第二十五話 業火の中へ
第二十五話 業火の中へ
何時か見た夢の中、遠くからハルの声が聞こえてくる。その声は徐々に大きくなってきた。鈴花は耐えかねて楽しい世界から現実世界へ戻る。案の定ハルは鈴花の真上に居た。
「あう、何よ邪魔しないでよ。」
鈴花はハルを払うと、夢の続きを見ようと再び眠ろうとした。
「邪魔しなきいけないんだよ。」
ハルの大声とともに今度は体を強く揺さぶられ、鈴花は仕方なく起き上がった。彼女はぶつぶつを不満を漏らしながら目をこする。良い場面であっただけに凄く悔しい。そんな状態の彼女をハルは容赦なく引っ張った。
「やめてよ。何があったっていうの。」
鈴花はハルの腕を払う。はっきり言ってまだ頭が起きていない。体が暑い、エアコンを切っているのだろうか室内の温度が高い。
「なんでこんな暑いのよ。エアコンは、エアコ……。」
ベッドから降りたとき、ハルが鈴花を揺さぶってまで起こそうとした理由がわかった。部屋が燃えている。燃えているのだ。ハルはあわてふためく彼女を強引に引っ張る。
「いいから逃げるぞ。次が来やがったんだ。」
ハルに引っ張られて部屋を出た。普段着を着た状態で眠っていて良かったと思う。次が来たということは敵が来たのか。エレベーターに向かったが作動していないようで動かない。そうだ、宗太は大丈夫だろうか。
「階段どこ、階段。宗太のところに行きましょう。」
今度は鈴花がハルを引っ張って走りだす。周りも燃えていて本当に熱い。
ドアを開けて非常階段に出る。突然体に当たる冷たい風と予想を超えた惨状に何も言えずドアを閉めた。ホテルだけじゃない。見える範囲の建物すべてが燃えているのだ。
宗太を探さなければ。鈴花は金属製の階段を音を立てながら降りる。宗太が泊まった階に着くとドアを開けて突入した。非常階段からの眺めは見たことがないためかまるで迷子になった感覚を味わいながらもなんとか宗太の泊まっている部屋に着いた。しかし、ドアが開かない。いや、開かないのは別段珍しくないがこういう時はどうしようもない。
「ちょっとどいてろ。」
ハルはドアに触れるとかちゃりと金属音がなってドアが開いた。ハルに言いたい事があったが今は部屋に入った。
「宗太。宗太、大丈夫。」
鈴花は半ば叫びながら部屋に入った。宗太は寝ていたようで飛び起きて驚いている。彼女はハルが説明するよりも早く宗太の腕を掴んで非常階段へ向かって走った。
非常階段に出ると地上に向かってひたすら降りた。非常階段がまるで筒のようになっていて外に出られないため地上まで降りるしか無いのだ。
地上に降りると建物から出来るだけ離れるとともにハルから黒い本を受け取った。本のページには既に次の敵が表示されていた。
「インフェルノ(Inferno)だな。」
インフェルノは地獄を意味する。真っ赤な炎とその中から伸びる複数の手が鈴花を地獄に誘いこもうとするのだろうか。次のページには倒し方が載っていた。数式は……。
「へいほうこん。平方根って何。」
ハルがあきれる。手短に説明を始めた。
「手が、手が伸びてきた。」
ある一点を見つめながら、宗太は怯えている。先ほど居たホテルから無数の手が現れたのだ。いや、周りの火の中からも手が伸びてきている。火のあるところならどこでも手が現れるのか。
鈴花は本の問題に集中した。さっさと解かなければこちらの身が危ない。
「鈴花、危ないぞ。」
誰かの叫び声。鈴花は次の瞬間には空高く飛んでいた。ハルが彼女を抱えている。しかし、宗太は居ない。
「ねえ、宗太は。宗太はどこ。」
鈴花の質問にハルは首を振りながらも答えた。
「お前が本に集中している間に、伸びた手が宗太を火の中に連れていっちまった。他の手も伸びてきたから空に逃げてきたんだ。」
鈴花はすぐに宗太を助けようと体を動かす。それを制止するハル。宗太を掴んだ手は大きな真っ黒い口に吸い込まれたらしい。
「宗太は死んだの。ねえ、そうなの。」
鈴花は現状が掴めず頭が混乱している。彼女が本を見ていたときに宗太は連れて行かれた。まるで実感が無い。
地上から炎に包まれた玉が飛んでくる。地上から敵が飛ばしているのだろう。ハルが器用に避けてくれている。
「いや、違うよね。宗太は私の邪魔になるからってどこかに逃げたのよね。そうよね。」
ハルは否定する。何度も。ハルの話では黒い本に聞いても、死んでいるか存在しないという回答しか得られないそうだ。本当に死んでしまったのだろうか。
「私が本を読んでいる間に。そ、そんな一瞬に……。」
「荒谷鈴花。」
ハルの大声に体が大きく波打つ。今まで聞いたことのないほどの声の大きさだった。彼女は思わず返事をした。
「あいつらはお前らを殺せるんだよ。今までもこれからも。ぐずぐずしてるとお前も俺も殺されるんだ。さっさと倒せ。」
ハルの言葉に弾かれるように黒い本の倒し方を見た。しかし、数式が消えている。
「もっと近づかないと無理か。遠すぎるんだな。」
ハルは急降下して燃え盛る街に戻った。数式も表示される。書く場所は黒い本のページ。各ページに問題が載っている。そこにチョークで書こうとしたが書けない。
「手だ手を使え。指で書くんだよ。」
ハルは火の中から突然伸びてくる手を避けながら叫んだ。ハル自身どこから来るか分からない手に集中しているためか他の事にかまっていられないようだ。
鈴花は指で本のページをなぞってみる。なぞった軌跡が黒く色づいた。これなら書ける。彼女はすぐさま問題を解き始めた。たしか平方根は√のxを二乗するとxになるというものだったはず。
問題は全部で十問。記された数の平方根を求める問題(変数を含む場合は変数は0以上)が二問。√がついた数を√の無い数にする問題が二問。平方根同士の計算問題(四則演算)が四問。示された式を有理化(平方根を含む分数式の分母または分子、から根号を取り除く)する問題が二問ある。各ページ二問ずつ記されている。
ハルが縦横無尽に飛び回っているためかどこが地上でどこが空なのか分からなくなってきている。気持ち悪くなってきたがやるしかない。
まずは数の平方根を求める問題だ。この問題は記された数の二乗が何かを調べれば良い。その数字に√を付けたものが答えになる。二問目も二乗にして√をつければ良いので簡単だ。
すぐさま答えをページに記す。次のページにある問題にとりかかった。次は逆に√がついている数をついていない数にする。これは例えば√36なら√内は6の二乗になり答えは6になる。この要領で二問を解いた。特にここでは地味に九九が役立った。小学生のころの算数は意外と大事だと思う。
次に平方根同士の計算問題四問。これは加算減算は√の中が同じなら√前の数字が増減するだけ。乗算除算はそのまま√内の数字を計算してそのあと√をとるなりする。なんというか頭が痛い計算だ。さっさと四問解いてそれぞれのページに書き込む。
最後は分数式の有理化が二問。有理化は分母にある√のついた数に同じ数をかけて分母から平方根を取り除く事だ。分母にかけたものは同時に分子にもかける必要がある。かけた後はこれまでの問題のように√内の数字を小さくする。それを二問解くことですべての問題を解き終えた。
気持ち悪くなり、吐きそうになりながらもなんとか最後の二問をページに書き込んだ。勝手にページがめくれると順に問題が光っていく。すべての問題が光るとそれぞれのページが破けて鈴花の周りを回り始めた。
「ど、どういうことだ。なんなんだ。」
ハルは困惑している。何が起きているかハルにも分からないのだ。そのページたちは襲いかかる手を払いのけていく。それに気がついたハルは跳び回るのをやめて地上に降りた。
黒い本は独りでに空に浮かんでいく。それは黒い塊になり伸びてきた敵の手と炎を吸い込んでいった。ページが鈴花たちを守り、本が敵を破壊しているのかもしれない。
黒い本が手を吸い込めば吸い込むほど周りから炎が消えていく。最後の手と炎を吸い込んだ時、そこには元通りの街があった。
「建物が燃えていない。すべて敵のせいだったのね。」
燃えていたのは敵本体であり、建物には影響をあたえていないようだ。鈴花は再び現れた本を受け取り、敵を倒したことを確認した。
戦いが終わって安堵する鈴花。考える事が戦い以外の事になっていく。そのなかでふと宗太を思い出した。
「そうた、宗太は、宗太はどこ。見つけないと。」
思い出したように鈴花は辺りを探した。大声で名前を呼ぶ。徐々に声が叫び声に変わっていく。最後には泣きながら叫んだ。
「ハルちょっと飛んで。上空から探したいの。ねぇ、お願いだから。」
ハルは鈴花に気押されて彼女を連れて空を飛ぶ。空から力いっぱい叫んだ。だけど、いっこうに見つからない。暗く静かな東京が彼女たちの眼の前に現れた。それが本当に彼が死んでしまった事を証明しているように思えた。
しかし、それでも彼女は叫んだ。宗太がどこかで生きていると信じて。