託された願い
「…………」
少年の歩みは重かった。
勿論、さっきまでいた”異界”では無く元の世界に戻った事で”ペナルティ”による身体の重みの実感は当然ある。
だが今、少年の歩みを重くしていたのは身体の重みのためでは無い。
それは言うなれば”託された思い”による重みだった。
(――ホントにいいんだろうか。僕なんかで)
さっきからルークスも敢えて話しかけては来ない。
いつもなら心の中を読んで五月蝿いくらいに話しかけて来るのに今は何も喋らない。
まるで少年を試すかの様に。
(――分かってるよ。頼まれたのは僕だ)
少年は何故承諾したのか。
決して軽い気持ちからの言葉ではない。たった一晩だけの付き合いだったが、彼らの集落での時間は人生で一番楽しい時間と言っても過言ではなかった。
少年の両親は彼が物心つく前に”病死”したそうで、原因は当時の流行り病と今の養父母には聞かされた。
養父母は少年をとても大事に育ててくれた。まるで本当に自分の子供に接する様に。
誕生日も祝ってくれるし、豪勢な料理も振る舞ってくれる。育ててくれた事に文句なんか無い。
だが、いつの頃からか少年は自覚するようになった。
(でもこの人達は本当の父さんや母さんじゃないんだ。どんなに優しくても他人なんだ)
彼がそう気付かされたのはほんの小さな出来事の積み重ねだった。
小さな小さな毎日の生活での違和感。
彼にとって不幸だったのは、子供の頃から自分を客観的に見る癖があった事だ。
その為に、常に自分を離れた所から見ているような感覚に陥り、結果として何をしていても常に他人より一歩引いた所にいた。
自分自身、子供らしくない子供だと思ったがその為に今まで危険な状況に陥った事は無かった。そう、”悪鬼の森”での出会いまでは危険とは無縁だったのだ。
たった一晩。ソレだけの短い間にルークスに出会い、”勇者”になれと言われ、”祝福代わりに呪い”を受け、更には骸骨に遭遇してその集落のあった”異界”にも立ち寄った。
それは彼の十六年の中でも間違いなく一番濃厚な時間。
いつも客観的で引っ込み思案だった自分が生まれて初めて実感した主観的になれた時間。
そして気付かされた、自分に対する周りの対応が何故他人と違ったのかについて。
簡単な理由だった。自分から心を開かなかったからだったと。他人に心を開かず、また近寄らなかったからだと。
町に戻ったら皆に謝ろう。そして改めて人生を生きよう。これ迄やらなかった事にも取り組んでみよう。
そして、大事なことに気付かせてくれたルークスと骸骨達にもお礼がしたい。その為の第一歩。
そう思ったからこその承諾だった。……なのに。
◆◆◆
(時間は少し戻り)
「「「どうか我らの願いを!」」」
長老を始め集落の全員がこの場に集まり。一斉に頭を地面に着けた。
予想外の展開に少年は勿論、ルークスも驚いている。
住人達の訴えからは切実さが感じ取れ、彼らの願いに対する重みがよく分かった。
「皆さんにはお世話になりました――僕に出来る事なら」
その言葉は自然に口から出た。
これまでの人生で一番楽しい時間と大事な事を教えてくれた人々に対する感謝から出た言葉。
「勇者様、有難う」
長老が地面に擦りつけていた顔を上げ少年を見上げた。
思わず、慌てて少年も膝を地面につけ高さを合わせる。
「勇者だなんて……」
「そうだぞ長老、コイツは単なるヘタレなんだ」
「ちょっ」
少年がルークスへと振り向くと鋭い視線を向けた。
「ルークス――」
「何だ? 文句でもあるのか?」
「――ヘタレって何だ?」
少年の目に”好奇心”がありありと浮かんでいた。
一瞬、緊迫した空気が漂うかと思わせての気の抜けた状況に、
「アハハハハハハ」
住人の一人が笑いだすのをキッカケにその場に大笑いが巻き起こる。
住人達も長老もルークスも口を大きく広げ笑い声をあげるのを見て、少年も吊られて笑い声をあげた。
笑い声が周辺を包み込む、そんな暖かな時間がしばらく続き……。
「まあ、コイツは少し世間ズレしているんだ。あまり気にしないでくれ……プフッ」
「おい、まだ笑うのかよ」
言葉の意味を長老から聞き、ようやく笑いの原因を知った少年が不満気に頬を膨らませる。
ルークスは口元をヒクヒクさせながらも、辛うじて笑い声を押さえると「悪い悪い」と少年の頭をポンポンと叩く。
少年は小馬鹿にするようなルークスにジトリとした目を向けつつも満更ではないのか口元は緩んでいて笑顔だった。
長老はその二人の客人の様子を見て、
(――この人達になら託せる)
と、確信し穏やかな笑みを浮かべると口を開いた。
「勇者様にお願いするのは【封印】です」
「封印? ですか」
少年は長老達がここまでする願いだから余程の事だろうと考えたが封印という言葉に少し拍子抜けした。
ルークスが五百年前に【悪鬼の森】を封印した際に現世と異界との間も行き来出来なくなったと、昨晩の宴会で住人達がルークスに話していたのを聞いていたからだ。
「異界と現世の行き来を出来ないようにすればいいんですね?」
少年の問いに長老は「はい」と言うと首を縦に振る。
ルークスが「いいのか?」と聞き返すと長老はもう一度首を縦に大きく振る。
ルークスはそれに対して「そうか」と小さく呟いた。
少年は違和感を感じたものの、ルークスが「行くぞ」と言うとさっさと歩き出したので慌てて立ち上がると、
「皆さんお世話になりました。――また来ます」
とだけ言うと、スタスタと先を歩くルークスを追いかけた。
「ちょ――待ってよルークス! 歩くの速すぎだよっっ」
息を切らせた少年がようやくルークスに追い付くと、彼は既に本来の姿である宝玉に戻り、宙にフワフワと浮いている。
――ようやく来たか。……さっさと戻るぞ。
ルークスはそう言うと、例の白い光を放ち少年を包み込む。
あっという間に視界が歪み、渦を描いていき……真っ暗になった。
「……ううっ」
少年が目を開くと、辺りは夕方から夜になろうとしているらしく、空には月が浮かび上がっていた。
――ふむ、どうやらあれからまだ日は変わっていないようだ。良かったな。
ルークスがそう言うと、少年の手のひらに乗る。
「あのさ、ルークス。……聞きたい事があるんだけど」
――【封印】の事か?
ルークスの返事に少年は首を縦に振り、歩き出した。
しばらく歩いているうちに日は更に沈んでいき、夜になろうとしていた。
「さっき、長老に確認してたよね? いいのかって……あれは何だったの?」
――【封印】すれば彼らはもう現世から消滅する。それだけだ。
ルークスは淡々とそう言った。
少年は彼の言った”消滅”という言葉に動揺していた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。……消滅って事は…………」
その先の言葉が口から出せない。
”封印”という言葉の重さを認識し、さっき長老達が何故あんなに真剣に頼んできたのかを今更ながらに理解した彼は……安請け合いした自分に腹が立った。
様々な考えが頭の中を駆け巡っていく。
(何とかして皆を助けなきゃ――あんなにいい人達が消えるなんてイヤだ)
少年は思い付く限りの可能性を考えたが、その都度ルークスに否定され、やがて……。
――諦めろ。彼らは既に覚悟を決めているのだ。
ルークスの言葉が突き刺さる。率直で遠慮のない言葉。
「だ、だって皆いい人なんだよ?」
――そうだな。
「初対面の僕にもあんなに親切だった」
――確かにな。
「そんないい人達を消すなんて……僕には出来ないよ」
少年の言葉は本心からだった。
彼が争いを好まない事は、ルークスも長老達もよく分かっていた。
――やれやれ、こういう話は私の柄では無いんだがな。……よく考えろ、お前は争いが好きか? 欲しいものの為に他者を平気な顔で傷つけられるか?
唐突なその質問に少年は一瞬戸惑う。
いきなり何を聞くんだ? とばかりに困惑を隠せない表情を浮かべたが、気を取り直して答えた。
「――平気な訳ないだろ。そもそも僕は荒事は苦手なんだよ」
――なら、こうならどうだ。……もし自分の意思とは関係なく他人を傷付けると分かったならお前はどうする?
「何を言ってるんだよ……そんなこと」
少年はそこまで言って何かに気付いた。
その表情はみるみる暗くなっていく。
「ルークス。……そうなのか?」
それ以上は言葉に出来なかった……だから心の中で
(皆を封印しないと危険なのか?)
と声にならない声をあげた。
その【声】を聞いたらしくルークスは肯定するかのようにピカッと光る。
――長老に先程聞いた。何故五百年前にあのような争いが起き、たくさんの犠牲者が出たのかを……原因をな。
「原因」
少年は思わず息を飲み、ルークスの話に耳を傾けた。
――本来の骸骨達は温厚で争いを好まぬ。人間だった頃と同じく森と共に静かに暮らしたいだけの種族だ。……ここまでは前に見たはずだな?
ルークスの言葉に少年は頷く。
――五百年前、森のそばに町が出来た際も多少のいざこざは起きたそうだが、すぐにあんな状況になった訳では無い。骸骨達は町の住人とはなるべく関わらないように日々を過ごしていたそうだ。何と言っても自分達は既に人では無い……異質の存在だったのだからな。
「そ、うだよね。いきなり友達にはなれないかも」
――だからこそ、町の住人との接触はなるべく避ける為に【境界】を設けた。
「境界? 分けたってこと?」
――そうだ。骸骨達と町の住人からそれぞれの代表が話し合い、互いの住み分けを決めた。……その結果、骸骨達の住む場所は一本の【木】を中心にした一帯になった。そして、互いに不必要な干渉はせずに共存することになった。
「…………待ってよ。それじゃ、争いが起きないはずじゃないか! それが何で――」
少年が捲し立てるのをルークスがピカリと光り遮った。
――まあ落ち着け。これから説明するところだ。とにかく、一旦は互いにとっても平穏な時が流れたらしい。だが平穏は突然終わりを迎えた。
「何があったんだ?」
――【木】が切り倒されたのだ。
「木? 木っていうと……」
――思い出せ。お前も見ているハズだ。……異界にもあったあの巨木をな。
そのルークスの言葉に少年はさっき見た不思議な木を思い浮かべた。
「あの木――」
――そうだ。あの木はこの現世にもあった。……あの木は特別な力を持っていて、【魔力】を集める事が出来るのだ 。
「魔力を集める? それが……」
――よく思い出せ。お前が倒した骸骨の事を。
「確か、魔力で骨を繋ぎ止めているんだっけ――あっ」
――思い出したようだな。そうだ……骸骨達は魔力によって現世に自らを繋ぎ止めている存在なのだ。その魔力の源泉ともいえる巨木はまさに命綱なのだ。――それが突然切り倒されたら……お前はどう思う? 誰が何の為にやったと考える。
「…………町の住人の仕業だと考えるかもしれない」
――そうだ、更に町でも住人が森で惨殺される事件が起こった。
「……骸骨達の仕業だと考えたのか」
――そして互いに疑心暗鬼に陥った状態のまま些細なキッカケで殺し合いが始まったのだ。長老や町の代表がどう苦心しようがもうどうしようも無かった。――後の結末は見た通りというわけだ。
「でもそれなら関わらなきゃいいだけだろ? お互いにさ」
――確かにな。だが、彼らの中にも色々な思いを持つ者がいる。平穏に生きたい者が大半だが……
「……中には五百年前の恨みを忘れていない者もいるのか」
――そうだ。残念な事にな。
「でも封印は分かるよ。でも【消滅】だなんて」
少年がそう言いながら森を歩いて行く内に気が付けば森はすっかり夜になっていた。
森は真っ暗で耳を澄ますと様々な動物の声が聞こえてくる。
ルークスが光る事でようやく前方の木々が見えるような状態の中、少年はおぼつかない足取りでゆっくりと一歩一歩踏みしめていく。
「ルークス。一体どこに行くんだよ?」
――【石碑】のある場所だ。そこにおそらくは…………来るぞ。
ルークスの声と共に地面が突然不自然に盛り上がると”ボコッ”と言う音を立てて骸骨が姿を表した。
その骸骨は既に組み上がった状態で手には木の棒を持っており、迷わずに殴りかかって来る。
緩慢な動作だが、間違いなく敵意のある攻撃に少年は思わず尻餅をつき、木の棒が頭のあった所を通過していった。
「くそっっ」
少年は襲いかかってきた骸骨の足を手で掴むとそのまま一気に引っ張った。
骸骨は思った以上に軽く、非力といっていい少年でもあっさりと引き倒す事が出来た。
少年は引き倒した骸骨が起き上がる前に馬乗りになるように腰を落とす。
骸骨が反撃に木の棒を顔面めがけて振るった。
”バキイッ”という鈍い音。
少年はその攻撃を何とか右肘で受け止め、左手で木の棒を奪い取うと、そのまま降り下ろそうして……止まった。
――何をしている! 躊躇うな。
思わずルークスが叫ぶ。
その声を聞いて少年はもう一度木の棒を上に掲げると降り下ろそうとして、また躊躇った。
「ダメだよ。――僕には出来ない」
すると骸骨が少年の手から木の棒を奪い返すとそのまま顔面に当てた。
”バチイッ”頬を打つ音。
至近距離からの一撃だったのが幸いして大した威力では無かったが、それでも態勢を変えるのには十分だった。
少年はそのまま横に倒れ、骸骨が上半身を起こして馬乗りから脱する。
今度は逆に骸骨が少年に対して馬乗りする格好となり、木の棒を両手で握りしめるように持つとそのまま降り下ろした。
木の棒が降り下ろされる度に”バチイッ””バキッ”という音をたて、容赦無く少年を痛めつける。
――オイッ。何をしてるんだ! このままでは殺されるんだぞ? それでもいいのか?
ルークスの声にははっきりとした焦りがあった。
それでも、少年は反撃する事もなく、ただ痛め付けられていく。
(――僕には人殺しなんか出来ないよ)
そう思うと身体が動かなかった。
このままだと死ぬかもしれないこの状況に於いても彼にとっては骸骨もこの世に生きる存在なのだという考えが頭をはなれなかった。
そうこうしている間にも骸骨が木の棒を降り下ろし、全身に激痛が走っていく。
(さっきはよく知らなかったとはいえ、僕は骸骨の仲間を殺してしまった。……これも因果応報ってヤツかもな)
そう考え、目を閉じた時だった。
”カタカタ”
何かを鳴らすような音が聞こえる。
聞いたことのあるその音はなおも続く。
”カタカタカタカタ”
今度は前よりもハッキリと耳に届き、その音が骸骨達にとって会話代わりだと思い出した。
意識を集中させて、その音を聞き取ってみる。
すると、声が聞こえてきた。
「に……憎い。憎い――お前達は【木】を倒した」
その声には深い悲しみがあり、
「殺してやる……殺して……嫌だ。殺したく――殺してヤるウッッ」
強い殺意に困惑とが入り混じっていた。
「くそオオッっっ」
少年は突然叫ぶと、両手を思いきり突き出し木の棒を掴みとり、一気に引きながら奪い取る。
「僕だって死にたくなんか無いんだああっっっ」
そして木の棒をそのまま骸骨の顔面に勢いよく突き出した。
”ガツン”という衝撃音と石みたいに硬い感触。だが、効いたのか骸骨はグラリと後ろに倒れ、少年が再度馬乗りの態勢を取った。
「ハアハア――くっっ」
――トドメをさせ。もうどうしようも無いんだ。
それでも躊躇うように顔を背ける少年の耳に、
「の…………む」
かすれるようなか細い声が届いた。
「たの…………む。早くおわらせてくれ――もう意識を保てナ――に、憎い。お前達が憎い――」
後はさっきと同じ言葉をただ繰り返す。
それはまるでそれ以外の言葉を”封印”されたように繰り返した。
――分かったか? もうコイツの【意識】は奪われた。もう無理なんだ。
「……」
少年は無言で顔面に木の棒を叩き込んだ。
”ピシイイッッ”それがまるで合図だったかのように骸骨の全身にヒビが入っていく。
骨がまるでガラス細工のように脆く崩れていき、動かなくなって……
「あ――ありがとう」
最期にそう言うと、砕け散った。
◆◆◆
(そして現在)
「…………」
少年の足取りは重かった。
ルークスから”祝福”され、身体は少し軽くなった。
骸骨達から”託された思い”の本当の重みも知らずに安易に承諾した自分が恥ずかしかった。
――お前が気に病む必要は無い。さっきのも、長老達の言葉もだ。
「……ルークス。教えてくれないか」
――何をだ?
「骸骨達に一体何が起きたのかを」
そいいう少年の目にはさっきまでは無かった強い”意志”の光が宿っているのをルークスはしっかりと感じ取ると、
――分かった。
そう言葉を返すと、白い光で包み込んだ。