彼のいない木曜日
遅くなりました。が、出来る限り続けていきます。
「ちゃんと大人しくしててね」
「下着覗いちゃだめだよ、ツバサお兄ちゃん」
「ああ、大丈夫だよ。外には絶対出ない」
「私は無視かい!」
「……じゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい」
翌日、私達姉妹は普通に学校に向かう。もちろんツバサは外にすら出せない状態なのでとりあえずは家にいてもらうことにした。
「お姉ちゃん、本当に一人にしてよかったの? いくら幼馴染だからって他人なんだから」
通学路途中、歩きながらモモは言った。なかなかまともな意見だと思ったけど、どうせこの娘の思っているツバサのしそうなことってのは多分下着を覗くとかのことだろう。
たしかに一応相手は男……なんだからその心配もあるが、一番は金銭を荒らされることだろう。それも大丈夫、だとは思うけど。
「……もし仮にツバサが極悪人だったとして、なにかを物色してもさ、あの姿じゃ持ち逃げできないでしょ。それに――幼馴染とかなしに一応信頼はしてるから」
「そう? お姉ちゃんが言うならそれでいいや」
ただ――昨日みたいなことがなければもっと信頼は深かっただろうけどね――とは言わなかった。
学校からうちまではそれほど離れてはいない。徒歩だけで十数分でたどり着く。もうすでに校門が見えてきた。道歩く学生たちはどんどんそこに吸い込まれていく。そして、そこには見知った顔が一人。背が高いため真っ先に目に入る。向こうもこちらに気が付くと一直線に向かってきた。近くに立たれると、その大きさはより一層際立つ。だが不思議と恐ろしさとか、威圧感は感じない。それがこいつの人柄を表しているのだ。
右手を顔の前で開いて気さくに話しかけてくる。
「ようハル。あと妹ちゃんもおはよう。どうした、珍しいじゃないかこの組み合わせは。いつもならツバサとふたりで来るのに。――そういえば昨日学校来てなかったな、ツバサも。なにかあったの? 体調大丈夫?」
「――おはよう、藤浪。私はなんともないよ。ただ、ツバサが高熱出しちゃってさ、たまたまあいつの家に人がいなかったから看病してあげてたの」
「ふーんそうか」
特に疑うしぐさもなく、私の言うことを信じてくれる。この大男の名前は藤浪猛。
「そうなわけないでしょ。ね、ハルるん」
と、話しているといつのまにか間に割り込んできた声が一つ。またまた見知った顔。黒髪ではあるが小さな花をいっぱいにあしらった大きな髪留めをつけている、ちょっとギャルっぽい口調が特徴の彼女。クラスメートというよりは少しだけ仲のいい――。
「お、おはよう霜月。で、どういう意味かな?」
「どうもこうもないでしょ! ついに進展ありって感じ? 私にはわかるわ! 二人は一つ大人の階段を上ったって!」
「うぉい! 霜月、どういう意味だよ! 俺も気になってきたじゃないか」
霜月のわけのわからない発言に勢いよく食い付く藤浪。高校生って色恋沙汰が好きだからね……。
「決ってるでっしょ? それは……」
「それは?」
「それは!!」
「それは!!?」
「学校サボって映画館!」
「ズコーーッ!」
期待はしていなかったけど、まさかこんな返答がくるとは思いもしなかった。そう、霜月は馬鹿だ。いつも私達の想像とは斜め上の発想をしてくる。だからいい奴って認識が大きいんだけどね。
でも、こんな彼女でもただの馬鹿ではない。そのかわりに立派な才能がある。霜月は絵が上手い。模写はもちろんのこと、キャッチーなイラストだって描ける。しかもその速度たるや、写真を現像するよりは早いかもしれない。
この今風女子高生な見た目とは裏腹な超芸術家な女なのだ。
「……霜月、本当に熱出してたの。だから憶測で変な噂は流さないでね」
「はいはい、もう、ハルるんは照れ屋なんだから」
霜月、藤浪は私のクラスメートだ。そしてツバサのクラスメートでもある。二人ともそこそこ仲が良くてツバサのこともそれなりに心配してくれているのだ。
一通りの交流が終わり、私たちは校舎の中へと向かう。そのとき、モモは心配そうに小声言ってきた。
「やっぱり、仲のいい友達にも相談しないんだね。私はそれで良いと思うけど……」
「あたり前でしょ。信じてもらうのは簡単かもしれないけど、私は話を大きくしたくない。ツバサもきっとそうでしょ」
「……そうだよね。うん。ま、でも学校で何かあったら私に相談してよね」
そう言い残すと、モモは自分の教室へと向かっていった。
私たちは私たちでこっちの教室へと向かう。だいたい三年生は三階に教室があるので、モモのいるところとは結構距離がある。なれた道、階段とそれなりに長い廊下は面倒だけどそれほど時間はかからなかった。
一日ぶりの教室、その扉に手をかけ、ゆっくりと開いた。視線は一時、私に集まる。そして、彼らの明るくなる表情、そのあとの疑問を抱いた表情。わかる、彼らがなにを見ていたのか。
ツバサは……クラスで人気者だ。あいつがおはようといえば多くの人間が笑顔でそれに答える。彼らは、今日こそ、そのつもりだったのだ。しかし、そこに現れたのは付属品の一人だけ。
だが、そんな付属品でもコミュニケーションこそとれるのだ。行動力のある女子が一人、私のもとへとやってくる。
「おはよう天野さん、今日はツバサ君はいないの? 昨日もいなかったし、大丈夫なのかな」
「はは、大丈夫だよ。ちょっと熱があるだけ。今日はまだ安静にしているだけだから」
「そう、よかった」
私だって、昨日いなかったんだけどね。別に心配して欲しいわけではないけど。
そういえば、昨日は運がよかったかもしれない。こういった人が、お見舞いにくる可能性だってあったわけだから。それぐらいツバサは人気だし。私のお見舞いにだれかがくるような心配はないけど。
「……もういいかな。あ、あとお見舞いとかは来られてもこまるっていってたよ」
「あ、そう。残念」
やっぱり来るつもりだったのか! 釘をさしておいて正解だったな。
そそくさとその女子から私は距離をとる。彼女の視線もすでに私への興味は失せていたみたいだし、他の人たちもそうだった。変わらず私を心配してくれるのはさきほどの二人ぐらいだ。今も疲弊した私に声をかけてくれる。
「あいつ、ちょっと態度悪いよな。悪気はないんだろうけど。ハルのことなんだと思ってんだ」
「ねえ。ハルるんも気にしちゃだめよ。まあ、あの子は「ツバサファンクラブ」だから仕方ないのかもしれないけど」
「ははは……」
そういうよくわけのわからない団体ができていることは、私もツバサも知っていた。そしてあの子――確か苗字は数藤さん――がそれの上層幹部だということも。くだらない、とは思いつつも、ツバサに惚れる理由はわからなくもないので、蔑ろにもできない。まあ、今のツバサを見ればファンクラブなんて一気に解体しちゃうだろうけど。
その後は特になにもなかった。普通に授業を受けて、少しだけいつもより退屈な時間を過ごしただけだった。ただ、一つモモが昼ごはん前に空腹で倒れたという報せ以外は。
「ねえ、私もお見舞い、だめ?」
放課後、校門前で霜月が言う。無断で来ようとしないあたり幾分か良心的だ。でも、返せる応えは一つだけ。
「ごめんね、もしかしたら移しちゃうかもって言ってたから。私だってあまり近づくなって言われてるし。一応心配してくれてたって言っとくから」
「そう、わかったじゃあバイバイ。ハルるんは明日もきてよね!」
「ありがとう、バイバイ」
大きく手を振って夕日の中に消えて良く霜月。彼女自身芸術の才能があるからか知らないけど、その姿はまさに絵になっていた。私はそれとは逆方向の道へと帰っていく。
モモは先に帰っていたみたいで、家に着くなり「おかえり」の大きな声が玄関まで響いた。
ただいま、と返事をして私はツバサがいるであろうリビングに入る。しかし、ぱっと見た限りツバサは見当たらない。その代わりに、私の鼻には嗅ぐわかしい香りが流れこんできた。ジュージューといった、食材が炒められる音と共に。
目をキッチンへと向けるとそこには小さい身体ながらもフライパンを一生懸命に振るツバサの姿があった。
真後ろまで近づいてようやく私の存在に気がついてくれた。
「あ、ハル。おかえり。ごめん、ちょっと集中してて気がつかなかった」
「モモが大声でおかえりって言ってたのに?」
「そんな怖い顔しないでよ。炒めてる音でよく聞こえなかったんだから」
「……冗談よ。わかってるから。で、それはなに?」
私はフライパンの中身を指差す。それは卵と幾つかの細かく切られた食材、そしてご飯の混ざった何かがあった。まあ、答えを聞かずともチャーハンだとわかる。もちろんそのことを聞いているのではない。行為について質問しているのだ。
私が説明せずともその意図を汲んだツバサは手を休めることなく、こちらに軽く向きながら答える。
「いや、やっぱり居候の身になるからさ、自分に出来ることをやろうかと思って。そしたら俺にはこのくらいしか出来ないから。洗濯とかも考えたけど、やっぱり女の子の服を勝手に弄るのはよくないだろうからね。あ、風呂掃除は出来てるよ。お湯ももうすぐ沸くだろうから、ご飯の前に入ってくれても……」
「まるで、お母さんみたいね」
「えっ?」
「あ、いや……」
「……ごめん、やっぱり勝手にしすぎたよな。次からはちゃんと許可取るからさ。なんでも言ってよ」
「うん……」
それ以上は何も言うことなく私は静かに部屋へと帰る。駄目だ。女の子っぽくしてるツバサを見てると苛立ちが隠せない。ツバサはよかれと思ってしてくれたことなのに。
制服も脱がないまま布団に顔を埋め、少しだけ反省する。
こんこん、とドアのノックがあり私が返事をするとモモが入ってきた。随分と笑顔を浮かべて。
「お姉ちゃん、家政婦さんだよ。美少女家政婦!」
「そうね……」
「テンション低いね。いいじゃん、私たち料理そんな上手くないんだから、ちょうどよかったんじゃないの? 目の保養にもなるし」
「私だってそう思うよ。でも……やっぱり複雑な気持ち」
「そういえば、別段料理の練習はしてないって言ってたよ。ツバサお兄ちゃんって本当になんでも出来るんだね」
「なるほど、これは当て付けと思われても仕方ないかもな。今まであいつの人気が下がらなかったことが不思議に思えてきた」
「ねえ、そんなにネガティブな発想やめようよ。好きなんでしょ、ツバサお兄ちゃんが。素直に喜べばいいじゃん。手料理が食べられて」
「今のツバサが本当に好きかは、別っと」
反動をつけて起き上がる。モモはやれやれといった表情をしていた。
私だって乙女心が取り戻せるなら取り戻したいよ。でも、それが出来るとすれば、ツバサが男に戻ったときだけ。もしくは……いや、それ以外は考えたくないな。
リビングへ戻ると、すでに食卓は整えられていた。先ほどのチャーハンと、インスタントのスープというシンプルな組み合わせ。エプロンを脱いだツバサが私たちを席へと促す。
「遅かったね、冷えないうちに食べてよ」
「むむむ、確かに美味しそう」
具材自体は特に目だったところはないが、ゴバンの粒が一つ一つ卵にコーティングされ、べたつきのない、パラッとした仕上がりになっていることが見るだけでもわかるほど。あんな非力そうな腕でよくフライパンが振れたなと思う。
「うひゃー、ツバサお兄ちゃんは国宝級だね。さっそくいただきます!」
モモは手を合わせ頭を下げる。と、がっつくかと思えばゆっくりと丁寧に蓮華に掬い、口に運ぶ。食事も最低限のマナーは欠かさない。頬張ったものを飲み込んでからようやっと口を開く。
「うん、美味しい! ありがとう、お兄ちゃん」
「そりゃどうも」
「じゃあ私も……」
「どうだ?」
「……めちゃくちゃ美味しい」
思わず笑顔が零れてしまうほどに。正直チャーハンと一重にいってもここまで違いが出るのかと感心を越えて感動してしまった。……確かに、ツバサが家政婦になってくれればいいかも、と心が揺らいでしまう。
「本当ならもうちょっとうまく出来たと思うんだけど、いかんせんもう腕がパンパンで……」
「それは良くないね! 私が揉みほぐしてあげるよ!」
マナーも忘れて興奮するモモ。ぶれないのはさすがだけど……き、気持ち悪い。ツバサは苦笑いでご飯のあとでね、といった。それでやり過ごしたつもりだったんだろうけど……。
ごちそうさまのあとにツバサの嬌声が聞こえたのは言うまでもない。私は助けてやらず、先ほどの鬱憤を晴らしたのであった。