終わりは始まり
この世界とはまた別のとある異世界。今、この世界の行く末を決める闘いに決着がつこうとしていた。
城の大広間、おそらくは謁見の間であろう場所。
王が玉座に鎮座し、その傍らには大臣が控え、衛兵がいて、貴族や騎士が集まる中で、民の訴えなどを受ける場所。
だが、この城の玉座には誰も座っていなかった。いや、この大広間には大臣もおらず、衛兵もいなければ貴族や騎士もいない。今、ここにいるのはたったの二人だけだった。
「かはっ……」
苦痛に顔を歪ませ、息を切らせながら一人の剣士が膝をついていた。まだ少年の面影を残す青年だ。
かろうじて剣を杖にして立ち上がった彼が後ろに視線を向けると、彼の仲間達は全員地に伏せていた。
戦士は、目の前の相手の強烈な一撃から自分を庇い倒れた。
僧侶は、目の前の相手の最大魔法から仲間を守るために結界を張り、全魔力を使い果たし倒れた。
魔法使いは、目の前の相手の巨大な魔力を押さえつける為に禁呪を使い、命を失った。
全ては自分が目の前の相手を倒すことを信じて、世界を託したのだ。
「ククク……なかなか楽しめたぞ。だが、そろそろ終わりにしないか?」
その相手、つまり【魔王】と呼ばれる男は最大魔法を使い、その絶大な魔力の大部分を封じられた。にも関わらず、まだ余力を残しているらしく口元を歪め、酷薄な笑みを浮かべた。
顔立ちだけで言うなら間違いなく、端正な顔をした青年と言っていいだろう。彼が魔族と呼ばれる一族の主にして、その絶大な魔力により不老であるという事を別にすればだが。
「――それにしても、お前の仲間は愚かだな。私に歯向かいさえしなければ、死なずに済んだものを」
魔王のその言葉には仲間達に対する明らかな嘲りが混じっていた。
「訂正しろ……」
剣士の眼光が鋭くなった。消え入りそうだったか細い二つの光が一段と強くなった。
「ん、何をだ?」
魔王はその様子を興味を抱いた。勿論、自らの優位を疑わないことから来る余裕がそこに内包されていた。
「僕がどう言われようがそれは構わない。だが、仲間達を侮辱するのは許さないッッ!!」
仲間に対する侮辱は彼に最後の力を振り絞らせた。彼は残された全ての力を迷わず魔王に斬りかかる事に集中させた。
「ほう、まだ力が残っていようとはな【勇者】よ」
魔王は感心したように言うと自らの魔力を凝縮した魔剣を顕現させる。
そして勇者の上段からの一撃を容易に受け止めると、軽々と弾き飛ばした。
「ククク……貴様の非力な一撃など……な、何っ!!」
魔王は魔剣で軽々と受け止めたはずの勇者の一撃の余波が、自らの頬に傷を付け、血を流させた事に気付く。その端正な表情に動揺が走った。
一方、飛ばされた勇者は空中で態勢を整えると、クルリと回転。ダンッと天井に着地と同時に踏み台にし勢いをつけると
「うおぉぉぉっ」
気合いを込めた叫びと共に再び斬りかかった。気付いた魔王が魔剣を振るい受けて立つ。
ガキィンッッ。
勇者の一撃は上からの加速によりこれまで以上に強烈で、受け止めきれない魔王はかろうじて受け流した。だが足元がぐらつき、態勢が乱れる。着地した勇者はその隙を見逃さずに素早く仕掛けた。
ギイン、ガキンという金属のぶつかる音が一合、二合と打ち合ううちに勇者の斬撃はその鋭さ、威力が確実に上がっていき、魔王の身体に細かな傷がついていく。
「クウッ、貴様ぁ」
狼狽えた魔王が後ろへ一歩下がると左手をかざし、瞬時に炎を発現。勇者へと放った。苦し紛れとはいえ、その炎は人間の身体など間違いなく焼き尽くすだろう。
「まだだっ」
だが、勇者は炎に身を包まれながらも魔王へと突進する。魔王が左手から次の炎を発しようと意識を集中させた瞬間、その左手は先に間合いを詰めた勇者の剣により切り落とされた。ボトリと音を立て、左手が床に落ちる。
魔王は「グガッ」と苦痛に呻きながらも右手の魔剣を振るい、勇者と切り結ぶ。
ガキン、ガチイッという金属のぶつかる音が広間に響いていく。
魔王が徐々に不利になっていく。そして勇者の斬撃はここにきてさらにその威力と鋭さを増していく。
魔王は瀕死に近い勇者がまだこれ程の力を秘めていた事に心底驚愕していた。
「ハァ、ハァ」
「グガッ、うぅっ」
勇者は今にも倒れそうに呼吸が乱れていた。
魔王は呼吸こそ乱れてはいないものの、切り落とされた左手から魔力が流れだし、身体がふらついていた。
「魔王、覚悟しろっ」
勇者は勝機を見出だし、乱れた呼吸を整えると剣を構えた。
「――貴様ごときに我は倒せぬ!」
魔王はなおも余裕を装うが、魔力の消耗が激しく、魔剣を持つ右手が震えていた。
「勝負だぁっ」
「来い、貴様を殺す」
それから二人が切り結ぶことおよそ十合。魔王が自らの敗北を悟り始めた時だった。
勇者の剣の斬撃を受け止めた魔剣にピシピシとヒビが入っていく。そして……
「何だとッッ?」
遂に勇者の剣が魔剣を完全に砕くと、魔王の身体を肩先から一気に断ち切った。
「グガァァァッ!!」
魔王は咆哮のような叫び声をあげ、その身体から膨大な魔力が溢れ出していく。その魔力こそが彼等の一族の生命力に他なからない。
「グガッッ……ふ、ククク。み、見事だ勇者よ! だがなぁっ」
魔王が最後の力を込めた一撃を放った。
その一撃は右手を魔力で包み込むと、まるで鋭利なナイフの様に変化し、勇者の身体をあっさりと貫いた。
「貴様も我と共に滅せよ勇者よ!!!」
それが魔王の最期の言葉になった。溢れ出す魔力がまるでシャワーの様に降り注ぐと、やがてその場には勇者だけが残された。
『――魔王は倒した』
勇者は自分が死ぬのを既に受け入れていた。もはや声も出ない。
『でも、このままじゃ、カッコ悪いよな』
そう思った彼は残された気力を振り絞り、身体を仰向けにすると大の字になった。
『綺麗だなぁ』
天井を見た彼の目に映るのは豪奢な作りのシャンデリア。これだけは昔のまま残されていた。
『魔王め、意外と見る目はあったんだな』
何故か、魔王を称賛したい気分だった。
『何だろ、意外とすぐに死なないもんだな』
勇者は苦痛すら感じないこの状況を、不思議に感じながら何処か安らかな気分になり、頭の中でこれまでの事を思い浮かべた。
元々この城は、勇者の暮らす国の王が統治していた場所だった。
十五年前に魔王が襲来し、城を奪うまで世界は争いも無く平和な時を刻んでいた。
魔王が城を奪い、国土を荒し、やがて軍団を作ると世界中で争いが起きた。
彼が勇者となったのは、落ち延びた先にあったある【神器】の封印を解いたからだ。
神器は【古びた剣】だった。
――この神剣を抜き放てし者、全ての悪を滅する力を得るものなり。その者、神の加護を得るものなり。
こういう伝承がこの地には伝わっていたそうだ。だから、長年に渡り、各地から勇猛さを称えられた戦士や、偉大なる王がこの神剣を抜こうとしたが、誰一人叶わなかった。
そうしていつしか、この神器への関心は無くなっていったのだ。少年が封印を解くまでは。
――ふむ……どうやら世界は救われた様だな
【ソレ】は呟いた。
――だが、主も手遅れの様だな。
【ソレ】は特にさしたる感情も抱く事も無く、事態を淡々と分析した。
――なかなか楽しめたぞ、若き主よ。
【ソレ】にとってはこの闘いすらこれまで幾度となく繰り返され、これからも続くであろう出来事に過ぎなかった。
勇者と呼ばれた青年に語りかけると【ソレ】はスーッと宙を浮き、光を放つと消えていく。
――ワタシは、世界を渡るモノ。次なる世界がワタシを待っている。
最後に勇者の顔を見ると、満足げに笑っているように見えた。
――さらばだ。
【ソレ】はそう主に言葉をかけると完全に姿をこの世界から消した。