3-c 突撃隣の魔王城、ときにはむかしの話をしよう
祝勝会は日も傾いてきた頃、守人が謁見の間に入ると同時に始まった。
何があったのか、守人はあまり覚えていない。魔王に賞賛を受け、拍手を受けたぐらいか。あとは状況に流され、たまにバイキング形式の料理を食べ、様々な者に話掛けられ返事をした。あまり味は覚えていない。美味しいかった、のだろう。
参加者はあまり多くはなかった。半分くらいが文藍との挨拶回りでみた顔だ。魔王と祖父もいる。ただ、知らない人や顔を見ただけで知らない人も多い。彼らは気を使ったのか、守人に次もまたアルコーンに乗るのかどうかは聞いてこなかった。
しばらくして、守人の周囲から人がいなくなる。皆の関心は料理や知人とのおしゃべりに移っていったのだ。
そこで初めて、守人は周囲に目を向ける余裕が出来た。
床は大規模な魔法陣で、魔王がこの部屋のどこにいても魔力が供給出来るようになっている。魔王の魔力は結界の維持だけでなく、魔王城やイビルキョートの一部電力を賄っていると守人は習っていた。十分文化的な生活が出来るよう、隅には箱が置いてある。小さい家屋にも匹敵する大きさのその箱は、内部にトイレや風呂が入っているのだ。ここに暮らす魔王のための特注品で、導入当時はニュースにもなった、らしい。魔王に直接聞いただけで、当時のニュースを守人は知らないが、自慢話にする程度には気に入ってはいるようだ。その箱には普段魔王が使っているのか、コタツがコタツ布団ごと立てかけており、脚の一つにコードが巻き付けられていた。その他にもテレビやDVDデッキ、小型冷蔵庫があり、それくらい片付けろよと守人は思う。ただ魔王はこの部屋からは動けないので、魔王自身が動かすにはあそこが限度なのだろうと守人は推測した。
(ただ、もう少し丁寧に片付ければ良いのに)
そう守人は思う。愛用のルームランナーもベルトコンベアの上に少し重そうな本が置いてあり、ベルトコンベアが悪くなりそうだ。
逆の隅には整備班のグレムリンたちがいた。彼らは床にうずくまり、時折皿に盛られた肉を手づかみで食いながら様々な機械を弄っている。機械好きな彼ららしいと、つい先ほどグレムリン達を紹介された守人は思った。守人に彼らを紹介した人間の女性整備士も近くにいた。同僚の魔族男性と話し込んでいる。姿勢や熱心な様子から、狙っている、というやつか。
魔王は誰かと話し込んでいる。壮年の男が二人と若い男が一人、いずれも人間だろうか。詳しくは分からないが、発令所にいた記憶がある。会話内容は距離やパーティの喧噪もあり分からない。
祖父は、獅子頭のヴァプラという魔族男性と何か話している。ヴァプラは整備班班長で、アルコーン整備の統括をしている。祖父はアルコーンの基礎技術である魔力関連技術の権威だ。アルコーンの事を話しているのか。
「迷惑なやつだったよねぇ」
守人の耳にそんな言葉が入ってきた。守人は聞こえてきた背後に意識を向ける。発令所にいた耳の長い女性と、知らない女性だ。
「翼、折られちゃった。私ら封印でそんな強くないのにさ」
「治癒魔法は?」
「貰ったわよ」
ドラゴン警備の隊員のようだ。朝、頭上を飛んでいくドラゴンたちの中に彼女もいたのだろう。人化してる今、怪我をした翼は見えない。耳の後ろから斜め上に突き出た角が、彼女がドラゴンであることを主張していた。
「あのこのおかげでなんとかなったけど、自爆なんてね」
守人はハムを口にして、彼女たちの会話から意識を離す。ハムの塩気とソースのしょっぱさが過剰で、守人の口中を苛んだ。守人はプチトマトを口に入れて噛み潰す事で中和する。
周囲を見ると、いくつかのグループが守人の方を見ながらひそひそと会話していた。自分を期待しているのか。それともすぐに答えを出さない臆病者と詰っているのか。距離があるので会話内容は分からない。自分を守る文藍も冥も守人の周囲にはいなかった。
文藍はメイドの真似事らしく給仕をしている。真紅は知り合いであろう女性と話し込んでいて、月夜は狼の顔をした誰かに頭を下げられている。
守人はその光景に不意に恐怖を覚えた。
改めて周囲を見渡し、その恐れの正体を感じ取る。冥がいない。
自身を守ってくれた母であり、優しい姉であり、共にいた幼なじみの大切な女性であった、冥がパーティの光景の中にいないのだ。
急に守人を不安が襲う。ああ、最後にあったのは何時だったか。
周囲をキョロキョロと見て、守人はバルコニーへの窓が開いていることに気付いた。あそこにいてくれるのか。守人はテーブルに皿を置いてやけに乾く喉を潤すためにジュースの入ったグラスを手に取り、飲み干すとバルコニーに続く窓を目指した。
「守人様」
半分ほど謁見の間を横切った辺りで後ろから声を掛けられる。文藍の声だ。
「文藍」
守人は立ち止まって振り返る。
「どうかなさいましたか?」
「ああ、冥はどこに行ったのかなって」
当てもなくさまようより、文藍に聞けば早いと聞くことにした。
「はい、冥様は検査中です」
帰ってきたのは守人には予想外の答えだ。どこでやっているのかは知らないが、この場にいるわけがない。
文藍は視線を上に向け、目を閉じた。すぐに目を開けて再度守人と目を合わせる。そして丁寧な動作で守人に頭を下げた。
「ログ確認、言い忘れていたようです。申し訳ありません」
嘘だ。
守人は直感した。自動人形、つまるところメイドロボットである文藍は単純なミスはしない。事実文藍と十年以上暮らしているが、彼女が言い忘れなどのような単純なミスはしなかった。無論、彼女の調子が悪い時は幾度となくあったが、それでもミスはしなかったのだ。
意図的に、聞かなければ教える気はなかったのだろう。
「そ、そうか」
だが守人に証明する手立ては無く、頷くしかない。
「検査って、どうしてだ? まさか、さっきの」
「いいえ。万事、無事であります」
守人は文藍の返答に違和感を感じた。ほんの小さな違和感だ。
「アストラル化しての憑依は魔族ならば誰にでも可能ですが、転移利用した憑依や機械、複数意識体との融合は初めてのことです。なので念のため、肉体やアストラル体に異常が無いかの検査ですから。項目の多い健康診断のようなものです」
文藍はいつもの口調でいつものスピードで言う。だが守人には反論を許さないよう捲し立てられたように感じた。丁寧でゆっくりだが抑揚のない、感情の無い声に、守人は違和感を拭えない。
機械で人造だが、文藍には感情がある。守人は冥にそう聞いていた。理由は教えてくれなかったが、ならば嘘を吐くときは感情の変化で何らかの違いが出てくるのかもしれない。守人はそう予想し、文藍は見つめる。観察するのだ。
「今日中に終わり、帰宅する頃には冥様も終わっているでしょう」
だが守人は心理学者でもなければ精神科医でもない。違和感は感じても、具体的にどうか、までは分からなかった。
「そう、か」
守人は額に手を当てて顔を左右に揺すり思考を切り替える。
「文藍、俺は少し風に当たってくる」
「はい、分かりました」
文藍は守人に頭を下げて給仕に戻った。
不安は拭えない。文藍が何故嘘を吐いたのか、本当に嘘を吐いているのかどうかすらも分からない。疑念だけが募る。
このままでは悪い方に考えて悪い考えを呼んでしまう。マイナス思考を打ち切って前向きになるためにも、アルコーンに乗るかどうかを考えるためにも、守人は気持ちを切り替えようと思った。話を打ち切りたくて「風に当たる」とは言ったが、実際バルコニーに出て喧噪から離れ、風に当たった方がよいだろう。
決めた守人の行動は早い。やや早歩きで守人は歩いた。他の人の邪魔にならぬよう、視線を遮らぬように、気をつけながら。
バルコニーに続く窓から見える空は既に帳が下りかけている。早歩きする守人はバルコニーに先客がいることに気付いた。誰かと話をする気分ではないが、とにかく外に出て考えを切り替えるスイッチを得なければ。そう焦った守人はこのまま歩を進め、バルコニーが近づいたところで速度を緩めた。
守人がバルコニーに出ると、冷たい風が頬を撫でる。将監がいたところと同じく、冷たく澄んだ風は守人の熱を急速に冷ました。
守人は無意識にため息をする。長く深いため息だ。
「ふー……」
詰まっていた息が抜ける気がした。悪い気分が抜けて思考が澄んでくる。
先客はバルコニーの手すりに身を預けていた。
「おたくも騒がしいのは嫌いか?」
この場にいる誰か、守人に向けて先客はそう言いながら、手すりに持たれるように体勢を変える。
「って、守人じゃねえか」
先客は和泉甚六であった。バルコニーは暗いが、謁見の間からの明かりで顔がよく見える。前髪を反るように逆立てて固める髪型もだ。
「和泉さん」
守人は和泉を呼びながら近づく。自分の影で和泉が見えにくくならないように横にずれて歩み寄り、和泉の横に立った。
「あー甚六でいい。立場上は守人のが上なんだからな」
和泉は少しだけ顔を背けて守人に言う。
「俺のが、上?」
守人は和泉に問うた。
「ああ、俺はオペレーター、お前はパイロット。どー考えても前線にでるお前のがエラい。階級は今話し合ってどういう階級にするか決めかねてるらしいがな」
階級とは初耳だ。文藍にも聞いていなかった。
「あ? もしかしてボランティアか何かだと思ったか?」
守人の狼狽えに気付いたのか、和泉は問うように聞いた。
「いや、そういうわけじゃないけど」
「俺もドラゴン警備隊も仕事でやってんだ。もちろん使命感もあるし、やりがいもある。街を守る仕事なんて、本来警察の領分だもんな。だが警察にはどうにも出来ないから俺たちがいるんだ。もちろん、お前もその一員になる、かもしれないし」
和泉は手にもったコップの中身を少しだけ口に含んで、飲む。
「例えお前が拒否しても、今日の戦いは魔王様と街の責任においてお前に命じてやらせた、っていう建前でやってんだよ。だから戦いは魔王様の責任で、お前は魔王の命令でやった。街を壊しても人が巻き込まれて死んでも、お前の責任にはならない」
和泉は目を閉じて悦に浸るように言葉を「だから」と繋げる。
「お前が気に病む必要はないんだ」
その言葉は守人の胸にずしりとのしかかった。
「と言っても、気が晴れるわけないよな。もし気が晴れるなら、阿呆か狂人かもしくは純真無垢すぎる怪物だ」
少しだけ和泉はコップの液体を飲む。
「ま、素直に頷けんのも分かる。こういうとき、男が逃げる道は大概決まってる。酒、煙草、博打、そして女。なんてな。お前に逃げて貰っては困るんだが」
手すりに体を預け、天を仰ぎ見る和泉。
守人はふと手すりより外、バルコニーから外を見る。
見えたのは、街並みだ。イビルキョートの、少し壊れた街並みだ。
「お、街を見るなよ? あれは、気を病む。考えるには悪い光景だ」
言われても守人は従わず、街を見続ける。
「イビルキョートって、こんな街だったんだな」
守人は誰に言うでもなく、呟いた。
「ん?」
和泉はその言葉に守人を見る。
「ああそうか。こっから見る街並みは初めてか」
魔王城に落陽を遮られ、暗めの街並みはしかし疎らにつき始めた灯によって人の存在を主張していた。そう、人がいるのだ。魔族か、人間かは分からない。だが、あれは生活の光だ。
「ちょっと暗いな。けどな、昔はもっと光ってた、らしいな? そっこらじゅうがキラキラって。東京がそうだった。今はもう無いけどな」
「東京はまだ健在じゃあ?」
守人が口を挟む。守人の顔は街へと向いていた。
手前のこちらで一つ、奥のあちらで二つと、また一つまた一つ灯りが付いていく。
「ああ健在さ。だが、キラキラ光る夜景は無くなったんだ。東京に電気送ってた発電所がやられちまったからな」
イビルキョートにも発電所はある。全てを魔王発電によって賄うことが出来ないので、いくつかの発電所で分散して賄っているのだ。一番大きいのは地熱発電の地下発電所だと守人は記憶している。
イビルキョートですら、発電所が必要なのだ。かつての大都市東京なら、東京だけでは賄えるはずもない。東京以外に、東京の電気を作る発電所があたのだろう。
「節電節約、夜は日が沈んだら寝ろ、ってのが俺が住んでたころだったっけ。とはいえ、電気はあったんだ。原子力空母ってやつから供給されててな。ただ燃料を節約するために夜は供給量が下がってたんだ」
守人は和泉が東京にいたことを知り、東京がどんな街か聞くことにした。守人にとって、東京は憧れの街だ。雑誌からだけじゃ、分からないことは沢山ある。
「和泉さんは」
「甚六」
和泉は守人を制した。
「まだ未定でも、ここにいる間はお前が上だ」
和泉、とは呼ばせない甚六に、守人は顔を振り、「甚六さんは」と始める。制止はなかった。甚六さん、なら大丈夫のようだ。
「東京にいたんですか?」
「ああ、あそこ出身だからな」
守人は内心喜ぶ。暮らしていたなら詳しいのだろうと、守人は期待を込めて甚六に尋ねた。
「東京ってどんな街なんですか?」
「んー、そうだなぁ」
甚六は手すりに腕を乗せて体重を預けるような姿勢に変わる。遠く、街の向こうを見つめるように目を細めた。
「俺が住んでたのは割と下町でな。昔ながらの家屋と、破壊された町から流入してきた人達が住む真新しいバラック小屋がモザイクのように斑になったゴミゴミした街だった。そう、東京は核から守られ、周囲から生き残ったやつらが入ってきたんだ」
甚六の手にあるグラスはあまり中身が減っていない。少しずつ、口を湿らすように飲んでいたのだろう。今また、甚六はほんの少しだけグラスを傾けた。
「東京は一応、畑もあるんだが住む奴ら全員が食えるたけのメシは作れん。だから、悪魔の連中には世話になった」
「甚六さん!?」
「ん? ああ」
守人は甚六を制し、甚六も頷く。
「悪い、昔の話をするといつもこうだ。東京にいた頃はみんながみんな、魔族を悪魔って呼んでたからな。話を戻そう。魔族がメシを運んでくれなかったらみんな飢えて死んでたろうなぁ。下町、というかほとんどスラムに近かったから。あの酷い街から屋根に登って見上げると、背の高いビルやタワーがあるんだ。まだ無事だと思う。何故か誇らしい光景だった。人間はここまでやれたんだぞってさ。とにかく、俺の記憶にある東京はゴミゴミした家屋の集まりと、笑顔と諦観に溢れた住人、技術の跡……かな。お前が憧れて行くような街じゃ無いさ」
甚六の遠くを見る目は、確かに遠くを見ているのだ。遠く、遠く、核で焼かれた荒野の向こう、東京がある方向を見ている。
「ついでだ。教えてやる」
甚六はグラスを傾け、今度は残っていた液体の半分ほどを乾した。
「あまりにも嫌な記憶だが、この街の外にはそういうのもあるって、お前は知っておくべきだな。うん」
そう言ってまた、甚六はグラスを傾け、中身を乾した。
「少し待ってろ。素面じゃ話したくないんだ」
甚六は体を捻って街に背を向ける。
「酒持ってくる」
背で手すりを押すように体を跳ね、甚六は歩き出した。
「続きが聞きたけりゃそこで待ってろ」
グラスを持ってない方の手を上げ、守人に向けて振る。守人は甚六の背をバルコニーから出るまで見送ってから再度街の灯を見るべく振り向いた。
「あそこが、俺の居た場所」
守人は灯りの付いていない、暗い場所を見る。メインストリートの奥の方から左右に闇が広がっていた。右はアルコーンが居た場所、左がワシントンがいた場所だ。ワシントンの伸びる攻撃の所為か左の闇が大きく、広い。
「次は、街の外が良いかな」
守人は独りごちる。誰にも聞かれない呟きだが、守人は誰に言ったわけでもない。
誓い、にも似た独り言だ。
戦うなら、街の外がいい。被害が出れば、誰かが不幸になる。あの闇は、誰かの不幸なんだと、守人は感じたのだ。
「あんまり思い詰めるなよ」
甚六が戻ってきた。声を掛けられた守人は振り向いて、甚六の顔を見る。
「酷い顔だ。悩みすぎだな」
甚六に言われて、守人が自分の顔を触れると、震えを感じた。脂汗が指を滑らせ、火照る熱で感覚を炙る。
守人は顔を覆う手のひらの下できつく目を閉じ、気持ちを切り替えようとした。
「考えるだけじゃあダメだ。こういうときは、感じるんだ」
守人は首筋に
「うひゃあっ!」
急な冷たさを感じ、小さく叫ぶ。甚六が冷たいグラスを付けたのだ。
一瞬の冷たさが引いて落ち着いた守人は甚六を視線で責めた。
「すまんすまん」
甚六は守人の視線を意に介さず、軽く笑い、左手に持ったグラスを守人に差し出す。中には透き通った茶色がかった黄色の液体と氷が入っていた。
守人は甚六が先ほどまで飲んでいたものと似た色合いのそれに、手を伸ばすのを躊躇する。
ためらう守人に甚六はもう一度ハハ、と笑い、
「リンゴジュースだ、こっちにはアルコールは入ってない」
中身を言ってグラスを差し出した。
「あ、ありがとうございます」
守人は礼を言って手を伸ばすが、先ほど顔を覆った手が顔の汗で濡れていることに気付き、服でぬぐってからグラスを受け取る。
甚六は守人にグラスを渡すと、右手に持っていた自分のグラスから少しだけ液体を飲んだ。アルコール入りの何かだろうか。微かに薄い褐色の澄んだ液体だ。氷がグラスに炭酸特有の小さく細かい泡が無数に付着し、時折浮上しては弾けている。
「落ち付け。体を冷ませ。次の襲撃はまだ先だろうしな」
「襲撃? 次の、って」
手すりに持たれて一息吐く甚六に守人は言葉少なく尋ねた。
「ああ、アルコーンの出撃って言い換えてもいい。人類解放軍の次の作戦さ」
守人はグラスを持つ左手の力を抜き掛け、慌てて両手で保持する。「うわっと」間一髪間に合い、グラスは落ちなかった。
「ほら、一応あっちもデカい組織だしさ。デカいロボット作ってるわけじゃん? 資材の集まり具合とか拠点への人の出入りとかぶっちゃけスパイの報告とかで戦力の集まり具合が分かるわけだよ」
聞けば納得の理由だ。守人も納得した。敵の拠点位置が分かっていたり、諜報をしっかりとやり、さらにはスパイを送り込んでいる。これでは具体的な敵ロボットの性能までは分からずとも、敵の動きが何時まで止むかはすぐに分かるはずだ。甚六の言葉もその現れだったのだ。
「今回は敵の動き速かったけど、実は君を乗せるための方策とか説得とかいろいろ動いてたわけよ」
しかし続く甚六の言葉には守人は再度言葉を失った。
甚六が呆然とする守人を見てばつの悪そうな顔をして目を逸す。敵の動きが分かれば、こちらも対策を執るのは当然だ。
「あー、その、なんだ。別にお前を仲間はずれにしていたわけじゃない。守人に言う必要が無い、とも言うつもりは無いんだ」
焦りながら言葉を連ねて甚六は言い訳を考えるが上手くいかない。守人の複雑な感情をさらに高ぶらせるだけだった。
「じゃあ、なんだっていうんですか!」
守人は叫んだ。人に遠慮しがちな守人が怒鳴る事は珍しい。怒鳴った、という事実に守人自身も驚愕した。守人は慌てて口を押さえる。
「あー、安心しろ。パーティを白けさせる心配は、ない」
甚六はグラスを持った手で謁見の間を指差す。薄青いヴェールのような光が謁見の間への窓を遮っていた。
「お節介な誰かさんの魔法だな」
守人は青い微かな光を放つ結界を見て安堵し、肩の力を抜く。
「俺たちはお前に意地悪しようとしたんじゃない。ある人の要望なんだ」
そう言って、甚六はグラスの酒で喉を湿らせた。
「ある」
「それが誰かは、聞かないでくれ」
守人の質問は甚六に遮られる。
「言っても言わなくて、おとがめはないんだろうが一応、な」
守人は甚六の顔を見つめる。甚六の表情から甚六の言わないという決意が固いことを察すると、守人は深くため息を吐いた。
「分かりました」
同意だけして守人は街の方を向いて体を手すりに預ける。
「気にはなる。けど、その内教えてくれますよね?」
「約束は出来ない。けど、君に言うように俺から頼んでおく」
守人と甚六は顔を合わせず、約束し合った。口約束だが、守人は甚六が守ってくれると、自分にも分からない理由で確信している。強いて理由を挙げるなら、勘だ。
守人はリンゴジュースを一口二口飲んで気持ちを切り替える。
「それじゃ、聞かせてください」
努めて明るいトーンで守人は言った。
「えっ?」
甚六の聞き返すような反応に、守人は眉をひそめる。甚六は気持ちの切り替えが出来ていないのだ。
「あっ、あぁうん。おお、そう」
甚六は何度か意味の成さない声を出し、最後に咳払いを一つした。彼の切り替えだろうか。
「ああ、俺の話だったな。あまりいい話じゃないと思うが、聞きたいなら話そうじゃないか」
甚六は顔を上げて魔王城の上層を見上げる。この守人と甚六がいるバルコニーからは見えないが、甚六の視線の先にはゲートがある。
異世界である魔界と、ここを繋ぐ次元の裂け目。魔力で維持しているトンネル。
「たまに思う。あれが無かったら、俺はもっと幸せだったかも知れないな」
守人は甚六の顔を見る。少し寂しそうに見えた。
「俺には両親がいない。20年前、あれに巻き込まれた」
表現こそ違うが、守人は甚六の言う「あれ」を災害のことだと察する。核の炎で、消えたのだ。
「だから、あれがなかったら、父さんや母さんと一緒に、うん。話がズレたな」
顔を下げ、甚六はグラスを傾ける。
「物心ついたときにはもうあの酷い街に住んでいてな。俺は爺さんに育てられた。爺さんは昔から道場を経営してて、護身術を教えたり、用心棒のようなことをやってた」
守人は甚六の祖父を想像する。守人の周囲にいる老人は、魔族故見た目が若いかひょろい祖父くらいしかいないので上手くいかない。用心棒になるほど強い老人とはどんな姿なのだろう。
そして甚六は、語り出した。過去の暮らし、町の様子、仲のいい友達や遊んでくれた大人、たまにいく都会が残った東京の中心。電気が無くて夜は暗かったり、ほとんどの機械がただ重いだけの塊で、満足に動く車は無くて、たまに車輪が付いたクソ重い倉庫になった車があったり。
甚六が語るのは守人の知らない世界だ。核によって放射能がバラ撒かれ、住むところや食べるものに困る世界。そこに住む人や甚六が思っていたこと。
守人のグラスはいつの間にかほとんど空になり、氷が溶けて味のしない水がほんの少し入っているだけになってる。
一口飲んで、目を閉じ、甚六はゆっくりと深呼吸した。
「こっから先は端折る。あまり話したくない話なんだ。ただ、ちょっとした事件に巻き込まれたんだ。爺さんがいないときだったんだ。怪我が酷くてね。ちょうど助けに来た魔族のおっさんに治療のためイビルキョートに運ばれてきたんだよ」
事件?
守人は事故で何があったのかを疑問に思いながらも聞き続け、甚六が酒を飲むタイミングに合わせ聞く。
「事件って?」
「それは聞かないでくれ。あまり思い出したくない」
言って、甚六はもう一度グラスを傾け一口飲んだ。
「あまり人に言いふらすことじゃないし、辛い記憶でもあるんだ。すまんな」
甚六の言葉に守人は頷く。しかし甚六の顔を見ると、自分ではなくどこか遠くを見ているような気がしたので、守人は「はい」と返事した。
甚六は「うん」と首を縦に振って頷いて、続きを話す。
「それから爺さんを呼ぼうと思っても連絡ないし、そのおっさんに頼んでも行方知れずだし、住んでた家はもう無いし、近所つってももう無いけど近所のヤツに聞いても知らないしで、そのまま俺はイビルキョートに暮らすことになった。でも、爺さんは生きている、はずなんだ」
甚六は言葉を切ってグラスの酒を飲み干した。
「こっちで進学したけど、やっぱり爺さんには会いたいさ。でもバイトして探偵雇っても見つけてくれないし。奨学金の支払いは困るして苦しかったな。でもルキフグスにスカウトされて、この仕事に就いて、空き時間で大学にも通わせて貰った。魔王様には感謝しても仕切れん。探偵も雇って貰ったし。この恩は一生掛けて報いたいんだ、俺は。だから、正直、俺は君に乗って貰いたい。この街を守って、魔王様の理想を、どんな理想を持っているのか知らんが叶えてやりたいんだ」
甚六は欄干に背を預け、そのまま座り込む。
「なあ、守人よ」
甚六は守人の顔を見上げた。守人は手すりに持たれていた背を離し、甚六を見下ろす。
「甚六さん?」
「俺は、東京のあの汚い下町も、この小綺麗だけど混沌とした街も好きなんだ。だから……」
甚六は崩れ落ちるように、俯いて、体の力を失った。グラスが甚六の手を離れ転がり、氷と酒がバルコニーの床に少しだけこぼれた。
守人は甚六が持っていたグラスを拾い、自分の鼻に近づけ、すぐに離す。
「うわ、これ相当きつい酒じゃ?」
守人が甚六を見ると、胸は緩やかに上下しており、眠っている事が覗えた。
酔いつぶれて、寝てしまったのだ。
「返事ぐらい、待ってくれてもいいのに」
守人の胸は決まっていた。甚六に言われたからでもない。将監に説得されたからでもない。既に、最初から決まっていたのだ。
「母さんに頼まれたもんな」
次のはもう出来てます。
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