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第二十八話  本当の破壊者

   第二十八話  本当の破壊者

    

 周囲の火器類すべてが鈴花へ向けて弾を発射する。直後、彼女の眼前を半透明なものが覆う。前にも同じものに覆われたことがある。これは、ハルだ。

 体に伝わる衝撃とともに体のまわりに無数の弾が食い込む。弾は鈴花の体には到達せず、すべてハルの体が受け止めた。止まらない攻撃。彼女はハルに包まれたまま移動を開始する。どこか、先の戦闘で白くなっていない場所に逃れたい。ヌルは彼女が走る間も容赦なく弾を撃つ。彼女は衝撃に耐えつつ走った。

 鈴花は先の戦闘の時に同時にすべての敵が現れなかった。これは東京中を白くするためだったのだろうか。いや、範囲はもっと広いかもしれない。さてどうする、どうする。

 鈴花はただ海の方向へ走った。特に深くは考えていない。ただ、ごちゃごちゃした町並みを走って探すよりは良いと思った。

 直後、激しい揺れが鈴花を襲う。大きな地震だ。見上げた高層ビルがぐらぐらと揺れ、ビルに亀裂が入っていく。これは危ないと彼女は立ち上がろうとするが激しい揺れで立ち上がれない。このままでは下敷きになる。

「た、立てない。どうしたら……。」

 徐々に揺れが収まってくる。すぐに立ち上がりおぼつかない足取りでその場を離れた。背後で何かが軋む音がする。振り返ればビルの亀裂が入った部分から折れ曲がり上層部分が地面に向かって落ちてきた。

 直後、地震のような揺れと煙が鈴花を襲う。なんとか無事な建物に隠れてやり過ごした。

「もっと、離れないと。」

 鈴花は、揺れが収まり煙が舞う中を走りだした。こんな状態では命が幾つもあっても足りない。

 鈴花の背後で何かが爆発する。鈴花は衝撃で前方に転がった。立ち上がりながら周囲を見ると、再び遠くから弾が飛んできた。

「私が何したって言うのよ。」

 弾は地面に落下すると爆発音とともに地面をえぐる。破裂とともに直後周囲に広がる破片の混じった爆風。まともに当たったら鈴花の体は無くなる。今は何も言わないハルが守っているから生きているといるだけだ。彼女は必死に逃げた。

「さあ、何をしているんだい。逃げてばかりじゃ楽しめないじゃないか。」

 ヌルの気持ち悪い笑い声が背後から聞こえてくる。鈴花は声が近づけば近づくほど遠ざかろうと懸命に走った。なんとしてもヌルから離れないといけない。

 鈴花は息が荒くなりながらも、なんとか白くなっていない地域に入った。彼女が背後を見ればヌルは遠くからこちらを見ている。ヌルは彼女の居る地域に入ることなく自分の陣地に居座るようだ。彼女は適当な位置に倒れるように座り込んだ。すると周りを覆っていたハルは剥がれ落ち、いつの間にか消えてしまった。

「ハ、ハル。私一人で戦えっていうの。ど、どうしよ。お願いだから助けてよ。」

 鈴花はハルが居た場所を見て叫ぶも彼が帰ってくることは無い。泣きそうになりながらも、一人で戦うことを決意して本を開いた。すると、自動的にページがめくれる。何も書かれていないページが開き、その次のページが開いた。そこにはハルの姿がある。その絵が光りだし、絵の中から立体的な姿が浮かび上がってきた。ハルが再びこの世界に現れたのだ。

「ちょっと、ハル小さくない。」

 本から出てきた三体目のハルは先ほどの彼の半分ほどしかない。これまでの大きさを見ると頼りなさが十分ある。小さなハルは自分の体を何度か見ると鈴花を見た。

「俺まで出るなんてどれだけ面倒な奴らなんだよ。」

 ハルは大きくため息をつきつつ羽を羽ばたかせて飛び始めた。小さくなっても飛べるようだ。

「おい、ぼさっとするな。ここが安全だんなんて誰が保証してくれるんだ。」

 黒い本のページには倒し方が表示されていた。問題は二次方程式の解を求めろということらしい。問題は全部で五問のようだ。インフェルノの時と同様に問題と解答欄が一箇所になっている。チョークは役目を終えたということか。

「チョーク要らないみたい。返しとくわ。」

 鈴花はハルにチョークを投げるとすぐに問題を解き始めた。今はただ二次方程式を解くしかない。因数分解はある程度の形は決まっているものの、どの形になるかがなかなか分からない。その点が厄介だ。

 鈴花が三問目を解きおわると、一度深呼吸しようと顔をあげた。その時、前方の光景に固まる。

「なんなのあれ。人がいっぱいいる。なんで、ここに居るの。」

 鈴花が指差す先には沢山の人々。何も言わずこちらに向かって歩いて来る。一見正常な人間に見えるが、虚ろな目で無言の行進を続ける彼らに底知れぬ恐怖を覚えた。

「あいつらまさかここまでやる気かよ。仕方ない。鈴花、本を空に投げろ。」

 鈴花はハルの言葉に意味が分からなかったが、人々はさらに彼女たちに近づいてくる。よく分からないが、囲まれる前に出来ることはなんでもするしか無い。彼女は計算途中の本を閉じると思いっきり空に投げた。

 空中に投げ出された黒い本は丸い物体に変わり、細長い棒状の物になって落ちてきた。鈴花は落とさないように受け止める。触れると色が付き武器であることがわかった。これは刀というやつだろうか。

「鈴花、あいつらに向かって振れ。振って振って振りまくれ。」

「いや、無理よ。私と同じ人間なのよ。こんな武器で斬れる訳ないじゃない。」

 近づいてくるのは鈴花と同じ人間だ。無言で行進してくるので正直怖いが、それ以外は普通に見える。彼女はこんな人々を斬れるほど割り切れていない。これまで戦えたのは相手が人間では無いからだ。

「早く斬るんだよ。あいつら人間じゃない。殺されたいのか。」

 ハルの怒声が響き渡る。人々はついに鈴花たちを囲み、手を伸ばしてきた。刀を持つ手に力がこもる。

 誰かの手が鈴花の首を掴みゆっくりと力を加えていく。他の人間も腕や首に爪をたてる。鋭い痛みが走った。彼女はそれらの手を振り払う。このままでは彼女自身が殺されてしまうかもしれない。殺されるくらいなら殺すしかない。

「やるわよ、やってやるわよ。殺せばいいんでしょ。わかったわよ。」

 鈴花は近づいてくる人々に向かって刀を振り下ろした。振れば抵抗なく叫び声とともに人が消えていく。その様に何か大変な事をしている気持ちがあったが、今はそれどころでは無い。迷いを断ち切るように何度も振り下ろした。思ったほど刀は重くなく、何時か見た時代劇の一シーンを真似て必死に振った。

「なんでこんな事しなきゃいけないのよ。」

 鈴花は叫びながら向かってくる人々を斬っていく。人々が目の前で簡単に消えていく。こんな事を何も感じずに続けてはいつか人じゃなくなりそうだ。泣きそうになるのをこらえた。だけど、それも無理な話だった。

「あ、あなた。まさか。」

 眼の前に現れたのはこの世界の荒谷鈴花だった。隣には見知った母親が居る。

 鈴花は嫌々と言いながら後退する。流石に知っている人間を斬れない。しかもこの世界の自分を斬るなんてそんな度胸は無かった。

「駄目。私にはもう、無理。」

 鈴花は逃げた。ただ逃げたかった。こんな事もう嫌だ。ハルの声が背後から微かに聞こえたが聞き取れない。聞き取りたくない。

 走りたどり着いたのは東京湾だった。ついに海に来てしまった。けど、ここからどこに行く。

「鈴花。こっち見ろ。」

 振り返った鈴花の頬に鋭い痛みが走る。ハルがビンタしたのだ。痛みでその場に倒れこんだ。

「なんなのよ。なんで私を殺さなきゃいけないの。なんで私にそんな事させるのよ。わからないわよ。」

 鈴花は頭を抱えて泣き叫んだ。この行為は駄目だ。彼女にはできなかった。自分を殺すなんてそう簡単に出来るわけじゃない。

「だが、誰も待ってくれないんだよ。」

 ハルの視線の先には先程の人々。もう追いかけてきたのだ。先頭にはこの世界の荒谷鈴花が居る。もう、見たくもない。

「じゃあ、俺がお前を殺してこよう。」

 ハルが刀持って向かおうとする。鈴花は彼の腕を掴んで静止した。

「殺さなきゃ先に進めないの。」

 ハルはなにも言わず頷いた。鈴花は刀を受け取って人々に向かって歩き出す。決心は着いてない。逃げていたら元の世界に帰れない。しかし、この世界の彼女をこの手で殺すことはできない。

 立ち止まった鈴花にこの世界の彼女と他の人々は近づいてくる。彼女は近づいてくる人々をどうにか斬っていく。この世界の彼女と母親以外を斬ってきって斬りまくる。

 案の定、最後には二人だけ残った。何もしないで居ると二人の腕が体に絡みついてくる。その腕を振りほどくと二人と対峙した。

 鈴花はゆっくりと刀を振り上げる。

「母親殺しと自分殺しか。これもある意味自殺なのかな。」

 鈴花は笑うしか無かった。笑わなければ耐えられない。

 鈴花は思い切り二人に刀を振り下ろした。

 直後響き渡る悲鳴。鈴花の悲鳴か。いや、違った。この世界の彼女と母親の悲鳴だった。二人は血を流しながら彼女を見ている。その目ははっきりとしていた。

「や、やめて。おねがい、助けて。」

 初めて聞いたこの世界の鈴花の声。彼女はしてしまったことの重大さに絶叫した。それでも止められない。彼女は最後までやろうと絶叫しながら刀を振り上げた。

「お願いだから死んで。」

 鈴花は絶叫の中、二人に再度刀を振り下ろした。もう一度振り下ろそうとしたとき、二人は既に事切れていた。

 血だらけになった二人の亡骸はゆっくりと消えていく。

 鈴花はその場に座り込んだ。自然と涙がこぼれた。彼女は殺したのだ。この世界の彼女と母親をこの手で。

 鈴花の気持ちをぶった切るようにヌルの笑い声が聞こえてくる。

 刀は再び黒い本に戻った。まだ、何も終っていないのだ。唇を噛みながら残りの二問を解き始めた。

「初めてだわ。ここまで相手を憎んだのは。」

 鈴花にとっては初めてのことだった。無論無差別殺人者も憎いが、自分を殺させる奴はその上をいく。だって、普通じゃありえないから。

「あと、一問。」

 あと一問で終わるうれしさが鈴花の体を満たす。あと少し、あと少しで終わるんだ。

 そして、最後の問題を解き終えた。すべての数式が青白く光る。すべてのすべきことが順に光ると最後にすべきことが浮かびあがった。

「最後はヌルに叩きつけろと。そういうこと。」

 鈴花は笑みを浮かべながら勢い良く黒い本を閉じる。事情を理解したハルは鈴花を掴んでヌルの所まで移動を始めた。幾らか移動速度が遅い。それに今度のハルは小さいので片腕しか掴めない。

 再び敵の陣地に到達する。案の定、沢山の弾が飛んできた。ハルはなんとか弾を避けていく。直後、鈴花の体に激痛が走る。彼女の異変に気がついたハルは、彼女を連れてすぐにビルの間に隠れた。

 激痛と熱い何かが鈴花の胸の辺りにある。彼女は胸を見てぎょっとした。胸を撃たれて血を流しているのだ。あ、これは死ぬなと本気で思えた。気づけば息苦しくなっている。

「ねえ、わたし、死んじゃうのかな。」

 鈴花はハルに手を伸ばす。ハルはその手を握ってくれた。

「馬鹿、死なせるわけ無いだろ。仕方ない、最後の手段だ。」

 ハルは鈴花の体の上に乗る。何をしようというのだろうか。すると、ハルの足元から見えなくなっていく。半分までいったときに、はじめてハルが彼女の体の中に吸い込まれていることに気がついた。

「う、うそでしょ。」

 ハルは完全に鈴花の体の中に入ってしまった。驚く彼女をさらに驚かせるように胸の所から弾がひとりでに飛び出し、傷が跡形もなく消えていった。ハルの声が体の中から聞こえてくる。

『俺だ。もう、お前の傷を癒すことはできない。だから、俺ごとお前の中に入ることで傷を癒した。もう、飛べないし傷も癒せない。ここから先は死ぬ気で行け。それと、追加の問題がお待ちだ。』

 鈴花は起き上がり黒い本を開いた。そこには追加で五問の二次方程式の問題がある。またかと思いながらも早速解き始めた。

 解き始めたものの問題を見ても答えが分からない。解けないのだ。どうしたものだろう。どうしようかと思っていたら。ハルが話しかけてきた。

『二次方程式っていったら解の公式があるだろ。』

 ハルの声で黒い本に式が表示される。ハルに説明されるとどこかで見たことがある程度であった。きちんと習っていないのかもしれない。そんな事を考えていると、ハルが怒鳴ってきたので早速解の公式を用いて解きだした。すると、不思議なことに簡単に解ける。その勢いのまま最後の問題まで解いた。解の公式さえ分かれば簡単な問題なのかもしれない。

 問題が光ると次にすることが表示された。敵陣に黒い本を投げ込めということらしい。今いる通路の角から五メートルぐらいで敵陣だが、その前に撃たれるだろう。どうにかできないものか。通路にある建物に入ってそこから投げようとしたが扉と窓はどこも開かない。

「これは確実に撃たれるわね。死なない程度に避けないと。」

 鈴花は意を決して角から飛び出した。勢いをつけて敵陣に本を投げ込む。すぐに角に戻って隠れた。痛いと思ったら何発か体に食い込んでいる。胸に当たらなかっただけ良かったと思うことにした。再度角から敵陣を見れば、黒く大きな玉が周りの武器や弾を吸収していた。彼女の体から痛みとともに弾が飛び出して同様に吸い込まれていく。痛みは消えないが、弾を取り出せただけ良かった。すべての武器と弾を吸い込むと黒い本は地面に落下した。

 鈴花は痛みを我慢しながら黒い本を拾い上げる。本を開くと、再び光り輝くはヌルに叩きつけろとの事。やっとヌルに辿りつけそうだ。

 撃たれた箇所をかばいながら歩き出そうとすると、眼の前にヌルが現れた。

 ヌルの体は震え、腰が少し引けているように見えた。そこで、鈴花が小さく笑うと、ヌルは首を左右に何度も振った。何かを追っ払っているのだろうか。

「君たちは本当に強いね。ここまで強いとは思っていなかった。その力を使えばこの世界も自由に扱えるよ。どうだい、憎しみ合うのは止めて母さんや私と一緒に新しい世界を作らないか。みんなで人間たちの……。」

 鈴花は堪えきれず笑い出した。笑い声が世界に広がっていく。

「馬鹿じゃないの。あんたはここで死ぬの。そんな話に付き合ってられないわ。」

 鈴花は黒い本を持ち直すと、ヌルに近づく。後退するヌルに黒い本を思い切り叩きつけようとした。しかし、ヌルに当たる寸前で彼女の手から体へ衝撃が走る。彼女がヌルに本を押し込もうとするが一定以上近づかない。

 間近からヌルの気持ち笑い声が聞こえてくる。

「この世界の自分を殺した気分はどうだい。」

 鈴花は先ほど殺したこの世界の彼女と母親を思い出す。その光景に沸々と怒りがこみ上げてきた。彼女はヌルの笑い声をかき消すように叫んだ。

 鈴花はなんとしても本をヌルに叩きつけようとさら力を加える。力を加えても動かない。それでも力を加えていく。すると、突如ハルが彼女の体の中から出てきて、次に黒い本へ入っていった。黒い本が一瞬光ると、押し返されていた力が突然消える。

 鈴花は加えていた力をそのまま本に託してヌルへ叩き付けた。頬にビンタをするように黒い本をぶつける。彼女は力を加えたために音がするかと考えたが、何も音はせず叩き付けた本はヌルの中へ消えていった。

 鈴花は一歩後退して今後の展開を待つ。

「終わりだ。すべての終わりだよ。」

 ヌルはそれ以上は何も言わず地面に倒れた。直後ひどい揺れが彼女を襲う。しゃがみこみ周りを見れば世界が揺れているようだ。

 鈴花がヌルを見れば眠りから覚めたかのように目を擦っている。元に戻ったようだ。彼女が宗太に近づこうとしたとき。

「もう俺とお前の仕事は終りだ。帰るぞ。」

 ハルは鈴花の手を持って引っ張り上げようとする。彼女はその手を振り解いて宗太に近づいた。

「宗太、ねえ宗太ったら。」

 宗太は鈴花の声が聞こえているのか、ゆっくりと目を開いた。彼は笑顔で彼女に手を差し伸べた。

「助けてくれて、ありがとう。」

 ヌルは消えて元の宗太に戻ったようだ。しかし、鈴花は彼にありがとうと言われる事なんてしていないと思った。彼女は必死に首を横に振る。

「違う、違うわ。私はただこの世界を破壊しただけよ。」

 結局彼女が世界を破壊することですべて終わったのだ。ヌルが言った言葉が彼女の頭に響く。

『そして決めよう。どちらが本当の破壊者かを。』

 本当の破壊者は鈴花だったのだ。彼女はうずくまり力の限り叫んだ。この世界の彼女を殺してまで得たかった結果がこれなのか。彼女の言葉にならない声が世界に響く。彼女は大切なものを破壊した。それらはもう二度と戻らないのだ。

 鈴花は叫び続けていると、ふと地面に足が付いていないように感じた。目を開ければ地面が遠くにある。

 鈴花は辺りを見る。彼女を掴んでいるのはハルだ。彼女が上空に上がるとともに幾つもの黒く丸い円が上空に現れた。それはすべてのものを飲み込むには十分な大きさだった。

「ちょっと、待ってよハル。宗太も一緒に連れてってよ。このままじゃ危ないじゃないの。」

 鈴花は暴れるが、今度はしっかりと掴んでいるためかハルから離れることは出来ない。彼女は無駄な抵抗を止めて地上にいる宗太を見た。彼も立ち上がり彼女を見る。

 さらに鈴花の体が上昇する中で、彼女は宗太に手を伸ばす。決して届かなくても彼女は手を伸ばし続けた。



 鈴花が次に気がついた時には、真っ白い世界に居た。何も無い真っ白い世界だ。先ほどの世界とのつながりを示すのは彼女が着ている服だけ。

「目覚めたようだね。お疲れ様。」

 白い世界のどこからか男の声が聞こえてくる。鈴花は辺りを見回す。それでもどこから聞こえてくるのかはわからない。その声は嫌に落ち着いていて気分が悪い。

「お疲れ様って何よ。此処から出してよ。宗太に会いたいのよ。」

 鈴花は白い世界へと叫ぶ。どこに居るのかわからないならどこにでも聞こえるように大声で言うしかない。

「駄目だ。奴は感染者だ。助けることは出来ない。」

 鈴花は体の力が抜けるとともに地面にひざと両手を付いた。感染者とは何か。ヌルも宗太を感染者と言っていた。

「感染者って何よ。宗太を早く助けて、お願いだから。」

 彼女は白い空を見上げて懇願する。彼を見捨てることはできない。ただ、それだけだ。短い間であったが、記憶が蘇ってくる。

「鈴花。君を選んだばかりに辛い思いをさせてしまったね。本当に済まない。」

 瞬間、鈴花の体の中を何かが突き抜けた。男の言葉。呼ばれた「鈴花」という名前。彼は何故彼女の名前を知っているのだろうか。彼女は頭の中で彼の声と言葉を繰り返す。この声を何処かで聞いたことがあるような気がした。

「この声を昔何処かで聞いたことある。けど、どこで聞いたのか思い出せないわ。ねえ、あなたは誰なの。私とあなたはどこで会ったの。」

 鈴花の中に疑問が膨らんでいく。その膨らみは際限を知らない。そのとき、ふとポケットに入っている写真を思い出した。写真を取り出して見る。そして、白い空を見た。

「まさか、私のお父さんじゃ、ないよね。」

 鈴花がその言葉を言った後しばらく男は沈黙する。その沈黙が長引けば長引くほど彼が彼女の父親であるように思えた。彼女は再度彼に聞こうとする。しかし、それは彼の言葉によって遮られた。

「そうだ。君に黒い本を返そう。中を見ると良い。そこに宗太と言う男を助ける方法やお前の知りたい事が書いてある。」

 男の言葉の後、鈴花の目の前に黒い本が現れた。ヌルに消えた黒い本だ。彼女は宗太を助けるために黒い本に触れた。すると、手が触れた瞬間本が一瞬光る。彼女は嫌な予感がしたために手を離そうとしたがどうやっても離れない。

「どういうことよ。手が離れないわ。まさか、嘘をついたのね。」

 鈴花の手はまるで強力な接着剤で張り付いたようにまったく取れない。無理に取れば腕が壊れるんじゃないかと思うぐらいだ。

「済まない、こうするしかなかった。君はこの世界に居てはいけない存在なんだ。それに、少々世界というものを知りすぎた。」

 鈴花の体がゆっくりと光りだす。突如強烈な風が彼女に吹き、指先、頭から細かい粒が風にのって流され始める。彼女は自分の手を見る。その光景に現実を受け入れたく無いと首を横に振り顔を遠ざけた。彼女の体が先端から良く分からない粒に変化して風に流されているのだ。良く見ればその粒は英数字の羅列のようだ。しかし、それを知っても現状は変わらない。手、足の先と頭からゆっくりと体は粒に変化し風にのってどこかへ消えていく。

「なんで、なんでなのよ。お願い。お願いだから助けて。」

 鈴花はただ白い空を見ながら叫んだ。そこに居るだろう男に向かって。

「さあ、帰るんだ。君の居るべき世界に。」

 男の声が聞こえたとき、鈴花の両腕は流され両足が流され始めた。彼女は目の前で繰り広げられる現状に恐怖を覚えた。ただただ彼女は痛みを感じず消えていく自分の体を見ながら、何も無い白い世界に向かって叫んだ。何も出来ない自分に、これから起こる何かに向かって。

 そして、ついに鈴花は目の部分も流されてしまった。彼女はいよいよ何も見えなくなり忍び寄る恐怖に絶叫する。その声が聞こえなくなったとき、彼女は小さな光の粒となって何処かへ消えてしまった。

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