない訳では無いが、これがまともに当たったためしが今までには無い。
一応頭に留めておくかと思いながら、食パンをかじるアキラであった。
適当に歯を磨き顔を洗うと、カバンを抱えてアパートを出た。
もちろん食パンは平らげた後だ。間違っても食パンをくわえながら学校までダッシュなんて事はしない。アキラは本来そんな少女マンガチックな展開なんて望んではいなかった。
学校まで徒歩二十分といったところだが、今日は寝坊はしなかったので余裕を持って学校に辿り着いた。
今の時刻は八時四十分。欠伸をしながら校舎に入る。
教室に着いたらリョウと無駄話でもするか――そう思って三階にある教室に向かおうとしたアキラだったが……
「ん?」
二階の廊下の向こうを見ると、細長い机を運んでいる女子高生が見えた。
可愛らしい顔つきに、黒髪のポニーテール。
アキラが好意を持っている女の子、藤野マキナだ。
先生から運ぶように頼まれたのだと思うが、それにしても女の子一人で運ぶのは大変そうだ。
と、その時アキラは自然とマキナの方向に足を動かしていた。
「ふ、藤野さん!」
声をかける際、アキラはどもってしまった。
アキラがこれまで積極的に声をかけた事が無かったからかもしれない。
「あっ、おはよう。宮野君」
マキナは会議用の机を両手で抱えて持っていたので、手を振る事はできなかったが、そのかわり満面の笑顔で挨拶をしてくれた。
「おはよう。重そうだね」
「えへへ、ちょっとね。先生に頼まれちゃってね。下の会議室からこの階の会議室まで運んでくれって」
マキナは教師から頼み事をされたら決して断ったりはしない。
それだけ教師から頼りにされているという事だ。
「大変そうだな。よかったら俺も手伝おっか?」
「えっ? いいよー。頼まれたの私だけだし。」
「えーでもこの机だったら俺も手伝えばすぐに……」
そこまで話したアキラは、テレビで見た占いが頭をよぎった。
『困っている人を助けると新たな出会いが生まれるかも? ラッキーアイテムは机と椅子!』
「……」
「宮野君、どうしたの?」
「えっ? ああ、いや。やっぱり一緒に持って行ってあげるよ」
「本当? ありがとう」
ラッキーアイテムが目の前に現れたからと積極的になるのは何とも虫のいい話だが、大変そうに運んでいるマキナを見て手伝ってあげようと思った気持ちに偽りは無い。
マキナはアキラに対して笑顔でお礼を言ってくれた。
その時、廊下の向こうから机を運んでいる先生が現れた。
「あっ、先生。俺も机運び手伝いますけど?」
「おおっ。藤野はともかく、宮野まで手伝ってくれるなんて、一体どういう風の吹き回しだ? 雨でも降るんじゃないのか?」
「ハ、ハハ……」
ニヤニヤ笑う先生に対して、アキラは苦笑いをした。雨なんていつ降ってもおかしくないという突っ込みを我慢した。
アキラはマキナとせっせと机運びをした。
一階の会議室は廊下の向こう側、対して二階の会議室は廊下の手前側にあるので、階段を昇って長い廊下を通って運ばなければならない。
とはいえ幸い重さはそれほどでは無かったので、アキラは急ぎ足で運ぶ事ができた。
マキナもアキラの運びの速さに驚きつつ、黙々と運んだ。
合計二十個の細長いテーブルを、アキラ、マキナ、そして先生の三人で運んだ。
二階の広い会議室に十個並べ、残りの十個は壁に立て掛けた。
三人がかりで運んだ結果、十分ほどで全て運ぶ事ができた。
「おお、助かったぞ宮野に藤野。ついでと言っては難だがな……」
先生が申しわけ無さそうに、会議室の隅に置かれた物を指差した。
二十個ほどのパイプ椅子だ。
朝占いのラッキーアイテムが二つとも出てくるとは想定外だったが、快く引き受ける事にした。
パイプ椅子は机よりも軽かったので、五分足らずで運んでしまった。
「いやあ、二人とも本当に助かった。ありがとう」
先生はニコニコしながら、アキラとマキナの肩をポンポンと叩いた。
●
始業開始五分前だったので、二人は急ぎ足で階段を上がり教室を目指す。
別に走っている訳では無いので、会話できる余裕くらいはあった。
「手伝ってくれてありがとう。手間かけさせちゃったね」
「いいんだよ。俺って結構人に尽くすの好きだし!」
アキラが調子よく取り繕うとすると、マキナは表情を落ち着かせた。
そしてしばらくして、誰も居ない空間向かって口を開く。
「宮野君って優しいんだね……」
「えっ……?」
その言葉がアキラに対して放たれた事は、アキラ自身が理解できた。
確かにアキラからマキナに対しては、優しくされたいと思った事はある。
しかしいざ自分自身が褒められたら、顔が赤面してしまった。
あらかじめ予防線を張っておかなかったアキラは、パニックで次の言葉を出すのに苦労した。
「そ、そんな事無いよ! 当たり前の事じゃないかな?」
「……そうかな?」
マキナはクスクスと笑った。
アキラが歩きながら言葉を続ける。
「藤野さんって、頼まれたら断れない人?」
「うーん……自分で言うのもなんだけど、その通りだと思う」
「ま、まあそれは藤野さんのいい所なんじゃないかな?」
アキラが返すと、マキナは頬を赤らめた。
その愛くるしい表情にアキラは釘付けになりそうになるが、変態扱いされたくなかったので、進むべき方向に目を向けた。
●
マキナの人気は別のクラスにも知れ渡っているようで、教室が近くなってくるにつれて、異様な雰囲気を感じた。何かを強く妬む強烈な視線だ。
マキナの隣に居るだけでほとんどの男子はその視線に睨み殺されるという噂は、あながち嘘ではなかったんだなとため息をつくアキラであった。
教室に入ると、教室にはしばしの沈黙が起こった。
始業直前で生徒は皆、教室内に居たという事もあり、時間ギリギリで教室に入ったアキラ達は余計に目立った。
男子も女子も、教室入口の二人に口をポカンと開けていたが……
「ア、アキラお前……藤野さんに告白したのか!?」
静寂を突き破ったのは、口を開けながら指を指した鈴木リョウだった。
その瞬間、クラスの生徒のほとんどが『えっ?』と言いながらリョウの方を振り向いた。
クラスメイトの視線を浴びたリョウはハッとなって一瞬視線を反らしたが、やがて焦りながら昨日の事を話した。
「い、いや、実はアキラは藤野さんの事が……まあ何というか気にしてるんだよなぁ」
口の軽いリョウも、流石に『アキラはマキナの事が好き』とどストレートに報告する事は思い留まったが、かといってクラスメイトがリョウが何を言いたいのか理解できない訳が無く、集結された視線は殺気となりアキラの方を向く。
そして次の瞬間、クラスメイト達の放った言葉が、次々とアキラの鼓膜を直撃した。
「アキラてめえ! どういうつもりだ!」
「お前みたいな奴が藤野さんと付き合うなんて十世紀早いわ!」
「あんたそうやってマキナを弄ぼうとしてるの? サイッテー!」
「人としてどうなのよ! 疫病神!」
女の子の仕事を手伝っただけなのに疫病神扱いとは……俺も堕ちたもんだなと感じたアキラだったが、誤解されたまま二年近く残っている高校生活を過ごして行くには流石のアキラでも我慢ならなかった。
「お、おいちょっと待てお前ら。俺は藤野さんの手伝いをしただけなんだぞ!」
アキラは必死でマキナとの付き合いを否定しようとするが、それは火に油を注ぐだけだった。
「うわっ。ここでシラを切るつもりか! ウゼー」
「アキラって、入学した時からそういう奴だったからなー」
「嘘ばっかついてるから、何が本当の事なのか分からなくなったんじゃないの?」
「キャハハ。分かるー」
クラス全体が騒ぎだした。
アキラの言葉はもう誰も信じてくれない。
しかし入学した時からクラスの事には無関心で、いい加減に生きてきたアキラにとって、これくらいの罵声は大した事では無かった。
そんなクラスのざわつきを必死で阻止しようとしているのがマキナだった。
「ちょっとみんな! 宮野君は本当に私を手伝ってくれただけなんだよ!」
ざわついているクラスメイト達を止めるため、マキナは奮闘していた。
アキラは非常に申し訳ない気持ちになりつつも、これ以上罵声に対して反論する事はできなかった。
「それに、みんなが思っている程、宮野君は悪い人じゃないよ?」
その言葉を聞いたアキラは硬直してしまった。
手伝った事に対しての見返りは、決して求めていた訳では無いが、マキナの自分自信を擁護してくれる発言を聞けるとは思ってもいなかった。
「ふ、藤野さんもういいって。俺だってあんたを手伝っただけなんだから」
アキラが半ばパニックになりながら言うと、先程とは一転、教室がしんと静まり返った。
皆が皆、『マキナがそう言うなら』とでも言いたげな雰囲気だ。
マキナがそれだけクラスの中で信用されており、逆にアキラがそれだけクラスの中で軽くあしらわれているかが、非常に分かりやすい状況である。
俺ってどれだけ信用されて無いんだ? と心の中で呟くアキラだったが、認めざるを得なかった。
●
その日の放課後。
遅刻しなかった上に、気になる女の子と話す事ができたアキラは、今日は充実した一日だったと伸びをした後リョウの席を目指した。
「おしっ。リョウ帰ろうぜ!」
「やあ、遅刻しなかった上に可愛い女の子と話せてご機嫌な宮野アキラ君」
リョウの態度は相変わらずで、お調子者かつ落ち着きの無いのは彼らしいと思うアキラであった。
二人仲良く帰ろうとした時、突然後ろからアキラの苗字を君づけで呼ばれた。
このクラスでアキラを呼び捨てにしない人物といったら……
「あの、宮野君?」
二人が振り向いた先には藤野マキナが立っていた。
何故か不安そうな表情を浮かべてアキラを見つめている。
アキラはこんな時に何の用かと疑問に思った。
まさかクラスの前で、アキラがマキナを気にしているという事を、リョウに公言されて怒っているのか? と少し不安を覚えたが……
「あれ? 藤野さんどうしたの?」
リョウは何食わぬ顔で尋ねた。
マキナはアキラに対して『あの……』と前置きをして……
「宮野君……今朝の事、ひょっとして気にしてる?」
そう言われたアキラとリョウは、『え?』の一文字を揃えて発音した。
「クラスのみんなにいろいろ言われた事、怒っているのかなって思って……もしそうだったら、ごめんなさい」
マキナは両手を前にやって頭を軽く下げた。
アキラは謝られる理由が分からなかった。
今朝マキナと一緒に居た事で騒ぎが起きたのは、アキラがクラス内で嫌われているからだ。
それなのにマキナは、自分に負い目を感じているなんて……
「そ、そんな事気にして無いよ。そもそも藤野さんを手伝おうとしたのは俺だし……」
「怒って……無い?」
「ぜーんぜん怒ってなんていないよ?」
それを聞いたマキナは、安心したのかほっと胸を撫で下ろした。
それからお互いに、暫くの間何も話す事ができずに立ち尽くしていたが、リョウが声を発した。
「じゃあまた明日ね。藤野さん」
「うん、また明日。宮野君、鈴木君」
マキナは笑顔で帰る二人を見送ってくれた。
●
学校前の下り坂。二人は仲良く帰っていたが、いつもより口数が少ない。
アキラは今日学校で起きたことを改めて思い返してみた。
クラスの美少女と言われるマキナとこれだけ話せたのは初めてではないだろうか。
アキラが机運びを手伝ったのも、マキナに対して何かをしてあげようという気持ちがあってこそ行った行為であり、決していい人を演じようとしていた訳ではない。
そんなアキラの気持ちを、彼女は読み取っていたのではないだろうか……
だからこそ、クラスの騒ぎの際に彼女はアキラを擁護したのではないだろうか……
そして分かれ道、リョウはアキラに対してエールを送った。
「じゃあな、アキラ。お前はせいぜいがんばれよ」
「……なあ、リョウ」
少々返答が遅れたアキラだったが、決意を評した表情でリョウを見つめる。
「俺、明日から藤野さんにこっちから話してみる」
「お、おお! マジか!」
それを聞いたリョウは心からの祝福を表してか、アキラの頬をペチペチと叩いた。
アキラはリョウに対しても感謝をしていた。
マキナの事が気になっている時に背中を押してくれたのはリョウだ。
『物事は何事も先手必勝』という彼の言葉は、アキラの心を強く奮い立たせる事となった。
そして今日の騒ぎでの彼の軽はずみな言動。あれは実際にアキラに勇気を与えてくれた。
マキナへの恋心が、生徒たちに広まる事を恐れていたアキラに喝を入れたのだ。
「いやあ、ついにアキラも本気になってくれたかー。でも告白はまだしないのか?」
「まあ、今まであまり話した事が無いからな。俺みたいな奴からいきなり『好きです』なんて言われても困るだろうし……」
「そ、そうか……」
アキラはマキナに告白する事を未だに恐れていた。
クラスの嫌われ者であるアキラは、罵声を浴びせられる事は最早大した事ではなかった。
何より怖いのは、他の生徒からのマキナに対する嫉妬が膨れ上がり、彼女への嫌がらせが勃発するのではないだろうか?
だから今すぐに恋愛という戦禍の中へと飛び込む必要は無いと感じた。
その中で今できることを考えた結果が、マキナと積極的に話すという事だった。
ゆっくりだっていい。少しずつでも彼女と関わりを持っていく事が、恐れている自分を変えていく事に繋がるんじゃないのか……
「ま、ゆっくりやっていくならそれはそれで悪く無いと思うぜ」
「リョウ、ありがとうな。お前のお陰で元気が沸いてきたぜ」
「なーにオレなんて言葉かけてやるくらいしかできねぇ男だ。動き出したのはおまえ自身だろ?」
「ま、まあな」
「オレにできなかった藤野さんへの恋。応援してるぜ」
「ばか。後は俺だけでやってける――えっ?」
リョウが口の軽い男だというのは、一年以上の付き合いで重々承知はしているが、マキナに対して好意を持っていた事に関しては流石のアキラも驚いた。
しかもそれをさりげなく口にするなんて……
アキラはリョウに対して悲しみと切なさの篭った目つきで睨んだ。
「リョウ……お前……」
「お、落ち着けよアキラ。それは以前の話だ。お前が藤野さんに好意があるって言った日以来、オレは藤野さんの事は諦めたって!」
リョウの必死の訴えを見て、アキラは詰め寄るのをやめた。
目が泳いでいないのを見ると、どうやら嘘では無いようだ。
「言ったろ? 先を越された人間に対しての物言いは負け犬の遠吠えだって。オレも以前は藤野さんの事は気になってはいたけど、お前が先に宣言しちゃったよな。だからオレはお前に対して藤野さんへの好意をとやかく言ったりはしねぇよ」
冗談交じりではない彼の弁は信用できるが、それでもリョウに対して後ろめたい気持ちはあった。
「そ、そうか。悪かったな……先取りした感じで」
「いえいえとんでもない。君は君で藤野さんへのアプローチ、頑張ってくれ給え」
リョウは陽気に手を振り、帰り道を去っていった。
その夜、アキラはマキナの事で頭がいっぱいになり、眠る事ができなかった。
心優しい性格、気さくな笑顔、そして可愛らしい顔つき。
それらを持ち合わせた彼女と明日、どのように対応しようか。そして何を話そうか……
暗闇の部屋の中、それを摸索したが、適切な考えは一向に浮かんでこなかった。
しかし、アキラは既にある答えに辿り着いていた。
そしてその答えを自分自身にぐっと言い聞かせて、明日の事は明日考える事にした。
『片思いは、悪い事じゃない』
そう考えた直後、アキラは安心して眠り始めた……
ここまで読んで下さりまことにありがとうございました。
初めての短編でしたがいかがでしたでしょうか?
本当なら五千字程で収めようとしたのですが、まとめて縮めたにも関わらず、一万字に達してしまいました。すみません。いやはや長いようで短いですね、数千字は。