異界
「な、何だよ【異界】って?」
少年はルークスの言葉に困惑した。
すると「やれやれ」と言うとルークスは瞬時に神器から騎士の姿に変化した。
「うわっっ、いきなり何なんだよ」
「驚いたか? ま、当然だな」
少年の驚く様子にルークスは満足気な笑みを浮かべた。
「な、何で変化してるんだよ? 出来ないんじゃないのか?」
「ああ、変化にはかなりの【魔力】が必要だからな」
「だろ? ……ん、てことは変化できるんじゃん!」
「だからな、かなりの【魔力】を使うのだ。おいそれとは使えん」
ルークスはやれやれと肩を竦めると、契約者に手を差し出した。
契約者、つまり少年はその手を掴むと立ち上がった。
ただ、まだヨロヨロと身体はふらつき、ダルさが抜けない。
体力が無くなったのとは違い、重いのではなくむしろ”軽い”。
軽すぎて身体が言うことを利かない感じだ。
壁に背中を預けてようやく立ってられるような少年の様子を見たルークスは溜め息をつくと、
「全く……情けない奴だなぁ」
と思わず苦笑した。
「す、好きでこうなった訳じゃないよ!」
少年は声を荒らげたがそれだけで身体から力が抜けていくような感覚に陥った。
身体がそのままズルズルと壁からずり落ちて、膝立ちを辛うじて維持した。
「そ、それより【異界】って何なんだよ?」
少年にとっては、自身の身体の異常よりも知らない事に対する”好奇心”の方が勝っていた。
ルークスは一瞬、契約者のその様子に呆れたもののすぐに笑みを浮かべ、少年の目の前にドカリと胡座をかくように座った。
(全く、呆れる程の【知識欲】だな)
ルークスは顔を横に降りながら軽く笑うと、改めて少年を見据え……話を始めた。
「【異界】とは文字通り異なる世界、即ちお前の生きる世界とは違う場所のことだ。……ここまでは分かるか?」
ルークスが少年を見ると、首を大きく縦に一度振った。
「ここではお前の生きる世界よりも【魔力】が豊富に存在している――だから私も、消耗を気にせずにこの姿を取れるのだ」
「消耗? ルークスは消耗すると……ああ、気絶するのか」
少年の脳裏に五百年前の光景が浮かんだ。
思わず「ププッッ」と笑い声をあげ、それを見たルークスは眉間に皺を寄せ「ハア」と溜め息をついた。
「ゴメンゴメン、悪かったよ。……で、話を続けてよ。異界だとルークスは魔力の消耗を気にしなくていいんだよね?」
「…………ああ、そうだ。何故【悪鬼の森】に骸骨達がいたか分かるか? あの森はここに繋がっているからだ」
「……でもそんなの見たことないよ? 聞いた事もないし」
「五百年前の事を思い出せ。私は森に漂っていた【魔力】を【封印】したのだ」
「そうか、【入口】も塞いだんだね」
「そうだ。水筒の蓋をするようにな」
「じゃあここは骸骨達の暮らす場所なんだ」
少年の言葉にルークスは頷いた。
「とにかくだ、ここは元の世界とは違う場所なのだ。時間の概念が違っていても何ら不思議はない――そういうことだ」
少年は今のルークスから聞いた話を頭の中で反芻してみた。
(え~~と、ここは元の世界とは違う場所で悪鬼の森から来れる場所で……)
しばらく考えているうちにルークスは寝ていた。
少年はその様子を見て苦笑しつつも、
(神器でも寝る事があるんだなあ)
と、妙に人間臭いその姿に親しみを覚えていた。
しばらくするとさっきまでの身体のダルさが最初から無かったかのように消えた。
ルークスを起こそうかとも思ったものの、一人で見て回りたい気持ちの方が勝り、洞窟を出ることにした。勿論、そっと足音を立てないように。
「――ようやく行ったか、まあここなら問題はないだろう」
ルークスが目を開くとゆっくりと起き上がった。
「さて、私も見て回るとしようか」
◆◆◆
「うわあ……」
少年は思わず言葉を失くした。
洞窟を出て目に飛び込んできたのは、辺り一面見渡す限りの殆ど手付かずの豊かな色彩の森。
様々な樹木は一体いつから森にあるのか想像も付かない位の巨木ばかりで、まるで自分が小さな蟻になった気分だった。
「凄いなあ。……でも何だろうここ見たことがあるような」
「それはここが、あなた方の世界で言う【悪鬼の森】だからです」
「え? うわっ」
背後からの声に少年は思わず飛び退いて距離を取ると振り返った。そこに立っていたのは穏やかそうな表情の老人だった。
その老人は森の中でまた一段と巨大な樹木の根元に腰掛けていて、まるで昔話に出てくる”仙人”のような不思議な雰囲気を纏っており、何となく安心出来た。
「あ、あなたは?」
「おや、私が誰かお分かりになりませんか? ああ、先程は昔の姿でお会いしたからですな」
「昔の姿で? あなたは一体……」
少年は改めて、老人を観察してみた。
彼が身に纏っているのは自分とよく似た長衣。だがその紋様は見たことが無い。足元は自分のように足首までの長靴ではなく、草鞋を履いていた。
さらに見ていると、老人はニコリと笑い自分の後ろから一本の杖を取り出した。
それは杖というよりは木の棒とでもいうべき代物だったが、どこかで見覚えがあった。
「あれ? ――これって、骸骨の長老が持ってた杖に似てるなあ」
「ハハハ、私だよ。声をよく聞きたまえ」
「声を――って、も、もしかして……長老?」
その問い掛けに老人は大きく一度頷いた。
「ええええええっっっ!」
辺り一面に少年の大声が轟いた。
(数分後)
「もう、さっきはびっくりしましたよ!」
「ハハハ、それはすまなかったねえ」
二人はすっかり打ち解けていた。
長老の案内で、彼らの暮らす集落へと向かっていたのだ。
「それにしても、さっきの言葉なんですが……」
「さっきの?」
「昔の姿って言ってました」
少年はそう言いながら、改めて【悪鬼の森】に視線を向けた。
確かに要所要所の目印等は同じようにあった。
迷わないようにと、道が二手に別れた所には看板を掛けて行き先が書いてあったり、休憩する為にと用意されたらしい切り株の椅子等々周りの風景こそ変貌しているものの、これらの様子から確かにここは【悪鬼の森】に違いなかった。
「しかし、あなたはなかなかに変わった方だ」
長老が笑いながらそう言った。
「僕が? ですか」
少年の返事に長老は「ああ」と言うと、
「私が骸骨だと知っても怯えもせず、こうして話しかけてくる――大した物だよ」
長老の言葉を聞いて少年は、
(ルークスのおかげだなあ。……過去の森の様子を見たからこんなに冷静でいられるのは)
と心から思った。
「さあ、着きました。ここが私達の暮らす集落です」
長老はそう言うとニッコリと笑顔を浮かべた。
少年はその光景に驚いた。
「うわあ……」
集落があったのは元の世界で言うと【石碑】があった広場の周辺だった。
家は木造の平屋ではなく、茅や草葺きの屋根のどうやら竪穴住居のようで、大きさは恐らく家族構成に応じているらしく大小様々だった。
「皆の衆、客人を連れて来たぞ! 歓迎の宴の準備だ」
長老の一声で、住居からたくさんの住人が出てきた。
皆、一様に長老と同じく長衣を帯で留めていて、足元は草履履き。
このように集落と住人を見て、学舎での講義で聞いた、昔この地方での暮らしについての話を思い出した。
「さあ、こちらに」
長老に案内された先は一際大きな竪穴住居だった。
中に入ると、目についたのは何本もの太い柱。これなら住居の耐久性はかなりの物だろう。
それから、何個もの炉が設けられていてここがこの集落の恐らくは集会所のような場所なのだと理解出来た。
「お、ようやく来たか」
「ルークス? なんでここに」
洞窟で寝てたとばかり思っていたルークスは既にここに来ていて、
すっかりくつろいでいた。
「お前が気絶してる時にここに来たんでな。……お前、驚くぞ、今から」
ルークスが悪戯っぽく笑うのを見て、少年は少しムッとしたものの、気を取り直して神器の横に座った。
長老も二人の目の前に座ると、
「さて、ようこそ我々の集落へ。歓迎の宴をお楽しみ下さい」
それからの一時は本当に楽しい時間になった。
住人達が次々と料理を持ち寄ってきては宴に参加していき、人数はみるみる増えていった。
振る舞われる料理は、狩りで仕留めた猪を様々に調理したものが中心で、鍋や、煮物、鮭の燻製に栗を蒸かしたものにあとは木の実をたくさん使ったクッキー等々、そのどれもが美味しくて少年の顔は思わず綻んだ。
途中から離れた炉に移動したルークスに視線を向けると、あちらはどうやら酒を嗜んでいるらしく、ルークスも集落の男達も顔を真っ赤に染め上げて「ワハハ」と豪快に楽しそうに笑っていた。
(……楽しそうだなあ。――でも、ルークスは神器だし、ここの住人は骸骨なんだよな)
そう思うと何とも奇妙な気分になったものの、宴は続き……。
あっという間に一日が終わった。
「んんっっ……あ~~、よく寝たなあ」
身体を起こした少年が目をパチパチさせながら周囲を見回す。
集会所には、たくさんの住人が動物の毛皮を用いた絨毯に同じく毛皮を用いた掛け布団の組み合わせで寝ていた。
思いの外、寝心地は良好で暖かかった。
ルークスは既に起きているらしく、探したものの見当たらない。
少年は周りで寝ている住人を起こさないようにそっと立ち上がると集会所を出た。
「うっっ。寒いなあ」
早朝の森の肌寒さは少年の眠気を一気に覚ますには十分だった。
吐く息は白く、身体が震えたものの、この寒さに身が引き締まるようで嫌な気分にはならなかった。
昨日は長老の案内で真っ直ぐに集会所に足を運んだのであまり集落を見て回らなかった事もあり、ここがどうなっているのかが気になった。
丁度暇をもて余していたこともあって、いい機会だったと思った少年は集落を歩いて見て回る事にした。
さすがに早朝なだけあって集落の住人も殆ど外に出ていなかった。外にいるのは朝食の準備やたくさんたまったらしい洗濯物を外に干している女性ばかりだった。
少年に気付くと女性達は皆、目が合うとニコリと優しい笑顔を浮かべ挨拶をしてきた。
その穏やかな雰囲気にこの集落が本当に平和でいい所なのだと理解出来た。
「う~~ん、見当たらないなあ」
結局、集落を回って見たもののルークスの姿は見当たらなかった。
仕方無いので集会所へと戻ろうとすると、僅かにだが違和感を感じた。
気になって周りを見渡したが、特に何も感じない。
だが漠然とでは有るものの、集落の奥から感じる。
無視しようかとも考えたが、他にやる事もない。
(――行ってみるか)
少年は集落の奥へと足を向けた。
◆◆◆
「……凄いなあ」
少年は思わず息を飲んだ。
集落の奥にあったのは一本の【木】だった。
その木は特別大きいものでは無かった、ただし幹の太さが尋常では無い。
それから目を引いたのは木の周りにある【石碑】だった。
それは初めて見る字だったが、何故か意味は分かった。
――この木は我らが命。
いつ、いかなる事情があろうともこの木に触れる事無かれ。
木を倒さば、我らの仮初めの命の全ては失われるものなり。
石碑にはそう書いてあった。
改めて【木】を眺めてみると、不思議な感覚を覚えた。
すると、足音が更に奥からして姿を見せたのは長老だった。
「おや? ここを見つけましたか」
「……長老、この木は一体?」
「この木は私達がここに初めて来た時からここにあったのです」
「初めて来た時……ここに」
少年の言葉に長老は頷くと更に話を続けた。
「そもそも我らも皆さんと同じ世界で生きていました。しかし、突然の禍により一度死んだのです」
「恐らくその時に【悪鬼の森】が出来たんだろうな」
そう言いながら木の陰からルークスが欠伸をしながら姿を見せた。
木の裏側には毛皮の掛け布団が置いてあり、間違いなくここで寝ていたのが見てとれた。
「どういう事? 悪鬼の森が出来たって」
少年が思わず食い付いた。
「長老、それまでに死んだ人間が動いた事があったか?」
ルークスはそう言うと長老に視線を向けた。
長老は「いえ」と首を横に振った。
「つまり、【禍】と言うのが起きた時にこの森に何かが起きた。――で、それがきっかけで一度死んだはずの長老達は骸骨になって【生き返った】って事?」
「ハッキリとした事は分かりませんが恐らくは……」
「そう言うことだな。恐らくは何らかの痕跡が元の世界にはあるハズだ」
「お二人に御願いがあるのです。聞いて戴けますか?」
長老がそう言うと他の住人達も何処からともなく姿を現し、その数は数百人はいた。
思わず少年とルークスが身構えると、彼らは一斉に地面にひれ伏した。
「「「「どうか我らの願いを」」」」
その声には悲痛ささえ漂っていて、切実な願いなのだと理解出来た。
「……お前が決めろ、私は契約者に従うのみだ」
ルークスはそう言うと、少年の肩に手を置いた。
「――そんなの決まってるじゃないか」
少年もまた膝を付き長老の手を取ると、
「皆さんにはお世話になりました。……僕は何をすればいいのですか?」
そう言って笑いかけた。